7話
覚醒する意識の中、一定のスピードでなる無機質な機械音が聴こえる。
「んっ……れぇ」
目を覚ましたそこは白い部屋だった。天井も、壁も、床も、ベットも白い。真っ白な空間。
「こ……こ」
「あっ、狩沢さん。目が覚めましたか?」
部屋の扉が開いて、そこには見知らぬバインダーを抱えた、白い服の女性。看護師だと理解するのに少し時間がかかってしまった。
「ここは……」
「病院ですよ。お腹、まだ痛みますか?」
状況が全く理解できない。なんで私は病室にいるの?だってあの時、私は、赤音と……
「何で……赤音は……赤音はっ!?」
隣でナースコールを鳴らす看護師さんに私は激しくすがりついた。
「赤音? あっ……妹さんですか」
「赤音は……赤音はどこにいるんですか!」
わかっていた。察していた。その現実を、結果を、私は聞きたくない。だけど、脳は、体は、その答えを他人の口から聞きたかった。
「……自宅でお二人が発見された時、妹さんはすでにお亡くなりに……」
その瞬間、誰かに突き飛ばされ、そのまま粉々に砕かれるような感覚に襲われた。
「あっ、先生すぐにいら」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「狩沢さん、どうしました!狩沢さん!」
本当に、神様はひどい人だ。どうして、どうして死なせてくれなかったんだ。
「狩沢さん、落ち着いてください!」
「あ、いやだ!嫌だ!嫌だ!あああああ!」
声を上げるたびに砕けた中から何かがどんどん外に溢れでてきて溺れる感覚に襲われる。
「あぁ……あぁ、あああああああああああ」
苦しい、悲しい、辛い、嫌だ。何で、どうして。言葉を発することができないほどに悲鳴をあげ続ける。
神様、何でですか……どうして、どうして私を不幸にするの……何で、私を一人にするの?
それから、私は発狂と無気力を繰り返した。心が壊れるほどに。
ある日は喉を潰すほどに絶叫し、ある時は呼吸はしているのにまるで人形のように全く反応しなくなって。
何度も……何度も……何度も……
————— そして、心というものは案外簡単に砕け散るのだ。
……………
………
…
「気分はどうだ?ちゃんと飯食ってるか?来るたびに痩せてるぞ」
苦笑いを浮かべ、そう私に声をかける父。
だけど私はその言葉に反応することなく、まるで魂が抜け落ちたような、人形のような状態で空を眺めていた。
「……なぁ十華、あの日……いや、なんでもない」
何かを言いかけたが、父は言葉を噛み殺して何も言わなかった。
「じゃあ父さんは行くな。また来るから、ちゃんとご飯食べるんだぞ」
椅子から立ち上がり、父は軽く手を振って病室を出て行った。
だけど私は振り向かず、ずっと空を眺めていた。
誰の声も届かなくて、無関心で、なんでまだ生きてるのかもわからない状況。看護の声も、医師の声も、当然父の声も私の心には響かない。
父に関しては、どうして私に構うのかわからなかった。血の繋がりのない、赤の他人の子供なのに……
いっそ、このまま死んでしまうと思った。
「んしょっ……」
また病室の扉が開いた。看護士さんかと思ったけど、わずかに聞こえた声は幼い声だった。
可愛らしい足音が聞こえ、先ほどまで父が座っていた椅子にその人物が腰をおろした。
さっきまで動かなかった私はなんの気まぐれか、その子の方を向いた。
「何?」
そこにいたのは幼い少女。黒い髪を三つ編みにして前に垂らしてる女の子。病院服を着てるから、病気か怪我の治療中の子なのだろう。
「ご本、読んで!」
そう言って、胸に抱えていた童話の本を私に突き出して来た。
「何で?」
「えっと……読んで欲しいから」
関わり合いなんて当然ない。目が覚めた日から、私は一度も病室を出ていない。当然、他の患者さんとなんて話したことも、会ったこともない。
「あの、えっと」
だからこれは気まぐれだ。
彼女から本を受け取って、読み聞かせするのは。
この子が、始めて関わった他の患者さんだからだ。
「赤ずきん」
特に感情を込めて朗読してるつもりはなかった。機会的で、システム的で、普通だったら人の心に響くようなものじゃなかった。
だけど、横で聞いている彼女は、目をキラキラ輝かせながら聞いていた。
「めでたしめでたし」
パタンッ。と本を閉じ、そのまま少女に本を返すと、受け取った少女はそのまま椅子から降り、私に頭を下げてきた。
「ありがとう」
来た時と同じように足音を立て、少女はそのまま部屋を出ていった。
「誰だったんだろう……」
変わらない静けさの筈なのに、あの子が去った病室は、無性に寂しさを感じた。
その後も、その子は別の本を持って、私の病室にやってきた。
「こんにちは」
子供らしい満面の笑みを浮かべて、彼女は私のそばまで駆け寄り、そのままいつもの椅子に腰掛けた。
「また来たの?」
昨日と同じで外を眺めていた私は、体を彼女に向けてそう尋ねた。表情はなく、いうなれば無表情。
「うん。今日はこれ読んで」
無言で、私は差し出された本をじっと見つめる。そしてまた、私はそれを受け取って本をめくった。
本を渡されて、お礼を言われてそのまま帰る。そんな繰り返しだった。
「ねぇ、なんで私の部屋にいつもくるの?」
本の読み聞かせが終わった後、私は少女にそう尋ねた。彼女は返した本をぎゅっと抱きしめると、少しだけ間をあけてポツリと呟いた。
「……お姉ちゃんに、似てたから」
「え……」
「お姉ちゃんがいたの。でも、死んじゃったの」
それは数日前のことだった。
私の隣の部屋。そこが彼女のお姉さんの部屋だったらしい。彼女もとある病気にかかってるらしいが、姉はそれ以上にひどい病気にかかっていたらしく、彼女よりも後に入院したが、先に逝ってしまったらしい。
亡くなったのは、ちょうど私が目を覚ました日。
ベットの上で息をひきとった姉にすがるようにすすり泣いていた彼女は、隣から聞こえた私の発狂した声に反応したらしい。
姉の死を悲しむ両親の目を盗んで、そっと私の病室の中を覗き込んだらしい。
「お姉……ちゃん」
さっき死んだはずの姉がそこにいる。彼女はそう思ったらしい。
「そっくりだった。だから、勇気出してお部屋にきたの。けど、お姉ちゃん全然怖くなかった。すごく優しかった」
誰かに心臓を撫でられるような感覚に襲われた。
だけどそれは恐怖ではなく、満たされるような、落ち着く心地よさがあった。
「あ、なた……名前、は?」
「あかね! 今年で小五だよ!」
彼女は満面の笑みを浮かべて手のひらで自分の年齢を表す。
「あ、かね……」
「うん。草冠に西って書いて茜だよ!」
心の中に水が溜まっていく感覚がする。体が震えて、涙が溢れ出てきて、私は顔を覆った。
あぁ、神様……アナタは本当にひどい人だ。
「お姉ちゃん、なんで泣いてるの?どこか痛いの?」
どうして、どうしてこんな……初めて赤音と会った時と同じ年の子を私の元に……
「ごめんね……ごめんね赤音」
「え、なんで謝るの?か、看護師さん呼んだほうがいいかな?」
私の様子にあたふたする茜ちゃんは、あたりをキョロキョロしながらそうつぶやく。
こんなに泣くのは本当に久しぶりだ。なんだか、やっと感情が、心が戻って来たかのようだった。
私は本当に醜い。思い出すだけでも嫌になる、あれは、私が一番嫌っていたものだった。
私は涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らしながら、ぎゅっと茜ちゃんを抱きしめた。
「大丈夫。ごめんね、泣いちゃって」
「痛くない?」
「うん、大丈夫」
私は、あの子に憧れていた。真っ白な世界。不安も、苦しみもない世界にいる赤音に。
そして、そんな世界に自分も一緒にいたいと、歪んだ愛情ではなく、純粋な愛情。優しくて、温かいものを求めていた。
「明日、また新しいお話持っておいで」
「うん。あ、お友達も連れてきていい?」
「うん、いいよ」
ねぇ赤音。私、自惚れていいのかな。今こうして生きているのは、赤音がそれを望んだからって。
「やった。いっぱい誘うね。きっとみんな喜ぶ」
だったら、私はちゃんとその気持ちに答えるよ。来世で、胸を張って貴女と再開できるように。




