31 あなたとお散歩
サラがリシャールと結婚して、一つ季節が巡った。
嫁いだときには芽吹いたばかりだった花も今は満開で、離宮の庭園には色とりどりの花が咲き乱れている。
「見てください、殿下。鳥が遊びに来ていますよ」
「……そうだな」
サラがはしゃいだ声を上げると、少しだけ硬いけれどリシャールが返事をしてくれた。
二人の手は、いつぞや本城に行ったときのように繋がれていて、サラがさっさと歩こうとするものだからリシャールが引っ張られる形になっている。
最近、リシャールはサラの勧めを受けて日中も散歩に出かけるようになった。最初はかなり渋っていたが、サラがお願いをし、ダニエルとクレアも援護射撃を放ったことでリシャールも折れ、必ずサラが側にいること、離宮の外には出ないこと、仮面装着を許可すること、などを条件に首を縦に振ってくれたのだった。
引きこもり殿下が渋々ながら外に出るようになったというのは皆にとって驚きだったそうだが、どうやらそれ以上に、リシャールが妃のお願いを聞き入れたというのが意外だったようだ。
噂を聞きつけたらしい貴族たちが離宮に押しかけようとしたが、いつになく厳しい顔をしたリシャールの命令により、散歩の際には厳重な警備が敷かれるようになった。
また、報告を聞いたらしい国王も兄の変化を喜んだようで、「兄上と義姉上の外出を妨げる者は許さない」というお言葉さえあったという。
そのおかげでサラたちが庭園を散歩するとき、周りにはほとんど人気がない。見かけるとしたら離宮勤めの兵士や庭師くらいで、侍従のダニエルやサラ付き侍女のクレアでさえ、散歩のときには同伴せず遠くから見守ってくれている。
リシャールが日傘を差してくれているので、サラがさっさと歩いたら日陰から外れてしまう。だったら自分で傘を持つから大丈夫だと言ったのだが、「これは夫である俺の仕事だ」と言って頑として譲らないので、彼の好きにさせることにしていた。
「小鳥は……あそこか」
「きれいな青色ですね。わたくしはあまり見たことがありませんが……殿下はご存じですか?」
「あれはシクラナという小型の鳥だ。秋の終わりから春にかけては暖かい場所で過ごし、この時期になると北上して王都周辺にもやってくる。フェリエでは古来から馴染みのある益鳥で、童謡などでもよく歌われている」
「そうなのですね」
リシャールは引きこもり体質だが、頭の中にある知識の量は凄まじい。政治経済の知識はもちろん、植物や動物などの生態についても堪能で、国王も兄を頼りにするという気持ちがよく分かる。
シクラナは、つがいで庭園に遊びに来ていたようだ。少し古びたベンチの背もたれに二羽並んで止まっており、チュンチュンとさえずる姿がなんとも可愛らしい。
「近づいても大丈夫でしょうか?」
「シクラナは基本的に温厚だから、君なら大丈夫だろう。行ってみるといい」
「殿下は?」
「……俺は、ここで見ている」
そう言ってリシャールはサラに傘を渡した。頑としてそこから動く気がないようなので、サラは傘を左手にベンチに歩み寄り、なおも楽しそうにさえずるシクラナの夫婦をじっと観察してみた。
本当に警戒心が薄いようで、シクラナは大きな傘を差したサラが近づいても逃げないどころか、つぶらな瞳でこちらを見つめ返してきた。こてんと揃って首を傾げる姿に、思わずサラも笑顔になる。
「可愛い……とても仲のいい夫婦みたいね。殿下、殿下も来てください! とっても可愛いですよ!」
「……」
サラに誘われ、日陰で待っていたリシャールが渋々歩きだした。
彼にも是非、この可愛らしいお客さんの姿を見てほしかったのだが――あと数歩というところで彼の存在に気付いたらしいシクラナ夫婦は、とたんにさっと翼を広げて飛び立ってしまった。
「あっ……」
「……やはりな。すまない、逃げさせてしまった」
「いいえ、お気になさらず。でも……やはり、というのはどういうことですか?」
先ほどもリシャールは、「君なら大丈夫だろう」と言っていた。これは、自分が近づけばシクラナに逃げられると分かっているような言い方ではないか。
サラが指摘すると、日傘を取ったリシャールは気まずそうに沈黙した後、シクラナが飛んでいった空を見上げた。
「……俺は昔から、動物に好かれないんだ。多分……匂いが、するんじゃないか」
「匂い……」
それはきっと、怒ることで獣に変身する彼の体質が関係しているのだろう。
ちなみにここしばらくは例の「仕事」はないようで、夜に出かけたりしていない。だから鼻の利くサラでも彼から獣の匂いは感じられないのだが、動物はもっと鼻が利くし、シクラナの場合は野生の勘のようなものもあるのかもしれない。
「小鳥はもちろん、たまに離宮に迷い込む犬や猫にも怖がられ、威嚇されてきた。……当然、馬もだめだ。俺は変化すると、馬よりも大きくなる。彼らは本能的に、俺が自分たちよりも大きな獣の姿になると分かっているのだろうな」
「……そうなのですね」
下手な声掛けはできなくて、サラには無難な相槌しかできなかった。
サラは動物が好きだから、犬や猫に威嚇されたらショックだ。動物からすると強者から身を守るための本能的な行動なのだろうが、リシャールは明らかに寂しそうだ。
ふわふわした動物の毛並みに触れたいが、触れられない。それは確かに、寂しいことだろう。
「匂いがするのなら、仕方ないですね。動物はわたくしより、鼻が利きますし」
「……前から思っていたが、君は本当に匂いに敏感なのだな。もしかしてサレイユの者は、俺たちより鼻が利くものなのか?」
「そ、そういうことじゃありません。ただわたくしの生まれ持った才能……というより能力のようなものです」
「……そうか。おもしろい能力だ。俺の異能よりずっと、役に立つな」
「そうですか? 殿下は戦えますが、わたくしの能力では一切の戦闘力になりませんよ」
「そんなものなくていい」
リシャールは素っ気なく言うが、その口調は以前よりずっと穏やかだ。
獣に変化するという、フェリエでは昔から忌み嫌われている異能を持つリシャール。実の母に植え付けられた感覚や概念は二十代になってもなお彼を縛り付けており、たやすく解けるものではないと痛感する。
だが、少しずつ彼も前を向いている。口調や眼差しは優しくなり、面倒くさそうな顔はしつつもたいていのサラのお誘いやお願いには応じてくれる。日中、サラの前でも仮面を取る時間が長くなったというのも変化の一つだろう。
(殿下が仮面を着けるのは怒りの感情を抑えるためだって言われていたけれど……私の前では怒ることがないと思ってもらえているってことなのかな?)
そう思うとついつい、顔がだらしなくにやけてしまい、鋭いリシャールに気付かれてしまった。
「……どうした?」
「いえ、思い出し笑いです。殿下とこうやって毎日過ごせるのが楽しいな、って思って」
「……だ」
「えっ?」
渋い顔で何か言われたので、真顔になって問う。
するとリシャールはきゅっと口をつぐんで渋そうな顔をした後、そっぽを向いてしまった。
「……俺もだ、と言った」
「殿下……!」
「……そろそろ疲れた。帰るぞ」
「……はい。クレアが冷たいお茶を淹れてくれると思うので、一緒に飲みましょうか」
「……ああ。一緒に、飲もう」
そう言うとリシャールはさっさと歩き出したが、ドレスを着たサラが小走りにならなくていいように、結局は足並みを揃えてくれる。
(……こんな日々が、ずっと続けばいいけれど)
そう願いつつも――未だに自分はリシャールを騙しているのだ、という罪の棘は、サラの胸をずっと傷つけていた。