12 反省と意外な言葉
(……だめだなぁ、私)
ダニエルやクレアに我が儘を言って彼らの仕事を増やしておきながら、この体たらくだ。
昨夜、ベッドのヘッドボードに立てかけたリシャールの肖像画に向かって何度も練習をしたというのに流暢に話ができなかったし、ダニエルを疑わせるような結果にさえしてしまった。
(やっぱり、二人に謝った方がいいよね……それに、「邪魔をするな」っていう言いつけを破ったことになるから、殿下にも謝罪しないと……)
考え込んでいると、じわじわと目尻が熱くなってきた。
ぐいっとドレスの袖で目元を拭い、両手でパンッと頬を張る。
(ぐじぐじするなんてみっともない! 自分で言い出したことなんだから、ちゃんと最後まで責任を取らないと……)
「……あっ、エルミーヌ様」
頬を両手で揉んでいると、書斎のドアが開いた。そこから出てきたのはクレアで、彼女はエントランスの壁に背を預けて座り込むサラを見て、ぎょっと目を丸くした。
「どうなさったのですか!? さあ、お立ちになって……」
「クレア……ごめんなさい。私、ろくなことができなくて……」
「まあ、何をおっしゃいますか。……さあ、まずはこちらへ」
クレアはぴしっと言うとサラを立たせ、部屋に連れて行ってくれた。
そしてサラをソファに座らせると、急いで茶の仕度を始めつつ言う。
「今、ダニエルが殿下にお説教をなさっています」
「……おせっ?」
「お説教です。だって、エルミーヌ様のご厚意を無下にするような発言をなさったのですもの。いくら王兄殿下、いくら離宮の主、いくらわたくしたちの主君とはいえ、奥方に対して声を荒らげるなんて紳士にあるまじきことです」
クレアの手は的確に動いて茶の仕度をしつつ、ぷりぷり怒ったように言うものだから、最初サラは彼女の勢いについていけず、ぽかんとしてその手元を見守るだけだった。
(ダニエルが、お説教? 殿下に?)
「あ、あの、でも、勝手なことをしたのは私の方だし……」
「いいえ。先ほどダニエルも申しましたが、いくら殿下が人嫌いでエルミーヌ様とのご結婚が政略上必要なものだったとはいえ、夫が妻を気遣い、いつ妻が来てもいいように心の準備をしておくのは当たり前のことではないですか。それにエルミーヌ様は殿下の邪魔をしに行ったわけではなく、ティーセットを持って行かれたのですよ」
「……それは、そうかもしれないけど――あっ」
コンコンとドアがノックされる。おそらく彼が来たのだろうと思って入室を許すと、予想通りそこにはダニエルがいて、サラを見るとふわっと微笑んだ。
「エルミーヌ様、本当にうちの殿下がすみません。僕の方から、よーく言い聞かせておきましたからね」
「……えっと、それって大丈夫なの?」
「お説教」とか「言い聞かせる」とか言っているが、ダニエルはいち侍従に過ぎず、相手は王兄殿下だ。ダニエルの方が年長ならまだしも、彼は明らかにサラよりも年下である。
おそるおそる指摘するサラだが、ドアを閉めたダニエルはきょとんとして首を捻った。
「えっ、全然大丈夫ですよ? むしろ日頃から殿下の方から、意見などがあれば忌憚なく言えと言われておりますので」
「……そうなの?」
「はい。それに僕だって説教が趣味というわけではないし、殿下だって癇癪持ちの子どもではありませんからね。ご自分に非があると分かればちゃんと理解なさりますし、僕の話も聞いてくれます。さっきも、すっかりしょげてらっしゃいましたよ」
(……しょげる? 殿下が?)
あの不機嫌そうな顔の美男子が、ダニエルに説教されてしゅんとしている光景が想像できない。
リシャールのことを想像するサラはきっと、変な顔になってしまっていたのだろう。ダニエルは微笑み、固く閉ざされた白いドアを手で示した。
「……殿下は、少々複雑な環境で育たれました。外に出たがらないのも、人との接触を避けるのも、仮面を付けるのも、ご自分のことを誰よりもよく分かってらっしゃる殿下ご自身が考えた処世術なのです」
「処世術……」
「同時に殿下は、ご自分に何が欠けているのかも日頃からよく考えてらっしゃいます。……僕たちの一番の仕事は殿下の補佐や日常生活のお手伝いをすることですが、殿下が望まれる殿下でいられるようにお支えするのも、大切な役目の一つなのです」
(殿下が望まれる殿下でいられるように……)
なんだかまわりくどい言い回しだが、つまるところ、複雑な生い立ちゆえリシャールには足りないところがあるので、それを補い、時には彼に物事を教えるのもダニエルたちの仕事だということだろう。
(だから、使用人階級でしかも年下のダニエルが、殿下に「お説教」することができるのか……)
この離宮限定なのかもしれないが、主君と使用人との距離感や役割は、サレイユのそれとはかなり異なっているようだ。
ダニエルは納得顔のサラを見てから、「それでですね」と微笑む。
「お茶をお飲みになってからでいいので、この後、殿下の書斎にあるティーセットを回収しに行ってくださいませんか?」
「……えっと、それは、わたくしが?」
「もちろんですよ! 大丈夫です。殿下はちょっと卑屈ですが、とても素直で優しい人なのです。今もお茶を飲みながら、どうやってエルミーヌ様に言葉をかければいいだろうか、って考えてらっしゃるはずです」
「……そうなの?」
「そうですよ。……エルミーヌ様。殿下は、あなたのことが嫌いとか、憎いとか、結婚したくなかったとか、そういうことは絶対に考えてらっしゃいません」
サラは目を見開いた。
ダニエルは柔らかく微笑んで頷き、胸に手を当てる。
「僕が殿下の心の声を代弁するのはおこがましいですし、そもそも誤解が生じかねないので言いませんが……どうか、殿下に寄り添って差し上げてください」
「でも、殿下は、邪魔をするなって……」
「……今は何とも申せませんが、全てはエルミーヌ様のことを思ってのことなのです。殿下は決して、あなたをいじめようとか泣かせようなんてことは考えていない。……それだけは、信じてください」