リブラとアリエス
仕事場を後にした私は、寄り道せずに真っ直ぐ帰路に着いた。アリエスとの約束はずっと頭の中にあったのだ。楽しみしかなかった。
「ただいまー」
玄関で靴を脱ぎながら、いつもの声が聞こえてこない事に疑問が生まれる。
「あ、琴羽、おかえりなさい」
不思議に思いながら部屋に入ると、ピスキスさんとアクアしかいなかった。2人の浮かない顔が引っ掛かった。
食べ終わった時に来るのかなと思った私は、そのまま夕方の準備を始める。
「ピスキス、言わなくていいの?」
台所に言った所でアクアの声が聞こえた。潜めて言う言葉に私はギクリとした。
もしかして、先程の浮かない顔と関係しているのか。まさか、お別れになってしまうのか。
でもレオさんは1年間世話になるって言ってたし。だったらお別れになるのはもうちょっと先のはず。
浮かない顔の原因はなんなんだろう。
そんな考えを消して、手を動かしてピスキスさんの声が聞こえないように音を立てる。
部屋に戻ると、アクアが肩を震わせるのが分かった。浮かない顔のままだ。
「アクア、どうしたの?」
「ん、ううん!なんでもない!」
アクアの笑顔は少しぎこちなかった。
無理矢理聞くことも出来なかった私はそのまま夕方を食べ始めた。
漬物の味が少し濃く感じた。
夕飯を食べ終わってもアリエスは来なかった。代わりにリブラさんが来た。
帰ってきてからの疑問を解決したくて、リブラさんに聞こうと思っていた所をピスキスさんに遮られた。
「リブラっ!」
焦っている声色のピスキスさんを見ると、何故か顔が強張っていた。
リブラさんの顔も昨日の穏やかな笑顔ではなく、ブスッと不機嫌な様子。
「琴羽、ごめん」
リブラさんは来てすぐに私に謝った。
「リブラっ!」
リブラさんに対して怒鳴るピスキスさん。
何に対して謝ってるのか分からない私は、首を傾げることしか出来ない。
「昨日、アリエスとケンカした」
「え、昨日?今日じゃなくて?」
昨夜、2人と一緒に星空を見たのを思い出した。
「昨日、帰った後に、アリエスとケンカした。だから、今日アリエスこない」
そう言うと、リブラさんはもう一度謝る。
お辞儀したリブラさんが顔を上げて帰ろうとする所をピスキスさんが引き留める。
「待ちなさい!リブラは謝る人を間違えてるわ!」
ピスキスさんの手がリブラさんの細い腕を捕まえる。
ピスキスさんの言う事は間違ってない。私に謝る勇気があるなら、アリエスに謝る勇気だってあるはず。
「リブラさん、私待ってるからアリエスに謝ってきて」
リブラさんに少し強めに言うと、リブラさんは泣きそうな顔になる。泣きそうな顔をそのままに、強引にピスキスさんの手を解いたリブラさんはそのまま帰っていった。
「あっリブラっ‥‥はぁ、あれはダメね」
少し諦めにも似たため息を吐くピスキスさん。
昨夜のリブラさんとアリエスの様子が気になって、ピスキスさんに聞いてみた。
ケンカに至るまでの経緯を聞きたかった。
「昨日、楽しそうに話ながら帰ってきたのよ。リブラもアリエスも」
ピスキスさんは再びベッドに腰かけて説明しだす。
「楽しそうに話してたと思ったらリブラが怒ったらしくて、会話が終わっちゃったらしいの」
そういえばリブラさんには禁句とされている言葉があったはず。
「ちなみに、アリエスはリブラさんに何て言って怒らせたんですか?」
「聞いてないから分からないのだけど、リブラが怒る事と言えばあのワードを口にしてしまったと思うの」
嫌な予感を感じた私は、続きを話すピスキスさんの言葉を待った。
「…多分あれね、“軽いね”って言ったのよ」
予感は的中した。
お風呂から出ると、律儀に待っていたピスキスさんが顔をあげる。アクアを帰らせてからずっと待っていたらしい。
「…どうしたら良いと思う?」
「…直球だね」
ピスキスさんは眉間に皺を寄せて考え事をしている。
「…アリエスは何で怒ったの?」
ピスキスさんは私の一言にキョトンとしている。予期せぬ言葉だっただろうか。
「アリエスがリブラさんの禁句を言ったのは分かったけど、何でアリエスは怒ったのかな~って、聞いてなかったよね?」
「…あっ、そうだったわね!アリエスは一応謝ったのよ?でもリブラったら許す素振りも見せないらしくて‥‥ずっとそっぽ向かれたら誰でも怒るわ」
ピスキスさんの話を聞きながら、そんな2人を想像して苦笑いしてしまった。
「ホント、どうしたものかしら?」
ピスキスさんは再び眉間に皺を寄せて考える。
ケンカの仲裁方法を考えていると、今日あった事を思い出した。
本当はアリエスに話そうとしていた事だが、今ピスキスさんに話す事であの2人の仲裁方法を思い浮かべる事が出来るかもしれない。
「昨日ね、私と同期で仲良しの2人がケンカしたの」
突然の話でピスキスさんはキョトン顔を披露する。それでも私はお構い無しに話を進める。
「昨夜はその事をリブラさんとアリエスに話してたんだけど…」
「そうだったのね」
ピスキスさんの顔は、先程の眉間に皺を寄せて思い悩む表情ではなく、いつもカンケルやゲミニ達に向けるような穏やかな表情だった。
「勇気を出して、今日ケンカの仲裁をしたの」
「琴羽が?」
ピスキスさんの問に頷いて答えると続きを話す。
「1人は無口な子で、もう1人は天真爛漫で元気な子なの。その2人が今朝仕事場に来てから一言も話さないし、会話をしたとしても私を介してするし、仲直りするまでは笑顔も見せないから、凄く心配したんだ」
「それは…大変だったわね」
苦笑いしながらも慰めてくれるピスキスさんは優しい。
「ホント、仲直りするまでも大変だし、仲直りさせるのも大変だし、あの2人に労ってほしいくらいだよ」
大きくため息を吐くとピスキスさんに笑われた。
「琴羽はどうやって2人を仲直りさせたの?」
ピスキスさんの疑問に私は今日の出来事を思い出しながら話始めた。
「うん、まずは無口な子と話をしたんだ。午前中一緒に作業してたから、思ってることは聞けたんだ」
ピスキスさんの真剣な眼差しに、話をしている私は少し笑いそうになってしまった。
「やっぱりちゃんと応援はしてるみたいなの。“応援する気にならないよー”なんて言ってた癖に」
真剣に聞くピスキスさんの表情が怖くて、少し和らげようとしたが失敗に終わった。
「まぁ私も応援しない気なんて1ミリもないし、告白してフラれたなんて知ったら、本人と同じくらい落ち込むと思うんだ。それは私もその子も同じだと思う」
鈴の気持ちを分かってあげたいと言っていた葵の顔は辛そうだった。
好きな人が出来た事がない私には、告白する勇気も、告白できない後悔も知らなくて、どう応援すれば良いのか分からなかった。
怒った鈴は葵に対して、“私の気持ちも知らない癖に”って言ってたけど、葵は鈴と同じ経験をしたことがある。だからこそ、鈴の気持ちに敏感で、もどかしいのかも。だから昨日、あんな風に声を荒げたのかな……。
「午後にはもう1人の子と作業場所が一緒だったから、ちゃんと思ってることを聞いてあげて。定時で終わったのを見計らって、2人を捕まえて、更衣室のトイレに閉じこませたの」
「とじこまっ…えぇっ?!大丈夫なの?!」
急に焦るピスキスさんに笑みがこぼれながらも「大丈夫だよ」と言う。
「まぁ、結論から言うとね、2人だけで本当の気持ちを伝えさせたの」
ケンカの仲裁は生まれてから数える程度にしかしてなくて、どうすれば良いか自分自身で悩みながらも2人の気持ちを聞いた訳で。
「あ、だから今日帰ってくるのが少し遅かったのね」
「うん、心配させちゃったかな?ごめんね」
「大丈夫よ、琴羽は強いからね」
ピスキスさんはこう言うけど、私は全然強くなんかない。
鈴や葵も私のことを信頼して頼ってくれるけど、本当の私は皆がいなくなるのが怖くて、ただ強がってるだけ。
「分かったわ!私もリブラとアリエスに本当の気持ちを聞いてくる!」
リブラとアリエスのケンカ仲裁方法を見つけたらしい。
「琴羽!ありがと!そうよね!私からの一方的な押し付けは良くないわ!」
ピスキスさんは、私の手を取って力強く握手する。
「そうとなったら早速聞いてこなくちゃ!琴羽!おやすみ!」
興奮した様子のピスキスさんは、そのまま帰っていった。微かに聞こえてきたのは“まずはアリエ…”だった。
興奮した状態のピスキスさんからアリエスはどうやって逃げるのかな、なんて思いながら苦笑いをする。
仲直りしたリブラさんとアリエスが再び星座について話してくれるのは、きっとまたすぐになるだろう。