47 妃殿下の微笑①
サラたちはまず玉座の間、そして執務室と順に突撃したが、取り残された貴族や逃げまどう使用人たちがいるだけで、王の姿はなかった。
明らかに戦闘員ではない彼らは、サラが伴うクレインや血まみれの巨大な獣を見ると腰を抜かし、「お許しを!」「どうか、命だけは!」と懇願してきた。
その中には見たこともある顔もあり……当然、彼らに手を出すはずもなく、サラたちは「早く逃げろ」とだけ言い残し、次々に部屋を当たっていった。そこへ。
「……殿下、妃殿下! あれを見てください!」
クレインの声で、サラたちはつんのめりそうになりながら足を止めた。
クレインが指した先、城の裏庭の方で、見覚えのある白い煙が上がっている。
「あれは、のろし……? まさか、裏庭まで逃げていたの!?」
「飛びます!」
クレインが言ったので、サラは一旦ひげもじゃ隊長たちと別れ、クレインにしがみついた。夫でもない男性にしがみつくのははしたないことだろうが、彼は獣の姿になったリシャールを両腕で抱えなければならないので、仕方がない。
現在のリシャールはそれなりに重量がありそうだが、クレインは変わらぬ軽い足取りでとんとんっと宙に躍り出し、城の建物をいくつも飛び越えて一気に裏庭まで向かった。
その先には、幼い王子王女や出産を控えた王妃たちが過ごすための小さな離宮がある。
サラも何度かエルミーヌと一緒にここに来たことがあるが、確か案内役の侍従は「この離宮には、たくさんの脱出経路があるのです」と教えてくれたものだ。
(なるほど、こっそり逃げるには最適ってことね……)
脱獄犯ならともかく、乱戦状態の城を捨てていく国王としてはどうなのだろうか。
ため息をつきたい気持ちを抑え、離宮二階のテラスに降り立ったサラはスカートの裾を整えると、リシャールが体当たりで派手に粉砕したガラス戸から侵入した。
先発隊が国王の居所を突き止めた上でのろしを焚いていたようで、サラたちがこぢんまりとした応接間に駆け込んだときには既に、国王は両手を縛られて床に転がされていた。
国王を護衛していたらしい騎士たちは全員部屋の隅で重なるように積まれており、一瞬ぎょっとしたがクレインが「皆、生きていますよ」と囁いてくれたのでほっとする。
「殿下、妃殿下」
「ご苦労でした、皆。よくここを突き止めましたね」
「……サレイユ国の宰相が早々に降伏しました。国王の逃げ場所を教えるので、と命乞いしたので、捕縛しております」
「……そう、分かりました」
長年国王に仕えていた宰相だが、最後の最後で自分の命が惜しくなったのだろう。
サラは嘆息し、床に転がる中年男に歩み寄った。
――これは、フェリエとの条約を踏みにじった者。
――これは、サラを娘の身代わりにした者。
――これは、サラがエルミーヌの名で死ぬように刺客を仕向けた者。
そして、これは――
「……ごきげんよう、国王陛下」
なるべく明るく、淑やかに挨拶したつもりだ。
だが声も固めた拳も、痙攣したかのように震えてしまった。
俯せ状態だった国王はそのとき初めて、目の前にサラがいることに気付いたようだ。ごろっと転がった彼はサラを見上げると目を見開き、忌々しげに顔を歪める。
「……今さら何をしに来た。国を売った悪女が!」
「……その言葉はいただけませんね。私が悪女であれば――フェリエとの講和条約を踏みにじって私をエルミーヌ様の身代わりとしてフェリエに送り込み、あまつさえ殺害しようとしたあなたは何なのですか? くそったれの鬼畜生ですか?」
サラが吐き捨てるように言うと、国王は顔色をなくした。
戦争も身代わりも、全て自分が決めたことなのに、こうして目の前に現実を突きつけられると言葉を失うなんて――そして、サラたちサレイユで生まれ育った者は拒否権もなく、こんな中年男に従っていたなんて。
そのとき、入り口の方でがさっと音がした。振り返ると、今の間に人間の姿に戻って服を着たリシャールが難しい顔で腕を組んで立っていた。
急いで着たからかシャツの胸元は開いているしマントもざっと引っかけただけだが、サラの手前ではいつくばる男よりもずっと威厳に満ちた姿はまさに、王族という立場にふさわしいだろう。
「おまえがサレイユの国王か……サラから、話は聞いている」
「……王兄リシャールっ!」
「なぜ、俺を親の仇か何かのような目で見る? ……エドゥアールは、王女エルミーヌを差し出せと言っただろう? それなのに俺たちを欺き、身代わりを寄越したおまえを許すつもりはない。あまつさえ、最後の降伏命令も蹴ったのだから……分かっているな」
そう言って、クレインが差し出した書状をぺらっと広げる。
それはエドゥアールがしたためた親書で、サレイユ王家に関する罪状がつらつらと並べられている。
「講和条約の件を抜いても、おまえは俺の妃を殺めようとした。毒が無効だと分かると、夜会で襲撃させ――あたかも俺たちフェリエの人間がサラを謀殺しようとしたかのように仕向けたのだろう?」
「そ、れは……」
「言い訳はやめてください。……エドゥアール陛下や殿下のご温情を、これ以上足蹴にしない方がよろしいですよ」
サラが言うと、リシャールに対しては完全に及び腰だった国王はぎろっと目を剥き、唾を吐かんばかりの勢いでサラに噛みついてきた。
「だ、黙れ! き、貴様を引き取って育ててやったというのに、恩を仇で返すつもりか! 誰のおかげで教育を受け、十八歳まで育てられたと思って――」
「それ、本気で仰せですか?」
……おそらく、十八年間生きてきて一番、ドスの利いた声が出たと思う。
国王だけでなく、傍らにいたクレインもヒッと怯えた声を上げる中、サラはかつん、とブーツのヒールを鳴らして国王に歩み寄った。
笑ってやろうと思った。
これがおまえの最期だ、と嘲笑してやりたかった。
だが……できなかった。
笑おうと思ったら目尻が熱くなり、唇の端が引きつる。
ざまぁみろ、と罵倒したくても、体が震えてしまう。
ぼろぼろと溢れる涙を止めることができず、サラはぐっと自分の胸元を掴んで血反吐を吐く勢いで叫んだ。
「……私の……私のお父様とお母様を殺したのは、あなたでしょう!」
「なっ……!」
「あなたはっ……おまえは、私が幼い頃から、私の容姿に目を付けていた! 私はエルミーヌ様の、はとこだから! 顔が似ているから、いずれ娘の影武者にするって……ずっと前から企んでいたんでしょう!」
……それが、サラが太后から聞いた事実。
母の形見のコサージュは、六年前の馬車事故のことも覚えていた。
そしてかろうじてコサージュは、母の遺体からコサージュを抜き取った者たちが、「やっと邪魔な男爵夫妻が死んだ」「没落させるのも一苦労だった」「これで娘を、陛下に献上できる」と大声でしゃべっていたことを太后に伝えられたのだった。
「うちが不自然に没落したのも……お父様たちが死んだのも……全部、おまえのせいなんでしょう! 顔の似ている私をエルミーヌ様の身代わりにして……もし何かあっても、私を差し出せばいいって思って育てたんでしょう!」
「ば、馬鹿言え! なぜ、貴様がそのようなことを……」
国王はすぐさま反論したが、その口調も表情も、「どうしてばれたのだ」と言っているようなものだった。
確かに、国王たちの計画は完璧だった。手先の者が口外しない限り、絶対にばれることはなかっただろうし、実際誰も漏らしていない。
……だが、サラの母が亡くなったときにも身につけていたコサージュが、全てを見て、聞いていた。
そしてそれは太后の手に渡り、稀有な異能の力をもって真実をサラに伝えるに至った。
「違う! 貴様の両親は勝手に没落して、勝手に死んだ! それを哀れんだエルミーヌがおまえを侍女にと……グ、ア、アアッ!」
なおも国王は見苦しく言い訳していたが、瞬時に獣に化けて黒い風のように飛びかかったリシャールがその胸元に爪を立てた途端、絶叫を上げた。
ぎりり、とリシャールの爪が胸元に食い込み、ブシュッと血が噴き出る。心臓は避けているようだが、あのまま攻撃の手を緩めなければ失血死するだろう。
「ぐ……あ、あ……助け……!」
「……」
「ああ……わ、私は、悪くない! エル、ミーヌのために、やった……だけだ……! あいつらが、早く貴様を、差し出していれば……殺さなかったのに……! だから、認めるから、この獣、を……」
――ああ、とサラの肩から力が抜ける。
(太后様……本当、でした)
もしかすると、太后の間違いかもしれない。コサージュの覚え違いかもしれない、と半信半疑だったが……真実だった。
サラの両親は、娘に目を付けられたそのときから国王による死の運命から逃れられなくなった。あの経営不振による没落も、国王の仕業。
それでも娘を手放さなかったから。
サラがエルミーヌのはとことして生まれたから、顔が似ていたから、両親は――
(お父様……お母様……!)
グルル、とリシャールが唸り、勢いよく爪を引っこ抜いた。
鋭利な爪という栓を失った国王の体から血が噴き出るが、リシャールはそれには目もくれず、床にへたり込んだサラの隣に寄り添ってくる。




