8. 来客
太陽の位置が高くなり、そろそろ主人が上がってくるかと読んでいた魔術の本を閉じて飲み物の準備をしようかと立ち上がったところで、フィエナは家の前で馬車の止まる音を聞いた。
(お客様かしら?そんな話はしておられませんでしたけど・・・)
戸惑いながら様子をうかがっていると、玄関の扉が軽く叩かれる音とともに
「カタクラット男爵はおられるか」
と低い男性の声がした。
通常、貴族の屋敷には門番がいるので、この様に扉が叩かれるということはない。自分で訪問を告げるという行為自体したことのないフィエナはどうして良いのかわからなかったが、昨日、来客があれば主人に知らせるよう言われていたことを思い出した。
戸惑っている間に、再度先ほどの男性の声で
「ご在宅ではないか?」
と声がしたので、とりあえず玄関に向かう。来客のために扉を開けたことなどないのでどうしてよいかわからず少しためらったが、大きく息をして覚悟を決めると、
「どちらさまでしょうか」
と言いながら扉を開いた。
扉の前にいたのは、薄い茶色の髪に白い肌をした、ある種堅苦しい服装と豪奢な剣をまとった騎士らしき男性であった。がっしりとした体つきと精悍な顔は、彼がお飾りの騎士ではないと思わせる。男はフィエナと目が合うとやや訝しげな表情を浮かべながら、
「ここでは初めて見る顔だが、新しい使用人か?どこかで見たような気もするが・・・」
と尋ねてきた。フィエナは名乗りもせず要件も告げずに聞かれたことにいささかむっとしたものの、今の自分の立場を思い出した。本来、奴隷が客を迎えることは無いし、失礼にあたる行為ですらある。
「いえ、私は奴隷でございます。私のような者が対応させていただくのは失礼とは存じますが、お声の届く範囲におりましたのが私だけでありますたので。申し訳ございません。すぐに主人を呼んでまいりますので、お名前を教えていただけますでしょうか」
と答えると、男は意外そうな表情を浮かべ、
「奴隷?これほどの奴隷を見て忘れるとは思えないのだが・・・。いや、出迎えの件は構わぬ。普段は使い魔が出てくるからな。この家で常識が通じないのはわかっている。なんというか・・・お前も気の毒だな」
と言ってきた。服装や帯びているや剣からすると、この男も貴族なのであろう。その貴族をして所有物でしかない奴隷に同情させるとは、あらためて自分の将来が不安になる反応であった。それに、
「使い魔・・・でございますか?」
使い魔であれば扉をあけるくらいは可能であろうが、貴族への対応を動物にさせるなど失礼にも程がある。さすがに唖然とした表情を隠せずにいると、男は苦虫を噛み潰した様な顔で
「ああ・・・本当に何故この様な家に頻繁に・・・。いや、お前に言っても仕方がないな。エレナ様がお越しであると主人に伝えてくれ」
と言った。その時に背後の馬車に一瞬視線を投げたところをみると、その中に貴族の令嬢がいて、彼は護衛なのだろう。
「かしこまりました。失礼いたします」
いくつか気になる点が無いではなかったが自分の立場でこれ以上時間を取らせるのもためらわれ、フィエナは地下室に向かった。
フィエナが地下室への階段がある部屋の扉の前に着くと、ちょうど中から扉が開き、主人が姿を現した。
「あ、ご主人様。お客様がお見えになっておられます。エレナ様とおっしゃる方だと護衛の方が」
と伝えると、主人は嫌そうな顔をしながら、
「わかった。連絡もなく来るのはあいつくらいだと思ってはいたが・・・外出は中止だ。食堂に飲み物を用意しておけ」
と言い残して玄関に向かった。フィエナは
「かしこまりました」
と答えると、台所に向けて移動したのだった。
(どうしてこんなに睨まれているのかしら・・・?)
食堂に紅茶とお菓子を用意している内に、ピンクを基調にした豪華な衣装に身を包んだ少女を伴って、主人が戻ってきた。先ほどの騎士も一緒だ。馬車は帰され、その他の従者は別室に待機しているらしい。令嬢はふわふわと綺麗なウェーブを描いたややピンクがかった金髪が印象的な少女だった。年は見たところ8歳くらいであろうか。隣国にまでに鳴り響くとは言わないものの、十分に整った容姿のかわいらしい少女だ。
少女は主人に伴われて食堂に入ってきたところまでは機嫌が良かったのだが、椅子に座り、紅茶を用意するフィエナを見たとたん、視線を険しくした。その後、紅茶と菓子を用意する間中少女から睨まれ続け、冒頭の感想に至ったわけである。
「この女性には初めてお会いすると思いますが、紹介してはいただけませんの?ついに使用人を雇われたんですの?」
不機嫌そうな声音で少女が問う。フィエナが自分で答えてよいものかどうかわからず主人を見ると、
「3日前に買った奴隷だ。名はフィエナ」
と、とりあえず紹介してくれた。
「奴隷ですって!?」
驚いた声を上げ、少女は主人を鋭い目つきで睨む。
「またずいぶん見目麗しい奴隷ですこと。未来の妻に断りも無くこのような奴隷を買うとはどういうことですの?」
「誰が未来の妻だって?」
「まだそんなことをおっしゃっておられるのですか?私のどこが不満だというのです」
「何故不満が無いと思うんだ?そもそも、お前まだ10歳だろう。身分もつり合わん。お父上も認めんだろう」
「そのようなこと、何とでもいたしますわ。お父様も完全に反対というわけではありませんもの」
「何をいってるんだ?数少ない容姿に優れた娘を、国内の男爵家に嫁がせるなどあり得んだろう」
「まあ!容姿に優れただなんて、正直ですわね。では、私を妻にしてくれても良いではありませんか」
「・・・都合のよいところだけ聞くんじゃない」
・・・少女と主人の会話が続いている。
(ええと、このお嬢様はご主人様との婚約を望んでいるけれども、ご主人様に断られている、と。それで家に見慣れない女性がいたので睨んでおられたのですね。会話からすると高位の貴族のお嬢様のようですし、何故断っていらっしゃるのかしら。年齢より幼い見た目はしていらっしゃいますけれども、あと2年もすれば結婚できますし、出世にも有利ですわよね。年齢は離れてますけども、ご主人様は歳をとりませんし)
主人の後ろに控えてそんな考え事をしていたら、
「何をしている。おまえも座れ」
と非常識なことを言われた。
「「なっ」」
少女とその後ろに立つ騎士が声をあげる。フィエナも
「ご、ご主人様!?」
とうろたえた。主人は食事の時にフィエナを同席させるが、貴族と奴隷が同席するなど本来あり得ないことである。現に、少女は顔に怒りを浮かべているし、騎士に至っては今にも切りかかりそうだ。しかし、主人はどこ吹く風で
「椅子があるのに立ってるなんて無駄だろう。用事があるときに立てばいい。ほら」
と、わざわざ自ら椅子を引いた。
(この様な時だけ親切にならずとも・・・)
どうして良いかわからずおろおろしているフィエナに、
「お座りになったら?この家の中でこの方に逆らっても無駄ですわ」
と溜め息をつきつつ少女が言ってくれたが、今度は騎士が異を唱える。
「姫!?奴隷の同席をお認めになるなど!」
「姫?」
「あっ」
呼称に疑問を持ったフィエナの声に、騎士が、しまった、という顔をした。
「・・・説明してやるからとにかく座れ」
主人が重ねて言ってくるのに今度は騎士も口は出さず、フィエナはおずおずと腰かけた。