36 確信
翌日から、リシャールは積極的に外に出るようになった。
何をしているのかサラには伝わらないが、ダニエル曰く「エルミーヌ様のために引きこもりを脱したようです」とのことだ。
リシャールと話ができてから、ダニエルの態度も少しだけ軟化したようだ。彼はとげとげしい態度を取ったことを謝り、それでもなおリシャールが一番だと主張したので、それが正解だとサラも彼の忠誠心を認めた。
(それにしても……毒草を入れたのが殿下じゃないとすると、茶葉の缶に問題があったということになるけれど)
となれば、サレイユの者がサラを暗殺しようとしたということになる。だがサレイユの使者が自国の元王女をフェリエで殺害するという利点が思いつかない。
また使者が処刑されたとしても、サレイユの落ち度ということで政略結婚の目論見も台無しになる。これでは、どちらの国にとっても利益にはなりそうにない。
(何か、裏があるのかな……)
あいにくサラは陰謀とか策略とかに明るいわけではない。
うんうん唸っても答えは出そうにないが――悩むサラのもとに、「太后様がいらっしゃいました」という知らせが飛び込んできた。
「ど、どうして太后様がわざわざ!?」
「最近エルミーヌ様の体調が優れないと聞かれたようで、お見舞いにいらっしゃったとのことです」
「えっ……どうしましょう。殿下も外出なさっているし……」
「別に大丈夫ですよ。さ、仕度をしましょうね」
焦るサラとは対照的に、クレアはけろっとしてサラに着替えを勧めてきた。リシャールと和解してからというものクレアも元気そうで、既に嬉々として着替えのドレスを探していた。
(……わざわざご足労いただくなんて、もったいない。せめてちゃんとおもてなししないと……)
切り替えが早いクレアを見習い、サラも気合いを入れて着替えをし、リビングもきれいに整えた。普通こういうのは侍女の仕事だが、もてなす相手は現在のフェリエ女性で最高の地位に立つ太后であるし、クレアはクレアでやることがある。
それに、サラは元侍女だからこういう準備や掃除も得意だ。どの角度で花瓶を置けば映えるか、どんな柄のテーブルクロスなら太后に似合うだろうか、とお招きする人のことを考えながらセッティングをすると、自然と手も動くのだ。
そうして迎えた太后は、サラの部屋のリビングを見回すと興味深そうに目を細めた。
「まあ……とても居心地のよさそうなお部屋ですね。お邪魔します、エルミーヌ様」
「お褒めの言葉並びに、ご足労いただいたことに感謝いたします。ようこそいらっしゃいました、太后陛下」
サラが礼儀正しくお辞儀をすると、クレアが太后をソファに案内し、お付きの女性騎士たちも壁際に並んだ。いつ見ても優美で凛々しい女性たちである。
落ち着いた黄色のドレスを纏う太后はクレアが茶を淹れる傍ら、羽根飾りの付いた扇子を口元に当てて微笑んだ。
「リシャールが妃の体調が優れぬと心配していたので、様子を見に来ましたが……思ったよりも元気そうでよかったです」
「は、はい。殿下にもご忠告をいただいたので、少しでも食事をするように努めております」
「よろしい。……あら、それは素敵なコサージュですね。以前も着けていましたっけ」
太后が示したのは、サラが胸に着けているコサージュ――母の形見だ。
元気になりたいとき、胸を張りたいときには、このコサージュを着けて自分を奮い立たせるようにしていた。これを付けていると、後ろ向きにならない気がするのだ。
「はい、あまり高価なものではないのですが……母から譲られたものです」
「まあ、お母様の……もしよろしかったら、少し触れてみたいのですが」
「もちろんです」
リシャールに対してしたのと同じ説明をすると、太后は興味を惹かれたようだ。
見知らぬ他人ならともかく、太后相手にコサージュを渡すことを渋る理由もないので、サラはピンを外してクレアが差し出したトレイに載せた。
太后は差し出されたそれを手に取ると、驚いたように目を丸くした。淑やかな彼女らしくもなく少し口が開いており、すっと緑の目が細められる。
「……あ、あの、太后陛下……?」
「……」
「……」
「……ああ、ごめんなさい。とてもきれいな造りだから、驚いてしまって」
一瞬だけ険しい顔をしたと思ったが、すぐに太后は表情を緩めるとしげしげとコサージュを見、トレイに戻した。
「年季が入っていそうだけれど、丁寧に手入れをしてきたことがよく分かります。とても……大切に使ってきたのですね」
「……はい。あ、しかし殿下も日頃からとても素敵なものをたくさん贈ってくださるので、その日によって着け替えています」
リシャールは服飾に関心がないようだが、サラのためにドレスや宝飾品を贈ってくれる。
最初の頃は、クレアが「いくらセンスがないからって、これはないですよね……」とぼやいてしまうほど奇抜なものばかりだったが、最近はリシャールもサラの好みが分かってきたようで、シンプルながら愛らしいデザインのドレスや小粒だが気品に満ちた宝石などを選んでくれていた。
リシャールが甲斐性なしだと勘違いされたくなくて慌てて言ったが、太后は目を細めてころころと笑った。
「あらあら、そんなに必死にならなくて大丈夫ですよ。……数日前からあなたとリシャールの仲がぎこちなくなっていると侍従から聞きましたが、杞憂に終わったようですね。まさかリシャールが、あなたのために自発的に離宮を出ていく日が来るとは……」
どうやら太后は、本日なぜ息子が離宮を出ているのか聞いているようだ。今日のリシャールはサレイユの使者と話をしたり、変装して町の図書館に行って調べものをしたりすると言っていた。
彼は彼なりに、サラが抱えているものを少しでも軽くしようとしてくれている。昨日はサレイユの伝統文様が刺繍されたハンカチを取り寄せてくれたし、一昨日は自ら厨房に立って焼き菓子まで作ってくれた。
ちなみにこの焼き菓子、少し緊張してしまったが匂いに全く問題はなく、食べてみると普通においしかった。毒を入れるなら絶好の機会だっただろうに入れなかったということは、やはりあの紅茶に異物を入れたのはリシャールではない――とますます強く思うようになった。
「……ふふ、エルミーヌ様、すっかり頬が緩んでいますよ」
「えっ!?」
……リシャールのあれこれを思い出していると、つい破顔してしまっていたようだ。
指摘されてぺたぺたと自分の頬に触れていると、太后はおかしそうに笑って席を立った。
「これなら近いうちに、わたくしも初孫を抱っこできそうですね。……あなた方が幸せそうで、よかったです」
「え、えっと……もう、お帰りですか?」
「ええ、元々今日はあなたの顔を見られればよかったのですし……リシャールにも話すことがあるのですが、外出中ですからね。あの子はまた本城に呼ぼうと思います」
あわあわするサラを親しげに見つめ、太后は言った。確かに、昔のリシャールならいざ知らず、今の彼なら「ちょっと妃のことで話がしたいから本城に来なさい」と養母に言われれば、渋々ながら出向くのではないか。
……それが自分関連だから、と思うのは傲慢な考えかもしれないが、サラのために手を尽くしてくれるリシャールのことは愛おしいし……早く彼に真実を告げ、この苦しみから脱したいとも思う。
(打ち明けるのが一番いいのだろうけど、信じてもらえるとも限らない。それに、フェリエにはまだ使者がいる――)
現に一度、サラは出方を間違っている。
自分の命だって惜しいのだから、この命と引き替えに真実をリシャールに提供する、という度胸があるわけでもない。サレイユだって、サラが秘密を明かそうとすれば強硬な手を取るかもしれない。
太后が去った後、サラはそっと自分の胸元に触れる。
そこに飾っている母の形見のコサージュは、少しだけひんやりとしていた。