第五回 伊能原の殺人狂
音無しの留造は、闇夜を疾駆していた。
かねてより目を付けていた、油問屋の佐平屋に忍び込み、お目当ての金を盗み出したのはいいが、まさかこんな羽目になるとは思ってはいなかった。
留造は、音無し一味を率いる盗賊である。
十五歳でこの道に入り、二十年。一度もしくじる事もなく、盗みを働いてきた。それが出来たのも、〔殺さず・犯さず・燃やさず〕の盗賊三戒も守らなかったからだ。律儀に三戒を守り、本格を目指していたら今まで生きてはこれなかっただろう。
しかし、まさか佐平屋にあんな化け物があったとは。
宇津藩の陣屋町を抜け、伊能原の一本松に辿り着いた。
此処は見渡す限りの田園で、見通しも利く場所である。月明かりで、追跡者の影も用意に判別できるので、落ち合う場所と決めていた。
留造が息を整えていると、
「お頭」
と、潜めた声が聞こえていた。
「佐吉か」
闇の中から、幼さが残る顔がぬっと現れた。
一味の中でも最新参の、手下である。親父が留造の兄貴分だった縁で、一味に引き取っているのだ。
「他の者は?」
「亀太さんと、与太郎の兄貴は殺られちまいました。三郎さんはわかりません」
「そうか……」
音無し一味は八人。佐平屋で三人が殺されているので、行方知れずの三郎を含めると、生き残ったのは三人になる。
「お頭、ここで三郎さんを待つんで?」
「ああ、待つ。だが、お前は逃げろ。いずれ、根城で落ち合えばいい」
「嫌です。俺もお頭と」
「此処は危険だ。早く逃げた方がいい」
そう言っても、佐吉は面皰が目立つ顔を横にするだけである。
「お前は大事な兄貴分の子だ。お前は逃げ……」
その時、佐吉の胸から剣先が飛び出した。
「あがっ」
佐吉の口から、血反吐が噴き出す。留造は跳び退くと、佐吉の身体が刀に持ちあげられるように浮き上がり、胸から頭蓋にかけて真っ二つに裂けた。
「ち、畜生」
佐吉が斃れると、留造は匕首を抜き払って構えた。
そこには、六尺五寸ばかりの大きな甲冑武者が立っていた。
顔は、面頬で隠しているのでわからない。
「何だ、てめぇは」
「……」
甲冑武者は答えない。ただ、持っていた血刀を大上段に構えた。
(殺られる)
と、思った時、甲冑武者の動きが止まった。
ノウマク サンマンダバザラダン カン……。
ノウマク サンマンダバザラダン カン……。
低く地を這うような声で、不動明王真言が闇夜に木霊した。
甲冑武者が、振り向く。そこには、一人の男が立っていた。
「お前のような魔性には、お不動様の真言が効くようだな」
黒羅紗洋套が、夜風に靡いていた。男は、静かに塗笠の庇を摘み上げる。隻眼なのか、左眼に眼帯が当てられていた。
甲冑武者が、完全に背を向けた。まるで、自分の存在には興味がないと言わんばかりだ。
「やっと見つけたぜ」
「……」
「返事は期待してはいない。お前はおつむが弱いらしいからな」
男はそう言うと、腰の大刀を抜き払った。
「おい、そこのこそ泥」
「へっ、へい」
「こいつは仁平太という、頭がおかしくなってしまった男でな。自分を戦国時代の武者と思い込んで、甲冑を着込んでは人殺しを繰り返していたので、佐平屋の座敷牢に閉じ込められていた、主人の次男坊さ。お前達が盗みに入り、店の者を殺していた間に誰かが解き放ち、お前ら一味を殺すよう吹き込んだのだろうよ」
「さ、左様ですかい」
「それで俺は、仁平太の始末を町奉行所の役人に頼まれたってわけだ。こうした事態を見越して、佐平屋は町奉行所と決めていたらしいのでね」
すると、仁平太は再びこちらを向いた。
「ひっ」
慌てて、留蔵は匕首を構え直した。
「仁平太。目の前の男は、お前の家族を殺した下手人だ。まずお前は、この男を殺して仇を討て。その後で、俺がお前を始末する」
「旦那、何て事を」
突然の事に、留蔵は叫んだ。
「お前が、佐平屋を皆殺しにした外道である事には変わりない。そして、俺はお前を守る義理が無い」
仁平太が、刀を振り上げる。僅かに、仁平太の声が漏れた。
「我が名は、邪意尊……。父の仇を……」
畜生。こんな狂った男に、この音無しの留造が殺されるのか。
逃げるか、立ち向かうか。留造は、漠然と考えていた。
〔第五回 了〕