44 サレイユでの王兄夫妻
「なかなかの役者ぶりだったな」
港町が完全に明け渡され、王都への道を進む馬車の中でリシャールがからかうように言ったので、サラはむっとして横目で彼を見やった。
「……柄じゃないのは分かっています。でも、あの時点で領主殿に対して抑えをするべきでしたし、領主殿は殿下とお話しできる状態でもなかったので」
「ああ、もちろん。君の行動には助かっているよ、サラ」
リシャールは機嫌良さそうにサラを抱き寄せ、つむじにほおずりしてきた。
(……殿下ってよくこういう仕草をなさるけれど、ひょっとして「黒き獣」の習性とかに影響されているのかな?)
ひとまず彼のふわふわの髪を撫でると、いっそうご機嫌になって擦り寄ってきた。彼が獣化したときの姿はどちらかというと犬に近いが、この仕草は猫のようだ。
先ほどリシャールに対して怯えていた領主も、まさかその王兄殿下が馬車の中では妻に甘えて擦り寄っているとは思いもしないだろう。
(……でも、殿下も不安だよね)
そっと髪を撫でると、サラの腕を押しのけないようにゆっくり体を起こされた。
「それに……先ほど、嬉しかった。自分はサレイユの王女殿下ではなく、フェリエの王兄妃殿下だと主張した君は、とても眩しかったよ」
「……す、すみません、調子に乗りましたか?」
「いや、虚偽の婚姻ではあるが、彼らにとっての君が隣国の王兄妃であるというのは事実だから、念押しにもなったではないか。……まあ、君のことをエルミーヌと呼ばれるのはやはり、あまり気がよくないが」
リシャールは少し拗ねたように言った後、前を向いた。
サラも彼に倣って姿勢を正し、窓越しに見える交易路をじっと見据える。
この交易路を北上した先に、サレイユ王都、そして王城がある。
サラが男爵令嬢として生まれ育った町が、侍女として過ごした城が、待ちかまえている。
(……お父様、お母様)
『……何にしても、あなたはあなたがするべきだと思うことをしてください。きっと神の御許にいらっしゃるあなたのご両親も、あなたが前を向いて生きることを望まれているでしょう』
太后から「真実」を聞かされた後、彼女はそう言ってサラを抱きしめてくれた。
聞かされた「真実」は、サラが予想もしていなかったことで――そして、祖国の王に復讐するという炎を燃やすには十分の材料だった。
(といっても、太后様がコサージュの「記憶」を読み違えた可能性もある。……だから、この目で、この耳で、確かめないと)
サラの茶色の双眸に決意の炎が宿ったのを、リシャールは目を細めて見守っていた。
サラたちが上陸した港から王都まで、馬車で二日ほど。
途中の宿場なども全て、先行したフェリエ軍によって制圧済みで、むしろサラたちが驚くほど歓迎してくれる宿もあった。
「ええ、そうなのです! 一年前はこの辺りもひどい有様で……軍の補給対象になったりするのはもうこりごりです!」
そうペラペラとしゃべるのは、宿で給仕として働く中年女性だ。
兵たちが毒味をした上でリシャールと一緒に食事をしていたサラはその懐かしい濃い味に感動しつつ、女性の話が気になって尋ねてみた。
「補給……しかし一年前にフェリエと戦争した際に戦場となったのは、別の港付近ですよね?」
「ええ、ええ、そうなんです。そうなんですが、サレイユの軍は王命だとか何だとかで言い訳して、この辺りで生きるあたしたちからも食料や物資を徴集していったんです!」
中年女性は話を聞いてくれるのが嬉しいようで、目の前の女性が元自国の王女だろうと敵国の妃殿下だろうとお構いなしの早口で言いつのってくる。
「ひどいもんですよ、本当に! それに戦後も、崩壊した港町から逃げてきた市民や行き場を失った人たちが、あちこちに溢れるもんですから! ……ああ、そうじゃないですよ! あたしは別に、お妃様に文句があるわけじゃないですから!」
「分かっておりますよ。わたくしも、貴重なお話を聞けて嬉しく思います。……このお肉、すり下ろしたマルロを入れていますね。甘くてとてもおいしいです」
「あらあら! お妃様は正直でいい子ですねぇ! ……本当に、あんなことになるんだったら、お妃様がこの国を継いでくれればよかったんだけど」
「……それは」
サラが口ごもると、隣で黙って食事をしていたリシャールがカトラリーを置き、「ご婦人」と女性に呼びかけた。
「確かに妻は、俺の妃にしておくのがもったいないくらいの素晴らしい女性です。しかし……俺は彼女と共に、祖国で暮らしていくつもりです。今のサレイユ王を倒した後は我が主君エドゥアール陛下の統率の下、現王子殿下に国の采配を委ねようと思っておりますゆえ、妻を誘惑するのは勘弁願います」
(……驚いた)
サラが目を丸くしてリシャールを見る一方で、滑らかに断られた女性はからからと笑ってリシャールの皿に肉のおかわりをどんと載せた。
「あはは、それもそうですね! すみませんね、王兄殿下。それにあたしたちとしては、エルミーヌ様が幸せそうにされているのが一番ですものね!」
「そう言ってくれて感謝する。……あと、おかわりもありがたいのだが、何か薄味の飲み物がほしい」
「はいよ、少々お待ちくださいな!」
「……あの、殿下」
女性が機嫌よさそうにカウンターに戻ったのを見、サラはこそっとリシャールに耳打ちした。
「殿下って……こういうおしゃべり、得意なのですか?」
「……いや。離宮仕えでない一般女性と、このような会話をしたことは一度もない」
「ですよね? でも、さらっとしゃべってましたし……」
「そうだな……」
新しく載せられた肉を切り分けていたリシャールはしばし考えた後、サラを見た。
「……きっと、君に関する話題だったからだろう」
「……え?」
「君についての話題だったから、俺も滑らかに受け答えができた。……それだけだ。そうじゃなかったらどのようにしゃべればいいのか分からず、君に丸投げしていただろう」
「……」
それは、つまり。
(私に関することだから……殿下は積極的におしゃべりができた、ってこと?)
リシャール本人がそう言ったのだから、うぬぼれや傲慢などではないはずだ。
引きこもり歴が長く、家族や使用人以外とはまともにしゃべったこともないリシャールが、見ず知らずの異国の女性と普通に会話ができている。それは、サラについての話だから。
最初はいつも通りのリシャールだったが、やがて自分の発言が意味することに気付いたらしい。
色白の頬が徐々に赤みを増し、彼はカトラリーを置いて右手で顔を覆ってしまった。
「……殿下、顔、赤いですよ」
「き、君だってマルロのように赤いではないか!」
「い、いいんです! これで殿下ともお揃いですから!」
「……そ、そうだな。お揃い……だな」
二人は顔を見合わせ、さっと視線を逸らした。
カウンターに寄り掛かっていた給仕の女性や端の席で食事をしていたひげもじゃの隊長などは、そんな初々しい二人を微笑ましげに眺めていたのだった。