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【7】 拘束

 夜目にも美しい2つの尖塔を持つ教会は、空け開かれた半円の上部を持つ扉のない穴を潜り抜けて先へと繋がる。

 内装はとても簡素であり、中央を割るように引かれた臙脂色の絨毯が奥へと続いていた。

 私は両腕を後ろで拘束されたまま、ふたりの兵に両脇を抱えられ、奥へと歩かされている。

 辺りに人影はなく、絨毯を踏む音が聞こえて来るほどに静まり返り、肌にひんやりと触れる空気を揺り動かしながら、まるで寝静まった空間を呼び起こすようにして進んでいた。

 暗い内部には窓ひとつなく、手の届かないほど高い位置に付けられた蝋燭の明かりだけが、影を揺り動かしながら辺りを染めた。

 後方にある高い穴とは違う、人が立ち、頭一つ分ほど高い扉が前方にあり、臙脂色の絨毯は途切れる事無く、扉の下の隙間を縫って奥へと続いている。

 私の右腕を抱えていた兵が扉を押し、左腕を抱えている兵と共に扉を潜る。

 丸い壁に囲まれた空間の中央に、地下へと下りる階段があり、その先は闇に沈んでいた。

 丸い蓋が左右に開かれ、地下へ下りる階段の脇にある。蓋を閉めれば内側からは開くことの出来ない取っ手も引っ掛かりもない蓋は、押しても押し上げられないくらいに重い物に感じられた。

 穴の中に続いて行く階段は、朽ちた木製の板が組まれた物で、踏むと嫌な音を上げた。ゆっくりと板を踏み抜かないようにしながら、前後の兵の間で、体を支えられる物もなければ、支えられる腕も拘束状態の不安定なまま、ただでさえ新しい体の不自由さもありながら下りて行くと、頭部が穴の中へ入り込んだ瞬間、呼吸の中に冷えた空気が入り込んで来て、その香りは涼やかな水の匂いを孕んでいた。


「……ここは?」


 感嘆を含む声が漏れた。

 最後の段を越え、黒く濡れた石を踏めば、目に映り込んで来た物は、暗い洞窟の向こうにある開けた空間で、固い壁の上部から入り込んで来る細い光の線が、地面から生えているような鉱石、水晶だろうか、キラキラと無数の光を反射させていた。

 あまりに美しい世界が広がっている。


「綺麗だろ?」


 私の前に立つ兵が私を振り返りながら、そう呟いた。


「……綺麗」


 ルバールに集う魂の光に触れると、その者が思い残した感情や風景、大切な場所などが、心の中に投影される。そういったものを垣間見ながら、人の生活する場所や行動を想像して来た。幾千、幾万もの魂の光景を見て来たけれど、その中にこんなに美しいのに、悲しい感情を呼び起こされる場所はひとつもなかった。

 私の後ろに下りた兵が、私の横に並ぶ。そっとその横顔を見れば、兵の表情に浮かんでいたものは、何かを後悔するような顰めた表情で、細く吐いた息もまた、辛く悲しいもののように思えた。

 前方に立っていた兵が私の左腕を持ち、横にいた兵が私の右腕を持つ。左右の手に引かれて足を進められ、濡れた石を踏みながら歩くと、連なりながら天井まで届いている大きな水晶石の前で立ち止まった。


「……俺たちを恨むなよ」


 右の兵がそう言うと、左右の腕が解放される。拘束は解かれないまま、兵の手が私の背中を押し、私は体を投げ出すようにして右肩から地面に落ち、水晶石で背中を打ち付けた。グフッと喉が鳴る。次いで腕と背中に痛みを感じた。

 体に付くものが蠢き、腕を這うものの感触を得る。「まだだ」と、心の中で念じている自分を知り、なぜなのかと思いながら、踵を返し、元来た階段を上って行こうとする兵の背中へ視線を向けた。


「なぜ?」


 喉を発した声は、辺りの壁にぶつかり、幾重にもなって戻って来る。


「悪く思うな、俺たちは上の決定に従っているだけだ」


 逃げるようにして階段を上がって行く兵の姿は、追いかけて来るなと言っているようで、私の行動を諦めへと導いている。


「ごめんね」


 後に続き、階段の上部で振り返った兵が私を見てそう言うと、振り切るようにして段を上がり、上部に付けられていた蓋を閉めて行った。


「あっ……」


 どうしてこんな場所にひとり残されるのか。ただただ美しく、物悲しい空間は、私をひとりきりであることを知らしめるばかりで、ルバールではひとりであることが当然であったのに、人の体を得たばかりに、心細さと悲しみ、そして頭の中が燃えてしまいそうな熱を感じるようになった。これが怒りであるのかと知るのは、やり切れなさに水晶石を何度も蹴り飛ばしていた時だった。

 蹴ったところで水晶の柱はびくともしない。代わりに足に痛みが増えるばかりで、よりいっそうの不安定な気持ちを抱えることになっている。どう叫んでいいのかもわからず、ただ荒い息遣いを繰り返していると、ひたひたと近づいて来るものがあった。


「……水」


 凍ってしまうほどの冷たい水が、ゆっくりと迫り、私の体を濡らして行く。それは何の波紋さえも見せず、ゆっくり空間を埋めて行った。

 足の下を濡らしていた水が膝を埋め、腰を埋め、ゆっくりであったが私を沈めて行く。その静かな侵略の意味に気づいた時、私は一気に立ち上がり、水晶柱の傍から階段へと早足で歩いていた。

 殺される。

 この空間の奥にあるという地底湖。それがどういう訳か水嵩を増しているのだろう。

 階段の上部へ行き、肩で蓋を押し上げようとしても、重い蓋はびくともせず、肩に痛みを伝えるばかりで、せめて腕だけは自由にならないかと縄をほどこうと動いてみても、水にぬれた縄はより締め付けを強くするばかりだった。

 死というものと寄り添うように生きて来た。けれど、死というものの本質を知らずに生きて来たのだ。

 望まずに得てしまった命というものは、得た瞬間から死というものをも背負わされている。

 空腹を感じるたび、傷みを感じるたび、死というものへの恐怖が募り、魂だけになることの本当の意味を知ることになった。

 生きることを知らなかった私が、死というものと向き合った瞬間、生きたいと願っている。苦しみは欲しくない。痛みは恐怖へと繋がっている。


 死にたくない。

 生きたい。


 願いを痛烈な思いと共に心の中に反芻させれば、頭まですっぽりと埋められた水の中で、息ができない恐怖を味わった。もがき、苦しむ。人になどなりたくなかったのにと神を呪う。

 水はもう天井までを埋めている。

 何をする為に命を得たのか。

 こんなことならルバールから出ず、何もしないまま命を失った方が良かったと、後悔ばかりが脳裏を過ぎる。

 アルバであった私が、死を恐怖し、魂になることを拒んでいる。

 滑稽だった。

 自分の存在価値をも見失った。

 どうにもできない力に飲み込まれて行くうちに、ほんわりとしたぬくもりに包まれたような気がした。温かな、気持ちの安らぐ光のようなものが、私の身を包み込み、慰めているような、そんな心地。もういい……と、諦めの境地に至り、水に抵抗することをやめ、ゆったりと身を開いていた。

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