第七回 鳴神山の妖神
鳴神山の峠道で、幼子が鳴いていた。
年の頃は五つぐらいだろうか。おかっぱ頭の娘で、煮染めたような襤褸の着物を着ている。
流石の雷蔵も幼子を無視は出来ずに、進む足を止めた。
陽は中天に差し掛かっているが、木々が頭上を遮っているので薄暗い。そんな中で、幼女が一人で泣いているのだ。尋常な事ではない。
「どうしたんだい?」
雷蔵は、しゃがみ込んで娘の顔を覗き込んだ。
娘は流民の子だろう。目鼻立ちがはっきりした顔は、垢と泥で汚れている。
「ととに置いて行かれたの」
「お父ちゃんにかい?」
「うん。ととが迎えに来るから、太一とここで待ってろって」
子捨てだろう。百姓の口減らしか、逃散した流民か。ここ数年の飢饉で、子捨てや間引きは珍しい話ではなくなっている。
「太一というのは?」
「あたしの弟。一緒にいたんだけど、連れていかれてしまったの」
「連れていかれた? 誰に」
「大きな犬だった。何匹もいて、あたしは守ろうとしたけど。あたし、怖くて」
山犬か。これも飢饉の影響からか、人間の味を覚えた犬は増えている。
「そうか、それは怖かったろう」
雷蔵は暫し考えた後、この娘を観明寺に連れて帰ろうと決めた。このまま放っておいても、いずれ山犬の餌になるだけである。それに、ここは裏街道。平素まともな人間が通る場所ではない。
「よし、一緒に山を下りよう。お父ちゃんには、ちゃんと言っておくから心配はいらんよ」
娘は困惑した表情のまま、小さく頷いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
嫌な臭いが鼻腔を突いたのは、峠道も半分まで来た所だった。
獣臭。そして、嫌悪感を伴う咀嚼音。雷蔵は、クメと名乗った娘の手を咄嗟に引っ張って、岩陰で目を瞑っているように命じた。
「おじさんが良いと言うまで、目を開けたらいけないよ」
クメが頷き、雷蔵はその頭を一つ撫でた。
「さて」
雷蔵は、塗笠と黒羅紗洋套の紐を解くと、獣臭がする方へ扶桑正宗を抜きながら歩み寄った。
獣は、やはり山犬だった。六匹。夢中で貪っているのは、辛うじて原形をとどめている赤子だった。
山犬の顔が、一斉にこちらに向いた。扶桑正宗を抜き払う。
「喰いたいか?」
そう呟いても、当然返事は無い。
しかし、山犬は牙を剥くと、雷蔵に向かって狂奔した。
雷蔵の身体が、山犬の牙に合わせて勇躍した。
轟く、山犬の甲高い悲鳴。扶桑正宗が閃く度に、一匹また一匹と斃れていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「すまんな、畜生の性とはいえ」
六匹の十二に断たれた骸を目にした雷蔵は、独り呟いた。
山犬は、自らの飢えを満たしたいが為の行為だった。言わば、人間が飯を食べるのと同じ。何ら悪い事はしていないのだが、これも星の巡り合わせというものだろう。
雷蔵は片手拝みを一度すると、無残に引き千切られた赤子の骸を集め、路傍の目につかない場所に寄せた。
「クメ坊」
全てが終わり、雷蔵は名を呼んだ。
「もういいぞ。目を開けて出て来なさい」
しかし、返事はない。嫌な予感がし、雷蔵は駆け戻った。
隠れていた岩陰。クメの姿はない。山犬に襲われてしまったのか。
その時、雷蔵は身の毛がよだつ尋常ならざる気配を感じ、後方に跳び退いた。
クメがいた。俯いて、佇立している。
「どこにいたんだ、クメ」
「……」
返事はない。雷蔵がもう一度名を呼んだ時、
「ら、い、ぞう……」
という、喘ぎが漏れた。
「貴様、クメではないな」
雷蔵は、咄嗟に扶桑正宗を抜いて身構えた。
「いや、元々クメではなかったのだな」
クメの身体が面妖にも宙に浮かぶと、ボキボキという音を立てながら、手足が長くなり、胴が伸び、胸が膨らみ、成長した美しい裸女へと変化した。
「魔性か」
「うぬが、平山雷蔵かえ?」
そう訊いた女は、まるで源平時代の白拍子、静御前か巴御前のような容貌だった。
「そうだが」
すると、裸女は軽薄な笑みを口許に浮かべた。
「妾は、この鳴神山を守るカッコソウと申す妖神じゃ」
「その妖神とやらが、俺に何の用だ」
「用など無いわ。この鳴神山を妖気を纏った人間が、峠道を歩いて来ていると手下に聞いてのう。ちと、試してみたかったのじゃ」
「暇な奴だな」
雷蔵が呟くと、それが聞こえたのか、カッコソウは豊かな胸を揺らしながら一笑した。
「暇じゃ、暇じゃ。妾は、この鳴神山から出られぬのじゃからな。手下は多いが、話し相手としては飽き飽きしておる」
すると、斬ったはずの山犬達が雷蔵の横を通り過ぎて、カッコソウの周りに侍った。
「あの赤子は?」
「あれは妖術で見せたものじゃ」
「全く、悪趣味な事をしてくれる」
「妾は妖神じゃからのう」
雷蔵は呆れたように肩を竦めると、扶桑正宗を鞘に納めた。
「俺は暇ではないのでね。もう行くぞ、カッコソウ」
「ああ、よい暇潰しが出来たわい。あんなに妖気を纏うのだから、どうせ悪人だろうと思っていたのだが、うぬの手は思いの他に温かかったぞよ」
雷蔵は鼻を鳴らすと、塗笠と黒羅紗洋套を拾い上げた。
「俺は悪人だ」
「ふふふ。拗ね者じゃのう。しかし、そこが好ましいわ。また鳴神山へ遊びに来い。何なら、妾の良人にしてやろうぞ」
雷蔵は返事をせず、さっさと踵を返した。
〔第七回 了〕