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38 夜会にて

 夜会当日の天候は、リシャールの心の内をそのまま映したかのような雨模様だった。


「雨だな。よし、今日は一日引きこもろう」

「なにとぼけたことおっしゃってるんですか。多少の雨くらいで夜会が中止になるわけないでしょう」


 リシャールに突っ込みを入れたのは、ダニエルだった。


「というか、もうお二人とも仕度を終えているんですから、今になってウダウダ言わないでくださいよ」

「……」

「エルミーヌ様、エルミーヌ様ー! ほら、何でもいいから殿下を褒めてなだめて、夜会に行く気にさせてしまってくださいよー!」

「えっ。……殿下、今日のお召し物もとても素敵です。こんなに素敵な殿下の隣に立って夜会に参られるなんて、わたくしは幸せ者でございます」


 ダニエルに振られたのでリシャールの服装を褒めたのだが、決してお世辞ではない。


 いつも暗い色合いの服を好んで着るリシャールは今日、光沢のある白い礼服を纏っていた。普段の彼はあまりにも服装に頓着せず、やや大きめのシャツやズボンを身につけているようだが、今回は仕立屋を呼んで採寸し、彼にぴったりの衣装を作ってもらっていた。


 脚はすらりと長く、椅子に座って雑に脚を組んでいても非常に様になっている。ジャケットとベストの裾には金色の糸で蔦模様のような文様が刺繍されていて、同じ淡い金色のネクタイと揃って衣装の差し色になっている。


 癖のある黒灰色の髪はきちんと櫛が通され、少し長めなのでリボンで結わえている――が、本日は湿気の多い雨模様なので、本人はかなり嫌そうだ。


 またリシャールは最後まで仮面の装着を主張した結果、「もう少し見栄えのする仮面なら着けてもいい」と弟から言質を取った。普段ののっぺりとした白い仮面は確かに、夜会で着けるのはやめた方がいいとサラも意見したのだ。


 そういうことで、本日の彼はサレイユで行われていた仮面舞踏会で着けられるような、羽根飾りの付いた銀色の仮面で目元を覆っている。普段の仮面よりも顔を覆える面積は狭いが、装飾の施された仮面はなかなか精巧な造りで、それを身につけるリシャールの顔のよさも相まってなかなかしっくりしていた。


 そういう点を全てひっくるめてサラは彼を褒めたのだが、リシャールは鼻に皺を寄せた。


「……別に、そんなことはない、と思う」

「あーあーあー! だめですよ、殿下! こういうときは遠慮するんじゃなくて、『ありがとう。でも、君の方がずっときれいだよ』と言うべきでしょう!」


 ダニエルは熱弁を振るうが、サラの方こそ「別に、そんなことはないと思う」と言いたくなった。


 今日のサラはリシャールとお揃いの、白地に金の刺繍入りのドレスを着ている。これもリシャールと同時に採寸して作ってもらったものだが、鏡をどれほどじっくり見ても、自分の顔ではこのドレスに負けてしまうと思っている。


 髪は結って、リシャールとお揃いのリボンでまとめている。ドレスは最初、肩丸出しのデザインだったのだが、リシャールの猛反対によってデコルテの形が変わり、それでもまだ不満だったようで薄手のボレロの着用を命じられた。

 このボレロはリシャールが選んだもののようで、繊細な文様がとても美しい。そして胸には母の形見のコサージュを着けたが、これを着けることでやっと、ドレスに見劣りしないだけの自分になれたような気がするくらいだ


 リシャールは、ダニエルの言葉にはっと口を小さく開いた。


「……ダニエルの言うとおりだ。……君の方こそ、とてもよく似合っている。こんなに素敵な君と一緒に歩けるのなら、夜会に出るのも悪くないと思うよ」

「えっ」

「えっ、とは何だ」

「あ、いえ……あの、お褒めくださりありがとうございます」


 まさかこんなにさらっと褒められるとは思っていなかった。

 サラがまごまごしつつ礼を言うと、リシャールが仮面の向こうでまんざらでもなさそうな笑みを浮かべた、ような気がした。











 本城の広間の一つで開かれた夜会は、国内の上流貴族の一部だけを集めた小規模なものだった。

 とはいえ、「小規模」というのは国王やリシャールの感覚である。


 サレイユ王城の大広間ほどではないにしろ、この会場もなかなか広いし、招待された貴族も百人はいる。雨の中やって来たからか、季節のわりには皆そこそこ厚着をしており、ふわふわのコートや大きな帽子などの集まりがサラを圧倒した。


 事前に打ち合わせたとおり、いつぞやのように手を握って入場したサラたちは挨拶回りだけを終え、後は最低限の時間が過ぎるまでソファに座って休むことにした。


(それにしても……殿下、きびきびしていらっしゃったな)


 隣に座るリシャールを見るが、彼は会場内に視線を巡らしているようでサラの眼差しには気づかない。

 先ほども、サラは彼の横顔をこうして見上げていた。幻の王兄夫妻を見かけた貴族たちが寄ってきて挨拶すると、リシャールは意外とそつなく受け答えし、あまりサラが喋らなくてもいいようにしてくれたのだ。


 彼は人嫌いだから、いざとなったら彼の代わりにサラが挨拶回りなどもする覚悟はしていたのだが、むしろサラの方がリシャールに助けられていた。


「……あの、殿下」

「どうした。疲れたか? 何か飲むか? もう戻るか?」


 サラが小声で呼びかけると、リシャールはすぐに反応してくれた。どことなく緊張した面持ちで会場を見回していた彼だったが、サラを見た途端に表情を緩め、心配そうに尋ねてきたことにサラは気づいた。


(殿下に、こんなにも気を遣っていただいているなんて……)


「あの、何から何までありがとうございます。わたくし、もっとお力になれればよかったのですが……」

「ん? ああ、挨拶回りのことか。気にしなくていい。君はここに来てまだ日が浅いし、俺も引きこもりとはいえ貴族たちの顔を覚えている。君がフェリエの夜会に参加するのもこれが初めてなのだから、最初から飛ばす必要はないだろう」


 リシャールは優しい口調で言い、膝の上に重ねていたサラの手にそっと触れてきた。

 ……どこからともなく、「おや、まあ!」「あの殿下が……」という声が聞こえた気がする。


「俺は極力夜会には参加しない主義だが――君についてはこれから少しずつ慣れていけばいい。というか、普段俺の方が君に頼っているのだから、今くらい俺に頼ってくれ」

「えっ、そんなことないですよ。普段から殿下はとても頼りがいがありますし、わたくしの方が世話になっているではありませんか」


 サラが思ったままのことを言うと、リシャールは少し顎を引き、唇をきゅっと引き結んだ。


「……別に、俺はそんなものじゃない」

「わたくしは、そう思っておりますよ?」

「……も、もういい。それより……やるべきことはもう終わったのだから、もうそろそろ帰ろう。離宮に戻って、君が淹れた茶を飲みたくなった」

「……ふふ。そうですね――」


 護衛兵を呼び止めて帰りの馬車の手配をしているリシャールの背中を見つめていたサラは――ふと、顔を上げた。


(……これは、水と、土と――泥の臭い?)


 いくら外が雨模様とはいえ、来客たちは全員着替えをしているし、香水などもつけている。給仕や護衛の者だって身なりには気を付けているので、ずっと室内にいれば纏うはずのない臭いだ。


 サラは、さっと辺りに視線を走らせた。ちょうどそのとき、ワイングラスの載ったトレイを手にした給仕がグラスを貴族に渡し、サラたちの方へ来て――


 ――雨の臭いがした。


「……悪魔! フェリエ王家をたぶらかす悪魔め! 死ね!」


 ワイングラスが割れ、誰かが悲鳴を上げる。


 ――黒い影が、舞う。

 それが構える刃が、白く光る。


「フェリエ王家に、栄光を――!」


 高く掲げられた銀刃がシャンデリアの灯りを受け、ぎらりと輝いていた。













 ザクッ、と、刃が布を裁つ音が響き、誰かの悲鳴が広間を震わせる。


 宙に舞う、白い布と、ガラスの破片。

 だが、その中に赤いものは混じっていない。


 危機を感じたサラがとっさに身をのけぞらせたので、サラの心臓を狙っていたナイフは標的を逸れ、サラのボレロと胸元のコサージュだけを切り裂いていた。


(な、何……?)


 わけが分からないままソファに倒れ込んだサラだが、次の瞬間には目の前をさっと黒いものが過ぎった。


「ぎゃあっ!?」

「妃殿下、こちらへ!」


 何か大きなものが影に飛びかかり、床に押し倒す。やっと体の自由が利くようになったサラの腕を引っ張るのは、護衛の騎士だ。

 彼に引っ張られて距離を取ることで――サラはやっと、目の前の光景に気付いた。


 知らない男を、巨大な生き物が組み伏せている。男の体中から血が噴き出て、ざっくり切り裂かれた腿からは生々しい傷跡が露わになっていた。


 夜会の客たちが逃げまどう中、黒い獣が唸りながら、男の腹部に爪を突き立てる。途端、それまで抵抗していた男は引きつれたような悲鳴を上げて痙攣し、弱々しく震え始めた。


 ――そうしてやっと、サラにも今の状況が飲み込めた。


 さっき自分は、この男に殺されそうになった。

 だがこの獣が男に飛びかかり、今は逆に男を殺そうとしている。

 上質な毛織物のように滑らかな体毛を返り血で染め、鋭い牙を剥き出しにして唸るその獣は――


「……で、殿下……」


 出てきたのは、ひどく弱々しい声だった。

 だが、目の前の男を殺すことしか考えていなかったらしい獣はびくっと身を震わせ、振り返った。


 すんなりとした体と、長い尻尾。シャンデリアの灯りの下なので、体毛は濃い灰色だと分かる。

 馬ほどの体長がありそうなその獣は、ピンと立った耳と鋭く吊り上がった緑の目、血にまみれた長い犬歯を持っている。


 犬とも猫とも違う、一言でその種族を表現することが難しいだろう獣は――サラを見ると、それまでの獰猛さが嘘のように大人しくなって、とん、と男の体から降りた。


 苦しそうに喘ぐ男には見向きもせず、獣はじっとサラを見つめている。

 漂うのは……血と、獣と――それに混じる、愛おしい香り。


「……殿下」


 今度は、はっきりと呼んだ。

 獣は悲しそうにグルル、と唸ると、その場に伏せた。


 サラは、獣に歩み寄った。びくっと身を震わせるその様は誰かさんそっくりで……胸が潰れそうになる。


 手を伸ばすと、獣は嫌がるように後退して耳をぺたんと伏せた。犬や猫と同じなら、怖がっているのだろう。

 だがサラがそっと毛並みに触れると、緊張していたその体から次第に力が抜け、グルグルと唸りながらサラの手の平に頬をこすりつけてきた。


(これが、殿下の異能の力……)


 二十数年間彼が苦しみ、彼の生みの母が過ちを犯すことになった呪われた力。

 その力を、サラのせいで表に出すことになってしまった。


 だが、サラが今すぐ彼に掛けるべき言葉は、「ごめんなさい」ではないのだとすぐに分かる。


「殿下……助けてくれて、ありがとうございます」


 囁き、サラは黒い獣の首筋にぎゅっと抱きついた。

 その毛並みからは、優しいサシェの香りがしていた。

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