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森緑の香り




 もう少ししたら3月も終わり4月に入る。今年の桜は3月終わりから4月にかけて少しずつ開花していくらしい。 4月5日には満開になるだろう、と何処かのテレビの天気予報気が話していた。

 今年も社員全員で花見するのかな。


 そんな事を考える今日は、晴天の中、布団を干している。休みの日に晴天になることが最近なかったので、今日は出来て良かった。

 設置された干し竿に3枚程の布団と毛布を被せると、本の少しだけ重なる部分を出てしまう。 しかし、しょうがない。それでも布団と毛布は、今も尚お日様の光を浴びて、今夜の私の為にお日様の匂いを吸収しているだろう。 そう考えると早く夜になってほしいと願う。



 軽く部屋を掃除していると、インターホンが鳴った。

「はーい」

 手にしていた掃除機を止めて近くの壁に立て掛けてから玄関に向かう。

 扉を開けると見知った人。

「あ、あの……今時間大丈夫ですか?」

 控えめに尋ねてきたのは私の住んでいるアパートの管理人さん。名前は綾崎(あやさき)神さん。男性。

 (かみ)と書いて“(じん)”と読む。

「大丈夫ですよ。お茶飲みますか?」

「だっ大丈夫です!……ここで大丈夫です」

 始めて名前を知った時は、“神”という名前から周りから崇められてるナルシストかと思ったが、実際には全然違う。

「綾崎さん?どうしたんですか?」

「あ、あのっ……えっと」

 このように恥ずかしがり屋の引っ込み思案なのだ。ナルシストとは程遠い、謙虚すぎる性格。

 何か言うことがあって私を尋ねたのだから、私は催促せずに綾崎さんの言葉を待った。

「その……お湯、出ますか?」

 必然的に上目遣いで私を見てくる綾崎さん。


 中性的な顔立ちから時々女に見えてしまうが、今回は完全に女だ。 綾崎さんの上目遣いを直に見てしまった私は、少し考える振りをして荒ぶる心を落ち着かせる。

 綾崎さんには少し待ってもらって、台所でお湯を出してみる。

「……やっぱり出ませんよね」

 一向にお湯が出ないことに戸惑っていると、綾崎さんが肩を落としながら呟く。

「はい。出ませんね」

「す、すみません! 何故か今朝からお湯が出なくて、他の部屋の人も同じ感じで、一部屋ずつ聞いて回ったんですけど……最後の浦口さんも出ないんじゃきっと故障です!」

 これじゃあ管理人失格ですぅー!と泣く綾崎さん。慌てて背中を撫でながら宥める。

「大丈夫ですよ!水道会社に連絡してみましょう? きっと水道管が凍結とかの一時的な故障で、水道会社に頼めば直りますって」

 私の言葉をちゃんと聞いているらしく、涙を流しながらも頷いている綾崎さん。



 少しして何とか泣き止んだくれた綾崎さんは、水道会社に電話すべく帰っていった。

 昨日までは普通に出ていたのに、今日になって何故お湯が出ないのだろう。

 改めて水道の蛇口に手を掛けてお湯を出そうとしたが、やっぱり出なかった。

 今年は例年より寒さが続いて桜の開花も遅いくらいだから、とうとう水道管も凍結してしまったのか。

 あれ?でも水は普通に出ている。じゃあ給湯器が壊れたのかな。

 ……もしかしてお風呂のお湯も出ない?

 足元にすり寄っていたワタを抱き抱えてお風呂場に直行する。シャワーの蛇口を捻るが、お湯ではなく水が出た。洗面台の蛇口も捻ると、お湯は出なくて水だけが出る。

 最悪だ。これじゃ今夜お風呂に入れない。


 片手でワタを抱き抱えながら洗面台に手を付いていると、部屋から声が聞こえた。

「ワタ~、琴羽~?」

 何処にいるの~?と聞こえてくる声は女声だ。アルトのような良く通る声はリコルかな。

「あ!いたー!」

 やっぱりリコルだった。

「見つかっちゃったか~」

「もー、掃除してるって聞いたから手伝いに来たのに、琴羽いないし。ワタと遊ぼうと思ったら見当たらないし」

 ビックリしたぁ。と話すリコル。

「ここで何してたの?」

 リコルは、私が洗面台に手を付いているのを見たようでとても不思議そうに首を傾げた。


 リコルが来るまでの事を話すと、目を輝かせながら私に提案をしてきた。

「だったらさぁ!私達のお風呂に入ろうよ!」

 ね?どう?と尋ねてくるリコル。

「え、でも良いの?レオさんとかピスキスさんに言わなくて」

「大丈夫! いつも皆で入ってるお風呂はね、“銭湯”っていうのを似せて作ったやつだからおっきいよ! レオ達とは壁を挟んで別のお風呂だから大丈夫だと思う! 琴羽が困ってる事だったらピスキスも許してくれるよ!」

 ね?どう?と再び尋ねてくるリコル。

「じゃあ、お願いしようかな」

 リコルはそのまま嬉しそうに部屋に戻っていった。そんなリコルを見たワタは、腕から降りて部屋へと入っていった。後を追うように私も続く。




 掃除が終わり、外に干してある布団を眺めながら紅茶を飲んでいると、インターホンが鳴った。

「はーい」

 扉を開けると、何時間か前に見た中性的な顔が泣きそうにしていた。

「……あの」

「はい、どうしました?」

「水道会社に来てもらったんです」

 どうやらあの後帰ってすぐに電話をしたらしい。そして水道管を見てもらったらしい。

「どうだったんですか?」

「それが……」

 綾崎さんに口を閉ざしてしまった。

 綾崎さんは、本当は別のアパートに住んでいたらしい。私がこのアパートに来た日に、綾崎さんも母から無理矢理連れてこられたらしく、嫌々ながら頑張っている。 今だってこうやって、言おうとしてる言葉を探して、穏便に済んで貰う為に頑張っている。

「給湯器に問題が見つかって、凍結してるらしいです」

 すみません……。と謝ってくる綾崎さん。


「もしかしなくても、お風呂とかも使えないですよね?」

 綾崎さんに尋ねると、少しの間を置いて返事をした。

「すっ、すみません!スミマセン!」

「謝らないでくださいよ!綾崎さんのせいではないんですから」

「でもっ、お母さんの時はこんな事無かったと伺っていて……だから、お湯が出ないのは僕のせいなんです!」

 再び泣いてしまった綾崎さんを部屋に招く。残っていた紅茶を差し出すと、少しずつだが飲んでくれた。

「お風呂は勿論、洗面台もお湯は出ないと思います」

 ですよね。

「……ここから10分程歩いた所に銭湯がありますし、皆さんにはそこで温まって貰う予定です」

 近くに銭湯がある事を今になって思い出した。

「浦口さんもそこで温まってくださいね」

 綾崎さんは、目尻が涙で濡れながらも笑顔で私を安心させた。



 紅茶を飲み干して帰っていった綾崎さん。カップを手に台所に向かう。

 お風呂の心配は何とかなくなったけど、早く治ってほしい限りだ。いつもの癖でお湯を出しても出てくれない。

 その後、テレビでは5分クッキングが始まった。もうこんな時間だったのかと気付いた私は、急いでお昼ご飯の準備を始めた。


 仕事時は眠くならないのに、休日となると眠くなってきてしまう午後。

 眠くなってしまう前に、干していた布団を取り込んでベッドメイクをする。 実家暮らしの時から愛用している毛布。つい最近奮発して買った可愛いデザインの羽毛布団。 可愛いキャラデザインの薄い掛け布団。

 日差しと風があったお陰で、洗濯したシーツと枕カバーも温かく良い匂いがする。 ベッドメイクが完成した後は、勢い良くベッドにダイブすると本の少しの埃が舞う。 それを気にする事はなく、お日様の匂いを確かめる。



 開けていた窓から冷たい風が入り込んで来た。ベッドで脱力していた私は、窓を閉めるべく立ち上がる。

「さむーい……」

 ふと上を見上げると、空が雲で見えなくなっていた。本の少しの間に雲が沢山出てきたようだ。 先程まで見えていた日差しも、雲に隠れて見えなくなっていた。 早くに取り込んで正解だったのかもしれない。

 ストーブを見てみると、温かく保っていた温度が4度程下がっていた。


 再びベッドに横になりながらテレビを見る。

 今夜は、何を食べようかな。そういえば、鮭の切り身を買っておいたから、ホイール焼きとかでいいかなぁ。

 あぁ、ヤバい。眠くなってきた。どうせ今日は何も予定ないし、寝ても大丈夫だよね。








 お腹辺りで何かが動いた感じがした。見ていた筈のテレビは何も映さず、電気も付いていない。

 お腹に目を向けるとワタがいた。ワタと目が合うと、にゃ~うと鳴く。 ワタの頭を撫でると、今度は小さく短く鳴く。

 もうすぐで6時だった。

 布団を取り込んだのが13時(いちじ)で、ベッドに横になりながらテレビを見始めたのが13時(いちじ)30分。それから少しして記憶がないから、大体6時間ぐらいか。

 時計を見ながらもボーッとしていたら肩を叩かれた。

「やっと起きたのね」

 随分寝てたじゃない?と尋ねてきたのはバルゴだった。


「午後から琴羽の買い物に付き合おうと思ったら、先に行ってたスコルとリブラから寝てるって聞いてずっと待ってたの」

 買い物行かなくて良いの?と尋ねてくるバルゴ。

「うーん、今日は食べるものも決まってるし、買い物は明日で良いかな」

「あら、そうなの。じゃあ、明日の買い物付き合うわ」

 バルゴにありがとうと言うと、ベッドから立ち上がってお風呂場に行く。

「あら?今日はお風呂使えないんじゃないの?」

「……忘れてた!」

 運転スイッチを押す前に気が付いて良かった。


「私達のお風呂、本当に大きいから琴羽ビックリするわよ?迷子にならないようにね?」

 イタズラッ子のように笑うバルゴ。

「ならないよ。バルゴやピスキスさんと一緒にいれば大丈夫でしょ?」

 それもそうね。と笑うバルゴ。たった1日だけだけど、バルゴ達と一緒にお風呂に入るのだと思うと楽しみだ。 きっとカンケルとかは張り切って私に手取り足取り教えてくれるだろう。




 余裕を持って、夜ご飯の準備を早めに始める。

「んふふ、ワタも一緒にお風呂入るー?」

 部屋からバルゴの話し声が聞こえてくる。微かにワタの鳴き声が聞こえた。

「琴羽!ワタも入れましょ!」

 ワタを抱えたまま台所まで駆け寄ってきた。

「え?いいよいいよ!ワタ洗うの大変だし」

「皆で洗えばいいわよ、ね?」

 ワタが入りたがってるのよ~。と近寄ってくるバルゴ。後付けのようにワタが小さく鳴く。 まるで、ダメ?と言ってくるように聞こえて、ワタはお風呂好きなのかと疑ってしまう。

 猫はお風呂が嫌いだと聞いたことあったが、あれは嘘なのだろうか。

「前にワタを皆で洗った時みたいにさ。ね?」

 バルゴとワタによって私が折れる形で話は終わった。




 夜ご飯を食べる時は、毎週決まって見るものがある。土曜日は名探偵子供の後の、旬の食べ物による料理番組。

 ワタの夜ご飯を用意して、出来上がった料理をテーブルに運ぶ。

 小さい頃から、一般家庭より少し早めに夜ご飯を食べていた私は、一人暮らしの今でも決まった時間内に食べ始める。

 バルゴが帰ってしまった今、話す相手が居なくて寂しい。

「ワター、美味しい?」

 食べるのに夢中なのか、返事をくれない。それどころかこちらに顔を向かない。

「ワター。お風呂入りたいのー?」

 少しして食べるのに止めたワタはこちらを向いて鳴いた。この返事はどう受け取れば良いのだろう。 分からない私は、何も言わず鮭の切り身に箸を伸ばす。



「琴羽~!!迎えに来たよー!」

 食器を片付けた頃、カンケルとリコルが元気良く迎えに来てくれた。

「わっ、早いね。まだ7時半だよ?」

 部屋に戻ってきたと同時に、腰に抱きついてきたカンケル。リコルは私の手を引いてくる。

「琴羽と早く入る為に、早くご飯食べてきたもん!」

 ドヤ顔を披露するカンケルの頭を撫でる。

「そっかそっか。でも待ってね」

 思っていた反応とは違う私に、カンケルとリコルは力を緩めてこちらをじーっ見つめてくる。

「ワタのシャンプーとか用意しなきゃ。ね?」

 他にも、私のパジャマやバスタオルが必要だろう。シャンプーとかボディソープとかも必要だ。




 久しぶりに見た部屋は前におもてなしされた時と変わらず、星形が光輝いていて、部屋のあちこちで浮いていた。

「琴羽~!こっちだよー!」

 いつの間にか、長い廊下が続いている所にカンケルとリコルはいた。手招いているリコルを見て、急いで駆け寄った。



 長い廊下にも星形が点々と付いていて、光ったり浮いたりと世話しない。

 そんな長い廊下を漸く抜けるとお風呂場だ。

「こっちが女湯で、もう片方が男湯だよ!」

 カンケルが右側の扉を開けると、中にはカンケルとリコル以外の女性陣がいた。


「お迎えご苦労様、ありがとね。琴羽もいらっしゃい」

 ピスキスさんが最初に話し掛けてくると、他の皆も色々と話し掛けてきた。

「ワタは私が預かっとくから、早く服脱いじゃいなさいよ」

 私は、腕の中で大人しくしていたワタをバルゴに渡すと、肩に掛けていた手提げ鞄から用意した道具を取り出す。

「こんでしょなー?なにこれ」

 バルゴから指定された場所で道具を取り出していると、ひょっこりと顔を出したスコルさんが興味津々に尋ねてきた。

「コンディショナーってのは、傷んだ毛先とかを補修してくれたり、広がっちゃう髪を纏めてくれるんだよ。 あとは艶だしとかかな?」

 スコルさんは関心があるようで、旅行用の小さなボトルをマジマジと見ている。

「早く入ろー。寒いや」

 ウルさんは自身の体を包むようにして私を待っていた。他の皆も待っているのだと分かった私は急いで服を脱ぐ。

「先に入っててもいいよ?ウルさん寒そうだし」

 ウルさんは私の言葉を聞いた途端に、湯船に浸かりに行った。

 他の待っていた皆も続くように湯船に浸かりに行き、私はそれを横目にズボンを脱いだ。



 湯船の回りには、やっぱり星形が点々と付いていて、移動しては光って、また移動しては光る。

「お待たせしました」

「んふふ、暖かいわよ」

 湯船に足を入れて見ると、意外と熱かった。

「結構熱いですね」

「そうかしら?」

 ピスキスさんにはいつも通りらしく、丁度良い暖かさらしい。

 熱さに耐えながらも湯船に肩まで浸かると、良い匂いがする事に気付く。

「わっ、良いにおーい」

 何の匂いなのだろうか、と掌で掬ったお湯を嗅いでみる。

「あれ?この匂いって……」

 私の行動をしっかり見ていたらしいピスキスさんは、笑いを堪えるように教えてくれた。

「分かったかしら。この匂いね、前に琴羽が湯船に入れていたのと同じ匂いなのよ」

 そうだ。前に熱が出る前夜に、治るようにと思って湯船に入れた入浴剤と同じ匂いだ。森緑の香りだ。



 その後、皆で体を洗いっこして、最後に皆で湯船に浸かった。

 ワタは、桶に張った湯船で気持ち良さそうに目を細めている。ワタの頭には、ウルさんによって乗せられた小さく折り畳まれたハンカチがある。


 男湯と分け隔てている壁が薄いのか、時折、楽しそうにはしゃぐ声が聞こえた。

 皆で浸かるお風呂は、いつもより疲れを取ってくれたように感じた。

 こんな時にこそ思ってしまう。

 ずっとこのままがいいなぁ。




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