41 フェリエの制裁②
「俺は使者に、『妃のために茶を淹れたい』と言ったんだ。となると、毒入り紅茶を作るのは俺だと使者も分かるだろう。たとえ俺が毒を飲んでも、『殿下が自分で淹れた』と言えばいいし、妃が飲んだなら『王兄が王女を殺そうとした』と吹聴できる。どちらにしろ、使者がうまく言い訳をしてサレイユにとって害にならないように丸めるつもりだったんだろう。……まさか、妃が匂いで毒に気付くとは思っていなかったろうが」
「それが失敗したから、夜会で襲撃したということか――」
「そうだろう。あの暗殺者に身ぐるみ剥がされた本物の給仕は、倉庫で発見されたとのことだからね。……今の兄上や義姉上の話を聞いて、私もいくつか予想が立ったが――サレイユは、この暗殺が成功しても失敗しても構わなかったのだろう」
エドゥアールは面々の顔を順に見、大きな息をついた。
「毒草の件と同じだよ。連中にとって最低限必要なのは、『フェリエの人間がエルミーヌ王女を殺そうとした』という事実だ。襲撃犯にまるでフェリエの人間であるかのような発言をさせ、義姉上を襲う。今回は兄上が奴にとどめを刺さなかったけれど――もし暗殺が成功し、兄上がとどめを刺していれば、真実は闇の中に葬られることになっていただろう」
つまり、二度にわたるサレイユによるサラ暗殺計画は――くしくも、サラの嗅覚とリシャールの判断によって挫かれてしまったのだ。
サレイユは使者や刺客を使って、「フェリエが人質のエルミーヌを害した」という事実を作ろうとした。
だが暗殺自体はサラが毒草や泥――本当の給仕なら纏うはずのない、侵入者たる証拠の臭い――を嗅ぎ取ったことで崩され、そしてリシャールが暗殺者を殺さなかったことで、彼の素性を不明とすることができなくなった。
「いずれにしても、どちらの暗殺計画もかなり杜撰だ。……むしろ、成功すれば少々計画が杜撰だろうと構わなくなるくらい、サレイユは大きな賭を仕掛けてきたってことだろうね」
国王の言葉に、サラはぐさっと胸を貫かれたように思われて頭を垂れる。
「……私がもっと早く真実を告げていれば、夜会を汚すことも殿下の秘密が明らかになることもありませんでした。……申し訳ありません」
「いや、元々はサレイユの王族が蒔いた種だろう? うちにはサレイユの使者とかが頻繁に出入りしているし、君が早く真実を語っていたから事件が防げたというわけではないだろう。……むしろ、もっと早く君が抹殺されていた可能性だってあった」
「エドゥアールの言うとおりだ。……夜会を踏みにじったのはサレイユの者だし、俺の正体なんてどうにでもなる」
弟に続き、リシャールも力強く言う。
「連中は――君が偽物だと分かっていて素知らぬふりを貫いてきたのではないか。そして君の暗殺が成功したら、フェリエ国民の証言を盾にして情報を自国に持ち帰り、サレイユにとって有利な戦争を吹っかける材料にしようとしたのだろう。戦力差はあっても、『人質の王女を理由もなく殺した』というのは、フェリエ側にとって大きな負い目になったはずだ」
「なるほどね……つまりサレイユの王は、王女をこちらに嫁がせることで停戦するという条件を最初から蹴っていただけでなくて、無辜の国民一人に罪を着せ、あまつさえ口封じも兼ねて殺害しようとした、ってことか……こちらから文句を言うに十分すぎるくらいの条件を揃えてくれたね」
ふむふむ、と考えていた国王は言い、ふっと達観したような笑みを浮かべた。
「私を若輩者だからと、随分こけにしてくれたようだな……これから審議にもかける予定だが、サレイユの王族には少々痛い思いをしてもらう必要がありそうだ。母上と兄上は、いかがお考えですか?」
「……このままだと、サレイユに軽んじられるのは間違いないでしょう。幸い、かの国にはまだ、サラ様が真実を打ち明けたことが伝わっていません。叩くなら今でしょう」
(……わ、わあ。太后様、結構好戦的だ……)
もう少し息子をなだめたりするのかと思いきや、太后はいつもなら優しく緩めている眦をつり上げ、ぴしゃりと言い放った。
確かに、このまま放置すればサレイユはつけあがる一方だろう。今度こそサラを仕留めようと手先を送り込み、罪のない国民やクレアたちまで傷つく可能性だってある。
ちらっとリシャールの方を見ると、彼はサラを見つめた後、こっくり頷いた。
「よし、消そう」
「ま、待ってください、殿下!」
「分かった、待つ。……あと何秒待てばいい?」
「消そう、ということですが……あの、せめて消すなら、ごく一部の人間だけにしてください」
サラとて、サレイユ国王に恩情を掛けるつもりはない。
本当のところ、エルミーヌも許したくはないのだが、彼女は既に「サラ」として結婚した身だ。大人しく引っ込んでくれるのならサラも後追いはせず、放置しておくつもりだ。
サラの言葉に、リシャールは少し困ったように眉を垂らした。
「大丈夫だ、サレイユとはいえ、無実の国民に手を上げるつもりはない。消すのは……国王と王女、それから君の元恋人の三人でいいだろう」
(ちゃっかりあの二人も入っているし!)
どうやらリシャールの中でのエルミーヌとフィルマンは、戦争を引き起こした張本人である国王と同じくらい罪深い人間となっているようだ。
頭を抱えたくなりながら、サラはリシャールの上着の袖を引っ張って注意を促す。
「えっと、待ってください。国王は別にいいですし、あの人が退位して王子殿下に王位を譲った方がいいとは思います。でも、後の二人はそこまでしなくても……」
「だが、君にとって恨めしい者たちだろう」
「そうですが……わざわざあの二人を捜してでも報復はしなくていいです。私はフィルマンにもエルミーヌ様にも未練はありませんので、報復せずとも、私の視界に入らない場所でよろしくやってくれればいいです」
実際、エルミーヌとフィルマンが結ばれたと聞いて悲しいと思ったのは、ほんの半日のことだ。
今となっては、二人とも過去の人。サラを足蹴にしてぽわぽわと幸せに浸ったというのは確かに憎いが、そこまでリシャールの世話になる必要はない。
「間違いのないように言っておきますが……私はあの二人に温情があるから言っているのではなく、どうでもいいから、あなたが手を下す価値もないと思っているから申し上げているのです」
「……その二人に関しては、もうどうでもいいということか?」
「はい、もうどうでもいいです」
サラの言葉にリシャールはかなり渋い顔をしていたが、サラがじっと見つめるとやがて頷いてくれた。
「……君がそう言うのなら、分かった。だが執拗に追いかけ回さないだけであり、連中が俺たちの妨げになったり、君を侮辱するような真似をしたりするのであれば――抹消対象に入れる。エドゥアールも、それでいいか?」
「私は一向に構わないよ? サレイユ王権は、王子に移るべきだ。あそこの王子は王女と違って国王から疎まれているそうだけれど、話せば分かる気のいい青年だと聞いている。彼なら、私たちの声を聞き届けるはずだからね。それの邪魔をするようなら消しちゃってよ」
国王はあっさりと言った。
彼の言うように、エルミーヌの実兄である王子は王国内で非常に影が薄く、国王からも愛されていないので王命により、一年の大半を地方で過ごしている。王太子ではなく王子のままなのも、国王が息子を後継者として認めていないからだ。
(噂では、国王は遠縁の貴族の子を後継者として指名する予定だって言われていたけれど……国王の息の掛かった遠縁より、地方住まいの王子殿下の方がフェリエとしても接しやすいよね)
サラも納得の表情を浮かべたからか、国王は頷いて立ち上がった。
「では早速、サレイユに痛い目に遭っていただくための作戦会議を開こう。……義姉上、今日はお越しいただき、真実を告げてくださり……心から感謝いたします」
「いいえ。……こちらこそ、陛下のご判断に感謝いたします。私は偽物の王女ですが……どうか、祖国の民たちが今以上によく過ごせるように、ご恩情を掛けてくださればと思います」
「……あなたは本物の王女よりよっぽど、王女らしいね」
国王は微笑むと、母を伴って応接室を出ていった。