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5  王女殿下の出発

 よく晴れた日。


「いってらっしゃいませ、エルミーヌ様!」

「王女殿下に、祝福を!」


 たくさんの国民が港に押し寄せ、サレイユ王国の国旗が描かれた旗やペナントなどを振りながら、サラが乗った船を見送ってくれていた。


 豪華なローズピンクのドレスを纏ったサラは船の甲板に立ち、淑やかな笑みを浮かべて手を振っていた。船が動きだし、人々の姿が、港町の風景が、だんだん小さくなっていく。


「……お疲れ様でした、エルミーヌ様。これよりしばらくの間はフェリエに向けた航海になりますので、どうぞ船室でおくつろぎください」

「ええ、そうさせてもらうわ」


 侍従に言われたサラは頷き、悠々とした足取りで船室に向かう。

 途中、船乗りらしき体格のいい男性たちとすれ違ったら、「ごきげんよう」「安全な航路を頼みますね」と親しげに声を掛ける。すると、男たちはぎょっとしたものの、すぐに照れたように笑ってお辞儀をしてくれた。


 サラは穏やかな笑みを浮かべたまま歩き、宛てがわれた部屋に入った。少し疲れたから一人にしてほしい、と侍従に言って一人きりになると、ぽすんとベッドに腰掛ける。


 ふう、と大きな息を一つ。

 そして傍らに置いていたトランクを開き、中から薄っぺらい木箱を取り出す。


 そこから引っ張り出したのは、かつてフェリエから贈られてきたリシャール殿下の肖像画。

 それをベッドの枕に寄り掛かるように立てかけたサラは――にたり、という擬態語が似合いそうな笑みを浮かべた。


「……こうなったら、付き合ってもらうわよ……リシャール殿下」


 ゴミ虫を見るような目つきの殿下の頬をツンツンと突きながら、サラはうっそりと笑った。











 五日前、衝撃的な報告を聞いた日はさしものサラも伏せってしまった。事情を知る者はそっとしておいてくれたのがありがたかった。


 驚いたことに、涙はほとんど出てこなかった。まさか自分から悲しいという感情が欠落してしまったのだろうかと一時は不安になったが、そうではなかった。


 裏切られたり罵倒されたりした悲しみを上回るほどの――怒りや妙な高揚感の方が勝っているからだと気付いたのは、翌朝のこと。


(私は、裏切られた。恋人にも、恩のある主君にも)


 悲しいことに変わりはない。だが、そこでよよと泣き崩れて食事も喉を通らなくなるほどサラは繊細な姫君ではなかった。


 翌朝の朝食はいつも以上にもりもりと食べ、午前中のダンスレッスンでは講師役の中年男性が目を回すまでぐるぐる回転し、午後からのレース編みでは美しさなどからかけ離れたおぞましい文様を編み上げて講師の女性を絶句させた。


(むかつく! 腹立つ! 信じられない! フィルマンもエルミーヌ様も、品がない! 裏切り者! ろくでもない!)


 一度ぷつんといくと、エルミーヌに対する六年間の忠誠心やフィルマンに対する十年間の想いも何も、吹っ飛んでいった。


 サラは、恋人にも主君にも自国の国王にも見捨てられた。

 それなら、これからどうすればいいのか。


「……私はっ! 絶対に絶対に、フェリエで幸せになる!」


 肖像画のリシャール殿下の頬をぐりぐり指圧しながら、サラは清々しいほどの笑顔で声を上げた。そしてトランクから小さな立方体の木箱を取りだし、中に入っていたものを手に取る。

 それは、子どもの握り拳ほどの大きさのコサージュだ。薄く切ったクリスタルを何枚も重ねることで薔薇の花を模していて、見た目のわりに重量がある。


 このコサージュは結婚の際に父から母に贈られたものらしく、子どもの頃からよく見せてもらってその繊細な造りに憧れていた。そして、馬車事故により遺体の損傷も酷い中、これを胸に付けた母が体を折りたたむようにしていたために破損から免れた、サラが受け取れたたった一つの遺品だった。


 男爵夫妻だった両親は、「辛いときには泣いていいし落ち込んでもいいが、必ず立ち上がれ」と言っていた。


 幸せになりたいのなら、幸せになりたいと声を大にして言え。

 吐き出したい感情があるのなら、庭に穴を掘ってそこに向かって叫べ。

 辛いときこそ、いつか絶対に幸せになってやるのだと胸を張れ。


(お父様、お母様。私、しょげません!)


 コサージュを両手に包み込み、サラは亡き両親に語りかける。


 信じていた人に裏切られたからといって泣いて嘆いて命を絶ったりすれば、両親に合わせる顔がない。

 両親が神の御許で安らかに暮らすためにも、サラは人一倍幸せになりたい。なるだけの権利はあるはずだ。


 幸か不幸か、これからサラが行くのは異能たちの国、フェリエ。

 どんな人が待っているのか、どんな国なのか、どんな歓迎をされるのか、全く分からない。サラを敗戦国の王女として蔑視する者だっているかもしれない。


 ……だが少なくともフェリエには、サラを裏切った人はいないのだ。


 自分を裏切った人より、仮面を被った変人殿下の方がずっといい人かもしれないではないか。あのゴミ虫を見るような目で見られたとしても、エルミーヌやフィルマンの顔を見るよりはずっとマシなはず。


「リシャール殿下……私の、旦那様」


 何気なく呟いたつもりだが、妙に気恥ずかしい。自分で言ったくせになんだか面はゆい気持ちになり、サラは思わずリシャールの肖像画をひっくり返してしまった。


(殿下……いい人だったらいいな)


 フェリエで幸せになれたら、故郷への未練はなくなる。

 そして――いつの日か、エルミーヌやフィルマンに再会しても笑い飛ばすことができるようになるのではないだろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の両親が生きていた頃に娘に残した言葉。 いい両親ですね。
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