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2  サラとエルミーヌ

 謁見の間を辞したサラは侍従の案内で、応接間に向かった。

 そうして間もなく駆け込んできたのは予想通り、目を赤くしたエルミーヌだった。


「サラ、サラ!」

「エルミーヌ様……」


 よろよろと歩み寄ってきたエルミーヌを抱きしめると、彼女はサラの腕の中でわっと泣き出した。


「ごめんなさい、ごめんなさい! わたくし、あなたを……」

「いいえ、いいのです。エルミーヌ様がお辛い思いをしないのなら、それが一番ですから」


 柔らかい金髪をそっと撫でると、エルミーヌは顔を上げた。


 白粉おしろいを塗らずとも真珠のように白い肌に、大きな茶色の目。サラより少し身長が低くて腕も腰も細いが、年頃の少女らしく胸元はふっくらしている。


 六年前、サラの実家である男爵家は事業に失敗した。両親は経営を立て直そうと奔走していたのだが、馬車の事故により二人とも帰らぬ人になってしまった。


 いきなり両親を喪い、借金のために屋敷も使用人をも失ったサラに手を差し伸べてくれたのが、エルミーヌだった。サラの母は元々公爵家の傍系だったが駆け落ち同然に父のもとに嫁いだため、サラを家族として迎えてくれる人はいなかった。


 サラとエルミーヌは男爵令嬢と王女という身分差だが、曾祖父を同じくするはとこだった。そんなサラが困窮していると聞いたエルミーヌは、サラを自分の侍女にするよう国王に提案したのだという。


(エルミーヌ様はともかく、陛下は絶対、私が影武者になれそうだから侍女にしてくださったよね……)


 そんなの、十二歳のときからうすうす分かっていたことだ。


 はとこだからか、サラとエルミーヌの顔立ちはどことなく似ている。そして何の因果か、二人とも金髪と茶色の目を持っており、化粧と衣装を揃えれば姉妹のようになるほどよく似た風貌に育ったのだった。


 国王はサラに勉強をするよう言う傍ら、「エルミーヌと全く同じように生活しろ」と命じた。髪の長さ、着る服の嗜好、化粧品、身の回りのもの、どれ一つとしてサラの希望が通ったことはない。


 自分は侍女、それも王女に拾われた身なのだから、それも仕方ないことだと分かっている。本当はもう少し短く髪を切りたいし、ピンクや黄色だけでなく紫や緑のドレスも着たい。ちまちまと刺繍をするより庭に出て遊びたかったし、昔のように大口を開けて笑ったりしたかった。


(でも、それが叶うはずがない)


 サラは微笑み、エルミーヌの肩に触れた。


「エルミーヌ様はずっと、王女としての重責に堪えてらっしゃりました。それの報いが政略結婚なんて、お辛いのも当然です」

「でも……これからサラがわたくしの名を名乗って政略結婚をするというのに、わたくしはあなたの名前をもらい、のうのうと暮らすことになるのよ」


 エルミーヌの言葉はほんの少しサラの胸を穿ったが、サラは首を横に振る。


「そのようですね。しかし、陛下がこのようなご判断をなさったのも全ては、エルミーヌ様を思ってのこと。むしろ、わたくしの名前くらいしか差し上げられないことを心苦しく思います」


 サラはエルミーヌとして、他国に嫁ぐ。となると当然、エルミーヌは自分の名を名乗ることができなくなるので、代わりにサラの名前をもらい、平民として生きることになるのだ。


 王女としての身分を失い、潰れた男爵家の娘の名前しか手元に残らないというのは、温かい場所で育ってきたエルミーヌにとってはさぞ辛いことだろう。


(エルミーヌ様はお優しいけれど、あまり芯が強くない。……せめてもう少し、私に蓄えがあったらよかったのだけど、名前しか差し上げられないのが申し訳ない)


「エルミーヌ様。六年前、わたくしを拾ってくださり、ありがとうございました。エルミーヌ様並びに陛下に恩を返せて……本当に嬉しく思います」

「サラ……」

「これから先、どうか『サラ』をよろしくお願いします」


 サラが微笑むと、エルミーヌは可憐な顔をくしゃっと歪めてサラの胸に飛びついてきた。

 か弱くて、世間知らずで、どこまでも優しいエルミーヌ。


(……エルミーヌ様が平穏無事に過ごされることこそ、私の幸せ。だから……大丈夫)


 そう、信じていた。











 次の日から、サラはエルミーヌに、エルミーヌはサラになった。


 世間には、「侍女サラは体調不良のため、王女付きの侍女の仕事から一旦離れる」と知らせることになった。エルミーヌは現在やや情緒不安定なので、落ち着くまでは城下町にある王家の別邸でこっそり過ごし、サラの出発時には見送りができるように体調を整えるのである。


 そして、サラは二ヶ月後に控えている輿入れに向け、王女教育を受けることになった。といっても、これまでもサラはいつ身代わりになってもいいよう、国王の命令でエルミーヌの勉強の場に同席することが多かった。

 そのため、全く新しい知識を詰め込まれるというより、「いかにエルミーヌらしく振る舞うか」の訓練を受けていた。


(これまで、ちゃんと勉強していてよかった……)


 実のところ、エルミーヌはあまり勉強は得意ではなく、側で家庭教師の話を聞いていたサラに助けを求めてくることも多かった。サラはエルミーヌより二つ年上だし、男爵令嬢時代には城下町を歩くことも多かったので、エルミーヌより長けている才能も多かった。


 声はどうにもならないにしろ、エルミーヌの癖や笑い方、歩き方、ちょっとした特徴など、全て把握している。家庭教師からも、「後ろ姿だけを見ればエルミーヌ様そのものです」と言われているので、ほっとした。

 勉強は、どうにでもなりそうだ。


(でも……フィルマンに伝えられるのは、もう少し後になってしまうかな)


 自室で休憩中、思うのは恋人のこと。

 フィルマンは子爵家の次男で、近衛騎士団に所属している。サラの幼なじみであり、恋人でもある男だ。


 サラの実家だった男爵家は裕福な平民階級からの成り上がりで、貴族の最下級ということもありあまり懇意にしてくれる家はなかった。だがフィルマンの父親は男爵家の経営にも協力的で、六年前の両親の死の際も、喪主になったものの右も左も分からないサラに手を貸してくれたりもした。


 フィルマンとは十年来の幼なじみで、二年ほど前にフィルマンの方から告白され、交際することになった。サラの父と懇意にしていた子爵夫妻は息子とサラの交際に賛成してくれ、サラが二十歳になるまでには結婚しようと話をしていた。


(当然、フィルマンとの話も白紙になるし、入れ代わりのことも彼には言わないといけないよね……)


 国王からは、入れ代わりの件は無関係者には決して口外するなときつく言われているが、フィルマンは仕方ないだろう。これからはエルミーヌがサラの名を名乗るのだから、内緒にしようと思っても顔を見ればすぐにばれてしまう。

 それなら早いうちに彼に事情を話し、サラと別れてもらうべきだ。


(フィルマンは騎士団でも結構人気があるみたいだし……私と別れてもきっと、いい人がすぐに見つかるよね)


 むしろ、没落貴族のサラごときにいつまでも親切にしてくれることを申し訳なく思っていた。それでもサラは彼と手を繋いだり、庭でおしゃべりをしたり、頬にキスしてもらったりするだけで幸福だった。彼や彼の両親がいなければ、両親の死からずっと立ち直れなかっただろう。


(フィルマンが遠征から帰ってくるのは……今月の終わりくらいかな)


 予定表を眺めて、ため息を一つ。

 フィルマンは騎士団の仕事で遠征に出ているが、たとえ月末に帰ってきたとしても、既に王女として生活しているサラではなかなか彼に会えない。


(もしエルミーヌ様が許してくだされば、手紙でも託そうかな……)


 エルミーヌにはしばしばフィルマンの話をしていたし、彼女も「サラの大切な人なら、わたくしも会ってみたいわ」とよく言っていた。今エルミーヌが療養している屋敷は城下町にあるので、こっそりフィルマンに手紙を渡してくれるかもしれない。元王女とはいえ高貴な人を顎で使うような真似ではあるが、エルミーヌならきっと快く受けてくれるはず。


「……ごめんね、フィルマン」


 デスクの引き出しから筆記用具を出し、サラは呟く。


 フィルマンは、どんな反応をするだろうか。少しでも、悲しいと思ってくれるだろうか。いや、きっと悲しんでくれるはず。

 でも彼なら最後にはサラの決意を受け入れ、「君の無事を願っている」と祝福してくれるに決まっている。


 ……このときは、そう信じていた。

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