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13 「これから先」の約束

 そうして今、サラは一時間ほど前に辞した部屋の前に立っていた。

 もちろん、このドアの向こうの書斎にいるリシャールに会うためである。


(ダニエルは、殿下がしょげているって言っていたけれど……)


 頬に手を添え、うーん、と唸る。

 本当に、サラが書斎に入っていいのだろうか。一応、ティーセットを下げるためという口実はあるが、リシャールをますます不機嫌にさせるだけかもしれない。


(でも、ダニエルもクレアも、背中を押してくれたし……今さら逃げ帰るのはみっともないし……)


 よし、と気合いを入れ、書斎のドアをノックする。


「……ダニエルか?」


 リシャールの声だ。張りがなくて少しだけ落ち込んだような声を聞くと、それまでドキドキしていた胸がすうっと落ち着き、ぐらつきかけていた使命感が叱咤される。


「いえ、エルミーヌでございます。ティーセットを下げに参りました」

「……。……入ってくれ」

「失礼します」


 リシャールも、ある程度のことは予想していたのかもしれない。

 しずしずとサラが入室したときには既に、彼は白い仮面を被っていた。デスクの前には空になったティーカップが置かれている。茶はちゃんと飲んでくれたようだ。


 仮面越しだと彼の微妙な表情の変化は読み取れないが、デスクに肘を突いたリシャールは両手の指をそわそわ弄ったり、顔を少し横に向けて視線をずらしたりしている。サラを招き入れたのはいいが、どう切り出せばいいか、どんな声掛けをすればいいか、迷っているのだろう。


(……ここは、殿下のお言葉を待つ方がいいかな)


 ひとまずトレイの上に載ったティーカップやポット、皿を確認する。焼き菓子を包んでいた紙を畳もうと思ったのだが、既にきちんと小さく折り畳まれていた。スプーンなども既に一度ナプキンで拭いているみたいで、リシャールの真面目なところが見えるようだった。


「……君」

「はい」


 呼ばれたので手を止めて顔を上げると、両手をきちんとデスクの上で重ねたリシャールと視線が重なった。多分。


「先ほどは……すまなかった。君は純粋な厚意で茶の道具を持ってきてくれたというのに、声を荒らげるような真似をした」

「……」

「これはただの言い訳だが……俺は、あまり素顔を見せたくないのだ。仮面を被っている時間が長く、これまで家族以外にはダニエルたちくらいとしか接してこなかったから、慌てるあまり君に辛辣に当たってしまった。本当に、すまなかった」

「殿下……わたくしは、大丈夫です」


 言葉の途中でだんだん俯いてしまったリシャールに歩み寄り、そっと声を掛ける。

 彼は椅子に座り、サラは立っているから、リシャールのつむじが見えた。ふわっとした癖のある黒灰色の猫毛は、とても触り心地がよさそうだ。


「わたくしの方こそ、他人との接触を避けられる殿下のお気持ちを考えず、殿下のお心に不躾に踏み込むようなことをしました。それは、お叱りを受けても当然のことです」

「それは違うだろう。あれは……叱責ではなく、ただの八つ当たりだった」


 リシャールの言葉に、おや、とサラは目を瞬かせた。

 サラの言うとおり、あれは叱責であり、サラにも非があったのだ――と断言する方が、リシャールも気が楽だっただろう。そもそもサラだって、自分の突拍子もない行動が原因だったのだと分かっている。


(それなのに自分の行動が八つ当たりだと口にして、それの謝罪をするなんて……)


 ダニエルが言っていたとおり、リシャールは素直で優しくて――とても繊細な人なのだろう。「八つ当たり」と口にするのは、矜持が許さない人も多いだろうが、彼はそうではなかった。


 ……胸が、そわそわする。

 同時に、なぜか泣きたいような気持ちになって、目尻がじわっと熱くなるのも感じていた。


「あの、殿下」

「何だ」

「殿下がそのように思われるのでしたら……わたくしは、あなたの謝罪を受け取ります。でも」


 リシャールが顔を上げた。

 その白い仮面の向こうにあるだろう彼の緊張した顔に届くよう、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……やはり、ダニエルやクレアに無理を言い、不意打ちのような行為をしたわたくしにも反省するべき点が大いにあります。これからはこのようなことは決していたしません」

「……のか」

「はい?」

「……いや、何でもない」


 何か言ったと思って聞き返したのだが、二度言うつもりはないようだ。


 しばし、書斎に沈黙が流れる。

 ことん、と窓辺で音がしたので二人同時にそちらを見やると、カーテン越しに躍る小さな影が見えた。


「……鳥?」

「……よく、来るんだ。カーテンを開けるとすぐに飛び立ってしまうが」

「そうですか。殿下は鳥、好きですか?」

「……嫌いではない。君は?」

「好きです。犬も猫も鳥も、温かくて可愛いので」

「……そうか」


 それ以上、動物に関する会話は続かなかった。

 だが不思議と、この沈黙が不快だとか気まずいだとか、そんなことは思わない。


「……君」

「はい」

「もしこれから先、何か俺に用事があるとか、言いたいことがあるのなら……ダニエルにでも一言言付けてから、来てくれ」


 サラは、目を丸くした。

 仮面の穴越しにそれを見たらしいリシャールはこほん、とわざとらしい咳払いをした後、腕を組んでつっと顎を横に向けてしまう。


「頼むから、いきなりの突撃だけはやめてくれ。だが……先に知らせてくれるのなら、構わない。まあ、別に、君が俺に用事があるなんて、ないだろうが……一応だ。そう、一応言っておくんだ」

「……ふふっ」

「何だ」

「いいえ、何でもありません。……かしこまりました、殿下。以降は気を付けます」


 思わず笑ってしまったら、仮面にじろりと睨まれた。


 だが――サラは嬉しかった。

「これから先」がある。「これから先」も、許可さえあればリシャールに会いに行くことが許される。


 それが、とても嬉しかった。

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