第十四回 長沼村阿弥陀堂の一夜
目が覚めると、夕暮れ時に降り出した雨が嘘のようにやんでいた。
秋の夜。身をゆっくりと起こした雷蔵が視線を上げると、禍々しいほどに輝く満月が、格子戸の隙間から見えた。
上州那波郡長沼村の外れにある、阿弥陀堂。驟雨に見舞われた雷蔵は、雨宿りと一夜の床を兼ねて、朽ちた無人の阿弥陀堂に転がり込んだのである。
妙な感覚だった。よく眠れたと思ったが、まだ夜は深く払暁までは幾分か時はありそうである。
十日前、自分にしては長逗留をしていた鎌倉を発った。益屋淡雲の命を受けた貞助が現れ、次の仕事を伝えに来たのだ。
自分を付け狙う篠原龍轍、そして磐井屋由蔵も気になるところだが、淡雲の世話になっている以上は、最低限の義理を果たさねばならない。
そして、今回の仕事は汚職にまみれた八州廻りを始末する事だった。
ふと、雷蔵は月の光が届かぬお堂の隅に目をやった。いや、自然とそちらを向いたというべきだろうか。引き寄せられた、とも言える。
(何かいる……)
そう思った時には、薄っすらと人の陰が浮かび上がってきていた。
雷蔵は、扶桑正宗を納めた朱色の鉄鞘を、静かに掴み寄せた。
「何者だ」
抑えた声で問う。すると、陰が明確な形を見せ、静かに平伏した。
「お初にお目にかかります」
声は、少女のものだった。肩の細さも十か十一ぐらいで、来ている着物は若い商家の令嬢が着るような、そして寂れた寒村には不釣り合いな艶やかさがあった。
「わたくしは、風毬と申します、独狼様」
そう言って、顔を上げた風毬の面貌を見て、雷蔵は目を細めた。
大きく、零れるような潤んだ瞳を顔の中央に一つだけ備えた、妖鬼だったのだ。
やや碧味がかった瞳の下には、その色を引き立てるかのような、赤い唇。紅を縫っているようにも見える。
「こんな夜分に男の床に忍んでくるとは、魔性の女は慎みというものがないようだな」
雷蔵が冷笑気味に告げると、風毬は大きな瞳を向けたまま、やや口許を緩ませた。
「しかも、此処は阿弥陀堂だ。魔性は近寄りがたい場所だろうに」
「お話に聞く通りでございますね」
「何が?」
「あなたは妖鬼を見ても、驚きはしないと」
妖鬼。初めて聞く言葉だった。魔性や化け物とは呼んでいたが、彼らは自らの事を妖鬼と呼んでいるのか。
「これでも驚いているつもりだが」
「そうは見えませぬ」
「まぁ強いて言えば、俺もお前と同類でね」
風毬が首を傾げると雷蔵は、
「こういう事だ」
と、左眼の眼帯をめくり上げ、潰れた左眼を晒した。
「大名行列に斬り込んだ時に受けたものだ」
「まぁ」
風毬が、口を手で押さえて笑った。その時に僅かに見えた手首の色が、ハッとするほど白かった。
「それで、俺に何か用か?」
「独狼様に、人間を一人斬って欲しいのです。勿論、報酬は」
その言葉に、雷蔵は思わず吹き出していた。人を斬り過ぎて、いよいよ妖鬼からもお呼びがかかるほどになってしまったのか。
「おいおい、俺は妖鬼相手の始末屋になった覚えはないが」
「カッコソウ様に、あなたの為人は聞き及びました。故に、独狼様が上州へ入られたのを見計らって参上したのでございます」
「ああ、あの女か」
鳴神山で救った、妖神と名乗るカッコソウの化身である。源義経の愛妾・静御前を彷彿とさせる、美しい白拍子の姿が脳裏に蘇ってきた。
「独狼様なら、安心してお頼み出来ると」
「買い被りだな。俺はただの素浪人。その独狼様ってのも、止めて欲しいぐらいだ。それに妖鬼なら、俺よりは力があろう」
「それが駄目なのです……」
風毬が下を向く。その仕草は、人間と殆ど変わりはしない。
「相手は、法力僧。我々妖鬼が、最も苦手とする者なのです」
風毬の話は、簡単だった。榛名山の山奥で、風毬は姉と妹の三人で暮していた。しかし、その姿を遠乗りで来ていた高崎藩主・松平輝和に見つかってしまい、高崎で高名な法力僧・玄鎮が遣わされた。三人は必死に逃げたが、姉と妹は法術で捕らえられてしまったという。
「わたくしどもは、何も悪事を働いてはおりませぬ。人も喰っておりませぬし。ただ、わたくし達が異形というだけで」
「姉と妹は無事なのか?」
その問いに、風毬は首を捻った。
「しかし、玄鎮の寺に捕らえられているというのはわかっております」
「そうか」
そう言って、雷蔵は扶桑正宗を手に立ち上がった。風毬の大きく丸い碧単眼が、雷蔵を見上げる。眼が一つで大きいだけに、その視線は強烈だった。
「独狼様、やはり無理な願いでございましょうか……」
「俺は今、一つの仕事を踏んでいる。これは義理に関わる事でね。お前の姉妹はその後だ」
「ならば、引き受けてくださるのですね」
「そういう事だ。だから、今踏んでいる仕事を片付けようと、これから片付けてくるのよ」
雷蔵の言葉を聞いてか、風毬の顔に笑顔の花が咲いた。雷蔵は思わず視線を逸らして、鼻を鳴らした。
「だが玄鎮とやらを斬るかどうかは、俺が自分の眼で調べた後だ。しかし、姉妹は助け出してやる」
「ありがとうございます。この御礼は必ず」
「銭はいらぬよ」
雷蔵は塗笠を被ると、黒羅紗洋套に身を包んだ。
「その代わりに、榛名山の近くで雨に降られた時は、寝床を用意してくれ」
人外美少女いかがっすか




