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シガレット・メモリーズ

作者: 巫 夏希

「マキってさ、ずっと紙煙草だよね」


 そう言われて私は意識を隣に居た彼女に合わせた。彼女――高校より仲良くしている友人だ。別に彼女だけが仲良くしているわけじゃなく、今の集まりは高校の同窓会で、全員が仲良くしている集まりだと言えるだろう。

 二十代後半ともなれば喫煙率は増えるけれど、電子煙草のメリットが多いからか、今は大半が電子煙草を利用しているようだ。確かに周囲を見るとこの電子煙草が良いよ、とかあの電子煙草はだめだ、とかまるで全員が電子煙草のメーカーの人間のような営業トークを交わしていた。


「ねえ。マキ、話聞いてる?」

「うん? あ、ああ。聞いてるよ」


 煙草をとんとんと叩いて灰を落とす。


「それにしてもさー、なんというか、肩身が狭くなった感じがしない? ちゃんとこちとら喫煙席で吸ってるっていうのに、わざとらしく咳払いしたりして。寧ろ煙草税を加味してもこちらのほうが税金を多く払ってるんだっての」

「ま。言いたいことは分かるけれどね」


 電子煙草が便利だしメリットが大きいのは分かる。

 けれど、私はずっと紙の煙草しか吸わないし、吸うことはないだろう。

 その理由を語るには、私の過去について語ることになるのだろうけれど――。



 ◇◇◇



 私の家族は、お世辞にも幸せな家庭とは言えなかった。父と母はいつも喧嘩ばかりしていたし掃除嫌いの両親のお陰で家はゴミ屋敷状態。そんでもって両親が煙草を吸うものだから部屋にはやにがこびりついていた、というわけ。

 けれど、そんな馬鹿らしい状況だからといっても、格好良いと見せつけられるような場面ってのはあったんだよ。母親はパートでファミレスに勤めていてね、幼い頃は良くファミレスの裏方部屋まで一緒に行くこともあった。新メニューを一緒に食べさせて貰って、子供目線で味をきかされたこともあったっけね。でも普通に考えてまだ年端もいかない少女にそんなことをきいたところで実際に参考になるかどうか定かじゃ無かったと思うけれど。

 昔は喫煙者に対して厳しい時代じゃなかったから、そういう部屋には喫煙室がついているものでね。休憩時間であれば煙草を吸って良いようになっていたんだよ。勿論、ウエイトレスの服に臭いがつかないように消臭剤が置かれていて、外に出るときはそれを振りかけておく必要があるわけだけれど。

 ま、いくら客商売とはいえど昔はそこまで厳しくなかった時代があったということだ。ガラス張りになっていた喫煙室から見る(流石に中に入るわけには行かなかった)母親の姿は、どこか格好良く見えた。

 煙草を口づけ、白い息を吐く。その一連の流れが、どこか格好良く見えたのは、子供ながらの心だったのか、それとも――。

 いずれにせよ、煙草というと切っても切り離せない思い出がたくさん蘇るのが我が家であり、それは存外普通のことだったのかもしれない。



 ◇◇◇



「ただいま」


 父親は厳しかった。家に帰るのはいつも日付が変わる少し前で、家を出るのは日が昇る前だった。その頃は何も思わなかったけれど、今思えばブラック企業に勤めていたのだろう。

 父親も喫煙者だった。家に帰ると肌着に着替えて一服するのが日課になっていた。酒もギャンブルもしなかった父親の唯一の嗜好が煙草だったといえるだろう。

 灰皿は常に吸い殻が山盛りになっていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。けれどそれは日常だったから、他の人に指摘されるまでそれが非日常であるということを知らされたのだった。

 両親はヘビースモーカーだったけれど、意外にも私に喫煙を勧めることはなかった。親もそれぞれ自分から吸ったというわけじゃなくて誰かに勧められて試したとか言っていたけれど、吸う・吸わないの意志を示すのは自分自身だと言っていた――とどのつまり、最後に決めるのは自分だからそこは細かいところを考える必要は無い、とのことらしい。正直色々と最悪な親だったが、そこに関しては素晴らしい考えだと思う。

 父親の煙草の匂いと母親のそれは違っていて、幼いながらも煙草の違いに気付いていた。


「煙草買ってきて」


 その言葉に私は了承して近所のコンビニに買いに行くこともあった。

 当時はあまり厳しくなかったということもあって、『いつも煙草を買いに来ている親の子供』ぐらいにしか思っていなかったのだと思う。だから普通にお金を出していつもの煙草を出してくれた。まあ、勿論今は年齢確認があるからそんなことは出来やしないのだけれど。


「お使いだなんて、立派だねえ」


 そんなことを言って、個人経営のコンビニのお婆ちゃんはいつもお菓子をくれたっけ。勿論、十円程度の駄菓子だけど当時の私はそれでも平気で喜べちゃうくらいには子供だったのだ。

 家に帰って、煙草とお釣りを渡して、私はお菓子を頬張る。苛立っていた両親も煙草を吸うと、落ち着くようで、みるみるうちにいつもの様子に戻っていった。

 その頃の私は、煙草が無い両親が一番恐ろしい存在だと思っていた。

 だから、煙草が無いと何となく察することが出来るようになったし、そのときの両親はなるべく触れないようにしようと子供ながらに考えることが出来た、というわけだ。実際にその結果私にも飛び火がかかったことだって良くあるし、それで両親が喧嘩をしたこともあったわけだし。

 ま。子供ながらに煙草の恐ろしさを知ったけれど、それと同時に煙草を吸う大人に優越感も持っていた。ジェラシーとでも言えば良いのだろうか。そんな感じだ。

 高校を卒業し、就職した私は先輩からの煙草の誘いを二年間――正確に言えば二十歳になるまでずっと断ってきていた。みんなやっているから、一本だけで良いから、という甘言はすべて受け入れなかった。両親のこともあったけれど、そもそも法律に違反していることだし、間違っていることは間違っているとはっきり言ってしまう性格だったからかもしれない。猪年は猪突猛進型だからね、とよく家族に言われていたのも見破られていたからかも。

 二十歳を過ぎて、いつしか私も煙草を吸うようになった。最初の一口目は未だに忘れられない。口の中に広がる煙たさに思わず咽せてしまう程だった。周囲に見ていた両親が苦笑いしながら、無理しなくても良いのに、と言っていたけれど、私はそれでも諦観することは無かった。

 一口目の煙草はどこかほろ苦く、そして甘い香りがした。煙が脳を満たす感じがして、高揚感すら感じられた。


「……嫌なら無理しなくても良いのに」


 母親はまたそう言ってくれたけれど、私はそれを制した。

 煙草を吸えるようになるということ。それは私にとっては一つの大人の指標だと思っていたから。そしてそれをクリアしたということは、私は大人に近づいたということになる。

 大人になるという指標は人それぞれだろうけれど、私はその一つに煙草を吸えることを加えていた。きっとそれを言うとどうしてそれを定めたのか、なんて言われるだろうけれど、きっとそれは笑っちゃうくらい下らない理由なんだ、としか言わないし言うことはない。



 ◇◇◇



「ねえ、マキ。灰、落ちるよ」


 ――我に返る私。見ると確かに灰が落ちそうになっていた。とんとんと灰皿に灰を落として、再び口づける。

 話は既にお開きムードになっているようでグラスの大半も空になっているようだった。


「……それにしても、次は何年後に会えるかなあ?」


 隣に座っている彼女は、私の手と彼女の手を絡ませる。きっとそういう感情は無いのだろう。多分。高校を卒業して社会人になるまでずっと同窓会のタイミングでしか会うことは無かったけれど、そういう感情は見られなかったはずだ。もし隠していたというのならば話は別だが。


「どうだろうね。来年かもしれないし、十年後かもしれないし。案外二度と会えないかもしれない」

「……マキってそんな詩的な言葉を言う人だったっけ?」


 小首を傾げ、彼女は残っていたカクテルを飲み干す。


「そうだったかな。そうだったかもしれない」


 或いはそうじゃないかもしれない。

 ただの勘違い――だって良くある話だし。


「それにしても、ほんと、美味しそうに煙草を吸うよね。格好良い、というか。私は煙草を吸わないけれど」


 彼女の言葉に、思わず手が止まる。


「そうかな」


 煙草を美味しく吸ったような覚えは無い。まあ、匂いは好きだけれどね。どちらかというと、ストレスが和らぐというか、そんな感じだ。

 ま、そんなことをマキにいったところで何も変わらないだろうし、理解もして貰えないだろうから言わないけれど。


「そうだよ。私、この前マキが吸っていたのを見て、何だか私も煙草を吸いたくなっちゃったなーって。何かオススメ無いの?」

「辞めた方が良いよ。……身体に良くないし」

「それ、マキが言う台詞?」


 確かにそうかもしれないね。私は言った。

 とはいえ、彼女は私の煙草を吸っている様子を見て、自分も吸いたくなった――そう言っていた。

 まるで昔の自分のようだ、なんてことを思いながら、また煙草に口づける。

 私の家族の思い出には、煙草が欠かせない。

 まるで煙草の匂いのように、染みついて、離れない。

 いや、離したくない、のほうが正しいか。

 それくらい私の家族の思い出は、今も忘れることが無いし、煙草の話は欠かせないし、たまに帰ると煙草の話で盛り上がるし、すっかり白髪になった父親は嗄れた声で健康を心配しながら煙草を吸っていた。

 煙草を吸っているんだから、今更健康なんて心配しても無駄なのにね、と言ったところそれもそうだな、なんて笑っていたっけ。

 電子煙草も、初期投資が高いだけであとは安いだけだよ、とは言ってみたけれど、やっぱり紙が美味いんだよ、と言って言うことを聞かなかったな。また税金が上がるからまいっちゃうよ、と頭を掻いていたから色々と教えてあげたのに。

 ま、私も電子煙草には反対だけれど。

 何で、って?



 ――この匂いを嗅ぐと、家族との思い出を忘れないからよ。



 私はそうモノローグを締めくくって、フィルター付近まで吸った煙草を灰皿に押しつけた。





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