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【3】 開門

 元よりここは、王族のみ踏み込むことの許された地である。

 こんな場所にたったひとりで残されてしまっては、向かう場所さえ定まらず、それよりも問題は、このル=バールの地から踏み出すことのできる足がないことだった。

 聖地ル=バール。

 聖地であるから巡礼の為に訪れる船もある。けれどそういった一般の船は、孤島に接岸することなく、離れた場所で聖地を拝み去って行くのみである。

 王族の巡礼もまた、各国の港から門まで進行し、それより先に足を踏み入れる者は数少ない。

 それは死者の魂が帰する場所とされた神聖な場所という概念がある為と、死者の魂が生きる者を引き込むという迷信から、よりいっそう人々の足を鈍らせている。

 私は結界の内部を見詰め続けている。

 すでにアルバとしての能力を失っているらしく、美しい発光を見せた魂の輝きを見ることも叶わず、ただの空間と化した場所の中央にある、使神イーザの像を眺めていた。

 途方もない長い時間を結界の中で過ごしていた筈だ。

 それなのにアルバの力を失い、人としての体を持った途端、僅かな時間が果てしもなく長く感じるようになっていた。

 どこか浮ついた心と共に、苛立ちと空虚を感じている。ため息を何度となく吐き出した。辺りを見回し、何かすべきことはないかと探してみたりもする。

 けれど満天の星が日の光によって薄まり、ついには日が水平線より顔を出す時刻になっても目ぼしいものを見つけることはできなかった。結局、どの港に向かっても、その手前の門さえ抜けられない。行く場所などないのだと悟るばかりだ。

 門は王族の手でしか開けられない。それはアルバであった頃からアルバの知識の中にあったことだ。その知識の中には、王族以外が門の中に入った時に起こる災いの項目もあった。

 王族である証はその血にある。神には人に見抜けぬ何かがあるのだろう。

 王族でないと判断された者は、聖地を去った後に命を落とすとされている。ならば自身もそうならないとは限らないと、アルバであった頃、脳に刻まれていた理を思い出していた。

 神の理の中でアルバから人へと変じた。ならば多少の温情もあるのだろうかと考え、それもまた神の意に動かされているだけなのだと思うと空しくもある。

 もしかしたらこのまま何日もここに止め置かれるのだろうかと危惧していた頃、昇り来る日の陽射しに斜光を照らした帆船が近づいていることを知った。

 その帆船は東側の港に接岸しようとしている。

 東の門へ通じる道は、バーミナと呼ばれる国が管轄している。ならば接岸を果たした帆船には、バーミナの王族が乗っていることになるのだろう。

 私はアルバであった時の思考しか持ち合わせていない。それは人としてある為の知識を何一つ持ち合わせていないということになる。

 孤島に5つある門を所有する国名は知っていても、その国がどこにあるのか、また、どんな国であるのか、誰が王で誰が王族であるのかさえ知らないのだ。

 赤子に等しい知識に大人の男の姿。魂はアルバであった少女のもの。ちぐはぐに重なる自身に不安を感じながら、接岸を果たした帆船から聖地に降り立つ者たちの行動を見守っている。

 長槍の上部に付けられた三角形をした布が風になびいている。黄色い地に赤い縁取り、飾り房を付けた豪華な生地の中央には、黒い糸でかがられた人魚の形がある。単純化された図柄であるから、その人魚が男女どちらかまではわからない。ただ、その文様がバーミナ国の印であることだけはわかった。

 帆船から降りた兵士は、港を守る者と、門へ向かう者とにわかれ、規則正しい足取りで門へ向かって歩いて来る。

 その一段の中に一人だけ周りの者と違う恰好をした男が見受けられた。

 簡易な旅服を着ているが、その上に巡礼者を示すマントを付けている。黒いマントが風になびくたび、ひるがえった背中部分に国を示す文様が描かれていることがわかった。

 そうなれば彼が王族であるということだ。

 門を越えて結界に近づける者がただひとりであることが伺える。それだけで幾分かは安堵した。向き合う者がただひとりであるのなら、大勢と対峙した時よりは話し合いもしやすくなるのではないかと思ったのだ。けれどそう思った矢先に、この状況をどう説明すればいいのかと惑う。惑ってみても逃げ場はなく、ただの空間に隠れる場所もなく、国の範囲を分けている柱の陰に隠れることは可能であったが、それをして何になるのかと別の部分で考えていた。

 どのみち誰かに会わなければ、ここから動くことなどできはしない。アルバではない人としての体を手に入れ、この場から動けないとなれば、それはすなわち餓死を意味する。

 門が開く音を聞いた。いったい何時ぶりかと思い、それは世界が滅亡してからの話であり、今がいつかは知らないが、少なくとも世界に光が溢れている今とは違うのだと思い至る。

 門は年に1度、新年を迎える日に5国同時に開けられる。さらには王族が死した時、個々の事情により巡礼を行う時。様々な機会にいずれかの門が開けられた。

 そういえば、と思う。

 東の門が他の門と比べて頻繁に開けられていた事を思い出した。そこから内側に入って来る者の顔も何度となく見ている。不思議と忘れずにいたのは、それが若い男だったからだろう。王族の巡礼者といっても老人が多い。大方の務めを終えた者が巡礼に送られていたのだろう。

 男は軽やかな足取りで門を潜り抜け、さらなる道へ足を踏み入れている。寄り道をすることもなく、目前に天高くそびえる白い柱を目標にするように、一歩一歩踏みしめながら斜面を登って来ていた。

 私にとってこれは人との初の対面となる。

 逃げ出したい気持ちと、どうして良いのかわからない気持ちを抱え、結局、視線を外すことさえできずに佇み続けていた。

 男の視線の中に私が映り込んだようだった。

 男の視線が私の視線を捉え、のんびりとした表情を一瞬にして陰らせた。止めた足を次に踏み出すまでに時間がかかり、何度も目に映ったものが信じられないというように、視線をそらしたり、目を顰めたりしている。それから大きくため息を吐いて、こちらへ向かう足を再開させた。

 じっと見つめる男の態度。それは初めて目にする結界外での人というもの。足音や息遣いに耳を澄まし、体の動きや仕草に目を凝らした。

 男の足が止まる。

 私から5歩ほど離れた場所で立ち止まった男は、強い眼差しをこちらへ向け、私が敵かそうでないのかを確認したのだろう、それから肩の力を抜いて一歩の距離を詰めた。


「どこの国の者だ」


 男の喉が震え、開いた口が形作り、低く骨ばった声を出した。

 男の視線は私に据えられたまま。どう反応していいのかわからず困っているようにも見えた。

 男の質問に答えるべきだとは思うのだが、私の中にその答えがない。


「ここにいるということは王族なんだろ? 5大国の王族は一応確認済みだと思っていたが……見た事がない」


「……王族ではない」


 そう呟いてみたが、どうしても言葉が固くなる。出した声が本来の自分のものと掛け離れているせいもあり、言葉遣いにさえ気を使う。女の子であった自分の声が、野太い響きもない声に変換されることに自分で戸惑っているのだ。


「王族じゃない?」


 疑うような態度と苛立った声。

 王族でない者が聖地に踏み入った後の状況を知っている者であれば当然の反応なのだろうと思う。


「まさか知らずに迷い込んだなんてことはないよな? おまえ、自分のやっていることの意味を知っているのか? それとも俺がそれを知らないと踏んで偽っているのか?」


「偽りではない。聖地の理は知っている」


 そう言えば、男は明らかな侮蔑の視線を投げ掛けて来た。


「……そうか、わかった。意味も知らずに迷い込んだのなら同情もするが、わかってやっていることなら俺がとやかく言う必要もない。そこをどけ。礼拝の邪魔だけはされたくない」


 強い歩調で結界の際まで歩む彼の気迫に気圧されたように、私は数歩後退り、彼の邪魔をしないように斜を向く。

 礼拝用のマントを翻しながら地に膝を折った彼は、祈りをささげる為に手を地に添え、目を閉じた。それから胸元に手をやり、そこから白い包みを取り出し、紐で括ってあった袋の口を開け、中からキラキラと光る小さな珠を取り出し、結界の境に当たる地に置いた。

 呪文のような言葉を呟き、地に置いた珠に手を翳した彼の姿を見やった私は、彼がこの地に舞い戻った魂を弔う為にここに来たのだと悟る。珠の数だけの魂が帰依したのだろうと考え、その数の多さに疑問を感じ、思わず彼の来た方向へ視線を馳せていた。

 彼の国は門のある方角のさらに遠い場所にある。ここから見える情景の中に災いの兆しや戦乱を思わせるものは感じられない。それでもこれだけの数の死者が出ているのかと思い、大陸がどのような状態にあるのだろうかと不安を覚えた。

 全ての人が死に絶え、魂が帰依する場所を失うような終焉がいつ来るのか。いったいどれだけの時を遡って来ているのか、それさえもわからない。

 ただ私は時の流れに逆らって存在し、本来ならばあってはならぬ魂の持主なのだということが、異端なのであろうと思うばかりで、この先の展望など何一つなく、どう行動することが正解なのかもわからない混沌とした状況だった。


「いつのものだ」


 祈りを捧げ終わり、立ち上がった彼の背にそう問い掛けていた。

 彼は神妙な面持ちで数歩下がると、私の方へ視線を向け、忘れていたものに気付いたような表情をすると、苦々しく唇を引き結んだ。


「さてね……。ここへ来る旅の途中で出会ったものたちに託されたものだからな、それぞれの事情があるのだろう」


「そういうものなのか?」


 立ち去る彼の背を追いながら、知らず知らずのうちに道を下っていた。


「民はここへ立ち入れない。だから王族である俺に託して行く。ただそれだけのことだ。他がどうかは知らない」


「……そうか、そういうものなのか」


 坂道を下る一歩一歩が奇妙に歪む。歩くことに慣れていない幼子のような足取りで、彼の背に遅れないように、彼の声を聞き逃さないように歩いている。

 彼は颯爽と歩く。風に翻るマントの動きが私の目を奪っている。そこにある人としての存在感や、彼が向けて来る警戒の気配も、私にとっては初めて感じるものであるから、それを感じた場合の対処法、処世術がわからない。ただ初めての機会を失わないように、たったひとつの繋がりを失くさないように、そればかりを思っていた。


「いったいどこまで着いて来る。まさかおまえの死にざまを俺に見せようとでも思っているのか?」


「死にざま?」


 彼は忌々しいとばかりの態度で私を振り返り、拒絶するように立ちはだかった。


「おまえの先は死のみだ。おまえが理を試そうが、どうしようが知ったことではないが、俺を巻き込もうと思うんじゃない」


 怒りに任せて背を向けた彼は、足早に門へと去って行く。

 私はその背中に魅入られたまま、王族である彼を逃してはならないとだけ思っている。けれどどんな言葉を吐けば彼を踏み留まらせることができるのか。それはどこを探っても答えはない。ならばとにかく言葉にしようと声を上げた。


「私は死なない。死ななければ連れて行くか」


「連れて行く? なぜ、俺が」


 門の前で足を止めた男が私を振り返った。

 ほんの少しの安堵が巡る。表情を緩めてしまったかもしれない。自身ではわからないうちに笑みを浮かべていたのかも。それでも心の中に巡った温かさにつられ、彼の元へ歩み寄った。


「私に出会った。私は死なない。だから連れて行け」


 彼は私の言葉を聞き、嘲るような声を出して笑った。


「馬鹿な……理は確かにあるんだぞ。俺はここに来る度、理がこの世にあることを確認して来た。神はいる、確かにいる。いるからこその理だと確認しては己の存在に惑う。それなのにおまえはそれを見届けろと言うのか。俺に理に反した者の行く末を見守れと?」


「末ではなく、これは始まりだ」


 彼の姿には見逃すことのできない何かがあった。これを逃してはならないという何らかの想いが心の中に芽生えている。

 だからといってどう説得して良いのかもわからず、ただ思うことを言葉にした。

 それにより彼は苛立ちを深くしているようだった。それはそうだろう。心と体とがちぐはぐな私を目の前にして、さらに理の外にある私の行動に不審を募らせている状態で、私の何を信じるだろうか。

 それでも、切に願う気持ちが鼓動を早くさせていた。


「……わかった、好きにしろ」


 踵を返した彼の背に着いて歩みを進めた。

 彼の不信感をぬぐえた訳ではない事が、彼の態度からにじみ出ている。

 けれどそれで良かった。これでやっと始めることができるのだと、背後になった結界を振り返り、高く天を貫く5本の柱を眺め、別離という言葉を胸にしながら白き門を潜り抜けた。

 彼が門を潜り抜けた時、門の向こう側で待機していた兵士たちは、彼の姿を見止めると、その場で片膝を地に折り視線を下げた。

 その光景は、彼が王族であると差し示すように取れ、彼らとの隔たりを見るようだった。

 血に流れる王族の証を実際に目にすることはできない。しかし、ひれ伏した兵士の間を歩む彼の悠然とした姿には、彼の背負うものを感じさせた。

 着岸している船は3艘。どれも小型の船で、浅瀬を越えた先に大型の船が3艘停泊している。そのうちの2艘には、操舵を預かる兵の他に、一般の民が多数乗り合わせており、その者の殆どが甲板で祈りの姿を取っていた。

 私は門を潜り抜けた所で足を止めたままだ。兵がひれ伏し空けた道を通る彼の背に着いて行くことを躊躇い止めた足は、彼が通り抜けた後に続き、後を追う兵の姿を見送ってもなお動けない。統率の取れた彼らの行動を見守り、船に乗り込んで行く姿を呆然と見続けている。

 兵にとって私の存在など転がっている石と同じなのだろう。彼が私を無視し続けるのなら、彼ら兵にとっても私は無意味なのだ。

 彼だけが、彼の言葉だけが彼ら兵を動かす事ができる。それは視線ひとつにおいてもそうなのだろう。

 最後の兵が彼を補助し、船に乗り込む様を見て、やっと取り残されることを恐れて足を進めた。

 それでも声を出す事ができない。どう言えば良いのかわからず、ただ小船の中央にいる彼の姿を見詰めた。意思が伝わるように、食い入るように見詰めた視線は、彼の肩先で遮断されている。諦めと、諦められない気持ちが交錯し、喉元を吐息のような声が溢れたが、それが言葉になることはない。

 離れて行く船を追い掛けるように海へ足を踏み入れた。

 くるぶしまでの海水がふくらはぎを覆い、高い波が腰を押し、海岸へと押し戻そうとして来る。気ばかりが焦り、待って欲しいという意思が手を前に出させた。

 彼は振り返ることもなく船の中に収まっている。どこか阻害するような雰囲気もあった。

 兵のひとりさえ私を見ない。見る事を許されていないとばかりに無視を決め込んでいるのだろう。彼だけが私の意思に応えてくれる相手なのだと、必死に海へと足を進めた。

 このまま海に沈んでしまうのも運命かもしれない。どのみちこのまま聖地にとどまっていても、生ある形を手に入れているのだ、何れ餓死することが目に見えていた。だったら今このまま海に沈んでしまったとしても結果は同じだろうと、振り返りもしない彼の姿を見詰める意味を失い、腹が波に飲み込まれたところで足を止めた。

 虚無が襲う。

 私は生を願わなかった。願わないものを与えられても致し方がない。それよりも死を受け入れられることに安堵さえある。死とは無なのか、それとも新たなる生なのか。形を手に入れた瞬間から芽生えた疑問でもあった。


「おまえ、まだ生きているのか」


 波間に浮かんだ私の元に、大型船に戻って行った筈の一艘が戻って来ていた。

 視線だけを動かして一艘の船に乗る彼の姿を見た。櫓を漕いで戻って来たのは彼と兵が2名。何れも私に奇異の目を向けている。

 兵の一人が彼の視線を受け、海に飛び込んで私の体を支え、船の上に乗り上がらせ、もう一人の兵が私を引き上げた。


「だとするとやはり王族だということか……」


 海に降りた兵も船に乗り上げる。その間、彼は思案に耽っているようだ。


「王族ではない」


 死を覚悟した。やっとあらゆるものから解き放たれるのだと歓喜した。けれど眼の前に彼の姿を見止めた瞬間、生きることの意味を思い出したのだ。


「ならばなぜ死なない。理は確かにある。なければならないものだ」


 彼の表情が歪んだ。

 兵は見て見ぬふりを貫き、冷静なまま眉ひとつ動かさずに待機している。

 彼は一度、大型船の方を振り返り、そして私の成りを眺めた。


「どこかの国の王族だと語ればよし、そうでなければ身柄を拘束し、機関に連行するがそれでも良いのか」


「私に語る国はない」


「……そうか。ならば不審者として拘束させてもらおう」


 彼は兵に目配せし、操舵を始めると共に、もう一方の兵に両手を後ろに組まされ、手首と腰に縄を掛けられ、縛り上げられた。

 彼の表情は固い。面倒事を抱え込んだと苛立っているようだ。

 小船が大型船に近づけば、待っていた兵が縄梯子を下ろし、彼が登って行った後、私は縄を引かれる形で大型船に乗せ上げられた。

 まるで荷物を運びあげるような形であったが、私にとってそれもまた初めてのことで、腰や手首に掛かる痛みや重みが自身の生を感じさせ、本当にこの体が自身であるのだと再確認した。

 船の上では、乗っていた民がざわざわと話している。不審者である私の噂を立てているようだった。

 兵は坦々と事を運ぶ。彼の言葉通り、私を船室のひとつに引き連れて行き、縄を外して部屋の中に突き入れた。部屋の扉が閉められ、固い施錠の音が響く。

 船が大きく揺れたことで、船が動き出したのだとわかった。

 部屋の中には小さな机がひとつと、それを囲む椅子が2脚。どちらも木製の簡易なものだ。壁もまた木製で、丸い窓がひとつある。あとは先ほど潜り抜けた扉があり、木製の扉に窓はない。

 部屋の中は暗く、丸い形の光が床に落ちている。

 ゆらゆらと揺れを体感しながら、部屋の中で立ち尽くしている私は、濡れた服をどうしようかと思いながらも、その場から動くことが出来ないでいた。

 気候はさほど寒くはない。けれど濡れた衣服が冷えたようで、肌が冷たく凍えて行くのを感じていた。

 生きるとは不便であるのだと思う。これだけのことで生死を分けることになるのかと、人とは様々な事柄に左右される不便な生き物なのだと悟った。

 扉が解錠の音と共に開かれ、踏み込んだ兵の後、彼が悠然と中に入って来た。

 彼の後に続いた兵の手には蔓で編んだ籠があり、それを机の上に置くと退出した。

 その後、彼だけを残し、二人の兵は目礼をしてから外に出て、扉を閉めて施錠の音を響かせた。

 私は彼の方へ体を向け、彼の行動を見る。


「着替えろ」


 彼は椅子の一つを引き出して座り、机の上の籠を示した。

 私は言われるまま籠の傍に近寄り、籠の蓋を開けて中から衣服を取り出し、着替えという作業も初めてのことで、籠の中に服があったことで着替えの意味を知った程の無知である。とりあえず着ているものを脱ぐ作業から始め、それさえも戸惑い、かなりの時間を要したのだと思う。

 彼は私が脱いで行く姿を見守り、一番下に付けていたシャツを脱いだところで目を見張った。


「おまえ、それは何だ」


 それと言われ、彼が見ている自身の体に目を落とした。

 そうしてやっと体に纏いつく獣の柄のことだとわかった。

 彼は立ち上がり私に近づくと、食い入るような眼差しで、私の胸と背中、腕に注目した。


「おまえは使神を装う痴れ者か」


 なるほど、そういうことになるのかと関心をした。

 私は少し笑みを作ったのかもしれない。それを見た彼は不服そうに顔を顰めた。


「刺青を得意とする国は……北のイライジャ国近郊にある部族だったか。それでも使神の持つ使獣を柄に用いることはないと聞くが。やはりおまえの存在は訳がわからん。その身なりでは王族というのも頷けない……痴れ者とするのが一番なのか? 少しは自身の事を語ろうとは思わぬか」


 服を全て取り去れば、彼の視線が外された。それでも彼の苛立ちは伝わる。私の行動が遅いからか、私の行動が人のする行動と掛け離れている為か、私にはわからない。

 布で体を拭き、用意された服に袖を通せば、それが一枚布の長衣だとわかった。

 彼の視線が戻って来る。それと同時に彼の足が床を踏み鳴らし、それを合図に扉が開かれ、兵がひとり入って来たかと思うと、脱いだ衣服と籠を持って去って行った。


「服は乾かした後に持って来させる。さすがにその格好で船を下りるのは、たとえ拘束者だとしても体裁が整わぬからな」


「……体裁」


 体裁とは何の事だと、語句を繰り返してみたが思い当たる記憶などない。


「おまえが王族であった時のことを言っている。まさか他国の王族をそんな恰好のまま拘束したとあっては、我が国の名折れだ。悪評が立っては俺の落ち度となろうからな」


「王族ではない」


「ならばなぜ死に至らない。理は絶対だと言っているだろう」


 声を荒げた彼は言葉を切り、自身の行為に恥じたようにそっぽを向く。

 私の魂が、以前はアルバであったと告げたとしても、それもやはり理に背いたものになる。私には真実を語るか、語らず黙するかの二つの選択しか持ち合わせていない。ならばこの場合は黙することが適していると思った。


「何も語らぬまま国に戻れば、おまえは尋問に掛けられるだろう。王族であるならば、国間の話し合いの後、国に帰してやることもできるのだぞ」


「……語る国がない」


「王族でないとしても、生まれた国くらいわかるだろう」


 彼の苛立ちは、机を拳で殴りつける行動で表された。

 体に張り付いた獣がザワリと蠢くのを感じた。思わず「まだだ」と心の中で宥める。そうして何が「まだ」なのかと自問をした。その言葉は私の言葉ではなく、3頭の獣のうちのどれかが私の意思を乗っ取り伝えたものなのかもしれなかった。


「語れるものがない。私に語ることができるものは、ル=バールでのことだけ」


「記憶を失ったと言うのか」


 そうではない。しかし、それと似た状況なのだろうと思い、あえて口を噤んでいた。

 彼は思案するように口元に手を当てた。


「……まあ良い、語らぬと言うのなら、尋問を覚悟してもらうまでだ」


 私は顎を引き、頷くという行為をした。

 彼はあからさまなため息を吐く。そうした全ての責任が彼に圧し掛かるのだと、私の存在が掛ける負担を申し訳なく感じた。

 私はこの世界の仕組みを知らない。私の知っているものは、ル=バール内での事柄と、ル=バールを訪れる王族の顔ぶれだけである。彼らの行う儀式もまた、知識に深く根付いているが、それは今の状況に必要のないものだろう。

 戻る場所もなく、行くあてもない。目指すものは遥か遠く、辿り着くことはないと思わせた。


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