18 あなたとティータイムを①
「少しあちらを向いていてくれ」とリシャールが言ったので指示に従った後、彼の方を向いたサラは、何度もまばたきをした。
「……」
「……言いたいことがあるなら、言えばいい」
「……その、仮面、別の種類もあったのですね」
今、リシャールが着けている仮面は目元さえいつものものと同じだが、鼻から下が空いていて、口元が露わになっていた。
そこから覗く薄い唇は一文字に引き結ばれていて、いつもは隠されている顎の輪郭もはっきり見えた。目の周りや頬骨の辺りはしっかり隠されているが、この見えている部分だけでも一つの芸術品のように美しく見えるというのは、どういうことなのだろうか。
「……あれでは茶を飲むこともできない。口元が見えるのであまりこれは着けたくないが……仕方ない」
リシャールはふんっと鼻を鳴らすと、クレアが差し出した茶を受け取り、突っ立ったままのサラには「座ればいい」と言った。
おずおずとサラがソファに座ると、ダニエルがテーブルにバターケーキ一切れを置いた。先ほどまではリシャールの皿に二切れ載っていたのを、いつの間にか持ってきたもう一枚の皿に分けたようだ。
(……口元が見える仮面は嫌だとおっしゃっているけれど、だからといって私に出て行けとは言わないんだね)
リシャールの方を見てみるが、彼はサラには目を向けずにバターケーキを食べていた。それでは、ということでサラもフォークを手に取り、ケーキの端を切った。
サレイユのバターケーキよりも密度があるので、ふわっというよりさくっとした感触だ。小さく切った乾燥マルロがほろりとこぼれ落ちそうになったので慌てて口元に運んで咀嚼すると、バターと砂糖の甘みとマルロの甘酸っぱさ、そして香り付けに入れられたリコのリキュールの香りがふわっと口内に溢れた。
「おいしい……」
「……甘味は、好きか」
……意外だ。リシャールの方から話しかけてくるとは。
はっとして顔を上げると、リシャールは手を組み、真剣な態度でサラを見ていた。既に彼のケーキは半分になっているがそれに手を付けようとはせず、サラの反応を待っているようだ。
(……えーっと、殿下は甘いものが好きってダニエルが言っていたよね)
言葉を考えるのに数秒要した後、サラは頷いた。
「はい。お菓子もそうですが料理にしても、辛いものや苦いものより、甘めに味付けしているものの方が好きです」
「……そうか。……」
「……」
(……あっ、これはこのままだと、会話が終了してしまう!)
敏感に感じ取ったサラはリシャールが視線を逸らす前にと、少し身を乗り出しながら言葉を続けた。
「えっと、殿下も甘いものはお好きですか?」
「…………嫌いではない」
躊躇いの後に返ってきた言葉は、ダニエルが言っていたものとは少々違う気がする。だがサレイユでも、
「男が甘いもの好きなんてみっともない」と言う者たちは少なからずいたので、男のプライドが邪魔をしたのかもしれない。
(ここは余計なことを言わず、私の方から歩み寄って……)
「そうなのですね。もし、殿下と味の好みが合うようなら嬉しいです。そういえば、フェリエの料理はサレイユよりもさっぱりしていますよね」
「……俺としては、サレイユの料理はどれも味が濃すぎる。あれに舌が慣れているのなら、ここの料理をまずく感じると思ったのだが……そうでもないのだな」
ちゃんと会話が続いている。いい感じだ。
「確かに味付けは薄いと思いますが、自然な甘さがあるし健康的な感じがするので、わたくしは好きです。こちらに来てから、少し肌の調子もよくなった気がするのですよ」
これは決して世辞ではない。
実際、クレアからは「ちょっと肌艶がよくなりましたね」と言われているし、サラとしてもサレイユにいた頃より体調が整った気がしていた。
それは、サレイユでの心身共に束縛されていた状態から解放されたから、というのもあるだろうが、料理の力も大きいと思う。
(そういえば、クレアにしても太后様にしても女性騎士にしても、フェリエの女性はすらっとしているよね……)
サレイユの貴族は胸も腰も尻もふっくらしている女性が多かったが、フェリエはそうでもないと感じている。その理由の一つが、普段の食生活なのかもしれない。
サラのような使用人階級だとともかく、エルミーヌは毎日濃い味の料理や甘い菓子をたくさん食べていたのだ。時々肌荒れを起こしたりして泣いていたものだが、ひょっとすると体質以外にも食べるものにも原因があったのかもしれない。
……ということもあり、サラは何気ない話題として肌の調子のことを口にした。きっとリシャールは、「そうか」くらいの反応をするだろう、と思ってのことだった。
だがリシャールはぽかんと口を開けてしばしサラを見た後、すごい勢いで顔を背けた。拍子で彼の癖毛がふわっと揺れ、肘がデスクにぶつかって鈍い音を立てたので、壁際に立っていたダニエルとクレアも息を呑んだようだ。
「殿下!? 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ。すまない」
「え、いえ、その、謝られることではありませんけど……何かありましたか?」
いきなり顔を背けたり、動揺のあまり肘をデスクにぶつけたりされるようなことを言った覚えはない。
だがなぜかリシャールは右手で口元を覆い、左手で額を支えるような格好で俯いている。非常に不思議な姿勢だがそれを突っ込むのは野暮だと分かっているので、サラは固唾を飲んでリシャールの言葉を待った。
「…………女性の肌をじっくり見るなんて真似をして……破廉恥なことをした。気を悪くしたのなら、謝る。すまない」
「……へ?」
また謝られた。だがそれを止めることは、サラにはできなかった。
リシャールの言葉を理解するのに、少々時間が必要だったからだ。
(女性の肌をじっくり見る? 破廉恥? 私が気を悪くする?)
「……何をおっしゃっているのですか」
「……いや、俺に見られても、不快だろうと思って……」
「そんなことありませんよ。見られるくらいで減ったりはしませんし……というよりもわたくしたちって、夫婦ですよね?」
「……あっ」
(忘れていたんだ……)
ここまでくると感心してしまい、サラはしげしげとリシャールを見つめる。
目の前にいる女が自分の妃であることを失念していたらしい王兄はサラと視線を交わすと、両手で頭を抱え込んでしまった。仮面や髪で隠れているが、きっと彼の頬や耳は赤く染まっているのだろう。