4 裏切られた心②
胸糞かもです
行儀よく座っているだけでも精一杯のサラは、調子がよさそうなエルミーヌと、未だに視線を合わせてくれないフィルマンの説明により、大体の事情を知った。
――遠征から戻ったフィルマンは、サラが体調を崩して王家が持つ屋敷で療養していると聞き、会いに行った。そのときは遅い時間で、部屋に灯りを付けなければ相手の顔立ちもはっきりしないほどの闇の中だった。
闇の中でエルミーヌの休む寝室に上がったフィルマンは、エルミーヌをサラだと思いこんだ。そして――目の前で下着姿になったエルミーヌを、そのまま抱いてしまったのだという。
(……は、はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?)
絶叫を上げなかっただけ偉いと、褒めてほしい。
フィルマンは青い顔だが、当時を思い出しているのかエルミーヌはほわんと夢見心地の顔で、頬に手を添えている。
「あんなに力強く求められたのは初めてで……わたくし、フィルマン様と結婚したいと強く思ったの。ねえ、フィルマン様?」
「そ、それはそうだが! 俺はあなたのことをサラだと思いこんでいて……」
「あら? でも夜が明けてサラの手紙を渡した後も、もう一度抱きしめてくれたでしょう? サラよりずっとわたくしの方がかわいげがあるし、胸が大きくて柔らかいって」
――その言葉に、エルミーヌの裏切りと破廉恥な行動で茹で上がりそうになっていた頭に、すうっと冷風が吹き抜けた。
……サラとよく似たエルミーヌに誘惑され、うっかり一夜を共にしてしまったのなら、フィルマンの気持ちも分からなくもない。だが彼は自分が抱いた女が恋人ではなく王女だと知っても気にせず、むしろサラを「かわいげがない」とこき下ろしていただなんて。
いや、そもそも闇の中とはいえ、朝までエルミーヌをサラと勘違いしたままであるものだろうか。もしかして、途中で気づいたとしてもそのまま――
(……なに、それ)
サラの表情が険しくなったのに気付いたからか、フィルマンが青い顔で手を横に振る。
「ま、待ってくれ、サラ! 俺は、君を裏切ったわけじゃない!」
「……でも、私の手紙を読んだ後もエルミーヌ様を抱きしめたし、私より胸の大きなエルミーヌ様の方が好みだったのでしょう?」
「そうよ、フィルマン様。あの日は日が高く昇るまで何度も抱いてくれたでしょう」
全く悪気のないらしいエルミーヌが援護射撃を放った。
その攻撃によってフィルマンだけでなくサラも被弾したが、彼は追いつめられたと自覚したのか、何度か肩で息をした後、チッと舌打ちするとエルミーヌの肩を抱いた。
「っ……ああ、そうだよ! 付き合って二年も経つのに、おまえはちっともかわいげがない! エルミーヌ様の方がよっぽど美しいし、素直だし、俺に甘えてくれる!」
「まあ、フィルマン様……」
「エルミーヌ様、サラのことは気にしなくていいです。俺たちのことは、国王陛下も両親も承諾済みです」
「な、なんで!?」
思わず口を挟むと、こちらをみたエルミーヌは目を瞬かせた。
「だって、わたくしとサラは名前と立場を交換したのよ? お父様も、本当に好きな人となら結婚してもいいとおっしゃったし、子爵夫妻はわたくしのことをサラだと思っているから、反対されるわけがないわ」
「……」
「お父様はね、今わたくしが暮らしているお屋敷をそのままくださるの。だから結婚したら、フィルマン様と一緒にそこで暮らすのよ。二人だけでの慎ましい生活……わたくし、こういうのにずっと憧れていたのよ。サラも知っているでしょう?」
エルミーヌの声は、サラの頭を素通りするだけだ。
(……なんで、どうして……こんなことになったの?)
エルミーヌのために、全てを我慢してきた。
エルミーヌのために、入れ代わりも政略結婚も受けるつもりだった。
フィルマンのために、彼と別れるつもりだった。
――それらを全て、笑顔で踏みにじられた。
エルミーヌはフィルマンを誘惑したし、彼にサラからの手紙を渡したり事情を話したりするのも、朝になってからだった。嫌な政略結婚から逃げたというのに、自分は生まれ故郷で悠々自適に暮らすつもりで、サラに一切の遠慮をしない。
フィルマンもフィルマンだ。騙されただけなら同情の余地もあったが、彼はエルミーヌの正体を知ってもなお体に溺れ、挙げ句の果てには「サラが悪い」と責任転嫁してきた。
元々サラとフィルマンが交際していることは皆も知っているので、周りからすると「やっと結婚したのか」で終わり、二人は祝福される。誰も、二人の結婚を咎めたりしない。誰にも真実を知らせないまま、二人は幸せを手にすることができる。
――目尻が熱い。
喉がカリカリして、指先が震え、脳みそをぎゅっと絞られたかのように意識が霞みそうになる。
(私は……私は何のために、色々なものを我慢してきたの……!?)
一度噴き出てしまうと、主君だから、恩があるから、なんていうお利口さんな感情で押しとどめることなんてできない。
確かに、エルミーヌの笑顔を守りたいとは思っていた。
守れるのは自分しかないと思っていた。
……だが、サラが望んでいたのはこんな笑顔、こんな仕打ちではない。
エルミーヌにはいずれ、「サラ」として結婚してもらえたらと思っていた。だからといって、フィルマンを寝取ったり手紙を出すタイミングを遅らせたりして既成事実を作るなんて、あんまりではないか。
さらに、彼らの背後には親たちがいる。今は何も知らないだろう子爵夫妻には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、国王はどこまでも娘が大切で、サラのことなんて何も考えてくれていなかった。
むしろ、元とはいえ王女を抱いたのだからフィルマンに浮気は許されないし、娘を一生守る騎士が見つかったのだと安堵しているかもしれない。城下町にある屋敷に住まわせるのだから、警備もしやすいはずだ。
……幸せに、なりたかった。
そしてできるなら、エルミーヌと一緒に笑顔で過ごしたかった。
もし自分が不幸になったとしても、エルミーヌが幸せでいられるのならそれでよいと思っていた。
だが、そうではなかったのだと気付いた。
(……これが、あなたの出した結論なのですね……エルミーヌ様)
サラは、静かにエルミーヌを見つめた。
そこにいるのは六年間慕って守り続けた主君ではなく、略奪愛に溺れ、その罪に一切気付かず、むしろ自分が悲劇の末に愛を勝ち取ったヒロインであるかのように錯覚している女だった。
「そういうことだから、サラがお嫁に行ったらわたくしたちも結婚を発表する予定なの。……ねえ、サラ」
「……はい」
「お互い結婚しても、遠く離れても、わたくしたちはずっと……友だちよね?」
……もしサラにもう少し配慮が欠けていたら、エルミーヌの顔にティーカップの中身をぶちまけていたかもしれない。
六年間捧げた忠誠心は、親愛の情は、既に粉々に砕かれた。
砕いたのはエルミーヌなのに、彼女はそれに気付かずに「ずっと友だち」などと嘯く。
どの口が言うか、と喚きたくなる心に制止をかけ、一度、二度、深呼吸する。
言いたいこと、吐き出したいこと、行動したいことを全て胃の中に押し込み、エルミーヌが求めているだろう「忠実な侍女」の仮面を被り――
「……はい、ずっと友だちです。ご結婚、おめでとうございます、エルミーヌ様、フィルマン」
全てを崩されたサラは口では祝福を、心の中では絶縁を叩きつける。
それが、六年間の恩があるサラにできた、最後の恩返しだった。