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ある奴隷の日常  作者: 氷霧
5/10

5. 初めての・・・

目が覚めると、白い天井が目に入った。

何となく既視感を感じながら体を起こす。どうも、ベッドに座ったまま寝付いてしまったらしく、足はベッドからこぼれているし、布団もかぶっていなかった。外を見ると、日の出を少し過ぎたくらいの様だ。

(あ、あれ?)

自分の身体に感じる違和感の無さに戸惑う。昨日は帰宅した後、例によって主人と同じテーブルで食事を取り、入浴し、昨日買った夜着に着替え・・・覚悟を決めて寝台の上に座っていたはずだ。

(こ、来なかった?)

一瞬、眠っている内に純潔を奪われたのかとも思ったが、さすがに自分で気付かないということは無いだろう。どうも昨日は危機を逃れたらしい。喜ばしいことながら不可解な気持ちに捕らわれつつ、簡単に髪を整えると、服に着替えた。まだ他の服は届いていないので、昨日と同じ服だ。

(そう言えば、朝どうするようにとも言われてないわね。どうしたら良いのかしら?)

主人が起きているかどうかもわからなかったが、部屋にじっとしていても仕方が無いので、とりあえず食堂に向かうことにした。まだ自室と食堂、浴室とトイレ以外は入ったことが無いので場所が分からないのだ。食堂の扉の前に立つと、何やら物音がする。慌てて扉を開けて、中に入り、


「おはようございます。遅くなって申し訳ありません」


と挨拶をした。起きる時間としてはそんなに遅いわけではないが、奴隷が主人より遅くては問題だろう。


「ようやく起きたか。2日目にして熟睡とは、割と度胸があるみたいだな」


と、何やら台所で作業しながら少々皮肉の利いた返事があった。


「も、申し訳ございません。あの・・・ご主人様は今何をしておられるのでしょうか?」

「この時間に台所にいるのだから、朝食を作っているに決まっているだろう」


馬鹿にした声で言われれば確かにそうなのだが、フィエナはそもそも料理をしているところ自体をあまり見たことが無かった。しかも、この主人と料理がイメージ的にどうしても繋がらない。とは言っても、主人が料理をして、奴隷がそれを見ているわけにもいかない。


「あの、わたくしが」

「できるのか?料理なんて。とんでもないものを食べさせられるのはごめんだ。もうできるからとりあえず座ってろ」

「はい・・・」


自分が何もできない事実に少し落ち込みながら、テーブルに着いた。主人の言った通り、ほどなく朝食が出来上がる。今日の朝食はパンをミルクに浸して香料で風味をつけて焼いたものと、溶き卵を炒ったものらしい。運ぶのはフィエナも手伝い、食事となった。主人は特に話しかけてくるでも無く、淡々と食べている。その姿を見ながら、まとまらない思考を巡らせていた。

(いったいどうしてこの方は私を買ったのかしら・・・)

フィエナの購入金額である金貨1100枚というのははっきり言って異常な額だ。相場を知っているわけではないが、それでも一般的な奴隷が金貨20枚を超えるということはないだろう。

(家事もできない私を何十人分もの金額で私を買って、今のところ生贄するわけでもないし、慰みものにもされなかった。仕事は家事と性欲処理とは言われたけれど、それだけならもっと安くて優秀な奴隷がいくらでも買えるはずだわ。

 やはり、わたくしに流れる血が目的なのかしら。それにしても、これまでの扱いは不可解だけれど・・・)

等と考えていたら、じっと見ていたことに気づかれたらしい。


「何か用か?それともお姫様の口には合わなかったか?」


と聞かれた。


「いえ、そんなことは・・・とても美味しいです」


その言葉に嘘は無かった。昨日のスープもそうだったが、食べなれた繊細な味ではないものの、十分に美味しいと言えるものだ。


「じゃあなんだ?」

「いえ・・・色々混乱してまして。不躾に見つめてしまい申し訳ありませんでした」


少々気恥ずかしさを覚えて視線をそらしながら答えると、何やら誤解されたらしい。


「ああ、昨日の夜は何もしてないぞ。奴隷を買ったらやってみたいことがあってな。そのための準備中だ」


などと少し口元を上げながら言われた。その内容に果てしない嫌な予感と少なからぬ恐怖を覚えて、


「あ、あの、準備とはどのような」


と尋ねるも、


「秘密だ。いずれわかる」


とにべにも無い。わずかな安堵と大きな不安が次々にもたらされる状況に疲れてしまい、話す気力を失ってしまったフィエナは、しばらく黙って食事を続けた。

食べ終わるのが近づいたところで、今度は主人から話しかけられる。


「今日の予定だが、昼までに最低限の家事を説明する。何度も説明する気は無いので、一度で覚えるように」

「はい」

「昼過ぎからはしばらく家で仕事をする予定だ。地下に籠るので、その間に掃除をしておくように。掃除が終わったら好きにしていい。することが無ければ、書架の場所を教えるから本でも読んでいろ」

「わかりました。勝手に本を読んで構わないのですか?」

「構わん。本の扱い方は知っているな?」

「それは存じておりますが・・・」


最近になり印刷技術が開発され急速に値が下がりつつあるとはいえ、まだまだ本は高価なので、普通は奴隷はおろか使用人に触らせることは無い。つくずく世の常識は通じない相手らしい。


「なら問題ないだろう。夕方には上がってくる。特に急用が無ければ声をかけないように。無いと思うが、来客があれば玄関で待たせて呼びに来い」

「はい」

「では、さっさと食べてしまえ。終わったら仕事だ」

「は、はいっ」


いつの間にか止まっていた口を慌てて動かし、フィエナは朝食を食べ終えた。




それからしばらくして・・・うなだれてテーブルに突っ伏すフィエナと、それを冷たい目で見つめる主人の姿があった。


「おまえ・・・」


あきれ果てたような主人の声に、フィエナの身体が小さく跳ねる。


「も、申し訳ありません・・・」


顔をあわせる気力もなく、下を向いたまま謝罪した。

元々、自分がそんなに不器用だと思ったことは無い。見た目だけのお嬢様にならないよう、貴族の淑女として多少の楽器や刺繍等はたしなんだし、学問や魔術も基礎的なことは学んでいる。年齢的な限界はあるものの、どれも人並み以上にはこなしていたはずだ。むしろ楽器など、同年代の貴族の少女の中では一二を争うほどだった。

にもかかわらず、この数時間で学んだ家事は壊滅的だった。食器を洗おうとすれば割る、床を掃こうとすれば調度品を落とす、洗濯しようとすれば服を破る・・・刃物の扱いは意外に苦手でないのか辛うじて料理だけは大きな失敗はしなかったものの、それ以外はまともにできたものが無いと言って良かった。家事などしそうにない主人が器用にこなすのと比べ、自分のあまりの無能さに情けなさに涙が浮かんだ。


「これは・・・予想以上にひどいな。おまえ、貴族に生まれて良かったな。貧乏人の家だったら立場が無かったぞ」


ひどい言われようだが、事実だけに反論できない。


「まともに家事ができるようにするより、魔術を教え込んだ方が早いかもしれんな」

「え・・・?」


言われたことが理解できずに顔を上げる。


「ああ、こういうことだ」


と言うと、主人は短い呪文を唱えた。部屋の中に静かな風の流れができる。どうも部屋にごく弱い竜巻の様ならせん状の風の流れを作っているようだ。しばらくすると、部屋の中心にゴミや埃の小さな山ができていた。


「こんな感じだな。できることとできないことがあるが、掃除や洗濯はだいたいできる。洗いものは無理だがな」


フィエナは目を丸くする。


「このような魔術、聞いたこともございません」

「それはそうだろうな。俺も自分と使い魔以外が使うのは見たことが無い。そもそも、魔術を実用的なレベルで使えるのは大多数が貴族だし、そうでなくても自分で術が開発できるほどの魔術師なら高給を得るのは難しくない。となれば家事は使用人か奴隷にさせるから、そもそも魔術で家事をしようなんて発想そのものが無い。別に難しいことをしているわけじゃない。やろうと思った奴がいなかっただけだ」

「それはそうなのかも知れませんが・・・」


とは言っても、主人が言うほど簡単だとは思えない。そもそも、魔術を使えるもののほとんどは既製の魔術を使うのがやっとで、術の開発などできない。それも、せいぜい光を灯すとか火をおこすとかその程度の者が過半であり、戦闘に使えるほどの魔術が使えれば、それだけでどこの国でもそれなりの地位につけるほどである。どうも、能力的にもフィエナの主人は常識では測れないようだ。


「この後は一人で掃除をやらせるつもりだったが・・・そうするとかえって俺の仕事が増えそうだな」

「申し訳ありません・・・」

「かなり予定外だが、仕方があるまい。どうせ使い魔が戻るまでだ。おまえには家事用の魔術を使えるようになってもらうことにする。魔術の入門書を渡すから俺の仕事が終わるまでそれでも読んでいろ」

「はい」


本当にそんなことができるようになるのか不安に思いながら、抗する術のないフィエナは頷いたのだった。

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