第二回 城山峠の山賊
不安な旅路だった。
船形藩の城下から、故郷の居倉村まで城山峠を通らねばならないが、そこに山賊が出るとの噂があるのだ。
船形藩執政・須磨近江の屋敷に奉公するお紺は、不安な面持ちで一人山道を進んでいた。
十二で近江の屋敷に奉公へ上がって以来、初めての里帰り。五年振りの帰郷というのに、山賊のせいで足取りが妙に重い。
「お紺や、誰かに供をさせましょうか?」
と、心優しい奥方様が申し出てくれたが、お紺はそれを断った。
ただの百姓娘の為にと思うと、申し訳ない気持ちになる。それに、逃げ足には自信がある。いざという時は、一心不乱に駆け逃げればいい。
そう思っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「嬢ちゃん、一人で城山峠を通ろうなんざ度胸あるね」
山深い峠道。行く手を塞いだ大男が、黄ばんだ歯を剥き出して言った。
「これじゃ、狼の檻に飛び込むようなもんだぜ」
そう言って一笑する。
前に一人。後ろに二人。どれもあべこべな服装である。賊働きで着物を剥ぎ取って得た物に違いない。手にしている匕首や山刀も、奪ったものだろう。
(山賊……)
天明の飢饉により、船形藩に多くの流民が流入し、無宿人となっていると女中仲間に聞いた。この山賊も無宿人の類だろうか。
恐怖だった。どう逃げるか必死に考えたが、答えは出ない。前後を囲まれている。左右は斜面と崖。前後どちらかに駆けだした所で、斬りつけられる事は明白だ。
「奮えているぜ、嬢ちゃん」
お紺は、自らの膝が面白いように震えている事に気付いた。まるで、自分のものではないように思えるほど、震えている。
「怖くて声も出ないってか。まぁ、仕方ねぇだろうな。でも、安心しろ。殺しはしねぇ。お前さんは上玉だ。この世が極楽と思えるぐれぇ、たっぷり可愛がってやるよ」
「や、やめて……」
喘ぐように出た一言は、それだけだった。叫び声すら出ない。
「ん?」
その時、前方の大男が視線を背後に移した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
男が一人、歩いていた。
黒羅紗洋套を風に靡かせ、塗笠を目深に被っている。
髷を結っていないなのか、歩く度に塗笠からはみ出ている蓬髪が揺れていた。
「おい、お前。今は取り込み中だ。遠慮しな」
大男が言うと、男が立ち止まった。
塗笠の庇を摘み上げる。隻眼なのか、左眼に眼帯が当てられていた。
綺麗な顔だ。それでいて、何人も近寄らせない深い翳りもある。
「聞いてんのか、おい」
「女を離せよ」
「あん? 何だって?」
「五つ数える。それまでに去ね」
大男の顔が、怒りで歪む。だが、男は我存ぜぬと数え始めた。
「ひとつ……ふたつ……」
「何を勝手に」
「みっつ」
と、その刹那、男が腰の一刀を鞘走らせた。
抜き打ちの、横一閃。後方の男の首が飛び、返す刀で後方のもう一人を頭蓋から斬り下ろした。
「貴様」
「悪いな。俺は気が短い性質でね」
お紺は思わず駆け出し、男の背後に隠れた。この男が何者かわからない。しかし、今この場で唯一頼れる存在には違いなかった。
「女、安心しろ。俺が守ってやる」
「あなた様は……?」
「須磨殿に頼まれてね。一宿一飯の渡世の義理って奴さ」
そう言うと、男は刀の切っ先を大男に向けた。
「悪いが、お前は殺す。この先、お前は生きていてはならない外道だ」
「もしや、お前は」
独狼の雷蔵。
男が、そう呟いたように聞こえた。
「扶桑正宗の餌になれよ」
塗笠の下で、そう言った男の顔が嗤っていた。
〔第二回 了〕