勘違い
夢を見た。
黄道12宮の皆が1人ずつ消えていく悲しい夢。
1人1人消えていく中、最後に残ったのは獅子座のレオさん。
『大丈夫、お前は強い。俺達が居たことは忘れるな』
黄道12宮で中心的なレオさんの言葉に私は涙を流す。目から頬、頬から顎、顎から床に涙が流れた瞬間、レオさんも消えていった。
疲れた1日だった。
嫌な夢は見るし、占い最下位で仕事は失敗するし、そのせいで上司に怒られるし、午後の3時休憩も返上で仕事だし。
おまけに今も、残業帰りで雨上がりの道で水溜まりに嵌まり、靴も靴下もビショビショに濡れてしまった。
最悪だ。今日ほど最悪な日はないだろう。
ここでふと、未だに覚えている今朝見た夢を思い出す。
あれは正夢になるのだろうか。今年の8月下旬頃に起きる事。
そう考えると怖かった。
「は……」
ここまで考えて、思考を停止させる。
嫌な事が続いた今日、もうこれ以上ブルーな気分になりたくない。深呼吸をして上を向く。
雨上がりの空は、雲がない綺麗な状態。
今はまだ4月。8月まで4ヶ月もある。
靴と靴下がビショビショなまま、何とか帰路に着いた私。玄関口で靴と一緒に靴下も脱ぐと、冷たい裸足が床と密着して更に冷たく感じる。
「ただいま~……」
濡れた靴下を洗濯機に放り投げてから部屋に向かう。
「ただいま」
部屋の戸を開けると暗かった。
「……え?」
いつも誰かしらいて、テレビも電気も着いてるはずなのに、今日はテレビも電気も着いてなかった。
「え、なんで」
戸惑いながらも電気とテレビを着ける。ペットのワタもいない。たった1人だけの空間にテレビの音だけが大きく響く。
もしかして、今までの黄道12宮も、拾ってきた猫も、全部夢だった?
「そんな……」
あんまりだ。そう言い掛けた時、部屋の隅で何かが一瞬光る。
「え」
「琴羽ー!!やっと帰って来たー!!」
見覚えのある、丸まった角。
「う、わぁあ!」
間違いない。山羊座のリコルさんだ。
良かった。夢じゃなかった。
「どっどうしたのっ?」
リコルさんからの突進にベッドに仰向けになる私の体。それでも体を抱き付いてくるリコルさんを抱き抱えて宥める。
「ことはぁ……どうしよう」
顔を上げたリコルさんは涙目だった。
何があったのだろう。
誰かと喧嘩でもしたのか。嫌な事でもあったのか。
「リコルさん、ホントにどうしたの?」
「……――っ」
リコルさんが言葉を発するより前に、他の黄道12宮の皆もやって来た。
いきなり現れたことに驚いた私は体を起こす。
良く見ると、ワタは双子座のゲミニに抱き抱えられていた。
「ん、みなさんして、どうしたんですか?」
浮かない顔をしていたり、泣きそうになっていたり、既に涙で頬が濡れていたりと、黄道12宮の皆がおかしい。
「あの……、みなさん?」
なにも言わない皆に私は戸惑うばかり。
「琴羽、ワタが病気になっちゃったぁ!」
魚座のピスキスさんがいきなり泣き出してしまった。それをきっかけに泣きそうになっていた天秤座のリブラさんや水瓶座のアクア、蠍座のスコルさんも泣き出してしまった。
「……病気って、どんな症状なんですか?」
今朝は何もかわりなく過ごしていたけど、私の思い過ごしだったのか。 はたまた、私を騙そうとして嘘を吐いているのか。 しかし、嘘を語ってるようには見えない。
もし嘘だったとしたら、黄道12宮の皆は演技が上手すぎる。
あの獅子座のレオさんも、目に涙が溜まってきている。
「病院に行くにも、症状を知っておかないと。詳しく教えてくれませんか?」
一体いつ症状が出たのだろう。
「凄く毛が抜けるの」
ゲミニは片手で目を擦りながら答えてくれた。
「毛?」
ゲミニは頷くと詳しく話し出した。
「琴羽が仕事で家を出た後に、僕とアリエスとワタで遊んでたら、いつもより毛の抜ける量が多く感じて、レオに教えたの」
私は、ゲミニに抱き抱えられているワタの頭を軽く撫でる。目を細めているワタを見て、いつも通りのように思ってしまう。
「そしたらね、レオが『ワタは病気かもしれない』って行ったから、僕泣いちゃって」
止まり掛けていたゲミニの涙は、またしても大量に流れ出した。
ゲミニが言う『毛が抜ける』量がどれ程なのか確かめる。
「ゲミニ、ちょっとごめんね」
ゲミニの腕の中で大人しくしていたワタを抱き上げる。片腕でワタを抱えたまま、ワタのお腹辺りを撫でてみる。
「お、おぉ?」
3、4回撫でると、ワタの毛がどっさりと手に取れた。
「また抜けたではないか!」
私の手を見てレオさんが声を荒げる。他の皆も声を上げたり、悲しんだりしている。
「う~ん」
これは、もしかして――
「換毛期、なのか?」
季節的に換毛期は今頃のはずだ。
換毛期で毛が沢山抜けたのを病気と勘違いしてしまったのだろう。
まずは、皆の悲しみの感情が伝わってくるこの状況を何とかしないといけない。
「皆さん、安心してください。大丈夫ですから」
「安心などできるか。あんな可哀想なワタの姿を見て大丈夫だと思えぬ!」
涙を流しながらも怒鳴るレオさん。レオさんの怒鳴りに驚いてワタはベッドの方に逃げてしまった。
「病気じゃないです。ただの衣替えみたいなものです」
「……何を言っている」
レオさんは意味が分からないという顔をしている。
「だから、皆さんも落ち着いて」
1番近くにいたゲミニの頭を優しく撫でる。
「ワタ、病気じゃないの?」
ゲミニの大きな目からは未だに涙がこぼれ落ちる。それを手で軽く拭いながら頷くと、何故か涙の勢いが増した。
「よがっ、良かっだーっ!」
うわんうわんと、泣き付いてきたゲミニを抱き止める。
そんな私達の近くにワタが歩み寄ってきた。状況が分かってないのか、頭をあっちこっちに忙しなく動かしている。
ワタ、ちゃんとブラッシングしようね。
「……つまり、暖かくなったから毛を新しくしたってこと?」
何とか宥めた後で詳しく事情を説明したら、案の定皆拍子抜けしている。
「そうだよ。もう寒くないにゃ、暖かいにゃ、毛を変えるにゃ! みたいな」
乙女座のバルゴさんからの質問をユニークに答える。すると、ゲミニや蟹座のカンケルがマネをする。
「もう寒くないにゃー」
「凄く暖かいにゃー、ねーワタ」
「毛を変えようにゃー」
「私がブラッシングするにゃ」
「じゃあ俺はモフモフするにゃ」
「じゃあ私は……なにすればいいの、にゃ?」
ゲミニとカンケルに続いて、牡羊座のアリエス、山羊座のリコル、水瓶座のアクア、蠍座のスコルの4人が便乗する。
突然の事に、私は恥ずかしくなるのと同時に、子供体型組の可愛らしい言動を撮れなかった歯痒さに苛まれる。
この場に猫耳カチューシャがあれば迷わず子供体型組の頭に装着しただろう。 しかしそんな物は持っておらず、明日にでも買ってこようと頭の隅に置いて話を進める。
「レオさん、今日1日でどれくらい毛は抜けました?」
「……あ、ああ。どれくらいだろうか」
子供体型組の方を見て放心していたレオさんだったが、私の問いによって我に返ることに成功した。そのまま顎に手を添えて少し考える。
「ワタのしっぽが出来るくらいには取れたな」
微妙な喩えをするレオさん。
「う~ん、まだまだ沢山抜けそうですね」
多いのか少ないのか分からない、微妙な量だがまだまだ抜けることは安易に想像出来た。
「ワタ自身が毛を飲み込んじゃう可能性があるので、それはあまりしないようにブラッシングしてあげましょう」
未だにはしゃいでいる子供体型組にも聞こえるように言うと、元気良い声で返事をした。
遅くなってしまった夕飯を食べながらブラッシングされているワタを見る。
「気持ちいいかにゃ~?」
ワタはいつものクッションに伏せながら目を細めている。気持ちいいのだろう。
「ねぇ? シャワーでもすればワタの毛、一気に取れたりしないかしら?」
おかずが半分に減った頃、バルゴさんが疑問を投げ掛けてきた。
「ん。う~ん、どうだろう」
「なんだったら今日シャワーしちゃったらどう?」
一般の猫に比べれば、ワタは水に平気だったり、お風呂にも抵抗せずに入ってくれている。 しかし、今の時刻を確認してみるともう少しで20時になる。
残業もあったせいで帰路に着いたのが遅くなってしまった。皆の勘違いを説いていたらこんな時間になっていたのだ。
「今日はシャワーは無理かな」
濡れたワタの毛を乾かすのもそうだが、なによりシャワーで抜けたワタの毛の片付けに時間掛かりそうだ。
「そっか。じゃあまた今度ね」
バルゴはそれだけ言うと、ワタと戯れているゲミニやカンケルの眺める。
全ての食器が空になった頃には、21時近かった。
「それにしても、恥ずかしいわね」
私の隣に座っていたピスキスさんが、テーブルに肘を付きながら話し掛けてきた。
「ん、何が?」
「病気だと勘違いして、みっともなく泣いちゃったわ」
ピスキスさんは「仕事で疲れてたのにごめんなさいね」と謝ってきた。ピスキスさんの顔は憂いに帯びていた。
「別に大丈夫ですよ」
そんなピスキスさんを安心させる為にも笑って答えるが、ピスキスさんはそれでも表情を変えない。
「……やっぱり心配だわ」
ピスキスさんは独り言のように小さく呟く。
「琴羽、大丈夫じゃないのに大丈夫と言うのは駄目よ。自分の心に嘘を吐いては駄目なの」
ピスキスさん以外の皆は、沢山毛の抜けるワタに夢中でこちらに顔を向けない。 顔を向けているのはピスキスさんだけなのに、何故だか心の中を覗かれているように感じた。
「……うん、今日は沢山疲れた」
私の言葉を聞いたピスキスさんは満足そうに笑って頭を撫でてきた。
戸惑う私にピスキスさんは言った。
「今日も1日お疲れ様」
憂い顔はなくなり、カンケルやゲミニに向ける顔が私を見つめていた。今日1日の疲れが洗われた気がした。
**
ピスキスさんのお陰で今週も今日で終わり。
定時に終わった私は、寄り道をせずに帰路に着く。今日は約束があるのだ。
「ただいま~」
「おかえり~!」
「ワタ~、ご主人様帰ってきたよ~」
「体キレイにしようね~」
ピスキスさんとゲミニの提案により約束されたのが、ワタの抜け毛取りと称したシャワーをする事だ。
なんでも、ワタ自身が体を嘗める時に抜けた毛を飲み込んでしまいお腹に毛玉が貯まってしまうのを防ぐ為らしい。
行きつけのペットショップの店長さんに聞いたところ、そういった事があるらしい。 毛玉が沢山出来てしまうと病院で見てもらうことになる為、「気を付けてくださいね」と念を押された。
「カンケル、琴羽がご飯食べ終わってからだからまだよ」
「あっそっか! 琴羽ー、早く食べてー」
カンケルの催促に適当に相槌打ちながら簡単な物を作っていく。
シャワーで簡単に体にある抜け毛が取り除く為、シャンプーなどは用意せずにタオルを2、3枚だけ用意する。
カンケルの催促でいつもより早く食べ終えた後、私とカンケル、ゲミニ、ピスキスさんの4人とワタを浴槽前に連れてくる。
前にも思ったが、ワタはあまり水やお湯を怖がらない。 飼い主としては嬉しい限りだが、ワタは本当に猫なのだろうかと思ってしまう。
性格か? おとなしい性格だから、苦手な物が目の前にあっても怖がらないのか?
「琴羽? どうしたの?」
「あぁ。いや、ワタってあまり水とかお湯怖がらないなぁと思って」
「……確かに」
私とピスキスさんで疑問に思っていると、カンケルとゲミニがワタに話し掛けた。
「ワタはご主人様がいればそれだけで強くなるんだよね~」
「ワタは琴羽のこと大好きだもんね」
私が心強いご主人様ってことだろうか。信頼してくれてるなら嬉しい限りだ。
ワタが小さく鳴いた。
ズボンの裾を捲っていたものの、やっぱり濡れてしまった。ワタの濡れた体を拭いて乾かすのはゲミニとカンケル、リビングで待っていたアクアとリコルも混じって4人。 綺麗にしといた洗面所で楽しそうにドライヤーやらタオルやらで乾かしてくれている。
私とピスキスさんは浴室に残って抜けた毛を綺麗に片付けている。
濡れた抜け毛は扱いづらく、排水溝に絡まっているのが上手く取れない。
「ごめんねピスキスさん」
「大丈夫よ~」
下を向いている為、顔が見えない。聞こえた声色が怒ってない事が窺えた。
「琴羽こそ大丈夫? 今日も疲れたんじゃない?」
「今日は大丈夫だよ~」
掌に濡れたワタの抜け毛が増えていく。排水溝に絡まったワタの抜け毛は綺麗さっぱり取れた。
「……そっか」
ピスキスさんの言葉に「うん」とだけ言った私は、そのまま立ち上がって体を伸ばす。
「んん~……でも、やっぱり疲れちゃった」
ピスキスさんに向かって笑い飛ばすと、ピスキスさんも笑ってくれた。
「んふふ。じゃあ私が労ってあげるわよ~」
ピスキスさんは立ち上がって私の前に来る。
私よりも背があるピスキスさん。私の頭に手を置いて撫でる。
「今日もお疲れ様」
「ありがとうございます」
そして互いに笑い会う。その笑い声にカンケル達が駆け寄ってくるまで、あと5秒。