6 異能の国・フェリエ
サレイユからフェリエまでの船旅は二日かかった。
海路は穏やかで、船酔いに見舞われたり悪天候で難儀したりすることもなく、心地よい風の中で船はフェリエの港に着いた。
(もしかすると、この風が私の背中を押してくれている……のかもしれないな)
少しでも明るいことを考えようということでそう解釈し、サラは侍従の手を借りてタラップを降りた。吹き込んできた潮風がサラの長い髪を撫で、日差しが優しく頬に触れてくれる。
フェリエ王国は、少し上部のひしゃげたパンケーキのような形の島を領土とする国で、一年を通して温暖な気候、好天候に恵まれることが多いとされている。
島は北側が少し海抜が高く、一番高いところに王城が建てられ、国民たちの生活を見守れるようにしているという。確かに、南の端に位置するこの港町からも北を臨めば遥か遠くに青白い山脈が確認でき、王都の町並みが広がっているのも見えた。
サラと王兄殿下の結婚は、殿下本人の希望によりひそやかに進められることになった。よって港への出迎えも派手ではなく、市民たちが遠巻きにこちらを見つめる中、正装した騎士たちに案内され、サラは馬車に乗り込んだ。
(まるで罪人になった気分……)
薄暗い馬車の中でぼんやり思うが、案外自分はフェリエの人にとっては罪人に等しい存在で、決して歓迎される対象ではないのかもしれないのだと思い出した。現国王の即位に反対して戦争を吹っかけてきた国の王女として、石を投げられたりしないだけましなのかもしれない。
(城では、どんな扱いを受けるのかな……)
王兄妃とはいえ、一応自分は人質の立場だ。まさか毒を盛られて殺されたりはしないだろうが、厄介者扱いをされるのは覚悟せねばならないだろう。
王城に着いてからも、外観をじっくり見る間もなく裏門から入らされた。
(異能持ちの国だって聞いていたけれど……見たところ、建物の造りも人々の顔立ちも、サレイユとほとんど差はないみたいだな)
建物はサレイユの城よりも新しくて、全体的に丸みを帯びた形をしている。窓も壁を円くくり抜かれていて、そこから見える城下町の町並みも、サレイユよりポップで明るい感じがする。屋根が赤や黄色など、華やかな色のものが多いからかもしれない。
「本来なら国王陛下に謁見していただきたいのですが、陛下はご多忙なこともあり……申し訳ありませんが、すぐに殿下のいらっしゃる離宮にご案内しますね」
そう言うのは、サラを案内する少年だった。おそらく年はサラより少し下だろう、そばかすの浮いた顔が特徴的で、人のいい笑顔が可愛らしい。サレイユとは少し意匠が異なるがおそらく彼が着ているのも侍従服だろう。
サレイユから連れてきた護衛は、講和会議での決定内容に基づき全員港町で別れ、これ以降は折に触れて様子を見に来るだけになる。
そして今サラの側にいるのもこの少年だけなので、こんなに無防備でいいのだろうか、と逆に思ってしまった。
(……でも、この人も異能持ちなのかもしれない。それなら、もし私が暴れたりしても異能の力でねじ伏せられるから、こんなに護衛も手薄なのかも……)
何にしても、警戒するに越したことはないだろう。
だが離宮までの道で他の者とすれ違うことはなく、離宮らしい小綺麗な城の渡り廊下にたどり着くと、少年は一気に饒舌になった。
「あ、すみません、申し遅れましたね。僕はリシャール殿下の侍従であるダニエルと申します。現在この離宮で暮らしている王族は殿下だけなので、殿下のお妃になられるエルミーヌ様も、自分の城だと思ってくつろいでくださって構いませんよ」
「……ありがとう。でも、わたくしが偉そうにすると皆の迷惑になるのではないかしら」
ダニエルの調子に少々拍子抜けしつつ、サラは呟く。
(いきなりぽっと現れた他国の王女を王兄妃として敬うなんて、普通なら嫌だよね……)
だがダニエルはきょとんと目を瞬かせた後、とんでもないとばかりに首を横に振った。
「そんなことありませんよ。……ここはもう離宮だから言えますけどね、僕たちは正直、やーっと殿下がお妃を迎えられるということで、ものすごく安心しているのです」
「……えっ」
ダニエルを凝視すると、彼はにっこりと微笑んで離宮の庭園に視線をやった。つられてそちらを見やるとちょうど、庭木の剪定をしていたらしい数名の男性と視線があった。
彼らは最初サラを不思議そうに見ていたがやがてお互い小突き合い、作業の手を止めて一礼してきた。
「彼らは離宮お抱えの庭師ですが……僕たちリシャール殿下付きの者は、あなたがいらっしゃるとなって、とても楽しみに――そして申し訳なく思っていたのです」
「申し訳ないの?」
「あれ? エルミーヌ様もご存じでしょう、うちの殿下について」
……それはつまり、引きこもっているとか人間嫌いとか仮面を被っているとかといったことだろうか。
「使用人の贔屓目なしでも、殿下はとても優しくていい方なんです。ただ、ちょーっと癖が強いのと諸事情があるのとで、ふさぎこみがちなんです。僕たちとしては殿下がお嫁さんと一緒に幸せに暮らしていただければ十分嬉しいのですが、深窓の姫君に殿下のお守りを任せるのは申し訳なくてですね」
……主君を赤ちゃん扱いする従者を、サラは初めて見たかもしれない。
だが少々芝居がかったダニエルの物言いがおかしくて、サラはつい噴き出してしまった。
「そんなことないわ。確かに殿下は変わり者だと釣書にも書いていたけれど……実際に会ってみないと分からないでしょう? それにこちらこそ、政略結婚として押しかけることになったのだからおあいこじゃないかしら」
「……はぇー」
「あ、あの?」
「ああ、いえ、すみません。……エルミーヌ王女って、もっと夢見がちで世間知らずなのだと思っていたので、自分の見識を改めた次第です」
ダニエルは冗談めかして言うが、言われた方のサラはどきっとしてしまった。
(っと……いけない。いくら周りにサレイユ人がいないからって、あまりにもエルミーヌ様とかけ離れた振る舞いをしたらいけないな)
そわそわと視線を彷徨わせるサラだが、対するダニエルは楽しそうに笑った。
「ああ、いいんですよ、肩肘張らなくて。さっきも申しましたように、今日からあなたはこの離宮の二人目の主になるのです。僕たちは殿下の……そしてエルミーヌ様の味方です。ですからお心を楽にして、何でも申しつけてくださいね」
「ダニエル……」
裏のない笑みを向けられ――つき、と胸の奥が痛んだ。
(私はフェリエの人のことを恐ろしい異能の集まりだと思いこんで、自分たちとは別の生き物のように考えていた。でも……そうじゃない)
まともにしゃべった人はまだダニエルだけだが、彼はこんなに温かいし、先ほどお辞儀をしてくれた庭師たちからも穏やかな雰囲気を感じられた。
(……もしかすると私は本当に、ここで幸せになれる……のかも)
淡い期待を胸に、サラは微笑んだ。
「……ありがとう。それじゃあ、殿下のお部屋までの案内をお願いしてもいいかしら?」
「ええ、任せてください!」