伝説の脱げ呪文
*
その夜の宴は、荘厳な城内とは思えない乱痴気騒ぎとなっていた。
「うひょおおお!!!」
尻にビール瓶を生やしたタヌキ面の男が、赤いふんどしを鉢巻にして素っ裸で小躍りしている。
「出たー! ケツ呑みのバグマン!」
「出たー! じゃねぇわ! 何だその気色悪い二つ名!」
目にも留まらぬ早さでレッドとザメリアに二連撃チョップを放ったのはジョージだ。大虎になっている兄弟子連中と違って正気を保っている。グラス一杯のワインで記憶を失った記憶から、酒を口にしないようにだけは気をつけていた。
「ミーユ様こっち!」
ハンクが血走った目で叫んでいる。世紀末の酒場みたいになっている会場には似つかわしくない、優美なドレスに身を包む女性の手を必死で引いていた。あいつはあいつで素面なフリをしてだいぶ酔っている。でなければ、あのハンクが、いくらドゥーレムの痴態から第三王女ミーユ・ヴィクティーリアの網膜を守るためとはいえ、城のどこからか飾り物のグレートヘルムをパクってきて恐れ多くも王女の頭にすっぽりとかぶせるような行動はとらないだろう。よほど兜が重いのかミーユの頭は稲穂のように垂れ、よたよたと転びそうになっているが、ハンクはちっとも気付いていない。
「バグマン軍監の飲み方は大変よろしくない。あれでは酒の味など分かるまいに」
冷静沈着に評論しているのはカール国王リースウェイ・ヴィクティーリアである。いつだかと同じシックな黒いスーツで固め、足を組んでワイングラスをクルクルと回している。国王らしく洗練された佇まいだ。隣にはフロル。年長者同士はやはり気が合うらしい。
「ジン・アールンクル医師がおっしゃるには、肛門から摂取した薬物は肝初回通過効果を受けず、血中濃度が急激に上昇するらしい。あのようなことをすれば急性アルコール中毒で死に至る恐れがあるため、よい子は絶対に真似をしてはならぬ」
言っていることが若干的を外しているので国王も案外酔いが回っているのかもしれないが、彼は素でちょくちょく奇天烈な発言をするので今のところ判断がつかない。
誰かがぶん投げた骨付き肉を首を傾げて避けつつフロルが答える。
「あれでもドゥーレムは卓越したパック流剣士です。私も魔法を多少嗜むので分かりますが、彼は直腸の腸管壁を薄い魔法力の膜で覆い、アルコール吸収を阻害しています」
「何と! そのようなことが可能なのか、素晴らしい技量だ。よォし、ドゥーレム軍監を王監に推薦しよう」
「恐れながら、それは難しいでしょう。カール王国にて王監は軍最高司令官を兼ねる国王陛下、あなただけの階級です」
「ム、そうであった」
――会話が素っ頓狂なので無事判断がついた。
戦鬼との戦闘はカール軍の勝利にて幕を閉じた。
右翼はフィラーの広域殲滅呪文を皮切りに、ジョージとフィラーが参戦。これを見た右翼の指揮官マーティン・テイラー一佐は、速やかに乱戦を解き軍を下げた。彼の判断は的確で、以降の戦いはフィラーの高位呪文見本市の様相となり、その圧倒的魔力により通常戦鬼はもちろんのこと、魔法使いの天敵であるはずの甲冑戦鬼も見境無く粉砕されたのである。
一方の左翼。ハンクの活躍は彼の代表的な主演舞台になぞらえた「『冬の日の現実』が現実になった日」なるフレーズに乗ってグロイスを駆け巡ったという。
剣も槍も虎の子のカノン砲すら通じない甲冑戦鬼、その顔面をオリジナルのロトの槍術さながらに槍でぶち抜く。虚構の中で英雄を演じるのみだった男が、現実でも救国の英雄になった瞬間だった。
幻覚模倣、ロトを知る者はその姿をロトと見紛う。しかしロトを知らないカール兵の目に映ったのは、劇舞台を飛び出して鮮烈に花開くハンク・テイラー本人の圧倒的な武勇だったのだ。
しかし左翼勝利の立役者はハンクだけではない(現実論として、そもそもハンクの実力は甲冑戦鬼を何体も同時に相手取れるものではない)。ハンクの物語を彩った者たちがいたのである。そしてそういった物語には背びれや尾ひれがつくものだ。
「ハンク・テイラーが神の騎士団を率いて帰ってきたんだ!」
「お前見たかハンク・テイラーの究極神聖召喚魔法を! 大天使と大精霊が現世に降臨したのだ! あれこそ伝説の虹の女神イリスに違いねぇ!」
戦鬼軍はキュベレ山を下ってきたパック流剣士の一団に背後を突かれ、挟撃となったのである。剣士たちも当初は右翼と左翼の二手に分かれるつもりだったようだが、右翼で高位呪文が連発されているのを見た瞬間に援軍は不要……というか近づいたらヤバイと判断したらしい。全員で左翼に殺到し、戦鬼軍を殲滅したのだ。
その戦勝記念として盛大に開催されたパーティが先述の有様だ。ケツ呑みのタヌキ男に見間違えられた虹の女神様が不憫としか言いようがない。
「あの人、自分も裸になるんだねぇ」
グラスを手に話しかけてきたのはフィラーである。
「ハンクはお姫様を連れ出していったけど、ジョージはわたしを逃がしてはくれないわけ?」
「人を散々殺しかけといてどの口がか弱い乙女ぶっとるんだ。オレの辞書にはフィラー・アクール『破壊神』で載ってるぞ。てかお前、酔ってるだろ」
目尻が変に下がっている。それにフルチンのドゥーレムがその辺で踊っていても全く意に介さないでいるのはジョージの中のフィラーとは合わない。
「ぜーんぜん。わたしお酒まだ飲めないもーん」
じゃあ空気に酔ってる。いつになく上機嫌だ。
フィラーはグラスをくいくいっとカールの汚点に向けた。
「あの人だよ、わたしが前にリアシーの武闘大会で見たの」
「あー、魔法強化剣見たことあったって話だったよな。あいつ人として終わってるけど恥ずかしながらカールの将軍なんだわ」
ジョージは手近に転がっている骨付きチキンにかぶりついた。
「嘆かわしいことだよ。パック流剣士から変態が出てしまった」
「大会でも脱げ呪文ぶっぱなしてたしねー」
フィラーはけらけらと笑った。ジョージはチキンをぶーっと噴出した。きたな、っとフィラーは体を引いた。
ドゥーレムの脱げ呪文といえば、観客たちを全裸にひん剥いた千刃白翼剣暴発事件のことに違いない。
「お前もあの場にいたのか!?」
男の性で勝手に視線が下がった。眼球の動きで悟られたか、フィラーはぱっと胸元を両腕で覆った。
「何想像してんの馬鹿」
「あ、いや」
「このわたしが、あんな低俗な呪文、食らうわけないでしょ!」
一言一言を強調してくる。
「当然! 魔法障壁で完全防御よ!」
「さすがっす」
フィラーは胸を覆ったままじとっとジョージを見つめた。
「わたしの辞書にはジョージ・パーキンソン『むっつり剣士、死ね』で載せとくね」
「お前、ホントはちょっと酒飲んでるだろ?」
普段のフィラーの口から死ねは出てこない。
「飲んでないってばー。さっきちょっと変な味のぶどうジュース飲んだだけ」
「馬鹿、ワインだそれは! おいフロル、ちょっとこっち来い! フィラーが――」
残念ながら返ってきたのはフロルの助けではなく下品なガハハ笑いだった。その主はドゥーレムである。
「おいおいジョージさんよォ、女の子酔わして何するつもりですかなぁ?」
「何もしねぇよ! んなことよりお前の脱げ呪文のせいでややこしいことになってんだ!」
ジョージは逆立ちして踊っているドゥーレムに瞬動で接敵した。
「死んでろ!」
「あひゃん」
ケツから突き出たビール瓶にかかと落としが突き刺さる。ドゥーレムは悶絶してうつ伏せに倒れた。恐らくパック流史上これまでもこの先も最も下らない瞬動の使い方に違いなかった。
パック流の兄弟子たちがわっと沸き、スタンディングオベーション。釣られてフロルやヴィクティーリアまでもが立ち上がって拍手に加わっていた。




