潜伏先
女は身を隠せる場所を探していた。警察の手が伸びてこないところ。そして、居場所を発見されても、容易に逃亡の図れる場所を。
女は知っていた。警察というものは、実に優秀であることを。先達たちは、いずれも女と同じように逃亡し、身を潜め、最後には捕まった。
どんな場所も、世の中と完全に隔絶できるわけではない。必ずどこかに接点が残されてしまう。そして警察は、時間はかかれども、必ずそこを辿ってくる。一ヶ所に長く滞在すればするほど、接点は増えていく。潜伏している犯罪者が逮捕される時は、大抵がそこを知られた時だ。
女は考えた。捕まりさえしなければ、再起は図れる。どこかにあるはずだ。例え発見されても逃げおおせる、完璧な潜伏先が、と。
そして、とうとう女は見つけた。それらの条件すべてを満たす、素晴らしい場所を。それは大いなるひらめきであり、天啓でもあった。
女は一も二もなく、その場所に潜り込むことを決めた。
ああ、そうだ。紛れもない本物だよ。我々は本物の警察だ。警察手帳を見せただろう?
なに? あんなもの信用できない? まあ、確かに最近、警官のフリをする輩が増えたからな。しかし我々は、れっきとした本物の警官だ。疑うなら本署に電話して聞いてみればいい。
うん? 信じる? ああ、そうか。ようやく信じる気になってくれたか。それじゃあちょっと入らせてもらおう。大丈夫だ、長居はしない。ここはどうにも、動きにくくていけないからね。なあに簡単な事情聴取さ。
まず、あなたのお名前を聞かせていただこうか。
……答えたくないのか? まあ、こっちが勝手に訪ねてきて、勝手に上がり込んでいるわけだからね。もちろんあなたの名前も住所もわかっている。
でも、まあ、これは一種の手続きみたいなものでね。あなたが我々の認識している人間と、同一のご本人であると、確認を取らなくてはいけないわけなんだ。
で、あなたの名前は?
……どうやら、嫌われたみたいですな。まあいい。それでは用事だけ終わらせて、早いところ退散するとしましょう。聞きたいことは、たった一つだけなんですよ。ここに、ある女性が逃げ込んできたでしょう。いや、ここに逃げ込んだことは間違いない。もう裏は取ってあるんでね。彼女はいま、どこにいますか?
……黙秘かい。ここは取調室でも裁判所でもないんだがなあ。あなたがそれを通そうとするのは勝手ですがね。まあ、最悪の場合、こちらとしてもそれなりの手続きを踏ませてもらうことになりますよ。
……はあ。強情だね、あんたも。まさか口が利けない、ってわけじゃあないだろう。知らないかもしれないから教えておくが、犯人をかばい立てすると、あんたも法律で罰せられることになるぞ。犯人隠匿罪ってやつだ。
だいたい、あの女が何をしたか知ってるのか。殺人だぞ、殺人。旦那を出刃包丁でブスリさ。おそらく痴情のもつれかなにか。まあ、それはいい。いや、よくはないが、もっとまずいのは、その後に逃亡を計ってるってことだ。普通この手の衝動的なのは、事後に落ち着くと、自分が犯したことの大きさにビビるもんなんだがな。どうも奴さん、インテリというか、なんというか。現場になった家には、えらく大量の書籍があってな。その大半は、警察小説や推理小説だった。そのせいもあるんだろう。どうも逃げ切れると思っているふしがあるんだ。
ん? 旦那が好きだった可能性もあるじゃないかって?
あ~ まあ、なんだ。とにかく、彼女には殺人の容疑がかかっとるんだ。あんた、そんなやつを隠し立てしても仕方なかろうが。いやいや。そりゃあ、奴さんにも言い分はあるだろうさ。しかし、それを聞いてやろうにも、肝心の本人がいないんじゃねえ。それに、そういう話はしかるべき場所でな。まあ、とにかく頼むよ。話してくれよ。
……駄目か。駄目なのか。本当にあんた、強情だなあ。あとでどうなっても知らんぞ。それじゃあ、我々は帰りますがね。何かあったら当署までご連絡を。可及的速やかに、ね。はあ、どうもお騒がせしました、と。
ええ、そうですね。こうやって端から見ていましても、やっぱり警察さんの捜査能力というのは、大したものだと、ええ、再確認出来ました。私が逃げ出してから、一週間ほどですか。それなのに、もうこんな近くまで追ってきているんですから。やっぱりあなどれないですね。
でも、ここまでだと思います。自分で言うのも何ですけど、よくこんな場所を思いついたと、自分を褒めてあげたいですもの。安全だし、快適だし。もう何も言うことはありません。
それに、あなた。ここには結構な量の蔵書があるじゃないですか。え、大したことない? 謙遜なさらないで下さいな。ここは私にとって天国みたいなところですわ。私も推理小説の類は好きで、よく購読してたんですよ。他にも映画や歌劇、漫画も好きでしたね。
おかげでこうして、活字の外に逃げ出す、なんてことを思いついたんですから。
ジャンルが多様化した現代じゃ、小説というジャンルにおいて、小説という形式でのみ表現でき得ることを成さねばなりません。でも、改めて自分が今までに読んできた作品を振り返ってみると…… ないのよね。ほとんどありません。そこまで突き詰めて書かれた小説というのは。
そうですね。そんな気持ちを今でも引きずっています。そりゃそうです。だから、こんな奇想天外なことを思いついたんだと思います。まったく、そうでもないと普通、自分が一介の、小説の中の登場人物だった、なんてことには一生気づかなかったでしょうね。
その辺り、どう思いますか。ねえ、読者の皆さん?
推理ジャンルで合ってるかしら?