【6】 ルード教会
バーミナ州の南西に位置する、教会を中央に置いた特区には、その区域を遮断するように壁が連なっている。一般に開け放つ門は、特区の西に位置する一点だけだった。
町並みは中央に位置する教会の西入口から、放射線状に伸びる形で敷かれた道に沿う様に建てられている。どの道を行っても教会へ辿り着く仕組みなのだが、西の門から境界へ一直線となる太い中央道に、一般的な商店や宿泊施設が営まれており、巡礼者は裏道に入り込むことなく中央道と教会との往復で事足りる仕組みになっていた。
私は戒めを付けられたまま馬車に揺られ、中央道を一直線に教会へ向かっている。
すでに日は山の向こう側へ落ちた。
闇に沈んだ街並みには、店の角に吊り下げられたランプの明かりだけが彩りを与えている。そのぼんやりとした光りは、別の場所を映し出さないぶん、どこか秘密めいた雰囲気を与えているようだった。
目前に聳える教会の左右には対の尖塔があり、その中央部には丸い花窓が付けられている。建物の翼楼には半円を付けた窓が規則正しく並んでいて、上部の内側に鐘が設置されていることが伺えた。
見上げてもなお高い教会は、闇に沈んでなお、私を圧倒させながら近づいて来る。
しかし、どこか懐かしい空気がそこにあるような気がして、不意に鼻の中が痛くなり、痛みと共に瞳から雫がこぼれ落ちた。
早くあの中に入りたい。そんなことを思いながら、人としての現象をどうして良いのか戸惑っていると、不意に馬車が止められた。
気持ちが急いていたぶん、そこへ辿りつけなかったことの失望は大きく、思わず追い求めるような視線を教会へ送っていた。
村人とのことがあってから、海兵は私を気遣う態度を取るようになった。
「手続きをして来る」
そんなことを呟いた海兵は、私の腰に脱いだ上着を掛けた。そうすれば身柄を拘束されているとはわからなくなる。だが、今更だと思う部分もあって、やはり以前のように純粋に彼の行動を見守ることができなくなっていた。
海兵の背中を見送りながら、彼の入って行った場所を観察する。
教会へはまだ十棟以上の建物を越えて行かなければならない。ここはどういった場所なのかと眺めていれば、店の奥から白い兵服を着た者たちが出て来る。海兵や陸兵と同じ作りの兵服であるから、彼らもまた、国に仕える兵なのだろう。
私は周囲を見回すのを止め、大人しく足元を見て彼らが通り過ぎるのを待った。街というものに入り込むのも初めてである。人というものがどんな営みをしているのかも知らない。自分がどんな目で見られているのかもわからない。
彼らが私の乗っている馬車の横を通り過ぎる時、言いようもない不安が襲っていた。村人からの理不尽な痛みを思い出したのだ。彼らもまた、私を異端者として扱うのかも知れない。
酷い想像が脳裏を巡る。
馬車から落とされ、胸倉を掴まれながら、腹に痛みを受ける。地面に転がされ、背中に鈍痛が走り、すぐに熱とも取れる痛みの繰り返しが襲い掛かる。
身の中の獣がざわりと蠢いた。
「お待たせしました」
聞きなれた声が聞こえて来た。
聞こえて来た声の方へ顔を向ければ、不安げに歪んだ表情をした海兵の姿があった。
「どうかしましたか? 顔色が悪い」
馬車に乗り込んで来る海兵の重みで、馬車が揺れ、その後、すぐに馬に鞭が入れられた。
馬車の動きに合わせて体が動く。
額に浮いた汗を拭いながら、身の中の獣が静まって行くのを感じた。
神の獣は、私の精神状態に連動しているのかもしれないと思い、それが何を意味するのかと考えるが、何一つの知識もない私は、思考の中を巡り続けるだけの渦であった。
「いえ、……」
私は巡る思考を手放しながら、過ぎる風景の先にある教会へと意識を移した。
近づけば近づくほど、その大きさに圧倒される。上部などすでに空の闇と同化しており、薄らと光る鐘だけが存在を知らしめていた。
教会の敷地を示す門へと差し掛かると、馬車の速度が徐々に落とされ、門を潜った所にある、円形に空けられた場所で停まった。
教会の門を潜り抜けたが、その先にももうひとつの門がある。こちらは鉄製の高い柵で出来ており、その奥に門を守る衛兵が立っている。門の脇にある小さな木戸が開くと、兵士が二人が走り出て来て、馬車の横に立った。
素早く馬車から下りた海兵は、先ほど立ち寄った所で受けて来た書類を兵士のひとりに手渡している。
「私は巡礼船07号に配属されているシリルと申します。海兵長の指示ににより、不審者を連行致しました。これより身柄をお預けします」
海兵は両手を腰の後ろに回し、朗らかな声で兵士に向かった。
「了解しました」
兵のひとりが、海兵と同じ姿を取りながら、同じように朗らかな声を上げた。
もうひとりの兵が馬車に乗り上げ、私の手にある縄を引く。
「ここはどういった名の教会なのですか」
そう兵に告げると、兵の鋭い視線が私を射る。
兵の代わりに言葉を発したのは、私を連れて来た海兵だった。
「イール神殿を守護するルード教会だ」
海兵の言葉を聞き、私の記憶する名と同じだと知り、もう何日も前だと思える男の姿を思い出し、同時に彼の言葉が脳内で再生されていた。
「イール神殿の司祭、ハル=ジーン……」
そう呟けば、海兵の表情が歪んだ。
「どこでその名を?」
その問いに対する答えを口にすることはできず、同時に海兵もまた、私の答えを察知したのだろう、口を開く前に言葉を制するような素早さで言葉を紡いだ。
「いや、話すな。……だが残念だ、その名をもっと早く口にしていれば……」
「今、ハル=ジーンと言ったか!」
海兵の言葉を遮るように、私を連れ、馬車を下りようとする兵が言葉を発する。
海兵の視線が私に答えるなと言っている。代わりに海兵が口を開いた。
「神に背き、この地を去った者の名を口にするとは……、申し訳ありません。下の街での噂を聞きつけ、神殿の名を聞き、連想で口にしただけのことです」
海兵がそう言えば、兵の身を覆った張り付けた空気が柔らんだ。
「なるほど、そうであったか。強くかん口令を敷かねばなるまい」
私が馬車から下ろされると、海兵は礼を取ってから馬車へと乗り上げ、馬に鞭を入れて教会から引き戻って行った。
「来い」
強く縄を引かれながら、門の脇にある木戸を潜る。
木戸の向こう側には、懐かしい神聖なる空気が張り巡っていた。