45 決意の進軍
二日の路程の末にたどり着いた王都は頑強な門によって閉ざされているらしい、とひげもじゃ隊長が教えてくれた。
「王都前の大門は、よほどのことがない限り閉まらないのに……」
「先発隊は既に、無血開城を要求しに行ったのだろう?」
王都が見下ろせる、少し小高い丘の上。
そこに簡素な陣を張って王都を見下ろしていたリシャールが尋ねると、隊長は難しい顔で頷いた。
「はい。先発隊にはクレイン――空中飛行が可能な者を組み込んでいるので、開城要求を却下されても、無事に脱出はできるはずですが……あっ」
隊長がそう言った直後、王城の方角からひゅるひゅるとか細いのろしのようなものが立ちのぼり、続いて仲間二人を脇に抱えた小柄な青年が飛んできた。そう、文字通り飛んできたのだ。
(そ、そういえば前に借りた本にも、空中飛行の異能について書かれていたけれど……本当に飛ぶんだ……)
初めて見る異能にサラが目を丸くしていると、一気に丘まで飛んできた青年はすたっと危なげなくリシャールの前に着陸し、彼に抱えられていた大柄な男性たちも地面に足を下ろした。
「ただ今戻りました。……お察しかもしれませんが、殿下が書かれた書状はなんとか宰相伝手で国王に届けられましたが、破り捨てられたとのことです。おまけに、我々も拘束されかけたので脱出いたしました」
「ご苦労だった。君たちが無事でよかった。だが……門を閉じている時点で予想はしていたが、こちらの要求を呑むつもりはない、ということなのだな」
リシャールは肩をすくめ、若草色の目を細めて王城を見やった。
彼はクレインたちに、「無血開城を望む。ひとまず、国王と王兄リシャールが話せる環境を用意するように」という旨をなるべく丁寧な言葉遣いでしたためた書状を持たせたのだが、残念な結果に終わったようだ。
(殿下は、もし国王が要求に応じるようなら、王座から引きずり下ろしてちょっと痛めつけるだけで済ませるかもしれないとおっしゃっていたけど……)
どうやら、リシャールによる最後の温情も無駄になりそうだ。
ため息をついたサラを見、リシャールがほんの少し眉根を寄せた。
「今の話、聞こえていただろうが……突っぱねられた以上、強行突破するしかない。君も、それでいいか」
「……もちろんです」
むしろ、最初は「国王を消す」しか言わなかったリシャールを説得し、「要求に応じなければ国王を消す」まで持って行けたのが奇跡だったのだ。
その奇跡も踏みにじられたのだから、これ以上リシャールが譲歩することはない。エドゥアールからも、「無礼なことをされたら蹴散らせばいいよ」と言われているのだ。
リシャールは憂いたため息をつき、丘の上に集まる兵たちを振り返り見る。
「……ということだ。これより我が軍は、王城を制圧する。……だが、俺の書状を破り捨てたのもクレインたちを拘束しようとしたのも、国王だ。玉座の間までの到達が目標ではあるが、国王の命令に従っているだけの民にはなるべく危害を与えるな」
「殿下、突撃部隊はいかがなさいますか」
ひげもじゃ隊長に問われ、リシャールはしばし視線を逸らして考えた後、サラを見やった。
「……サラ。俺たちはこれから、城下町から突入する。……クレインの力で王城まで飛ぶこともできなくもないが、彼が運べるのは一度に二人が限度だ。クレインの負担にもなるし、ちまちま兵力を投入するのでは敵に数で押しつぶされてしまう。背後から挟撃される可能性も考えると、城下町から制圧しておくべきだ。……だから、俺が行く」
「……はい、殿下のお気持ちのままに」
「サラ」
「でも、約束だけは忘れないでくださいね」
今のサラの返事は、あまりにも他人任せで自分の意志がないように思われたことだろう。
サラはきゅっと眉根を寄せたリシャールに微笑みかけ、腕組みをする彼の袖にそっと触れた。
「私は殿下と一緒に、フェリエに戻るのです。私だけとか、殿下は重傷を負っているとか、そんなのはなしですよ」
「……。……ああ、そうだな」
サラの言葉に、しかつめらしく歪められていたリシャールの顔に、ほんの少し安堵の色が広がる。
それだけで、二人の間には穏やかな空気が流れ、目には見えない絆の糸が結ばれたのだと皆は気付いたのだった。
丘の上に陣を張ったフェリエ軍たちを拒むように固く閉ざされた、城下町の大門。
どんな武器でも弾き、どんな獣の爪でも傷つけることができない、と言われていた鉄の門はしかし、フェリエの異能たちが起こした爆発によって、木っ端微塵に吹っ飛んだのであった。
「……妙だな。こんなにたやすく破られていいのか?」
「あの、それですが……この門は城下町が興った数百年前に作られていて、その頃から無敵の鉄壁を誇っているのですが……」
「なるほど、『無敵の鉄壁』だったのはその頃の話で、このご時世に我々の前に立ちはだかっても、ただのくすんだ壁にしかならない、ということか」
サラとひげもじゃ隊長が話す傍らで、例の飛行異能を持つクレイン青年が駆けてきて跪いた。
「失礼します、妃殿下。……そろそろ参りましょう」
「ええ、ありがとう」
サラは頷き、軍の指揮を執るひげもじゃ隊長に背を向けて丘を降りた。
(子どもの頃、お父様やお母様と一緒に、この丘に遊びに来たっけ)
春の暖かい日、母は花かごを、父が三人分の弁当の入った荷物を背負い、家族だけでのピクニックに出かけたことがある。
幼いサラはだだっ広い草原を走り、転げ回り、蝶々を追いかけて遊んだ。母と一緒に花を摘み、使用人が作ってくれた弁当を三人で食べ、帰りには眠くなってしまったので父に背負ってもらって屋敷まで帰った。
その思い出の丘にフェリエの軍が歩を進めているのは、何とも不思議な感じがする。サレイユにとっての敵に大地を踏みしめられても憤らないのは、彼らに心を許しているからなのか、それとも国王に愛想を尽かしているからなのか。
丘の麓では、大門を爆破した名残かあちこちでぶすぶすと煙が立ち上っていた。まさか鉄壁を外から破壊されるとは思っていなかったようで国民たちが逃げまどっているのを、異能たちが眺めている。
彼らとしては自分たちの進路に国民がいるより奥に引っ込んでくれている方がありがたいので、あえてゆったりと現状を眺めているのだ。
そんな城下町を、リシャールが厳しい眼差しで見つめていた。
だが彼はサラの気配を感じたようで振り返ると、薄い唇の端にほんの少しだけ微笑を浮かべる。
「……準備はいいか、サラ」
「はい。……参りましょう」
リシャールが差し出した手に、サラは自分の手を載せた。
その様はまるでダンスパーティーに向かう貴族の夫妻のようだが、これから彼らが向かうのは埃と煙に満ちた王都である。
サラたちの両脇を、クレインらが固める。クレインは飛行異能持ちなので、いざとなったらリシャールとサラを抱えて飛び去ることができる。
その他にも攻撃能力に特化した者たちが四方を固める中、サラはごくっと唾を呑んで崩壊した門に足を踏み入れた。
半年ぶりに戻ってきた王都は、少しだけ埃っぽい臭いがした。
あちこちに巨大な瓦礫が転がっており進行が妨げられそうになったが、サラたちが立ち止まるまでもなく、フェリエ兵の一人が空中で何かを掴むような動作をすることで、成人男性ほどの高さの瓦礫がひょいっと浮いてぽいっと脇に投げられた。ダニエルの異能の強化版か何かのようだ。
(それにしても……)
騒然とする城下町を見回し、サラは嘆息する。
国民たちは国王がリシャールの要求を突っぱねたことは知らないだろうが、彼の大門が閉ざされた後に破壊され、異能の軍団が侵入してきたのだから、今この国で何が起きているのか大体のことは察しているはずだ。
ちらちらと、「エルミーヌ様だ……」「どうして、王女様が……?」「あれはまさか、フェリエの王兄?」「国を裏切ったのか?」という呟きが聞こえるがサラは無視し、代わりにリシャールがじろりと睨むことで皆を黙らせた。
クレインたちはサラたちに危害を加える者がいればいつでも戦えるように身構えているが、その心配は当分無用だろう。
戦う力を持たない国民は大通りを避けて逃げるので精一杯だし、一般市民に毛が生えた程度の警邏は駆り出されたのはいいものの、明らかに持ち慣れていない槍や剣を握りしめてぶるぶる震えている。かわいそうに、そのほとんどはサラと同じくらいの年の青年ばかりだった。
(普通、こういうときは正規軍を派兵するものだけど……そんな余裕もないのか、あるいは城の警備だけに集中しているのか)
後者であればいよいよ、恩情を掛ける気が失せてくる。
そうしていると、ヤケになったのか勇敢になったのか分からない青年が一人、物陰から飛び出してきた。彼が纏っているのは、支給品らしい革の鎧。
「フェ、フェリエ兵! 覚悟!」
「……彼を止めよ」
リシャールが静かに言うと、異能持ちの一人がさっと手を上げた。とたん、こちらに向かって走ってきた青年は不自然な格好のままぴたりと動きを止め、そのまま尻餅をついて倒れてしまう。
ちょうど進行方向に倒れたので、サラは地面に転がってじたばたもがく青年の横にしゃがんだ。そばかすの浮いた顔は思ったよりも幼くて、ぐっと胸が苦しくなる。
(ひょっとして、まだ成人もしていない? 手足も細いし、あまり裕福な家の子ではないのかも……)
「驚かせてしまって、ごめんなさい。わたくしたちは王城に用事があるので、ここを通らせてもらいます」
「っ……ふ、ふざけるな! あんた、王女様だろう!? どうして……父さんを殺したやつらと仲よくしてるんだ! なんで化け物たちの仲間になっているんだよ!」
地面に転がったままの青年の慟哭に、サラは眉根を寄せた。今の言葉だけで、彼の境遇を容易に想像することができる。
(つまり、彼の父親は一年前の戦いで徴兵されて、フェリエとの国境戦で――)
サラは視線を横に向けた。
リシャールが渋い顔で頷いたのを見、青年に声を掛ける。
「……あなた」
「な、なんだよ! 殺すなら殺せよ! 父さんのところに連れて行ってくれよ!」
「それはできません。……いいですか。あなたの父親を殺したのはフェリエの人でしょうが、死ぬように仕向け――あんなに無謀な戦いを引き起こした張本人がいるのです。それはあなたも、分かっているのではないですか?」
「えっ……」
静かなサラの言葉に、青年の瞳に動揺が走る。
……分かっていたけれど、それを言うことはできない。
この国で国王に逆らうような発言をするのは、死罪も同然だから。
そんな迷いに瞳を揺らせる青年に頷きかけ、サラは立ち上がった。
「あなたにとっては不服かもしれませんが、あなたのお父様のような方がもう生まれないよう、フェリエの皆は力を貸してくれるのです。ですから……ほんのしばらくの間だけ、わたくしたちが王都を進軍することを許してください」
青年は、何も言わなかった。だがその大きな目から次第にボロボロと涙がこぼれていく。
父さん、父さん、と嘆く青年を一瞥し、サラは歩きだした。リシャールたちも何も言わず付き従い、遠くに見える王城に向かっていく。
王城までの道中、先ほどの青年のように何度か憎悪を向けられ、その都度サラたちは足を止めた。
ほとんどの者は異能によって弾かれ、サラが言葉を掛けると意気消沈したのだが、中にはなおも果敢に挑み掛かろうとする者もいたため、異能持ちたちが追い払った。
「……さて、ここからは血みどろの戦いになることも覚悟せねばなりませんね」
後発隊を率いて追いついたひげもじゃ隊長に言われ、サラは頷いて城の正面玄関を見上げた。
サラが六年間、仕えた城。
エルミーヌの幸せこそが自分の幸福だと信じていた、六年間。
それを壊すために、サラは戻ってきたのだ。