第六回 黒保根の追憶
蜩が鳴いていた。
やけに暑かった夏は、いつの間にか過ぎ去ろうとしている。
赤城山の麓、黒保根の庄。深い山を抜け、農村地に出た辺りである。
宇津藩で、〔邪意尊〕と呼ばれる妖憑きになった仁平太を屠った平山雷蔵は、その埋葬まで付き合った後、珍しく気に入った居倉村の観明寺への帰路にあった。
(秋も、もうすぐそこだな)
と、夕暮れの農道を黒羅紗洋套を靡かせて歩きながら、雷蔵は柄にもなく感傷に浸っていた。
鍬を奮う百姓。駆け回る子ども達。何の変哲もない農村の風景であるが、それが故郷の内住郡建花寺村に重なって見えてしまう。
もう、思い出さないと決めていた、あの頃の記憶。父の面影。故郷も思い出も、かつての自分すらも捨てたと思っていたというのにーー。
(無粋な奴らめ……)
雷蔵の孤思を断ったのは、荒くれた浪人の一党であった。
農村の風景は、いつの間にか芦原に変わっている。襲撃にはもってこいの、寂れた場所だった。
浪人は五人。殺しには慣れていると言わんばかりに、手際よく雷蔵を取り囲んだ。
「独狼の雷蔵だな?」
浪人の一人が訊いた。
「だとしたら?」
「死んでもらおう」
「やめておけ」
雷蔵は、抜こうとする浪人の手を止めるが如く言い放った。
「俺に、この扶桑正宗を抜かせれば、お前達は仲良く黄泉路を歩む事になる」
「笑止。幾ら名うての人斬りでも、これには勝てまい」
そう言って、浪人の頭領格であろう男が、懐から何かを取り出した。
短筒。二連発のようだ。雷蔵は、手を軽く左眼に当てた。
「面白い。どうやらこの黒保根という地は、俺に嫌な記憶を思い出させる場所のようだな」
自嘲。そして、雷蔵は扶桑正宗を抜き払うのと同時に、茜色に染まる虚空へ跳躍していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
女の悲鳴が挙がった。
黒保根村の庄屋屋敷。近郷の者からは、〔御前〕と渾名される、三浦庄衛門の邸宅である。
浪人一党を葬り、残った一人を捕らえた雷蔵は、自らを狙わせたのが庄衛門だと、口を割らせたのである。
庄衛門は当地の大庄屋で、裏の方面にも強い影響力を持っているという。そうした情報も、浪人から聞き出したものである。
庄衛門が雇った用心棒を斬り倒しながら進み、いよいよ雷蔵は庄衛門の居室へ辿り着いた。
「お前が御前という者か?」
上座に座した白髪頭の老人は、雷蔵を見ても動じる様子もなく睨み返してきた。
「何故、俺を狙った?」
「さて、儂はうぬを狙ってはおらぬがな」
「お前だと口を割った者がいる」
「さては、うぬは浪人の口先に騙されたと見ゆるの」
庄衛門が嘲笑う。流石の狸っぷりだった。雷蔵は、仕方ないという素振りで、紙切れを一枚、庄衛門の目の前に放り投げた。
「これは……」
庄衛門の表情に、明らかな動揺が走った。
「お前が、あの浪人に書いた証文だろう。俺を斬れば三百両を与えると」
「走狗どもめ。証文は持ち歩くなと命じたというのに」
雷蔵は鼻を鳴らし、扶桑正宗を白髪頭に突き付けた。
「殺しの仕事に、こうした証文は禁物だと知らぬのか」
「おのれっ」
庄衛門の手が、懐に伸びる。雷蔵はすかさず、その手を扶桑正宗の刀背で打った。
転がったのは、浪人が持っていた同型の短筒だった。やはり、背後にあの男がいるのか。でなければ短筒など、田舎の庄屋風情が持てるような代物ではない。
「もう十分に生きたであろう、ご老公」
「儂は、儂の命ではない。全ては、磐井屋の」
「だろうな」
庄衛門の顔がハッとした。
「ならば、その磐井屋に伝えろ。俺を殺したいのなら、いつでも受けて立つ。だから、お前自身で来い、とな」
雷蔵は扶桑正宗を引くと、興味が失せたように踵を返した。
「それとだ、庄衛門」
「なんだ?」
「裏から足を洗え。百姓の顔を見るに、けっして悪い庄屋ではなさそうだ」
「そ、それは」
「俺の親父が言っていた。百姓の顔に、庄屋の腕が現れると」
〔第六回 了〕