第十二回 由比ガ浜の邂逅
風が鳴いていた。
吹き荒む相模浦の海風に、雷蔵の黒羅紗洋套が翻っている。
「どうしても退かぬのか」
雷蔵は塗笠の庇を軽く摘み上げると、低く沈んだ声で訊いた。
目の前の男の首が、微かに左右に動く。男は、打裂羽織に野袴の武芸者風である。長い旅をしてきたのか、その衣服は旅塵で汚れ、赤く焼けた顔には無精髭と垢で汚れている。歳は三十半ばか。
「遺恨か? 金か?」
雷蔵が更に訊くと、男は腰の大刀に目を軽く向けた。
雷蔵は、嘆息した。剣の為に立ち合うのか。金や遺恨絡みなら話し合いで何とかなるが、剣の問題ではどうにもならない。
房州、由比ガ浜。かつて源頼朝が武家の都を開いた鎌倉にほど近く、源義経の愛妾静御前が産んだ男子を殺し、有力御家人の和田義盛が和田合戦で討ち死にした浜辺である。
古跡であるこの浜を歩んでいた雷蔵の前に、男が突然立ち塞がったのだった。
「全く。鎌倉見物に来たというのに……」
「貴公の星を恨むがいい」
「忌々しい宿運だとは思う」
「仕方がなかろう。平山清記の子なのだ」
「名を聞こうか」
「篠原龍轍」
聞いた事の無い名前だ。だが、別に驚きはなかった。名を知る者から襲われる方が珍しい。
「抜け」
篠原が言った。雷蔵は、仕方がないという風に黒羅紗洋套と塗笠を投げ捨てた。
「面倒だな」
「いつまで、そう言っていられるかな」
篠原は大刀を抜き払うと、構えを上段に取った。
雷蔵は頷くと、扶桑正宗をするりと抜いた。下段に構える。得意な構えだった。
対峙になった。雷蔵は、足を踏みしめる。浜に足がめり込む。
聞こえるのは、潮騒だけだ。摺り足で、距離を詰める。お互いの距離は、四歩ほどか。
足。砂を踏む。多くの武士の血を吸った砂。新たな血を吸わせるのは、俺かお前か。
篠原が前に大きく踏み出した。雷蔵がそれに合わせて跳んだ。
落鳳。跳躍からの斬り落としという、念真流の秘奥。
(死ね)
扶桑正宗を虚空で振り上げた時、そこに篠原の姿は無かった。
殺気。頭上。雷蔵より高く、篠原は跳んでいた。
「しまった」
斬光。雷蔵は空中で身を翻し、地面に降りた。すると、篠原も着地していた。
「貴様」
篠原は不敵な笑みを浮かべると、刀を納めて踵を返した。
〔第十一回 了〕




