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ある奴隷の日常  作者: 氷霧
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6. 魔術

自らの不器用さに沈んだフィエナは、自室で主人に渡された魔術書を読んでいた。主人は既に地下にこもっている。廊下に階段は無いのだが、玄関から入って突き当たりの左の扉の中が階段になっているらしい。

(簡単な魔術は使えますけど、魔術の勉強をするのは初めてだわ)

魔術というのは魔力を使う技術、なので、簡単なものはその原理を知らなくても使用可能である。十分な魔力を持つものなら、定型的な身振りと呪文さえ覚えれば魔術を発動させられる。祖国パラクレス聖王国では貴族のたしなみとして多少の魔術は覚えるものの、女性が強力な魔術を覚えることはよく思われていなかったため、フィエナも明かりや水精製といった基本的な魔術をいくつか覚えたくらいである。女性が学問を深く学ぶことも好まれなかったのと年齢的なことから専門的な学問と言えるほどのものを学んだ経験は無いが、元々学ぶことは嫌いではない。きっかけはともかく、少し楽しみにしながら本を読み進めていた。


【魔術とは人間もしくは類似の生物の魔力を媒介として、この世界に存在しない"力"を召喚、もしくは送還し、術者の望む現象を実現する技術のことである。魔力自体は全ての人間、ほぼ全ての動物が持っており、周囲の空間にも存在する。生命活動は食事による栄養と魔力の双方を消費して維持されていると考えられている。ほとんどの動物、多くの人間の場合、食事による栄養が主たる生命活動の源であり、魔力の寄与するところは極めて少ない。反対に、魔族は生命活動の数割を魔力によって維持していると言われている。魔力は消費すると周囲の空間より吸収するため、生命活動くらいでは生体内の魔力が枯渇することは無い。かといって無限に吸収できるわけではなく、個体ごとに限界が存在する。本書ではこれを「魔力容量」と呼ぶことにするが、この容量が魔術を使えるかどうかに大きく影響することになる。

 魔力をほぼ全ての人間が所有することは前述したとおりであるが、かといって全ての人間が魔術を使えるわけではない。むしろ過半は使えない。これは単に魔力容量が事象を変化させる最低限の量を下回っているからである。魔力容量は血縁による影響が大きく、魔力容量が大きい親から生まれた子は大抵魔力容量が大きく、小さい親の子供は小さいことが多い。多くの国において貴族は魔力容量の大きい家系であり、婚姻によりさらに魔力容量の大きな人間を独占する傾向にある。一部の国においてはあまり知られていないことであるが、平均的な魔力容量は男性よりは女性の方が大きい。事実、過去に大魔術師と言われた人々の7割程度は女性である。今日に至るまで魔術の主たる利用が戦力としてのものであり、女性が戦争に参加すること自体がまれであるにもかかわらず、である。

 話がそれたが、魔術を用いる者は、自らの魔力容量の範囲内で魔力を消費して魔術を行使し、周囲からその消費分を補うことを繰り返すことになる。個々の魔術に要する魔力には大きな個人差は無いが、一般に流布している構成は扱いやすさと安全性を優先しているため、同じ現象を引き起こす魔術をより少ない魔力で実現することは可能である。

 魔術を術者の望む形で発動させるための"構成"であるが、その構築にはいくつかの流儀・流派が存在する。西方諸国では威力と発現速度に優れるが安定性の悪い古式魔術、威力に劣るが取り扱いの簡便な新式魔術、精霊を作成して魔術の構成を代行させる精霊魔術、神への祈りと言う形を取る神聖魔術などが代表的である。これらはいずれも構成の構築流儀の差であり、本質的な力の源は全て同じであることはあまり知られていない。新式魔術を始め複数の流儀で用いられている土水火風などの分類も、魔術を構成する上で理解しやすいという利点はあるものの、それ以上の意味は無い。一部で信じられているような、人には生来特定の属性(火なら火)があり、その属性の魔術しか使えないと言うことも無い。もっとも、特定の系統の魔術に精通すると、他の系統を覚えにくくなる流儀は存在するが。】


ここまで読んだところで一息つく。自分が耳学問で得たことと異なる部分が多いことに驚いた。自分に初歩的な魔術を教えてくれた魔術師は男性であったし、そもそもパラクレスに女性の魔術師はほとんどいない。その魔術の師も新式魔術と神聖魔術は全く別のものと理解していたようであった。この本に書かれたことが正しいかどうかはわからないが、少なくとも大魔術師の男女比まで偽ったりしないだろう。

(祖国では優秀な魔術師を確保するよりも、女性を表に出さないことを優先していたということよね)

フィエナの価値観としては戦争に女性を関わらせないことが必ずしも悪いとは思えなかったが、そのために隠されていたことが多そうなことは残念に感じた。

(奴隷になってはじめて自分が無知だったことに気づくなんて皮肉なことね)

やや自嘲的になりつつも、ページをめくる作業に戻った。


その後は、基本的な魔術の構成とその解説がひたすら続いていた。発光・点火・水の精製・土の隆起・微風の五つの魔術の解説だけで1冊を費やしているあたり、本当に自分で魔術の構成を作成できるような魔術師になることを目標にした入門書なのだろう。どうも、本気で家事のために魔術を学ばせるつもりらしい。

(非常識ではあるけれど・・・仕方ないわよね)

普通に家事を練習していたら、最低限のことができるようになるまでに多大な損害を出してしまいそうな自覚がある。それに、魔術を学ぶことは奴隷にとって決して悪いことではない。そもそも、フィエナにつけられている鎖は魔術によるものなのだ。場合によっては呪印を解除することも不可能ではないかもしれない。そうはならない自信があるからわざわざ魔術を学ばせるのであろうが、頭の片隅に入れておいてわるいことではないだろう。そうやって多少強引にやる気を奮い立たせ、夕方、主人が上がってくるまでになんとか点火の魔術の章までを読み終えた。




もう少しで日が落ちるという時間になって、おもむろに部屋の扉が開かれた。もちろん、入ってきたのは主人である。心臓に悪いのでノックくらいはして欲しいところだが、奴隷が要求できるものでもないだろう。足音に敏感になるしかなさそうである。今はそれよりも、気になることがあった。主人が左手に何やら怪しげな細い壺のようなものを持っていたのである。そして、右手にはコップが見える。不吉な組み合わせに嫌な予感を覚えつつ、声をかけた。


「ご用でしょうか」

「ああ。・・・何故逃げようとしている?」


無意識の内に身体が逃げる体制になっていたらしい。


「いえ、少々嫌な予感がいたしまして」

「ほう。なかなか良い感をしているな。今回は役に立ちそうもないが」


(そこは否定して欲しかったわ・・・)

主人は机に近づくと、コップを置き、壺の中身を注いだ。注がれたのは、暗い赤色をした鉄と野草の匂いのする液体である。何等かの魔薬なのであろうが、フィエナには見た目で効果を推し量るほどの知識は無い。主人は液体を注ぎ終わると、やや嗜虐的な笑みを浮かべながら声を発した。


「飲め」

「・・・」

「どうした?」

「せめて、これが何なのか教えていただくことはできませんでしょうか?」

「飲んだら教えてやる」

「・・・・・」


(はぁ)

どうせ逆らっても無駄なのだ。覚悟を決めて、コップ半分ほどの液体を飲み干す。吐き気を誘う生臭ささを無理矢理抑えつけ、目元に涙を浮かべながら視線で問う。


「飲んだな。それは加齢遅延の魔薬だ」

「は!?」


この家に連れてこられてから何度絶句したかわからないが、一向に頻度が減る気配がない。


「倍率はいくつですの?」

「正確にはわからんが、1000倍くらいじゃないかね」

「意味がわかりませんわ!」


興奮のあまり言葉遣いがおかしくなった。加齢遅延の魔薬と言うのは、その名の通り歳をとるのを遅らせる魔薬だ。主要な原料が魔族の生き血であり、あまり保存も利かないため、非常に高価である。仮に魔族を捕えても、その生態上自殺を防ぐことができないのだ。その効果は魔族の魔力にほぼ比例し、魔力の高い魔族はそれだけ稀少で危険であるため、王族や高位の貴族でも、数年に1回、遅延効果2倍のものを1年分程度の量、つまり半年分程度歳を取るのを遅らせられる量、手に入れられれば良い方である。

それを、遅延効果1000倍と来た。1000倍ともなれば、3年で1日分程度しか歳を取らないことになる。事実上の不老だ。


「今の量でどのくらい効果が続くのですか?」

「それもわからん。試しに1滴飲んで3年程待ってみたが切れた様子は無かったな」

「・・・」


もう溜息しか出ない気分である。効果時間は飲んだ量に比例する。今飲んだ量は、1滴の100倍は下るまい。この瞬間、300年以上不老の身体を手に入れたらしい。"永遠の若さ"は世の全ての女性のあこがれであろうが、まだ14歳を目前にしたところのフィエナには素直に喜べ無いものがあった。それに、そのような薬を飲ませた意図も気にかかる。これだけの効果の加齢遅延薬なら、それこそ1国にも匹敵するほどの値段がついてもおかしくない。城にも匹敵するフィエナの購入代金がはした金に思えるだろう。


「何故奴隷にそのような高価な薬を?」

「容姿で買った奴隷が歳を取らないようにすることに何か疑問があるのか?」

「これだけの薬であれば、それを売った代金でいくらでもお好みの奴隷が買えるかと存じますが」

「ああ、それは思いつかなかった。それに、こんな薬を売ったりしたら後が大変だしな」


(それはそうね・・・)

公爵家の一員だったフィエナでさえ、10倍を超える加齢遅延の魔薬など存在すら聞いたことが無かった。1000倍の効果を持つとなれば、それこそあらゆる手を使って手に入れようとする輩が絶えないだろう。金が手に入っても、命を狙われたのでは割に合わないと考えるのは不自然ではない。


「それにしても、どうやってこのような薬を・・・」

「たまたま手近で材料が揃うからな」

「・・・確か、加齢遅延の魔薬は魔族の血が必要なため大変稀少なのだと記憶しているのですが」

「そうだな。まあ、しばらくすればお前にもわかる」


性格の悪そうな笑みを浮かべる主人に、この場で疑問を解消することは諦めた。


その夜は、自分の身体が作りかえられていくような不快とも言い切れないが奇妙な感覚に悩まされつつ、何とか床に就いた。

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