33 疑惑の茶会①
翌日の午前中、サラは渋々筆を執って国王の手紙への返事を書いていたのだが、さらにサラの頭痛をひどくするようなものが届いた。
嬉しそうにそれを持ってきたクレアに申し訳ないので、「寝室でじっくり読むわ」と言い訳して一人にしてもらった。
そして、クレアが差し出したそれを目の高さに持ち上げ、つい唇の端を歪めてしまう。
「本当に、いいご身分……」
可愛らしい封筒に書かれている宛先は、「敬愛するエルミーヌ様へ」。送り主名は、「サラ・エルノー」――つまり、エルノー子爵家の長子であるフィルマンと結婚したエルミーヌからである。
腹立ち紛れに「敬愛する」の部分をぐりっと親指で指圧した後、渋々封を開けて手紙を取り出す。使われているレターセットは、サラだったら絶対に使わないような派手で可愛らしいデザインで、これを見るだけでげんなりしてしまう。
(中を見ることなく燃やしたいけど、いずれ返事を書かないといけないし、放置したらクレアに怪しまれるだろうし……)
どうせサラの気分がよくなることは書いていないだろう、とひたすら悪い方向の予想を立てて読み始めたからか、思ったほどダメージは受けずに済んだ。
だが、「フィルマンとの結婚生活は順調」「毎日愛を囁かれている」「幸せすぎて困ってしまう」とつらつら書かれているのを読むだけで、イラッとする。
(エルミーヌ様に子爵家の妻の役目が務まるとは思えない。きっとフィルマンや子爵夫妻に我が儘を言っているんだろうね)
それに加え、サラに扮しているにしても「エルミーヌ様にも幸せをお裾分けしたい」とか「遠い地でもエルミーヌ様が幸せにされているのを願っている」なんて白々しいことを書かれたときには、乾いた笑いが出るかと思った。
最後の署名の隣にキスマークがあるのを見たときには本当に、破り捨てて暖炉にくべてやろうかと思ったくらいだ。
本当に、自分の幸福に関しては非常に貪欲になるが、他人の気持ちを忖度するという力に欠ける王女である。
(もし本物のエルミーヌ様が殿下に嫁いでいたら、とんでもないことになっていたかも……)
サラも我ながら色々やらかしたとは思うが、最後にはリシャールも全て許してくれた。
だがここに来たのが本物のエルミーヌだったら、どうなっていただろうか。少なくとも、今のサラよりもリシャールとの仲を良好なものにできていたとは思えないのが、元臣下ながら悲しいところだ。
(まあ、エルミーヌ様もフィルマンもよろしくやっているなら、勝手にすればいい)
こうしてフィルマンとの愛の日々を綴ったのも、エルミーヌには全く悪意がないだろうし、むしろサラを励ますために書いたのではないかとさえ思われる。
(誰が、元恋人とそれを寝取った女の恋物語を聞いて喜ぶというの!?)
ぷりぷりしつつも案外さらっと流せるのは、今の日々が充実しているからだろう。
もし、リシャールと仲よくなれていなくて逆にひどい目に遭わされるような日々を送っていたなら、この手紙でとうとう命を絶つ決意を固めていたかもしれない。
(面倒だけれど、これにも返事を書かないと……あ、でもそろそろお茶の時間かな)
サラの予想通り、リビングに戻るとちょうどダニエルが来ていたようで、サラを見ると隣の部屋を手で示して嬉しそうに微笑んだ。
「エルミーヌ様、殿下の方のご用意が整いました。早くエルミーヌ様にお茶を振る舞いたいと、うずうずして待っていますよ」
声が聞こえたのか、壁越しに「余計なことを言うな!」と叫ぶリシャールの声が聞こえ、サラのみならずクレアまで噴き出してしまう。
「ええ、すぐ行くわ」
手紙はテーブルに置き、サラはクレアを連れていそいそとリシャールの部屋に向かった。
ダニエルが案内してくれたのはいつもの書斎ではなく、リシャールの部屋のリビングだった。ここに入るのは初めてなので少しどきどきしたが、間取り自体はサラの部屋と大差なく、部屋の主の趣味なのか調度品や置き物なども落ち着いた雰囲気なのですぐに気に入った。
部屋の中央に据えられたガラスのテーブルの上では既に、ティーセットや茶菓子が待機していた。それらの前でかがみ込んで何かしていたらしいリシャールはサラを見るとほっと顔を緩め、一人用のソファを手で示す。
「よく来てくれた。さあ、ここに座りなさい」
「失礼します」
ドレスのスカートを持ち上げ、皺にならないよう気を付けつつソファに腰を下ろす。リシャールは茶器を並べてポットに湯を注ぐだけでなく、サラ用の取り皿やフィンガーボウルも出してくれた。
「何から何まですみません、殿下」
「何を言うか。俺とて、妃をもてなすくらいの甲斐性はある」
リシャールの返事は少しずれている気もしなくもないが、それも生真面目な彼らしい。
茶器を扱う手つきはサラやクレアほど慣れているわけではないが、ぎゅっと眉を寄せて茶葉をポットに入れる様子や、棚に置かれている蜂蜜や砂糖などの瓶をせっせと持ってくる姿を見ると、愛おしさが募ってくる。仮面を着けていないので、彼の表情が手に取るように分かるというのも嬉しいことだった。
しばらくすると、ポットから懐かしい香りが漂ってくる。この茶葉は乾燥した葉の状態だとほとんど匂いがないが、蒸らすと一気に香りが強くなるという特徴があった。それほど高価ではないが、サレイユの貴族が毎日飲むような人気のフレーバーだとすぐに分かる。
サラがわくわくしているのが分かったのか、こちらに背を向けてカップを布で拭っていたリシャールが振り返ってほんのり微笑んだ。
「嬉しそうだな、妃よ」
「もちろんです! ……あら、殿下は別のものを飲まれるのですね」
「……ああ。これを持ってきてくれたサレイユの使者は、かなり濃い味でフェリエの人間の舌には合わないだろうと言っていた。すまないが、俺は普段のを飲ませてもらう」
料理全般において、サレイユはフェリエより味が濃いめだ。使者の言うように、フェリエ育ちのリシャールにとってサレイユ特産の紅茶は、かなり味が濃くて飲みにくいだろう。同じものを飲めないのは残念だが、サラのために取り寄せ、一緒に飲みたいと思ってくれるのは嬉しい。
サラの表情を読み取ったようで、リシャールはほんのり頬を赤らめてそっぽを向き、自分の分の茶も淹れ始めた。
しばらくすると、サラのカップには赤みが強くて底が見えないくらい濃い色の茶が、リシャールのカップにはいつも通りの薄い色の茶が、それぞれ用意された。
「ここまで濃い色に出て正解なのか……?」
「正解ですよ。殿下はお茶を淹れるのもお上手ですね」
「……褒めるのは、飲んでからにしてくれ。ほどよく冷めているから、ぐいっといけばいい」
「ふふ、かしこまりました。では――」
カップを持ち上げたサラだが――懐かしい甘い香りに混じるツンとした匂いに、はたと動きを止めた。