14 太后からのお誘い
サラがリシャールと「これから先」の決めごとをした、翌日。
サラのもとに、「本城に会いに来てくれ」という太后からの手紙が届いた。
「太后様って、どんな方なのかしら……」
クレアに身支度をされながらサラが呟くと、サラの髪を梳いてくれていたクレアは機嫌よさそうに微笑んだ。
「太后であられるアンジェリク様は、フェリエ中の女性の憧れと言っても過言でない方です! 先代国王陛下とは生まれたときからの婚約者でしたが、とても慎み深く愛情に満ちた女性で、わたくしの母の世代の者は皆、『アンジェリク様のような淑女になりなさい』と言われて育ったそうです」
(……それって、ご本人もそうだけど、令嬢たちにとってもかなりのストレスになりそうだけど)
サラの感覚では少し首を傾げてしまうが、クレアの表情を見る限り、現太后は当時の令嬢にとってはまさに目指すべき目標で、淑女の鑑と言ってもよかったのだろう。
「わたくし、太后様についてあまり知らなくて……教えてくれる?」
「もちろんです。太后様については色々と知っていただきたいことがございますからね。……まずは、エルミーヌ様は先代国王陛下と太后様の間に、既に亡くなった長子がいらっしゃったことはご存じでしょうか」
クレアに問われ、サラはサレイユにいた頃に家庭教師から聞いた知識を掘り出しつつ頷く。
「ええ。先代両陛下がご結婚なさった二年後にお生まれになった王子殿下がいらっしゃるということは、聞いているわ。確か、二十五年ほど前にお若くして亡くなったと」
次期国王として期待されていた王子だが、生まれたときから体が弱く、病気がちだった。さらに当時王妃だった太后も出産によりかなり疲弊しており、次の子はなかなか望めないだろうと医者に言われていたという。
国王は王妃を愛していたが、たとえ王子が成長しても病弱だと国王としての責務や公務に耐えられないかもしれない。そして王妃が第二子を生める可能性も低いとなれば――健康な子を生める妾妃を迎えるしかない、となったという。
「リシャール殿下の母君であられたディアヌ様が嫁がれたのが、二十五年前のこと。それから一年も経たずに王子殿下は病から回復せずお亡くなりになり――そしてその一年後、殿下がお生まれになったのです」
「……それは」
思わず口を衝いて出そうになった言葉を呑み込む。
(太后様は、どんなお気持ちだったのかな……)
自分の子は死に、妾妃が健康な王子を生んだ。当時、自分はこれ以上子を生めそうになかったので、このままだと妾妃の子であるリシャールが即位する。
「……えっと、確かディアヌ様も亡くなったのよね? 十五年くらい前に」
「はい。残念ながら、当時のことはわたくしたちにも知らされていないのですが……当時リシャール殿下は九歳、エドゥアール陛下は一歳だったのですが、ディアヌ様は殿下方が過ごされている離宮で亡くなりました。おそらく……侵入した賊の手に掛かったのだろうと言われています」
「賊の……」
つまり、第一王子のような病死ではなく、他殺だったということだ。
あまり踏み込んだことは聞けないのでサラが黙っていると、サラの髪に香油を塗りながらクレアが小さく息を吐き出した。
「その事件は主犯が見つからず、迷宮入りになったということです。……殿下は母君を亡くされましたが、すぐに太后様が引き取って養子になさったのです。結局のところ、そちらの方が殿下としてはよかったのではと言われています」
「実のお母様が亡くなったけれども?」
「……ディアヌ様は侯爵家のご令嬢でしたが、あまりお心が強い方ではありませんでした。殿下が二歳くらいになった頃から、母子で離宮に籠もるようになり……殿下もかなり束縛されていたそうです」
束縛、と呟くサラに頷きかけたクレアは、閉ざされた白いドアを見やる。
「陛下が生まれてからは、ますますディアヌ様は不安定になったそうです。……殿下が離宮に籠もられるのには色々理由がありますが、一番の始まりはディアヌ様だったということです。これは城に勤める者なら誰でも知っておりますが……もちろん、殿下や太后様の前では厳禁の話題です」
「……それもそうね。分かったわ、わたくしも気を付けるわね」
「そうしていただけたら助かります」
その後はクレアも何も言わず、いつも通りサラの髪をセットして化粧もしてくれた。
大人しくクレアに身を預けつつサラが考えるのは、幼少期のリシャールのこと。
(生みの母君が亡くなったとは聞いていたけれど……そんな過去があったんだ。でも、どうしてディアヌ様は殿下を束縛したんだろう)
自分は妾妃だから、王妃に子が生まれたらそちらに王位継承権が移るので警戒するというのなら、分からなくもない。サレイユでも過去には、自分の子が王になれなくなると思って王妃の子を殺した妾妃がいたとのことだから。
だがクレアの話によれば、妾妃ディアヌの様子がおかしくなったのはリシャールが二歳くらいの頃のこと。当然現国王はまだ生まれていないし、王妃も次の子を生めるか怪しいという頃だっただろうから、リシャールが王になれないかもしれない、という危惧を抱くのには早すぎるのではないか。
(でも、そういうことを口にしたらいけないな。殿下も太后様も気にされているはずだし……)
知識は武器になるが、やたらめったら振り回したりひけらかしたりしてはならない。
先ほどクレアが教えてくれたことは後日太后に会いに行くサラのためになるはずだが、情報の出し方を間違えれば自分の首を絞めることにもなるのだと、胸に刻むべきだ。
三日後、離宮に太后からの使いがやってきた。
護衛も兼ねているので武装した騎士が来る、とは聞いていたが、入室してきた使いたちを見て、サラは目を丸くしてしまう。
「女性……」
「エルミーヌ様?」
隣でクレアに呼ばれ、「彼女ら」をまじまじと見ていたサラははっとして口元を扇子で覆った。
「す、すみません。サレイユには、女性の騎士がいなかったので……」
「お気になさらないでください。……お初にお目に掛かります。わたくしたちは、太后様をお守りする騎士でございます」
にこやかにそう言うのは、白銀の鎧を纏い腰に細身の剣を佩いた、背の高い女性騎士。彼女の後に続く四人の女性騎士たちも全員同じような格好だが、先頭の彼女だけ青い宝石の付いたサークレットを付けている。彼女が五人の中での隊長格だという証しだろうか。
(すごく格好いい……! そういえばフェリエは実力さえあれば、性別や貴賤を問わずに城で働けるんだっけ……)
サレイユは「古き良き」を重んじているが、フェリエはそうではないようだ。サラはそうでもなかったが、貴族の中には「フェリエは伝統を守らない野蛮な国」と言っている者たちも多い。サラのように、女性騎士を見て格好いいと思える方が少数派だった。
「とても素敵ですね。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。さあ、参りましょう……」
笑顔で背後を振り返った女性騎士が、動きを止める。クレアも部屋の入り口の方を見て、「あちゃー」と呟いている。
何事だろうか、と首を伸ばしたサラの目が、廊下に立つ黒い陰を認めた。
「……殿下?」
「あら、殿下が廊下に出られるなんて……珍しいことですね」
「妃殿下のことが心配なのですか?」
「君たちは少し黙っていてくれ」
クレアや騎士たちに茶々を入れられたリシャールはむっとして彼女らを仮面越しに睨み、そしてサラの方を向いた。
廊下の壁や床は白色っぽいので、黒のズボンに紺色のコートという出で立ちのリシャールの姿はなんだか浮いて見える。彼の立ち姿を見るのも結婚式以来なので、サラがなんとなく新鮮な気持ちで見つめ返すと、リシャールは視線を逸らすように顔を少し背けた。
「その……君が義母上のところに行くと聞いた」
「はい。お茶に呼ばれているので、行って参ります」
「……そうか」
「……何か、太后様にお伝えすることでもありますか?」
「……そうではない。様子を見に来ただけだ。気を付けて行ってきてくれ」
それだけ言うと、リシャールはさっときびすを返して自室に戻ってしまった。ドアが閉じた後、なにやら彼とダニエルが言い合う声が聞こえたが、よく分からない。
静かになった廊下を見つめ、サラは首を捻る。
(……えーっと、つまり殿下は、本城に行く私を見送ってくれたのかな?)
サラが考える「お見送り」とはちょっと形が違うが、出不精で引きこもりのリシャールがわざわざ足を運んでくれたということは、彼なりにサラを心配してくれているのだ――と思ってもいいのだろうか。
(……うぬぼれるのはよくないけれど、思ったよりも殿下とうち解けられている……のかな?)
だとしたら、サラとしてはとても嬉しい。
思わず笑顔になったからか、こちらを見た女性騎士もふわっと微笑んだ。凛々しい彼女だが、自然な笑顔はとても愛嬌がある。
「ふふ……どうやら殿下は、妃殿下に心を許されているようですね」
「……えっと、そこまでではないと思いますが」
「謙遜なさらないでください。……太后様も、お二人のことを気にされていました。この様子なら、いい報告ができそうですね」
「……そ、そうですね」
女性騎士の言葉に、サラは少し強張った笑みを返したのだった。