46 交戦
最後の通告としてリシャールは無条件降伏を命じたのだが、返事は三階バルコニーから放たれた矢の嵐だった。
「ったく、ここにいるのは仮初めとはいえ元王女なのに……」
「案外国王は、『エルミーヌだろうと容赦はするな』って命じたんじゃないですか。どうせ実の娘じゃないんですし」
リシャールとひげもじゃ隊長が、のんびりと話している。
サラたちを中心として大きなドーム型の光の壁が現れたためであり、あられのように降ってきた矢は全て弾かれて、ばらばらと足元に溜まっていった。
矢は効かないと分かったようで、異能持ちが光の壁を解除したときには既に、バルコニーに射手の姿はなかった。次の作戦のために引っ込んだのか、はたまた勝機はないと察して逃げたのか。
後者の方が、サラとしては安心できる。
――だが、やはり国王は城内に警備を固めていたのだった。
正面の大扉を開いた途端目に入った兵の数に、サラは息を呑んだ。
(こんな数、見たことがない……!)
普段は城下町の警備をしている兵士や騎士をかき集めた結果が、これだろう。城下町で見かけた青年とは全く違う、サレイユ王国の紋章が入った鎧や盾を装備した者たちからは、確固とした戦意を感じる。
「……全軍! フェリエのリシャール殿下ならびに裏切りの者のエルミーヌ殿下もろとも、フェリエ軍を排除せよ!」
響いてきた男の声に――サラは泣きたくなった。
彼は、サラも幼い頃から世話になっていた騎士団長だ。二年ほど前に団長に就任したのだと、嬉しそうな顔でエルミーヌに報告しに来ていたではないか。
サラはぐっと拳で目元を拭うと、一歩前に出た。
「……皆、よく聞きなさい! こちらにいらっしゃるのは、フェリエのリシャール王兄殿下。殿下はフェリエに対して無意味な戦争を仕掛けて多くの民を殺めさせた現国王に、フェリエを代表して裁きを与えにいらっしゃいました!」
「エルミーヌ殿下、何を――」
「そうではありませんか!? あなたたちの中で、一年前の戦で家族を失った者もいるでしょう! 敗戦後の講和条約に則って賠償金を支払うため、いつもの比でない重税を課された者もいるでしょう! フェリエの国王陛下に刃向かわなければ助かった命が、いくつあるのですか!?」
サラの問いかけに、騎士団長がさっと剣に手を伸ばした。
「……黙れ! 殿下、よくも陛下を愚弄するような……」
「黙るのはそちらです、アンリ・ジャン騎士団長! 国王はフェリエに対して度重なる無礼を働きました。そして愚かな政策を行っていたということも、幼少期より騎士を志していたあなたなら分かっているでしょう!」
かつて、騎士団長はエルミーヌだけでなく、王女の近くで影のように佇んでいたサラにも声をかけてくれた。
気さくなお兄さん、といった風貌の彼は当時従騎士だったが楽しそうに将来の夢を語り、「いつか、サレイユの民を守る騎士になるんです」と言っていたではないか。
サラの言葉に、騎士団長は動きを止めた。兜の隙間から見える目が見開かれ、何かを思い出すかのように思案に揺れているのが分かる。
騎士団長が静止したからか、周りの騎士たちも戸惑ったように目配せをしあっている。
(……今なら、言葉が通じるかも!)
「……アンリ・ジャン。あなたは私が子どもの頃、よく遊んでくれたでしょう。私は、サレイユを捨てたのではありません。今の国王に任せていれば国が滅ぶ。あなたが夢見ていた美しい国作りが果たせない……だから、リシャール殿下に協力しているのです」
「妃の言うとおりだ。……騎士団長殿。俺が弟であるフェリエ王から賜った命は、フェリエを愚弄した国王に制裁を与えること。罪のない一般市民を殺めるつもりも、ここで無用な戦闘を始めるつもりもない。君は妃とも懇意のようだから是非、助力を賜りたい」
サラに続いてリシャールが淡々と、しかし噛みしめるように一言一言を大切に告げたからか、騎士たちは同様の眼差しで互いを見ていた。
(いい感じかも……)
サラは頷き、言葉を続ける。
「……アンリ・ジャン。どうか聞いてください。あなた方では……殿下やフェリエの異能持ちたちには勝てない」
「……っ」
「フェリエのエドゥアール陛下は、アルフォンス王子殿下の即位を望まれています。それが果たされたなら――必ず、今よりもよい国を作ってくださるはずです。きっと、あなたが過去に願った通りの国を」
騎士団長が、まばたきをした。
その唇が数度開閉し、ため息のような声が漏れる。
「……もしかして、殿下は……いえ、あなたは……。……グッ」
「えっ?」
何か言いかけた騎士団長は苦しそうに喘ぐと、脇腹を押さえてガシャン、と膝を折った。
そこから溢れているのは――黒っぽい血。
「た、隊長!?」
「異能どもめ……よくも隊長を!」
隊長が負傷したと知って色めき立ち、騎士たちは各々武器を構えた。
すぐさまサラはひげもじゃ隊長に腕を引かれて軍の中心に引き戻され、リシャールのうなり声が低く響く。
(な……なんで、アンリが……!?)
「ど、どういうこと!? 誰も……攻撃していないわよね!?」
「もちろんです! あれは……うまく見えなかったのですが、あちら側の攻撃です」
(……嵌められたか!)
気付いたときには、もう遅かった。
不意打ちで騎士団長を攻撃されたと思いこんだ騎士たちが一斉に剣や槍を抜き、ぶわっと殺気がみなぎる。
「殺せ! フェリエの化け物たちを一匹残らず殺せ!」
「妃殿下、こちらへ! こうなれば説得は無理です!」
「え、ええ!」
ひげもじゃ隊長に引っ張られた先には、クレインの腕があった。彼はサラの腰を抱くと、たんっとその場でジャンプし、無駄に高い玄関ホールの天井すれすれまで跳び上がった。
だがリシャールはクレインの腕には掴まらず、ばさっとマントを脱ぎ捨てると轟くような咆哮を上げ、黒い獣へと体を変化させた。
「あっ!? で、殿下!」
「いきなりすみません、妃殿下! ……ここは危険です。殿下方に任せて、僕たちは先に国王を捜しましょう!」
クレインに言われ、思わずリシャールの名を呼んでいたサラははっと息を呑む。
そう、国王の首を取るためには城の奥へ行かなければならない。そしてフェリエ軍の中で、玉座の間などの国王がいそうな場所を知っているのはサラしかいないのだ。
それに気付いて決意を固めたサラだが――足元から悲鳴と鈍い音、そして――嫌でも漂ってくる鉄臭い匂いに、一瞬意識が遠のきそうになった。
(そうだ……ここは、戦場なんだ……!)
かつてリシャールが戦っていたのと、同じ空気。
血と、絶望と、死の臭いがサラのもとまで届いてくる。
「……妃殿下、安全な場所に一旦待避しますから、下は見ないでください」
「っ……」
クレインに言われて、サラはこくこく頷いた。口元を手で押さえ、ぎゅっと目を瞑るけれど、兵士たちの悲鳴やフェリエ軍が異能によって巻き起こす爆発の音ははっきり聞こえる。その中から微かに獣の咆哮が聞こえると、不安で胸が苦しくなった。
(皆、殿下……どうか、無事で……!)
サラを抱えたままクレインはとんとんっと宙を蹴るようにして飛び、やがて三階のバルコニーに着地した。ここは確か傍系王族の女性の自室だったと思うが、既に姫は避難しているようで人気がない。
クレインは辺りをきょろきょろ見回した後、サラの腕を引っ張ってバルコニーの隅に身を潜めるよう指示した。
「……妃殿下はよく頑張られましたよ。あれは間違いなく、僕たちとの交戦を狙ったサレイユ側の作戦です」
「……う、うん。でも、私……」
「殿下たちなら大丈夫ですよ。あなたのおっしゃることは至極正論だったし、あなたの言葉で心が動いた騎士たちもいたはず。そういった者は戦意を喪失して早々に白旗を振りますから、殿下方も無用な殺生をせずに済むんです。……だから、あなたのしたことは無駄じゃありません」
「う、ん。……ありがとう、クレイン」
クレインに優しくなだめられ、サラは腰のポーチから出したちり紙で思いっきり鼻をかみ、「すごい音ですね」と彼に苦笑された。
「……さて、妃殿下。玄関の混乱もいつか収まるでしょうし……第二波が来る前に国王をきゅっと絞める必要があります。玉座の間や執務室の位置、分かります?」
「え、ええ。でも……あの人のことを考えると、どっしりと玉座に構えるより、さっさと逃げそうなの」
「ああ、そういう人なんですね……分かりました。では、脱出経路のありそうなところも叩いていく必要がありますね」
サラが落ち着いた頃合いを見計らって、クレインは再びサラの腰を抱えてとんっと跳び上がった。
「あっ。あの辺り、中庭があるの。内側が回廊になっているから、そこから殿下たちと合流できるかもしれないわ」
「回廊ですね……あ、本当だ。じゃあ、降りましょうか」
サラの指示を受けてクレインは人気のない回廊に降り立った。そしてズボンのポケットを探ると中から茶葉缶を小さくしたようなものを取り出し、ぽんっと宙に放る。そうすると空中で茶葉缶が開き、そこからぷすぷすと白い煙が立ち上った。
(まるでのろしみたい……あっ)
「もしかしてこれ、さっきも使っていた?」
「はい、そうです。これは見た目云々より、僕たち異能持ちにとって合図代わりになる香草を練り込んでいまして……あ、ほら、殿下がいらっしゃいました」
「本当に!?」
クレインは耳がいいらしいが、残念ながらサラは嗅覚と違って視覚や聴覚は凡人並みだ。
だが次第に足音が近づき――皆の姿が見えるよりも早く、濃い血の臭いが漂ってきて、サラは浅く呼吸した。
(……逃げるわけにはいかない。こうするって、決めたんだから……!)
間もなく廊下の角を曲がり、漆黒の獣が一番に走ってきた。
「……殿下!」
サラが腕を広げると、リシャールはサラの正面で急停止した後、クン、と小さく鳴いた。サラの腕に飛び込まない理由は、彼の体毛がどす黒く染まり、薄く開いた口元からも血が滴っているのを見ればすぐに分かる。
リシャールの気持ちを慮ったサラは腕を下ろし、あまり汚れていない背中の辺りの毛をそっと撫でた。
「……ご無事で何よりです」
「……妃殿下! よかった、ご無事でしたか!」
リシャールより遅れて、ひげもじゃ隊長たちも駆けてきた。彼らもかなり血を浴びていて体中に擦り傷をこしらえている者もいるが、ざっと見てそれほど人数が減っているようには思われない。
「私はクレインのおかげで無傷です。……皆は、大丈夫ですか?」
「数名は負傷したので、すぐに丘の上まで退避するよう命じました。こちらには、死者はおりません。ご安心ください」
「……ええ」
サラはともすれば引きつりそうになる口の端を、奥歯を噛みしめることで抑え込んだ。
隊長は、「こちらには」死者はいないと言った。あちら――つまりサレイユの騎士にもいないとは言っていない。
そして、彼らが浴びた返り血の量を見るに――
(……だめ! 立ち止まらないって決めたんだ!)
ぶるっと髪を振るったサラは、玉座の間の方を指で示した。
「……あちらが玉座の間、そしてここのほぼ真上が執務室です。どちらかにいる可能性は高いですが、既に逃げている可能性も考えられます」
「……分かりました。玄関前は蹴散らしましたが、いつ次の者たちが現れるか分かりません。すぐさま、国王を捜しましょう」
隊長が頷き、指示を出す。
サラはクレインとリシャールを伴って玉座の間まで向かいつつ――ふと、自分の右手に黒い汚れが付いていることに気付いた。
(さっき、殿下の毛並みに触れたから……)
その手の平を固め、前を向く。
もうこれ以上、どの国の民だろうと血を流させないために。




