過去のトラウマ
不審者抱きつき事件から2日。
郵便受けには1つの無名手紙が入っていた。 “いきなり抱きついたりしてごめんね”と書かれた手紙には、私の事が好きらしいことも書かれていた。
抱きついてきたのは不審者野郎ではなく、ストーカー野郎だと判明し、吐き気を催した。
それでも、他に不調があるわけではないので、仕事には行ったのだが、同期で仲のいい子達には相談出来なかった。
仕事帰りに警察にでも相談しようと、手紙を鞄に閉まって仕事場に向かった。
いつものように仕事をこなしながら、同期で仲のいい子達――小柴鈴と砂川葵とお喋りをする。
仕事場では、ストーカー野郎の事を忘れて仕事に没頭出来る。
「琴羽、あたしまた向こう行ってくるね」
「うん、頑張れ」
「ありがとー」
鈴には片想い中の人がいる。その人は大きな機械を操っていて、職場の中でもイケメンに入る部類だ。
たった今、鈴はその人がいるであろう場所に駆けていった。
「いつになったら鈴は村瀬さんに告白するんだろう」
「まだまだ先じゃない? ほら、鈴ってする方じゃなくてされる方がいい、って前に言ってたし」
残った葵と私は、鈴の恋愛事情について話し合いながら作業を進める。
お昼休憩、社員食堂まで手提げ鞄を手に走る。
お昼休憩に入る手前で作業場が別になり、葵と別れた私はお昼休憩のチャイムを聞きながら1人で職場内を走り回って道具やら資料やらを運んでいた。
お陰でお昼休憩のチャイムから3分遅れて作業を終える。
「もう、何でこんな走りっぱなしなんだ」
食堂への曲がり角を走って通りすぎると同時に誰かとぶつかった。
「あぁごめんなさい!」
「いやいや、僕こそごめんなさい!」
背の高い男性だった。
私の肩が、彼の体にぶつかって手にしていた鞄を落としてしまった。お弁当やら水筒、貴重品の財布等が鞄から飛び出してしまった。
「ごめんね、えっと……」
鞄の持ち手を持って、散らばった物をしまいながら謝る。名前を呼ぼうとして、見たことのある顔をみて頭を回転させる。
「あ、浦口さん、僕亀池です。亀池荘汰。友絆と同僚で……」
「あ!亀池さん!」
思い出した。鈴が片想いしている村瀬さんの同僚の人だ。友絆とは村瀬さんの名前だ。
散らばっているものをそのままに回想すると、村瀬さんの近くにはいつも亀池さんがいた。楽しそうに話していたり、一緒に作業してるときもあった。
「あ、この手紙も浦口さんのだよね?」
亀池さんはゴムで纏めといた2つの手紙を手にして問い掛けてきた。
「あ、はい」
ストーカー野郎からの気持ち悪い手紙だ。
「誰かに渡すんですか? あれ、浦口さん宛だ」
ラブレターかと思ったよ。と笑う亀池さん。
「らっ、ラブレターって亀池さん……」
可愛いことを言う人だなぁとしみじみ思う。
「ん? わぁっ?!」
「あ、亀池さん返してっ」
偶々、手紙と一緒に入っていた私ばかりの写真を亀池さんに見られてしまい慌てる。
「ご、ごめんなさい。見ようとして見たわけじゃなくて……」
「大丈夫です。今のは見なかった事に、それでは……」
散らばっていた物を全部入れた鞄。最後に、亀池さんの手から奪い取るように手紙を手にした私は、その場を去ろうとした。
「待って」
が、亀池さんに腕を捕まれて、その場に止まる。
体制をそのままに亀池さんに抗議してみる。
「何ですか? 亀池さん。私お弁当食べたいんですけど」
「今の、説明してもらっていいですか?」
「……何故ですか? 亀池さんには関係ないことですよ?」
「確かに僕には関係ないことかもしれない。けど、浦口さんに、とっては深刻なことでしょう?」
亀池さんは、この手紙の封筒と中身の写真数枚で、私に起こってる問題が分かったのだろうか。
「……深刻って、何のことですか?」
亀池さんに尋ねた声は少しばかり震えていた。
違う。“ストーカーだ”って言わないで。
「浦口さん宛の手紙に、浦口さんだけの写真。どう考えてもストーカーしか思い浮かびませんよ」
「ちがっ……いませんけど、これは私に起こってることで、ただの職場の亀池さんに話すようなことでは……」
抗議する声が次第に小さくなっていく。
「……この事、同僚の小柴さんと砂川さんには?」
「話せるわけないです!」
「はぁ……話しましょう。丁度今、食堂のテーブルも隣同士で食べているので、そちらのテーブルに近い位置に座ってる僕にも聞こえるでしょう」
えっ、えっ。と狼狽える私を他所にどんどんと食堂へ歩く亀池さん。
「まって、亀池さん」
「1人で解決出来ると思ってるんですか? 1人でストーカーをどうかしようなんて無理ですよ」
辛辣な亀池さんの言葉に涙が出そうになるが、深呼吸して耐える。
「心の準備をさせてください」
告白することには心の準備が必要なのだと、今鈴の言葉の意味が分かった。
食堂手前の水道で手を洗う亀池さん。
「本当は、忘れたおしぼりを取りに戻ってたんです」
そうだったのか。
「なんか、すみません」
「ホントですよ、頑固にならずに正直に“ストーカーに逢ってて困ってる”って言ってください」
ピスキスさんのように優しく笑う亀池さん。お詫びとして、鞄に入っていたタオルを亀池さんに手渡す。
「あぁ、すみません、ありがとうございます」
「いえ」
食堂内は食べ終わった社員で賑わっていた。
「あ、やっときたか荘汰。もう食べ終わってるぞ」
「琴羽、大丈夫?早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ」
亀池さんの言うとおり、鈴と葵の隣のテーブル席には村瀬さんが座っていた。
「たまたま浦口さんと会って、話し込んじゃったよ。ね、浦口さん」
「あ、うん」
丁度私が席に座ると、少し離れた隣に亀池さんも座る。
「おしぼりあったの、荘汰」
「あぁ、なかったから洗ってきた」
隣のテーブル席での2人の会話を耳にして再度心の中で謝る。
弁当箱を取り出していると、隣の亀池さんがこちらのテーブル席に顔を向けて話し出した。
「あぁ、そういえば浦口さんが話したいことがあるらしいですよ。 聞いてあげてください」
思わず亀池さんを振り返ってしまった。亀池さんと目が合うと、口パクで「大丈夫ですよ」と笑った。
ため息をつきながら弁当箱をあける。
「ん~、琴羽どうした?」
「悩み事? なんでも相談乗るよ」
「琴羽にはいつも助かってるからね~」
「特に鈴はね」
意を決した私は、笑ってる2人に例の手紙を差し出す。
「ん、手紙?」
「……え?」
何も考えずに手紙を手にした鈴と、恐る恐る中身をみた葵。
手紙の内容を読み始めて少し、手紙からこちらに視線を送ってくる鈴。
「これ、どういうこと……」
興味津々に手紙の内容を読もうとする村瀬さん。それを阻止しようと、話題をあげるも失敗が続く亀池さん。
手紙の内容を読み進めていくうちにどんどん顔をしかめる鈴と葵。
「胸くそ悪い手紙だね」
先に読み終えた葵が一言で感想を述べる。
「ヒーッ、この男、まじでキモいな!」
「激しく同感」
弁当を食べながら読み終わるのを待っていた私に村瀬さんが尋ねてくる。
「浦口さん、俺も読んでいいかな?」
「友絆はゲームアプリでもしてなさい」
「村瀬さんは読まない方がいいですよ!」
「亀池さんの言うとおり、ゲームしててください」
私が答える前に亀池さん、鈴、葵が矢継ぎ早に答える。
「鈴達の言うとおり、読まない方がいいです。気持ち悪いですから」
一応私自身も村瀬さんの質問に答えたが、納得していない様子。
亀池さんは私と同じで弁当を食べ終えてなかったのだが、食べるペースが早いようで5分程前に食べ終わっている。
いつもより食べるペースを早めた私も、やっと空になった弁当箱を畳む。
「で、警察に連絡は?」
「してない。だから、今日の仕事帰りに警察に相談しようとおもってる」
だから手紙を持ってたんだね。という鈴に頷きながら片付けを済ませる。
その後の休憩時間、村瀬さんと亀池さんから「家まで送ろうか?」という質問にはノーと答えた。
亀池さんも村瀬さんも、鈴と葵でさえも反論してきたが、「もし今の状態で男の人に送ってもらうと彼氏だと勘違いして襲ってくる可能性がある」ことを指摘する。
結局、警察に相談すること以外で決まった事柄はないまま休憩は終わった。
定時に終わった今日。職場をあとにした私は、家とは逆方向にある警察署に向かう。
一緒に終わった鈴と葵は駅方面へと行ったので1人。
この間とは別で、まだ明るい時間帯。行き交う人も、疎らではあるが少なくはない。警察署までは大通りだから安全だろう。
昨日でカレーがなくなったことで、今日の夕飯をどうしようかと悩む。
ガッツリと肉でも食べようかと考えていると、後ろからコツコツと足音がなった。 私の歩くタイミングと後ろからの足音がピッタリ合わさっている。
もし今、後ろからの足音がストーカー野郎だったら尾行下手だ。
ゆっくりと振り返ると、明らかに怪しい人。帽子を深く被っていて顔は見えない。 でも、絶対ストーカー野郎だと分かった。
1つの賭けとして私は残り少ない警察署への道のりを走り出す。
走ってすぐに見えてくる警察署。走りながら後ろを振り向くと、走ってくる怪しい人。
警察署まで全速力で走る。これでも私は高校の頃は足が速かったのだ。
多分ストーカー野郎は、警察署の中までは追いかけてこないだろう。
門を通りすぎて、早く入りたい気持ちから開き始めた自動ドアをすり抜けるように中に入る。
「はぁはぁ、ん、はぁ」
最近走ってなかったにも関わらず、高校の頃から足の速さは変わってないようだった。
「どうなさいました? 大丈夫ですか?」
自動ドアから外を眺めたまま息を整えていると、警察官の服装をした若い女性に尋ねられた。
「あ、あのっ相談したいことが、ありまして」
横っ腹を押さえながら目的を話すと、女性警察官は私を近くのベンチに案内してくれる。
ベンチに座ると次第に息は整ってきて、女性警察官に相談事と急いで家に走ってきた事情を話す。
「それは……大変でしたね」
私が手渡した手紙を手に、女性警察官は心情を察してくれている。
「ホントですよ」
「挑発はしてないですよね?」
「挑発、って言うのかな。ストーカー野郎に“気持ち悪い”とは言っちゃいました」
女性警察官は苦笑いしながら「そうですか」と呟く。
「お手紙お返しします。窓口で番号をお呼びしますので、こちらでお待ち下さい」
女性警察官を優しく笑うと、受付の奥に行ってしまった。ベンチの後ろの壁に背を預けて再度深呼吸をした。
思いの外、警察署には長居していたらしく、外に出るともう少しで夕陽が沈むところだった。
来た道とは別の道を早足で帰る。
窓口の警察官からは事情の他に、ストーカーに思い当たる節はあるか、決まった道を通勤しているか、と色々質問された。通勤する際には決まった道を歩くが、ストーカーしてくる男に思い当たる節は全くなかった。
大体、私みたいな綺麗でも可愛いでもない普通の一般の何処に引かれたのか、ストーカー野郎に直接聞いてみたい所存。
ストーカーらしき人物は付いてきてないようで、足音が聞こえないことに安心していた。
見慣れない道も、早足のお陰ですぐに見慣れた道にでた。
「こーとはぁ~!」
「ウルさ~ん」
見慣れた公園――以前皆で相撲やバドミントンをした場所にウルさんとリブラさんが佇んでいた。
ストーカーだと判明してから、大人組が2人1組で交代して公園にて待ち合わせている。
駆け足で2人の場所へと向かう途中、後ろからの駆けてくる足音。
「琴羽っ!避けてぇ!」
ウルさんとリブラさんが急いで駆けてくる。思わず足を止めると、鞄ギリギリに何か光るものが通った。
「うきゃぁあ?!」
光るものはナイフだった。後ろから駆けてきた人物はストーカー野郎だった。
ストーカー野郎がナイフを手に襲ってきた、と見て取れる。
「私の鞄がぁあ!」
「そこなの?!」
仕事用として、初給料で買った思い出の鞄に傷が入った。
約2年程使っている鞄は汚れてはいるものの思い出のつまった鞄なのだ。それを容赦なくナイフで裂くなんて許せない。
「チッ……」
舌打ちはこっちのセリフだよ!
「コラッ、何してるっ!」
警察官がこちらに駆け寄ってきた。ストーカー野郎はこちらを1度睨んだ後で、立ち止まっていたウルさん達の方へと足を動かす。
「逃がすかぁ!!」
思わず私は腕を伸ばした。ストーカー野郎のフードを掴むと仰向けに転ぶ。
「琴羽っ」
「こ、琴羽っ落ち着いて!」
リブラさんとウルさんが駆け寄ってきた私の体を引っ張る。
「落ち着けるかぁ!」
警察官に「君、危ないから離れて!」という言葉をも無視して、転んでいるストーカー野郎の帽子を剥ぎ取る。それなりにイケメンだった。
「ストーカー野郎、どうしてくれんだ私の鞄!」
胸ぐらを掴んで勢い良く問いただす。
「高かったんだぞ?! 弁償してくれんだろうな!?」
あぁ?! と揺さぶると、顔を歪ませながらストーカー野郎が口を開いた。
「警察なんかに相談したから、愛しの琴羽ちゃんを殺して俺も死のうとしたんだよ」
「答えになってねぇよ!」
掴んでいた胸ぐらを離すと、顔をしかめて地面に横たわるストーカー野郎。
ストーカー野郎の上に跨がっていた私はウルさんとリブラさんにより立たされて、寝転んでいたストーカー野郎は駆けつけた警察官2人に立たされて拘束された。
「うぅ、どうしよう私の鞄……」
「琴羽、今それどころじゃないこと分かってる?」
明日も仕事あるのに、仕事用の鞄がこんなになってしまっては使えない。
「琴羽、あまり無茶しないでよ」
「してないよ? ただ怒りに任せたら跨がってただけだよ?」
無茶してるよ。と呟くリブラさんを無視して、連行されるストーカー野郎を1度引き留める。優しい警察官も待ってくれてる。
「私、あなたの事を見たことないんですけど、一体どこで知り合って、私のどこに引かれたんですか?」
気になっていた事を質問してみると、ストーカー野郎は考える素振りをして口を開く。
「お花見公園で、猫を抱いてる琴羽ちゃんが可愛くて……」
可愛いと言われ慣れてない私は少し照れたが、だからといってストーカーを許すわけはない。
「琴羽ちゃん――いや、浦口さん、ごめんなさい」
ストーカー野郎は私に頭を下げてきた。反応出来ずにいる私を他所に、警察官がストーカー野郎を連れていってしまった。
後に駆けつけた警察官へ事情を説明し、事態の終息と共に私のストーカー事件も終息した。
「帰ろっか」
リブラさんとウルさんは小さく頷いて帰り道を歩く。
「琴羽、もう1人で突っ走らないで」
「そうだよ。今回は運良く物事が終わったけど、最悪の場合、琴羽殺されてたんだよ?」
ウルさんとリブラさんが私の心配をしてくれてる事は分かった。 裂かれた鞄の中身が落ちないように抱えながら考える。
「ごめんね。でもね、今回の事で私、過去のトラウマも一緒に終わったように思えるの」
すっかり夜となっていた空には、満月の光がいつもより明るかった。
「ずーっと、誘拐されかけた事を気にして。でも、そんなの小さい頃だけの悪い思い出だ、って明るく接してた」
家族の中での私はムードメーカーのようなキャラだった。 誘拐されかけた後から、いつもより場を盛り上げようとしていた。
「家族の皆は、無理してはしゃいでる事分かってたと思う。それでも、私に何も言わないのは、何処かで私自身も怖がっていたからなんだよね」
満月の光で照らされた道は、今の私に安心感を与える。
「今回の事でそれが分かって、私って弱いなぁって改めて思ったの」
「そんな事ないよ!」
「そうだよ。琴羽は凄く強い人、私が証明するよ」
「……ありがとう」
リブラさんとウルさんは笑って、私もお礼も共に笑う。
「あの人にガツンと言って、なんかスッキリしたんだよね。それがなんだか、過去のトラウマが消えた気がして」
家が見えた。近所の人が集まってるのだろうか、家の周りに10人程の人影。
「バルゴー!」
「あ、ウル! 琴羽とリブラも!」
「遅いではないか!」
どうやら、遅くなった私達の帰りを外で待っていた黄道12宮の皆だった。手を振るウルさんが駆けていった。
「琴羽、過去を振り返るのもいいけど、今を楽しもう」
「……そうだね」
リブラさんの顔を月明かりが照らす。
ウルさんを追いかけるようにリブラさんも後を追う。
見上げた満月はいつもより大きく見えて、ストーカー事件で疲れきった私の心を癒していった。
今、過去の私に伝える事ができるのであれば、こう言ってやりたい。
「無理してはしゃぐのが駄目なわけじゃないけど、少しは家族に怖いことを伝えてもいいんだよ。怖がっていたら心が疲れちゃうよ」と。
カンケルとゲミニに腕を引かれながら、帰路へと着いた。