第一話
香澄による異世界転移は結果から言えば成功だった。
二人は教室を離れ、数十体の女神の彫刻が立ち並ぶ円形の広間に居た。白い大理石の床には教室にあった魔法陣をそのまま大きくしたような物が描かれている。
「どうやら成功したみたいね。この魔法陣も教室と繋がってるみたいだし。ならここが召喚の間ってところかしら?」
その眼に宿る好奇心を一切隠すことなく香澄は周囲を見回す。
そこには使い終わった部屋の掃除をしていたのか、雑巾やモップを持ったメイド服を着た30人ほどの女性が目を見開いて呆然としていた。
「見てみてよ香澄。あのメイド服高級品だよ。布がしっかりしてるし」
それを見て少々空気を読めないことを呟いているのは雅紀だ。既に彼の興味は異世界に来たことからメイド服へとシフトしている。まあいつものコトだから仕方ないと香澄は深く考えるのはやめてメイドの一人へと話しかける。
「すみません。この中の責任者は誰かしら」
「しょ、少々お待ちください! 今担当の者をお呼びしますので!」
突然のことに混乱しているのかメイドは走って部屋から出ていく。それを見ていた香澄は彼女たちがメイドの中でもしたっぱの部類に入ることをなんとなく察していた。
「ちょっと雅紀。メイド服に感激するのもいいけどちゃんと見なさいよ。アンタの長所は悪意が見えるその眼でしょ?」
雅紀を小突きながら他人に聞こえないような声で香澄は話す。
「え? あ、うん。でもこのメイドさんたちそんな悪い人に見えないけどなあ……」
「この人たちは多分何も知らないしたっぱよ。下だけ見てたら善に見えても上を見たら真っ黒なんてよくあることよ」
そう言われて納得したように頷くと、雅紀は教室でやったように眼に力を込めた。そうすることによって雅紀の見ている風景は激変する。
白一色だった部屋には魔力の光と人の悪意という名の黒いモヤが現れる。だが人々から漏れる黒いモヤは目を凝らせば見えるほどで決して大きなものではなかった。
「思った通り大したことなかったよ。やっぱりここにいるのは皆いい人じゃないのかな?」
「まだ木しか見てないのに決めつけるのは早いわよ。森を見ないとどうにもならないわ」
相変わらず小声で話していた二人であったが、そんな二人の元に一人の男性がやって来た。
「ほう。君達が遅れて召喚されてきたという者達か」
その男に二人が抱いた第一印象は赤だった。
元の世界ではまずあり得ないであろう根元から染まった赤い髪。そして髪と同じ深紅の軍服を身に纏い、挙げ句の果てに腰に差している剣の鞘すらも赤い。そしてその赤い瞳にはいかにも自尊心が高そうな光が宿っている。
「あなたは?」
「私はハロルド。この国、エルノリア王国の騎士だ」
「私は深山香澄です。そしてこっちが速水雅紀。お察しの通り異世界から来ました」
頭を下げながら挨拶をする香澄に倣って雅紀も頭を下げる。だが雅紀はその男に底知れぬ危機感を感じていた。それを知ってか知らずかハロルドは話を続けていく。
「そうか。多少イレギュラーな事態ではあるが君達を受け入れよう。それにしても随分と落ち着いているな。先に召喚した者たちはあわてふためいていたというのに」
「これでも怪奇現象には慣れてるんで。それよりもつかぬことをお伺いしますが……そこの魔法陣で私たちは元の世界に戻れるんですか?」
どこか疑り深いハロルドの目線を全く気に止めることなく香澄は尋ねる。
「それは無理だ。そもそも召喚を成功したこと自体が奇跡のようなものなのだ。それを送り返すなんてことは私たちにはできない」
その言葉に香澄はやっぱりかと思った。この手の異世界ファンタジーにありがちな展開だというのも有るのだが、何より折角召喚した人間達をハイそうですかと返すわけがないと察していたからだ。
「そうですか……けどそんな欠陥魔法よく――」
「それよりも君達には陛下に会ってもらわなければならない」
「陛下ってことは王様ですか!? 俺一生で一度でいいから本物の王様と話してみたかったんですよね」
自分の言葉を遮られたことに対して、見るからに苛立ちを隠すので精一杯な香澄に反して雅紀は心底嬉しそうにそう語る。
「そうか。だがくれぐれも陛下に失礼の無いようにしてくれ。なんといっても彼はこの世界を統べる者にして救世主であり、才色兼備の皆の憧れの的であり、私が唯一忠誠を誓う御方なのだからな」
それに対するハロルドの言葉にはどこか狂気的なものが含まれている。目もどう見ても危ない人のそれだった。
しかしそんなハロルドの主自慢を雅紀はさらりと受け流す。
「そんなに凄い人なんですね。そういえばそもそもなんで二年六組の皆を召喚したりしたんですか?」
「歩きながら教えてやろう。ついてこい」
ハロルドはそう言って部屋から出る。二人は一緒に転移してきた荷物を持って彼の後を追う。
「現在このエルノリアを含めて人間の国は魔族の驚異に晒されている。奴等魔族は世界を手に入れようと世界各国に戦争を仕掛けているのだ」
「なんでそんなことを?」
「奴等の考えなんて知らん。確かに言えることは奴等を殲滅せねば人類が滅びかねん。
だが魔族は思いの外強大だ。今の人類は数では勝っているものの一人一人の地力では負けている。そこで我が王は考えたのだ。異界より力ある戦士達を召喚し、世界を救ってもらおうとな」
そんなハロルドの言葉に、雅紀と香澄はこの世界に来る前から抱いていた疑問を思い出す。
「こんなこと言うのもなんなんですけど、普通の学生として生きてきた私たちや彼らに世界を救う程の力があるとは思えません」
「案ずるな。この世界とお前たちの世界ではレベルが違う。よってお前たちの世界では普通でも、こちらの世界では最強の座につくだけの力を発揮できる」
「でも……俺には皆よりもハロルドさんの方が全然強く見えますよ? 体からわき出てる魔力もこう、ブワァって感じでめちゃくちゃ凄そうだし」
その言葉にハロルドの眉がピクリと動く。それを見逃さなかった香澄は、彼がなにかしら隠し事をしている可能性を視野に入れて更なる質問をぶつける。
「もしかして今の皆ってハロルドさんよりも強かったりするんですか? 世界のレベルが違うなんて言うほどですから」
「ま、まあな」
短く答えた後にハロルドは小さく何かを呟く。二人にはなんと言ったか聞こえなかったが、雰囲気からして嫌悪感に満ちた言葉であることは間違いないようだ。
「ところで皆は今どこにいるんですか?」
「あ、ああ。彼らは今、この近くにある洞窟にもぐって訓練を受けている」
「なんでわざわざ洞窟なんかに?」
「洞窟には魔物がいる。あそこの畜生共は新兵の訓練にはうってつけだからな」
つい数時間前まで平和に暮らしていた高校生を自分達の都合で兵士として扱い戦わせようとしている。その事実が雅紀の琴線に触れる。
「でも嫌だって言った人は居なかったんですか?」
「居なかった。皆、我々のために戦うことを決意してくれた」
その言葉に正体不明の違和感を拭い切れないまま雅紀と香澄はハロルドについていく。
3人はいくつもの階段を登り、最上階にある王座の間へと繋がる扉の前にたどり着く。
「いくら勇者と言えども王に無礼な真似をすることは絶対に許されん。心しろ」
ハロルドは二人に忠告すると、雅紀の身長の二倍以上はある巨大な扉を開く。
「陛下。件の二人の勇者をつれて参りました」
「ご苦労。お前たちが異世界から来たという、勇者達か」
陛下と呼ばれた男はゆっくりと、それでいて威厳に満ちた声で話しかける。2メートルはあろうかという巨体と筋骨隆々なその肉体からは、座っているだけなのにただならぬプレッシャーを二人に与えている。
「う……」
そんな中、雅紀は顔を青白くして膝をつく。息は荒く、苦しそうに目と口を押さえている。
「ちょっと雅紀! 急にどうしたの!?」
突然のことに香澄は必死で声をかけるが依然として雅紀は苦しんでいる。そして数分と経たないうちに雅紀はその場に倒れてしまった。