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1話

雀の鳴き声が聞こえた。

 締め切られたカーテンの隙間から日の光が差し込み、丁度眠っている私の目にあたった。


「んっ、んー……」


 アラームよりも先に起き、まだ眠い目をこすり、欠伸をしながら大きく背伸びをしてベットから降りた。着ていたパジャマを脱ぎ、壁にかけていた服の袖に腕を通し、膝上丈のプリーツスカートのチャックをあげ、しっかりとリボンを結ぶ。寝癖はなかったから軽く櫛でといて、私はそのまま部屋を後にする。

 階段を降りてリビングに足を運べば、味噌のいい香りが鼻をくすぐる。

 沸騰する鍋の音、野菜を切る包丁の音。いつもの日常の光景が広がっており、私の胸は高鳴り、ゆっくりとした足取りで台所にいる彼女を後ろから抱きしめた。


「おはよう、赤音あかね

「わっ!もぉお姉ちゃん、包丁持ってるときは抱きつかないでっていつも言ってるでしょ」

「だって、朝一番に赤音を抱きしめないと元気が出ないの」

「子供じゃないんだからそういうことしないで」

「嫌だった?」

「いっ、嫌じゃないけど、恥ずかしいでしょ」


 顔を真っ赤にして小さく唸っている赤音の姿をみると、さっきの胸の高鳴りとは違うものが込み上がってきて、私はさっきよりも強く強く抱きしめた。


「あはっ。もぉ可愛いなぁ」

「もうからかわないで!ほら、ご飯作れないから離れて」

「それは残念」


 赤音から離れ、数歩後ろ下がるといたずらっ子のような笑みを浮かべて、そのままダイニングテーブルへと足を運ぶ。


《朝のニュースです》


 テーブルの上に置かれたリモコンでテレビの電源をつけると、そのまま椅子に腰掛けて、肘をつきながらぼんやりと眺めていた。


「お父さん、次はいつ帰ってくるって?」

「わかんない。けど、多分しばらくは帰らないんじゃないかな」

「心配だなぁ。料理とかって二人暮らししてた時も赤音が作ってたんでしょ?」

「うん。何度か頑張って作ってくれたけど甘かったり、しょっぱかったりした」

「ドジっ子みたいだね」

「本当にね」


 赤音は完成した朝ごはんをテーブルに並べると、身に纏っていたエプロンを外して私の向かいの席に腰掛けた。

 そして、ほぼ同時に手を合わせる。


「いただきます」


 今日の朝ごはんは日本食。白いご飯に味噌汁。焼き鮭に卵焼き。どれもとっても美味しくて、朝から胃がすごく喜んでる。

 向かいの席で同じものを食べている赤音。彼女はケチャップが大好きで、卵焼きにはいつもたっぷりとつけて頬張ってる。しょっぱくないだろうかと思うが、幸せそうな表情を浮かべる彼女を見ると咎めることもできなかった。


「口元ケチャップついてるよ」

「えっ、嘘」

「ほら、動かないで」


 身を乗り出して、私は彼女の口元を拭いてあげる。赤いケチャップが白いハンカチを汚していき、綺麗になればそのまま椅子に座り直す。


「んっ、ありがとう」

「まだ時間あるんだからゆっくり食べな」

「えへへっ、ごめんね」


 テレビから流れていたニュースはいつの間にか天気予報に変わっていた。雨が降る心配はないみたいだけど、とりあえず降りたたみ傘だけはカバンにしまって置くように赤音に伝えた。


「お父さん、この前電話で言ってたんだけど、初めて炊飯器で角煮つくたって」

「おぉー、頑張ってるね」

「帰ってきたら食べさせてやるって」

「炊飯器だけどね」

「でも、ちょっと楽しみだよね」


 クスクス顔を見合わせてお互いに笑いあう。

 綺麗に朝ごはんを食べ終わった後、お茶を入れて少しだけ一息つく。

 日本食の後はやっぱり緑茶だよね。と、ズズとお茶をすする。ふっと一息をつくと、私の視線はまた赤音に向けられる。


「んー……あれ?今ってお父さんどこだっけ?」

「北海道だよ。泊まってるところが港の近くだから、お魚美味しいって言ってた」

「あーそっか。お土産で蟹とか買ってきてくれないかな」

「蟹か……茹でて食べたいよね」


《では、八時のニュースをお届けします》


 テレビから時刻を知らせる声が聞こえると、赤音はテレビに視線を向けたまま立ち上がった。


「そろそろ出ないと」

「お皿は私が洗っておくから、お母さんたちに手を合わせて来なさい」

「うん」


 赤音は愛らしい笑みで返事をすると、小走りで仏団の前へと行く。お鈴を鳴らし、手を合わせて数秒目を閉じる。


「いってきます」


 私には聞こえないほどの小さな声でそういうと、鞄を手にして玄関へと向かった。

 私はふぅ……と一息つくが、赤音がお弁当を忘れていることに気づいて、慌ててそれを手に持って玄関へと向かう。


「赤音お弁当!」

「え?」


 ちょうど、赤音は玄関の扉を開こうとしている時で、間に合ってよかったと安堵した。

 赤音は慌てて鞄の中を漁って確認をした。


「本当だ……」

「もうしっかり確認しないとダメでしょ。ほら、リボンも曲がってる」

「あっ、いいよ自分でするから」

「いいから動かないで」


 私は少し歪んだ胸のリボンを綺麗にしてあげた。やっぱり見栄えがよくないと気持ちもしっかりと引き締まらないしね。


「はい、出来た」

「ありがとう」


 赤音は私の手からお弁当を受け取ると、しっかりと鞄の中に入れた。

 そして再び私に視線を向けて笑みを浮かべた。


「じゃあ行ってくるね」

「晩御飯、何が食べたい?」

「んー……明日お休みだから、作り置きできるのがいいな」

「了解。今日は講義もないから時間をかけて作るね」

「楽しみにしてる。じゃあ行ってき……」

「あっ、赤音」


 私はそのまま出て行きそうになった彼女の手首を掴み、自分の方に引き寄せる。ぎゅっと抱きしめ、首筋に口づけをすると、そのまま耳元に口を持っていく。


「行ってらっしゃい」

「もう、恥ずかしいよ」

「いいでしょ別に。姉妹で、女同士なんだから」

「そうだけど……少しは妹離れしてほしい」

「嫌だ」

「笑顔で言わないで。もう、じゃあ行くから」


 玄関の扉を開き、赤音はそのまま家を出ようとした。私も玄関先まできたから彼女を見送ろうと思った。

 

「あぁそうだお姉ちゃん」

「ん?」


 扉を開けたまま振り返った赤音は少しだけ苦笑いを浮かべていた。


「今日はいい天気だから、お部屋のぬいぐるみ、洗濯するといいよ」

「……うん、そうするよ。せっかくのお休みだしね」


 その時、私は赤音と目を合わせることができなかった。

 さっきまでの幸福から一変して、苦いものを噛んだような不快な感覚を感じて、わずかに顔が歪んでしまう。


「……大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「ん?」

「“血が繋がってなくても”、私たちは家族なんだから。気にしないで」

「……うん。ありがとう」

「それじゃあ行くね。晩御飯、楽しみにしてる」


 軽く手を振り、赤音は家を出ていった。それに応えるように私も赤音に手を振り返す。笑ってはいたけれど、朝食時の高鳴りが冷めていたから、うまく笑えていたかはわからなかった。


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