3. 祖国
フィエナはパラクレス聖王国に名だたる大貴族、パラエキア公爵家の長女として生まれた。目じりが下がり気味なせいでやや茫洋とした印象があるものの、小さな顔には大きな目と小さく薄い唇がバランス良く配置され、抜けるような白い肌、輝くような金色に所々青みがかった髪と合わせて、神秘的な美しさを持つ少女として近隣諸国に知られていた。12歳を過ぎ貴族として結婚してもおかしくない年齢になると、婚姻の申し込みは引きも切らなかったという。
奴隷商に囚われていた間にいくらか痩せてしまい、髪や肌も荒れてはいたが、今もその人並み外れた美しさは隠せない。ゆったりとした服のせいで目立たないが、未成熟な脚や腰回りに比しやや早熟な胸のアンバランスさもかえって魅力となっていた。
「わたくしは姫でも殿下でもございません。それに、今はただの奴隷でございます」
少し青ざめながら、フィエナは答えた。
(私を政治的に利用するつもりなのかしら)
自らの運命はどうしようもなくても、せめて祖国に迷惑をかけることは避けたかった。公爵である父に「何があっても生き伸びなさい」と言われて送り出されたが、自らの存在が祖国の害となるのであれば命を絶つつもりであった。しかし状況がわからないので、どう振る舞うことが祖国の利益になるのか判断できない。家族がどうなったのかすらわからないのだ。
「お前はパラクレスがどうなったのかどこまで知っている?」
「奴隷商のところでは何も教えてくれませんでした。漏れ聞こえてくる会話では、騎士団は壊滅して、王城に籠城中と・・・」
「そうか。お前が王城を抜け出したのはいつだ?」
「何日前かはわかりませんが、ガルド=ネル帝国が攻め込んで来て10日目だったと思います。テルテス砦まで攻め込まれ、王城も安全ではないからと妹とともに王城を出されました。公爵領に戻ろうとしていたところを山賊に襲われ、護衛とはぐれてしまったところを奴隷商に捕まってしまったのが、城を出て3日目です」
「そうなると・・・捕まったのが11日前だな。5日前、王城は落ちた」
「!・・・」
半ば予想していたとはいえ、やはり祖国の凶報はショックであった。
「国王と王妃は処刑。皇太子も死んだらしいな。第2王子はたしかお前の婚約者だったか?こいつは行方不明。第3王子は敗残兵をまとめてルンバート侯爵領に落ちたが、既に城を包囲されて時間の問題だな。王族は王太后も王女も王弟も処刑されたらしい。かなり血の薄いものを除いてほぼ全滅だな。
お前の家族は・・・公爵は死亡が確認されている。公爵夫人は不明だが、恐らくは一緒に死んでいるだろう。妹はおまえと一緒に奴隷商に捕まった後、色が魔術の触媒や生贄向きだったので魔術の盛んなオーセリア王国に運ばれたらしい」
さらに惨い現実を突き付けられ、床に崩れ落ちそうになる。
(お父様とお母様は亡くなり、ユーティス様は行方不明。リューナは生贄になんて・・・)
手を伸ばしたウェルスに支えられ倒れることは免れたが、体に力が入らなかった。一度はこらえた涙がまた溢れてくる。一度流れてしまうと、止めることができなかった。
小一時間ほど泣き続けただろうか。疲れて泣き続けることもできなくなり視線を上げると、主人はどこから取り出したのか本を読んでいた。あまりの無関心にショックを受けたが、奴隷の扱いとしては、放置されただけましなのかも知れない。泣き声が止んだことに気付いたらしく、
「ああ、泣き止んだか。何か聞きたいことはあるか?」
と聞いてくる。
「・・・いえ。すぐには・・・。その情報は正確なのでしょうか」
他国の戦争の状況を、わずか5日で、それも大貴族とはいえ臣下の生死まで把握するなど、王家や騎士団でも難しい。それを一介の男爵が把握しているというのは不自然だ
「俺が現地に行かせた使い魔経由で仕入れた情報だからな。偏りはあるがほぼ間違いないはずだ。お前の妹のは、お前を買ったときに奴隷商に聞いたんだよ。多分嘘はついてないだろ」
(ああ、では、もう皆に会うことは叶わないのだ・・・)
最後の希望も打ち砕かれうなだれていると、
「もう聞くことはないんだな?じゃあ、これからの生活で必要なことを説明する。繰り返すのは面倒だからちゃんと聞いておけ」
と追い打ちをかけられる。黙って頷くと、大量の言葉が降ってきた。
「まず、お前につけた呪印についてだ。元貴族なら大体知ってると思うが、所有の印であるのと同時に、一種の呪いだ。ある程度行動を制限する作用がある。制限されるのは、主に直接的な危害を加えることと、主の許可なく自分を傷つけることだ。正確にはできなくは無いが、とてつもない苦痛を伴う。過去、主人の殺害や自殺に成功したものはいないそうだ。苦痛に発狂したものはいるそうだが。あと、俺はその印を目印に居場所を探ることができる。逃げても無駄なのでそのつもりで。」
「この家に住んでいるのは、今のところ俺とおまえと俺の使い魔だけだ。使い魔はあと数日は留守だがな。当然、着替えや入浴を自分でするのはもちろん、家事もしてもらう。あとは性欲処理だな。服装は俺が指定しない限り好きにしていいが、家の中では下着はつけさせないのでそのつもりで。それ以外はお前に何ができるか見てから決める。それなりの教育は受けているのだろうから、使えることがあれば使う。当面一人での外出は許可しないが、外にさえ出なければ空いた時間は好きにしていていい。何か欲しいものがあれば言え。俺に益がありそうなら買ってやる。」
「何か質問は?」
「しょ、少々お待ちくださいまし」
一気に大量の情報を渡されて、パニックに陥る。少し時間をかけて心を落ち着けてから、内容を咀嚼した。
(住んでいたのがこの方と使い魔だけと言うのはどういうこと?この広さの家で使用人が誰もいなかったということなの?私が家事をしたことが無いことを知っていて買ったはずなのに・・・。それに、性欲処理・・・)
もちろんフィエナとて、奴隷となり異性に買われた時点で、そういう対象として扱われることはわかっていた。それでも「性欲処理」という言葉でつきつけられると、やはり辛い。少々変態的な趣味がありそうなのも不安だ。
(それでも、奴隷の扱いとしては良い方なのよね・・・きっと)
「あ、あの・・・貴方様のことは何とお呼びすれば」
「そうだな、ご主人様、でいいだろう」
「はい。ではご主人様、ご主人様はこれまでご自分で家事をしておられたのでしょうか。先ほどのお言葉だと、ご主人様の他は使い魔だけとのことでしたが」
「いや、ここ5年ほどは主に使い魔がやってた。今みたいに留守の時は、最低限のことだけ自分でするが」
(猫やカラスが家事をやっていたのかしら?ちょっと想像がつかないけど、使い魔ならできるのかも知れないわね)
そんなわけが無い気もするが、無理矢理納得する。先ほど食べたスープをこの主人が作ったらしいというのも信じがたいが、それを聞いてはいけない気がする。
「わたくしは家事をしたことはございませんが、どのようにして覚えれば・・・」
「とりあえず、2,3日は俺が教える。その後は使い魔に聞け」
「いえ、あの・・・どうやって・・・」
「会えばわかる」
「はあ」
「終わりか?」
「・・・"ウル"を手に入れてどうなさるおつもりですか?」
「それを直接聞いてどうするのかこちらが聞きたいくらいだが・・・お前を買ったのは、単に容姿が優れていたからだ。競り合った相手は知らんがな」
はぐらかされた気もするが、これ以上は答える気が無いのだろう。
「今度こそ終わりか?では、買い物に行くぞ」
「いってらっしゃいませ」
「何を言っている。お前のものを買いに行くんだ。ついてこい」
「は?」