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【4】 災害

 異変は一昼夜を船で過ごした所で訪れた。

 部屋に運び込まれた食事は、船の上ということもあり、干した肉と乾いたパン、それにコップ一杯の水が、日が落ちた時刻と日が昇った時刻に配当された。

 口に入れられる分を千切り、頬張り、咀嚼し、喉を通して飲み込む。その作業さえ初めてのことで、体の中央を流れ落ちて行く異物の感覚も奇妙に思えた。その動作がとても遅いらしく、いつも半分ほど食べたところで器を引き取りに兵がやって来る。はっきり言えば、どの程度食べたところが満腹なのかわからない。それとは逆に、腹が減るのは痛烈に感じられるようになり、これもまた生きている証の一つなのかと不便に感じた。

 その日はいつもの通り、兵が器を引き取りに来た時のことで、私の監禁されている部屋にいる兵を呼ぶ別の兵が扉を開けたことで異変に気付いたのだった。

 兵は緊迫した様子で扉を開け、緊急体勢命令が出たことを告げた。それを聞いた兵は一瞬にして緊張を露わにし、受け取った器を机に戻し、そのまま急ぎ足で扉を潜り抜けて行った。

 私はぼんやりと閉まった扉を見ていた。いつもは施錠の固く重い音が響く。けれどさきほど兵が出て行った時には聞こえなかったと、緊急を要する命令が出た為に、施錠を忘れて行ったのではないのかと考えていた。

 緊急体勢命令とは何か。明らかに何かが起こったのはわかる。けれど部屋の中に閉じ込められたままではそれが何か探る手立てはない。

 部屋を出たらどうか。きっと何らかのお咎めがあるだろう。けれど胸の辺りがそわそわと揺れる。視界の先にある扉を開けたくてどうしようもなく、そう思いながら耐えようと思うのだが、足が勝手に扉の傍へ向かっていた。

 扉に手を掛ける。ゆっくりと押してみれば、細く明るい日差しの線が床に映し出された。それと同時に兵の掛け声や人の交じり合った声が方々から聞こえて来た。悲鳴よりは鈍い、不安の声といった感じだろうか。

 不意に船の航行が止まる。次いで来たのは今までとは違う船の揺れだった。

 あとどれくらいで目的の地に辿り着くのかもわからない私では、これが通常のことなのか、それとも異例の事態であるのかもわからない。けれど外の様子を伺い見れば、これが異例のことなのではないかと推測できる。

 このまま外に出て先の風景を見てみたい気になってはいたが、右往左往する兵の足並みを眺めているうちに、いらぬ迷惑を掛けては手を煩わせることになるかと思い、薄く開けた扉を閉めた。

 閉めたと同時に、扉の向こうに駆け寄る人の気配を感じ、思わず後退る。

 急激に大きく開かれた扉を正面にし、あと僅かの差で扉に押し飛ばされていたかという位置にいた私は、突然正面に現れた、聖地で出会った彼の出現に戦く事となった。


「何をしている」


 施錠を確認もせず扉を開けたくせに、彼はそれを扉を開けてから気付いた様子で、私に罵倒を浴びせた後、兵の失態であることを悟ったらしく、ほんの少しの躊躇いを見せた。


「……何かあったのですか」


 逃げる気は毛頭ない。ただ様子を知りたかっただけなのだと行動で示すように、私は元の場所、食事を取っていた椅子に座りなおした。

 彼は私の行動の意味など感じる余裕もないように私に近づき、私の胸倉を掴んで立たせ、私よりほんの少し低い目線で私を睨み上げる。


「おまえのせいだろう!」


 苛立つ態度と罵倒。掴み上げられた胸元の手が、怒りに任せて震えている。

 いったい何のことかと、私はただ彼の顔を眺めていた。

 彼の怒りと私の不可解な視線がぶつかり合う。一瞬がとても長く感じられる間であった。


「もういい!」


 彼は勝手に怒りをぶつけ、勝手に諦めを見せた。

 踵を返した彼の背中は、未だ怒りに震えていたが、その中に自制しようとする姿勢も伺い見えた。


「私に何か関わりが?」


 とにかく私には知識が足りない。こうして私に感情をぶつけられても、それが何を意味し、何を感じてのことかを察することができない。

 何らかの異変があったのだと想像はできる。けれどそれがどう私に関わって来るのか見当もつかない。知識不足のせいなのか、私の配慮が足りないせいなのか。それとも私という存在が彼らを惑わせているのだろうか。

 彼は私の疑問の声を聞き、肩を僅かに動かす程度に振り返った。


「身に使獣を描くことに意味はないのか。それが神の怒りに触れたのでは?」


 彼は震える声でそう告げると、大きく嘆息しながら俯き、額から髪を掻き上げるように押さえた。

 私は自身の胸に手を当てた。反対の手で腕にある蛇の模様を掴む。これらの文様に特別な手触りはない。けれど身の内側には鼓動があり、蠢けばそれが感覚として伝わって来る。けれどこれらは神に宿らせ示しものたちだ。神が寄こしたものが、神の怒りに触れる結果になるとは思いにくかった。だがそれは私の意見であるだけで、事実がどうなのかまではわからない。絶対にないと言いきれない部分が曖昧な表情として現れていたのだろう。僅かに振り返り見た彼の表情に、暗い怒りの笑みが浮かんでいた。


「……俺のせいだ。俺がおまえなど乗せたばかりに……」


 ギリリと彼の奥歯を噛み締める音が聞こえた。喉を過ぎる呼吸音も確かに。

 怒りは私に向けられたものではなく、彼自身に向けられたものだと悟る。彼はこの3艘の船の責任者に当たる。彼の行動が全て乗船している者たちの安否に関わるのだ。

 私には掛ける言葉が見つからなかった。


「とにかく、これだけは忠告しておいてやる」


 そう言った彼はとても複雑な表情をしていた。人の微妙な表情など読めない私は、ただ彼の言葉を聞き逃さないように見ていることしかできなかった。


「王族であると取り繕うよりは、巡礼者であるとした方が良いだろう。もしそれで通用したのなら、バーミナ国東部、ルギナ州西南にあるイール神殿の司祭、ハル=ジーン三師の名を出すと良い」


「……バーミナ国東部、ルギナ州南西にあるイール神殿……」


 神に纏わる施設のなかでも強い力を持った場所はアルバだった頃の記憶の中にあった。しかし、従事する者の名まではわからない。


「ハル=ジーンだ、良く覚えておけ!」


「……ハル=ジーン」


 彼の言葉を繰り返せば、彼は良く覚えておけと言うような態度をとり、そのまま背を向けて扉から去って行った。

 いったいどういう事かと考えてみても、突然の彼の行動の意味を図ることはできなかった。ハル=ジーンという名を覚えたが、それがどのような意味を持って来るのか想像さえできない。

 私は落ち着きを取り戻そうと椅子に座り、壁にある丸い窓の方へ視線を向けた。

 波が大きく船を揺らしている。高い波が船を襲い揺らしているのだが、それが通常の波の高さなのか、そうでないのかもわからなかった。

 私は慌ただしい船の様子を感じながら、静まり返った室内で静かに座り続けている。

 これからどうなって行くのか。考えても辿りつく答えはなかった。



 長い時間が過ぎた。

 船内の混乱は沈静化されている。船の航行も再開された。しかし、私のいる部屋に訪れる者はいない。まるで忘れられているようだと思いながらも、鍵の掛けられていないとわかっている扉を開けるまでには至らなかった。

 考え続けている。なぜ彼は私にあんな忠告をしたのだろうかと。

 そればかりが脳裏を過ぎるが、それもまた、答えの出ない事柄だった。

 それから僅かの後、丸窓の外に海岸が見え出した。

 むき出しにされた海岸線は、波で削られたように荒れている。これがバーミナ国の海岸なのかと、発展した国であろうという想像を打ち砕かれる。けれどそれはどうやら違う意味を持つのだろうことが、削られた海岸線に崩れた建物と、波間に漂う瓦礫が見える。遠くから国の紋章のある旗を掲げた船が迫って来ている。海岸線はまだ遠く、肉眼で状況を見る事はできなかったが、陸での混乱も想像できる。

 高波が国を襲った。

 停泊する筈だった港が波に飲まれ、停泊することが叶わなくなり、この船は海岸線から離れた場所を迂回しながら、別の港を探しているのだろうと推測させる。

 ぼんやりと丸窓の外を眺めていると、不意に部屋の扉が開き、そこから3人の兵が雪崩込んで来た。


「縄を掛けろ」


 一人の兵が声を掛けると、別の二人が私に近づき、後ろ手に縄を掛けて行く。


「これより身柄を機関に連行する」


 命令を出した兵が先頭に立ち扉を開けると、私の腹に掛かった縄を掴んで連れて行く兵と、私の後ろを歩き見張る兵とに分かれ、引き連れられながら扉を潜り抜けた。

 明けた視界の中に広い世界が飛び込んで来た。

 青い空と碧い海、白い波間には未だ残骸が漂っているが、船が停泊している港は整備の整った美しいもので、下船した民が安堵した様子で港に下り連なっていた。下船する民を待っていた者たちが彼らに駆け寄り、無事を喜ぶ姿もある。さらに先を見れば、別の船が何艘も停泊しており、物品を下ろす者や積む者たちの姿が伺えた。

 連行されるまま木橋を下りれば、下りた先にはすでに別の兵が待っている。

 私は3人の兵に連れられ、別の兵の前に引き立てられると、5人の兵が私の前で背筋を正しく佇んでいる。

 3人の兵もまた、背筋を正し、直立不動となり、素早い動きで右手を胸に当てた。


「巡礼船07号より不審者を連行致しました。これより身柄をお預けします」


 船から降りた兵は皆、白い上着とズボンを穿き、膝下までの黒いブーツを着用している。それと同じ作りの兵服を陸に現れた兵も着ているが、色が黒という違いがあった。


「中央区は現在、混乱のさ中にある。よって巡礼船での逮捕者は、聖職者により裁かれることになった。巡礼船07号はこれより救助船とし、必要な物資を積み、被災地へ出航させる。逮捕者は教会へ送れ」


「はっ」


 海兵は陸兵に向け礼の作法を取り、足早に通り過ぎる陸兵の背を見送った。

 私は自身がどうなるのかわからず、ただ、私を連行している海兵を見やっている。


「私は彼を境界へ連行する。諸君は救助作業に戻ってくれ」


「はっ」


 ひとりの海兵を残し、他の二人は礼の作法を取ってから踵を返し、船の方へ足早に戻って行った。

 私と海兵は、その様子をしばらく見守り、新たな任務に就いた巡礼船の様子を観察した。

 三艘の巡礼船は、別の船と同じように物資を積み込み、陸兵を何人か乗せると、慌ただしい様子で離岸して行く。


「では行こうか」


 どこかゆったりとした様子で港とは反対方向へ歩き出した海兵と共に、港町の中へと向かって行く。

 私はふと思い立ち、首を巡らし、王族であった彼の姿を探してみた。しかし、彼らしき姿を見つけることができず、彼を迎えに来ただろう者たちをも見つけることはできなかった。

 王族であるのなら、特別な待遇で迎え入れられるものではないか。聖地に踏み入ることのできる唯一の存在を、国が特別に扱わない筈はないと、そういう知識の中での考えが間違っていたのかと思わされた。それとも、彼も救助活動に赴く為、下船しなかったのだろうか。

 私の進む道の脇には人垣ができている。皆、不審な目で私を見ては口々に何かを囁き合っているようだ。

 その人垣の中央を歩まされながら進むと、道沿いに停車する馬車があることがわかる。

 お金を払い、目的地まで乗り合わせる馬車なのだろう、丸い杭に停車場を表す文字が書かれている。その前に民が列を成し、発車を待っているようだった。

 それと同じような光景が、道の端に幾つか見る事ができる。行き先が違うのだろうと、それらを見ながら道を歩めば、その先に、国の紋章を掲げた旗が道の脇に立っている。近づけば、そこは建物の間に入り込むようにした空き地があり、その中に何台もの馬車が止まっている。馬だけが何頭も繋がれた縦長の小屋もあり、兵がそれらの馬を世話している様子が伺えた。

 海兵がその空き地に足を踏み入れると、兵のひとりが歩み寄って来て、何やら兵同士の会話をする。私は海兵の後ろで俯き、しばし時を待っていた。

 そのうちに一台の馬車が目の前に用意され、海兵は私に視線を送ると、その馬車に乗るよう、私の腰縄を引く。

 馬車は二頭立てで、大きな対の車輪の間に、二人乗りの座席と、座席の足部分が後ろに張り出した形の荷台があるだけの簡単な造りだ。

 私は座席の端に腰かけ、中央寄りの反対側に座った海兵が手綱を握る。

 礼の姿を取る数人の兵に見送らながら、海兵は馬に発車の意を伝え、ゆっくりと回り始めた車輪の音と、馬の足音が辺りに響きだした。

 空き地を抜け、車道に出る。街は低い屋根を持つ、似たような形の建物が連なっており、軒先に様々な文字と絵柄を付けた看板が並んでいた。それらには宿屋、食事処、いろいろな物を扱う商店などが表されている。

 店の前には歩道があり、歩道の端々に集って話し合いをする民の姿が多数ある。どこか喧騒としているのは、災害があった為なのだろうか。

 私は横に座り、馬車を扱う海兵に話し掛けて良いものかと躊躇いを持ったが、この車の中に二人きりであるから、とにかく聞きたいことを口にしてみようと、小さな声を出してみた。


「あの……」


 空白が空く。

 それからため息が聞こえた。


「何だ」


 話すことを躊躇う声。表情は変えず、私の方を向くこともなかった。


「気になっているのですが、私を船に乗せた王族の方はどうされているのでしょう」


「王族? あの巡礼船に王族などいない。あれは民間人を乗せ、聖地に祈る為だけに運ぶ船だからな」


 小声であるが、厳しい口調であった。

 私は口を噤んだ。この海兵は、彼の傍に仕えていた者だと記憶している。それなのにあの船に王族はいないと言う。彼が王族であることは、聖地の門を越えられたことで証明されている。そうして思い至ったことは、彼があれから姿を見せなくなったということだ。何らかの事情があるのだろうかと、私は彼に関することを口にすべきではないのだと悟った。

 しかし、彼の方から小さな含み笑いが聞こえて来て、私はいったいどうしたのだろうと小首を傾げた。


「というのは建前だ。だが、私たちには私たちなりの事情がある。その事情を知らないということは、あなたが我が国の者でないということだ。ならば私の口から我が国の事情を明かすことはできない」


 海兵の雰囲気から固さが抜けた。声も柔らかくなった気がして、私はほんの少し肩の力を抜く事が出来た。

 とにかく王族であった彼のことは聞いても無駄なのだとわかる。だから別の質問に切り替えた。


「あれはどうしたのですか? 海岸の荒れ方は……」


「災害だ。荒波が港を襲った。それだけではない。砂漠の向こうでは龍巻きが襲ったと報告された。さらに北方の国では一夜の零下で畑の作物が一瞬にして枯れ果てたらしい。別の地では大雨で大地が削られたと報告もある」


「……そんなに」


「そうだ、船に荒波が押し寄せ航行停止を余儀なくされた日のことだ。様々な地で様々な災害に見舞われていた。いったいこの世界に何が起こっているのか」


 私は兵の言葉を聞き、王族の彼の言葉を脳裏に閃かせていた。


(身に使獣を描くなど! それが神の怒りに触れたのではないか!)


 彼の言葉は怒りに満ち溢れていた。全てはこの災害を知ったうえでの怒りだったのだ。

 私はそれ以上、兵に問うことができなかった。

 荒れ果てた海岸を思い出し、別の地でも災害に見舞われたのだと想像し、そのあまりの惨状に心が震えた。そうして最後に想い至ったのは、聖地に溢れた、行き場のない魂の光であった。

 私のせいだとは思いにくい。けれどこの地が終焉に向かっているのを知る者としては、何らかの問題があるのだろうと思える。そして私を神が使わしたというのなら、僅かな隙間かもしれないが、私に止められる可能性があるとしたからだと思うのだ。

 私にできる何か……。

 けれどそれは見ることの叶わない未来の話しだ。ほんの小さな隙間から覗く光に手が届くか否か。

 届く訳がないと心のどこかが軋んだ。

 私は深く項垂れ、両手と腰を縛る縄の痛みを感じながら、痛みこそが生であるのかと自身の存在を確かにし、同時に至らなさに失意したのだ。


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