24 若き国王と王兄②
思わずまじまじと見上げると、視線に気付いたらしいリシャールが振り返った。そしてサラの目を見るとばつが悪そうに唇の端を曲げ、一つ咳払いする。
「……妃は自分の責任をよく理解し、その上で俺にも真摯に接してくれている。俺も……最初は面倒ごとを押しつけられたと思ったが、妃はとてもよい妻だと思っている。いくらこの結婚の決定権が君にあるとはいえ、意味のない言葉の攻撃をすることは許さない、エドゥアール」
「殿下……」
「すまないな。……本当に、こういうところさえなければ、優秀な弟なんだ」
「いいえ、フェリエの国王陛下としてわたくしを警戒なさるのは当然のことです。ですから、わたくしは大丈夫ですよ、殿下」
そう声を掛け――これくらいなら許されるだろうか、と思いつつそっとリシャールの左腕に触れた。
弟の発言に憤っているらしい彼の二の腕は、力がこもっていて少し硬い。だがサラが触れるとそこからすっと力が抜け、眉間に刻まれていた皺も少しだけ薄くなった。
「……君は健気だな。だが、無理をしてはいけない。……そういうことで妃は許してくれるそうだが、あまり調子に乗るんじゃない」
「了解したよ。……ははっ、兄上のお説教を受けるのも久しぶりだね。それくらい、お嫁さんにご執心だってことかな?」
「エドゥアール」
「分かった分かった。……まあ、兄上たちがうまくやっているようなら、私は十分だよ」
そこで国王はサラを見、自分の背後を親指で示した。
「ひとまず今日は、挨拶ということだったし。……この後私は兄上とちょっと話したいことがあるので、義姉上には少し席を外してもらいたいんだけど、いいかな?」
「もちろんです」
確かに、リシャールはなかなか本城に来ないため、国王も兄と語らいたいことなどがあるだろう。
「ありがとう。待っている間は、隣室でくつろいでくれればいい。話が終われば呼びに行くから」
「かしこまりました」
ダニエルに促されてサラが立ち上がると――ふと、ドレスの袖が引っ張られる感触がした。この距離でサラの服を引っ張れる人は、一人しかいない。
「殿下?」
「……あ、いや、すまない。なんでもない」
すぐにリシャールはぱっと手を離したが、サラを見上げたときの彼は寂しそうな、捨てられた子犬のような眼差しをしていて――不覚にも、「可愛い」と思ってしまった。
(なんでもないのなら、袖を引っ張ったりしないと思うけど……)
そういえば以前、太后に会いに行くときにリシャールはわざわざ廊下に出て、サラを見送ろうとしてくれた。もしかすると、自分の側からサラが離れていくのが不安なのかもしれない。
サラはふふっと笑い、リシャールの肩に触れた。
「少し、席を外します。ご兄弟でゆっくりお話をなさってくださいね」
「……ああ」
まだリシャールの声は張りがないが、それでも表情は少しだけ緩んだので、サラも安心できた。
(なんだかんだ言って、心配してもらえているのかな)
もしそうなら、サラとしても嬉しい限りだ。
ダニエルに付き添われ、王兄妃が部屋を出ていく。
エドゥアールは揺れる金髪を見送った後、視線を戻し――異母兄がまだ名残惜しそうにドアを見つめていることに気付き、ククッと忍び笑いを漏らした。
「……何だ」
「いいや、あの兄上がここまでお嫁さんに執着するとは思っていなくてね」
「……からかうなと言っているだろう」
リシャールは鬱陶しがるように言ったが、これもこの兄弟なりのコミュニケーションである。どちらも相手の領域を理解した上で、「家族」として接しようとしている。
それは、十六歳という年で王冠を戴くエドゥアールにとっては肩の力を抜いて他人に甘えられ、他人を信用しないリシャールにとってはお互い素直な気持ちでぶつかり合える、貴重な時間だった。
ふとエドゥアールは笑顔を引っ込め、隣室に移動しただろう王兄妃の耳に間違っても届かないよう、声を潜めた。
「……兄上。義姉上には……あのことは、教えていないんだよね?」
弟に問われ、リシャールもまた表情をすっと引き締めて強張った顔で頷く。
「……ああ、言わない。言うつもりもない。だが……」
「うん」
「……妃は、妙に鋭くて勘がいい。この前の夜は、クレアに頼んで密かに睡眠薬入りの茶を飲ませようとしたのだが、失敗した。鼻が利くらしいから、今度は正攻法で飲ませるつもりだ」
「鼻が利く、って……義姉上は犬じゃないんだから」
小さく噴き出しつつも、エドゥアールの瞳から緊張の色は消えない。
「……義姉上はあまり異能に偏見がないそうだから、兄上のことを知っても驚きこそすれ、他の連中みたいに嫌悪することはないはずだよ。実際、私たちは兄上の力に何度も助けられている。皆だってそれは分かっているはずだけど……それでもやっぱり、隠したい?」
「……ああ。傷つくのも傷つけるのも、嫌だからな」
ぽつんとこぼした兄の弱音に、エドゥアールは悲しそうに目尻を垂らした。
「……そっか。さっきは散々からかったけれど、やはり義姉上の存在は兄上にとって大きいんだね」
「……あれほど気さくで明るい姫だとは思っていなかった。彼女になら打ち明けたいと思う反面、打ち明けたことで彼女が離れていくかもしれないと思うと、踏み出せない」
「……うん、兄上が言うならそれでいいと思うよ。私は、兄上のなさりたいようにするのが一番だと思うから」
エドゥアールは微笑み、愛情に満ちた眼差しで異母兄を見つめた。
「私も母も、兄上にはとても感謝している。普段の公務の補助はもちろんだけど……十五年前のことも、ね」
「……」
「そんな兄上が、義姉上のことをとても気に入って、今の繊細な関係を保ちたいと言うのなら……その気持ちを尊重するよ。兄上が義姉上と一緒に幸せに暮らしたいと思うのなら、そのための世界を私が作るから」
「エドゥアール、その気持ちはありがたいが、君は王だ。……君なら心配ないと思っているが、王としての責務を忘れるな。その代わり、俺で助けられることならなんでもする」
やや説教じみた口調で言われ、エドゥアールは笑った。
エドゥアールがリシャールに恩を返したいと思っているのに、リシャールはリシャールでエドゥアールを助けたいと思っている。
母親こそ違うが、やはり自分とリシャールは兄弟なのだろう。
「ありがとう、兄上。……それと」
「……」
「サレイユ。……私も警戒は怠らないが、兄上も気を付けて。もちろん、義姉上のこともね」
それはどういうことだ、とリシャールの目は訴えていたが、エドゥアールは真意の読めない微笑みを浮かべるだけだった。