34 疑惑の茶会②
(……何の匂い? 蜂蜜や砂糖……じゃないよね……?)
何度か、くんくん匂いを嗅いでみる。
どちらかというと、薬草の類だろうか。紅茶に混ぜることでも効果の得られる薬草はクレアもよく使っているので、そのようなものが入っているのかもしれない。
――だが、サラは念のため慎重にカップに口を付けてほんの少し啜り――甘みの中に溶け込む苦みを確認したため、ガチャンと派手な音を立ててカップをテーブルに置いた。
いつもマナーには気を付けているサラだからか、リシャールだけでなく壁際で見守っていたクレアやダニエルも、ぎょっとしたようにサラを見てくる。
「ど、どうした!?」
サラは、リシャールを見た。
彼もまた、心配そうにサラを見ている。
……信じられないが、信じるしかない。
サラの舌と鼻は間違いなく、この茶に紛れた異様な匂い――毒薬を嗅ぎ取っていた。
(……そんな、嘘……)
カップを持つ手が、震えそうになる。
まさか、まさか、とは思うが、既に少し舌は痺れているし、口の中は苦い唾液で一杯だ。
だが……聞けるはずがない。
「殿下、このお茶に何か入れましたか?」なんてこと。
だからサラは無理に笑みを浮かべ、誤魔化すように頬に手を添えた。
「すみません、殿下。故郷のことを思い出して、びっくりしてしまいました」
「そ、そうか? それならいいのだが……」
下手な言い訳だとは思ったが、リシャールはすんなり受け入れると自分の茶を啜った。ちびちびと茶を飲むリシャールの顔がぼやけて見え、サラは慌てて手元のカップに視線を落とす。
これにはおそらく、毒が入っている。少し口に含んだだけでも舌がピリピリするのだから、リシャールが言うように「ぐいっと」いけば、致死には至らずとも食道をやられてしまうかもしれない。
(でも、殿下が私のカップに毒を入れる? まさか……)
そもそもこの茶葉は彼がサレイユの使者から取り寄せたものだ。それならむしろ問題があるとしたら茶葉の方で、使者が怪しいということになるが……。
(でも私が倒れたら、真っ先にお茶が疑われる。茶葉に問題があれば、サレイユの人が私を害そうとしたということになる。それに、私だけでなく殿下がこれを口にする可能性も十分あったし……)
誰が毒を、何に毒を、どうして毒を、と頭の中がぐるぐるする。
だが、考えている暇はない。
先ほどからサラは茶を一口も飲んでいない。むしろ、怯えるような眼差しをカップに向けているものだから、さしものリシャールも不安になったようで、茶菓子を摘む手を止めてサラを見てきた。
「……どうした? それは君が大好きだという茶だろう。まだおかわりもあるから、遠慮せずに飲めばいい」
「……は、い」
「……もしかして、ゴミでも浮いていたか? それならすぐに淹れ直すが……」
リシャールが提案するので一瞬それに乗りそうになったが、淹れ直したから安全というわけではないと思い至る。
茶葉に問題があれば、おかわりを注いでもらっても同じ話になる。そして――リシャールに悪意があるのなら、新しい茶にも同じような細工をされるだけだ。
(違う! 殿下がこんなことをなさるはずがない!)
空いている方の手で、ぎゅっと拳を固める。
短い間ではあるが、リシャールとは間違いなく穏やかな愛情を築いてきている。確かに最近はサラの要望で彼を連れ出したり仮面を取ってもらったりしているが、彼も本気で嫌だったらきっぱり嫌だと言うはず。
(いや、もしかして、本当は嫌で嫌で仕方ないけれど我慢していて、どうしようもなくなったとか……?)
口の中が苦くて、ドロドロした唾液で喉が詰まりそうになる。まるで冷水を流し込まれたかのように心臓から胃の辺りにかけて冷たく、ぎゅうっと内臓を絞られているかのように苦しい。
リシャールを信じるのなら、茶を飲まなければならない。だが、少し舐めた程度でも舌が痺れるような毒入りの茶を飲んで無事でいられるとは思えないし、クレアやダニエルが見ている前で茶を捨てるわけにもいかない。
そうしてまともに考える時間も冷静に思案する力もないまま、逡巡した結果――
「……すみません、殿下」
「え……?」
「あの、もう胸がいっぱいで……お気持ちだけありがたくいただきます」
サラが選んだのは、「飲まない」という選択肢だった。
何か大きな勝算や理由があっての行動ではない。夫によって毒を盛られそうになったらどうすればいいか、なんてことは、サレイユでは教わらなかった。
だから――クレアとダニエルがさっと気色ばみ、リシャールが明らかに傷ついた様子で息を呑んだのを見てもそれらを受け入れる覚悟はできていなくて、サラは息が止まるかと思った。
とんでもないことをした、選択が間違っていた、と気付いても、取り返しはつかない。
「……そう、か。……すまない、やはり俺では、君をもてなすことができないようだな」
いつもならもう少し遠慮がちに言うだろうが、動揺している様子のリシャールが呟いた言葉に、サラは胸が抉られるかと思った。むしろ、心臓を抉り取って殺してくれた方がよかったとさえ思ってしまう。
「あ、あの、殿下。わたくしは……」
「気にするな。……ダニエルは片づけを、クレアは妃を部屋に連れて行ってくれ」
「殿下っ」
「そんな顔をするんじゃない。……俺も少しやりすぎた、反省する。茶葉は後で部屋に届けるから、クレアに淹れてもらうといい」
リシャールはサラに背を向けて、淡々と言った。
……今ほど、リシャールが仮面を着けていればよかった、と思ったことはないだろう。
クレアは黙ってサラを立たせてくれたが、茶器を片づけるダニエルは――おそらくサラがここに来て初めてだろう、不快そうな眼差しをサラにぶつけてきた。
いつも朗らかで親切なダニエルだが、それも全ては主君であるリシャールのためだから。ダニエルからすると、サラは全く非のないリシャールが丹誠込めて淹れた茶を却下したとんでもない妃だ。主君を思う彼としては、間違った対応ではない。
(殿下……)
クレアに腕を引かれつつ、サラは振り返った。
だがリシャールはいつの間にか仮面を装着しており、窓の方を見やるだけだった。
後ほど茶葉缶が部屋に届いたため、サラはすぐにそれの匂いを嗅ぎ、自分で淹れてみた。
だがあのときのような刺激臭はなく、ただ懐かしい味がするだけだった。