暗君に転生したのでいっそ議会制にしちゃおう!え?立憲君主制?
「…というわけだから。本日をもって、私、女王様辞めまーす!」
玉座の間。集まった重臣たちを前に、私…この国の女王「ミーティー」は、パチンと指を鳴らした。
前世はデスマーチ上等の限界社畜OL。
過労死して気付けばファンタジー世界の「暗君」に転生していたらしい。
記憶が戻った瞬間、私は察した。
このままじゃ近いうちに、過労か、あるいはギロチンで死ぬ!
「これからは議会制を導入します!議長と議員は君たちに丸投げするから、私は楽隠居して推し活…ゲホン、スローライフを送りまーす!」
完璧な計画だった。
目の前で呆然としている、今世の私の「推し」たちを見るまでは。
そこにいたのは底意地の悪そうな美しい瞳の青年、シエル。
妖艶で楽しげに目を細める、ジル。
そして不満げに刀の柄に手をかけている、クリスティアン。
(…待って。私の最推しトリオが、なぜ我が国の重臣に!?)
至福。
あまりの至福に卒倒しそうになった私に、三人は優しそうに微笑んだ。
「素晴らしい提案だね、ミーティー。というわけで【立憲君主制】にしようか。君は象徴としてそこにいてよ」
シエルが爽やかな顔でため息をつきながら、書類を差し出してくる。
「ふふ、まだ楽隠居はさせないよ?女王様。君がいないと、僕の退屈が紛れないじゃないか」
ジルが楽しげに、私の逃げ道を塞ぐように立ちはだかった。
「…おまん、議会制なんかを導入するほどの傑物やったんか。本当は爪を隠して、このためにわざと暗君のフリをしちょったんじゃろ。わしを騙せるとおもうなよ、逃がさんきに」
クリスティアンが、なぜか感動で目を輝かせながら私を睨みつけてくる。
「記憶が戻るまでは本当にただの暗君だったのにぃ…!」
私の悲痛な叫びは、三人の有能すぎる推したちによって、華麗にスルーされたのだった。
それからというもの。
私は「象徴」としての公務や外交をこなしつつ、前世の「社畜の性」に悩まされていた。
このナーロッパな異世界、文化も食も、現代日本に比べて圧倒的に遅れているのだ。
(あぁ、せめて『お茶漬け』とか『コンビニスイーツ』があれば…。あと、あの不便な書類管理、Excelの概念があれば一発で終わるのに…!)
考え出すと止まらない。
私は夜な夜な、前世の知識を詰め込んだ「企画書」を執筆し、それをこっそり、執務室の三人のデスクへ流しておいた。
翌朝。
私の前に、三人が凄まじい眼光で立ちはだかった。
「…ミーティー。この『じゃがいものバター醤油炒め』と『魔力式・魔導書管理スプレッドシート案』は何だい?」
シエルが、青筋を浮かべながらも、手元のお皿(試作されたじゃがバター)をフォークで突き刺している。
「いやぁ、驚いたよ!この『週休二日制』と『有給休暇』の概念、悪魔の契約書より合理的で狂っているね!最高だよ女王様!」
ジルが、見たこともないほど興奮して企画書を振り回している。
「ミーティー…おまん、こんな美味いもんを今まで隠しちょったんか!これがあれば、わしはいくらでも働けるきに!」
クリスティアンはすでにお茶漬けの虜になり、ボロボロと涙を流して感動していた。
三人は一歩、また一歩と、私のデスクへ詰め寄ってくる。
「「暗君時代にこれ(企画書)をやってくれれば、僕たちだって最初からもっと君に尽くしたのに!」」
「ひぇっ、ごめんなさい!ただの思いつきです!」
「いやいい。採用だ」
シエルが私の書類を奪い取り、ペンを握らせる。
「これだけのもの、君の頭の中だけに置いておかせるわけないだろう?ほら、次の外交の席で、この食文化を他国に売りつけるよ。僕が外交の根回しをするから、君は笑顔で座ってて」
「僕がこの『オフィス改革』のシステムを構築するよ。だからご褒美に、今夜は僕の部屋で新しいお菓子の開発に付き合ってね、ミーティー?」
ジルが耳元で甘く囁き、私の肩を抱き寄せる。
「わ、わしは、おまんを狙う刺客を全員ぶった斬ってやるき!やき、その…終わったら、また美味いもん作ってや…!」
クリスティアンが顔を真っ赤にしながら、私の手首をそっと握りしめてきた。
(う、嬉しすぎるけど、これじゃ前世より忙しいオフィスラブになっちゃうー!?)
こうして、限界社畜OLの知識を持った元暗君の女王と、彼女の才能に完全に胃を掴まれた最推し三人による、国家改造計画が幕を開けたのだった。
「もっとさぁ、平民の生活を楽にしたいよねぇ」
執務室のソファに寝転がりながら、私はぽつりとお茶漬けをすする手を止めて言った。
前世の現代日本なら、ボタン一つでお湯が沸き、部屋が暖まり、洗濯が終わる。
けれどこの異世界は、何をするにも「魔力」が必要だ。
私の言葉に、書類に目を通していたシエルがぴくりと眉を動かした。
「…急に何を言い出すかと思えば。でも、魔力を使えるのは君たち王族か、僕たち貴族だけだよ?平民にはそんな力ないんだから、生活を楽にしようがないじゃないか」
「そうじゃ。魔力がなけりゃ、便利な魔道具もただの置物じゃきに。あいつらが冷たい飯を食うて、冬に凍えるんは仕方のないことながやき」
クリスティアンも、お茶漬けのたくあんを噛み砕きながら、それがこの世界の「当たり前」だと首を傾げる。
「そう!そこで【外付け電池】だよ!」
私がソファから勢いよく飛び起きると、三人が一斉にフリーズした。
「は?」
シエルの、絵に描いたような冷たい「は?」が室内に響く。
ジルにいたっては、面白そうなものを見つけた子供のように目を輝かせ始めた。
「外付け…でんち?なんだいそれは?また新しい悪魔の儀式かな?」
「違うよジル!私たちの有り余る魔力をねぇ、こうして『魔石』とかにギュギュッと【結晶化】するの。で、この魔力結晶を、安価で平民に売りつける!」
私はホワイトボードに、素早くビジネスモデルの図解を書き殴っていく。
「これの何がすごいかって、私たち王族・貴族は、毎日勝手に回復する魔力をちょっと込めるだけだから、労力ほぼゼロでお金儲けができる!平民たちは、安価でその『電池』を買うだけで、魔力がなくても魔道具を使えるようになる!Win-Winでしょ!?」
現代日本でいうところの、モバイルバッテリー。
エネルギーの定額制ビジネスである。
「…っ」
私の熱弁が終わった瞬間、執務室が恐ろしいほどの静寂に包まれた。
ジルは口元を震わせ、クリスティアンは顎が外れそうなほど口を開けている。
そしてシエルは、こめかみに特大の青筋を浮かべながら、持っていた高級羽ペンをメキョッとへし折った。
シエルが、私の肩をガシッと両手で掴んで激しく揺さぶる。
「だからっ!なんでそんな国家規模の大発明を、【暗君時代】にしないかなぁ!?」
「ひゃいっ!?脳が揺れる、揺れるシエル!」
「君がその頭をほんの少しでも働かせていれば、僕たちがどれだけ楽にこの国を支配…コホン、運営できたと思っているんだい!?毎日毎日、バカみたいに贅沢品ばかり買い漁って!あれもカモフラージュだったって言うのかい!?」
「ううん!あれは本当にただ物欲に狂ってただけ!」
「なおさら質が悪いよ!」
シエルの大声でのツッコミが室内に響き渡る。
「いやぁ、最高だねぇミーティー!」
ジルが拍手喝采しながら近付いてきて、私の腰をぐっと抱き寄せた。
「エネルギーの独占販売、かつ消耗品の定期購入…!なんて底意地の悪い、ゲスで、素晴らしい発想なんだ!君、本当に悪魔と契約してない?僕より才能あるよ!」
「褒めてないよね!?あと距離が近い!」
「み、ミーティー…おまん、やっぱり天才じゃ…!」
クリスティアンは感動のあまり、ボロ泣きしながら私の手元にすがりついてきた。
「これがあれば、わしの故郷の奴らも、みんな楽して腹いっぱい美味いもんが食えるようになるんじゃな…!?おまん、やっぱり爪を隠した最高の女王様じゃき…!わし、一生おまんに付いていくきに!」
「クリスティアン、目がキラキラすぎて眩しいっ!罪悪感がすごいからそのピュアな目で私を見ないで!」
「よし、話は決まりだ」
シエルがへし折ったペンを投げ捨て、新しいペンを握りしめて冷酷に微笑んだ。
「ジル、すぐに魔力結晶化の術式と、平民用の簡易コンロ・簡易冷蔵庫の魔道具ラインを作らせろ。クリスティアン、君は『魔力電池』の輸送ルートの警備だ。絶対に他国に技術を盗まれるな」
「おうよ!わしに任せちょけ!」
「いいね、徹夜で試作品を作っちゃおうか」
楽しそうに動き出す推したちを見て、私は冷や汗を流しながら、そっと後ずさりした。
「あのー…みなさん?素晴らしいビジネスチャンスなのは分かったんですけど、これ、誰が一番魔力を込めるんですかね…?」
三人がピタリと動きを止め、ゆっくりと私を振り返る。
その瞳には、獲物を見つけた猛獣のような光が宿っていた。
「「「…一番魔力量が多いのは、王族である【君】に決まっているだろう?」」」
「やっぱり私が一番の社畜になるんじゃんかぁ!」
私の悲鳴が、今日も王城のオフィスに虚しく響き渡るのだった。
「ふぅ…」
大量の「魔力電池」の試作品に魔力を込め終え、私は執務室のデスクに突っ伏した。
すっかり夜も更けて、静まり返った部屋。前世の限界社畜OLの記憶を取り戻してからというもの、毎日が目まぐるしい。
ふと、今世の「ミーティー」としての幼少期の記憶が頭をよぎる。
(…そういえば、推したちとは一応、幼馴染なんだよね)
王族として生まれた私と、当時の有力貴族や騎士の家系だった彼らは、子供の頃から城の庭で一緒に過ごすことが多かった。
記憶が戻る前の私は、本当にただの「暗君」だった。
我儘で、贅沢ばかりして、勉強は大嫌い。
政治は丸投げ。
平民の暮らしなんてこれっぽっちも興味がなかった。
まさに絵に描いたような無能な女王。
なのに。
シエルも、ジルも、クリスティアンも、この国を見捨ててクーデターを起こすこともできただろうに、ずっと私の傍にいてくれた。
(シエルなんて、なんだかんだ文句言いながら私の我儘に付き合ってくれてたし…ジルも、私の退屈しのぎに付き合ってくれてた。クリスティアンに至っては、無能な私を狙う刺客から、ずっと身を挺して護ってくれてたんだよね…)
前世のオタク知識としての彼らも大好きだけど、今世、暗君だった私を見捨てずに支え続けてくれた彼らへの感謝と愛おしさが、胸の奥からじわじわと湧き上がってくる。
「あんなダメダメな私だったのに、なんで見捨てないでいてくれたんだろ。実は、みんなめちゃくちゃ優しいんじゃ…」
そんなセンチメンタルな感傷に浸りながら、私はそっと目を閉じた。
同じ頃。城の地下にある魔導開発工房では、シエル、ジル、クリスティアンの三人が、ミーティーの残した「魔力電池」の設計図を囲んで頭を抱えていた。
「ねえ、これ本当にあの『ミーティー』が書いたの?」
シエルが、眉間をこれでもかと険しくしながら呟く。
「僕たちの知っている彼女は、お菓子の銘柄と、ドレスの新作の発表日しか覚えられない脳みそだったはずなんだけど?」
「いやぁ、本当にね」
ジルが、手元で魔力結晶の術式をいじりながら、酷く愉しげに、けれど瞳の奥を鋭く光らせて笑う。
「子供の頃、一緒に歴史や帝王学の授業を受けた時、彼女は開始五分でヨダレを垂らして寝ていたよ。僕が『これほど学ぶ気のない人間は初めて見た、いっそ清々しいね』と感心したくらいだ。…なのに、この合理的な経済システムの構築は何だい?僕でも思いつかなかったよ」
二人の言葉を黙って聞いていたクリスティアンが、悔しそうに拳を握りしめた。
「…わしは、悔しいきに」
「何がだい、クリスティアン」
シエルが冷ややかに視線を向ける。
「ミーティーは、わしの前でもずーっと、ただの頼りない女の子のフリをしちょったんじゃ!刺客が来たら『こわいー!クリスティアン助けてー!』って、わしの背中に隠れて震えちょったに!あんな、国をひっくり返すような傑物のくせに!」
クリスティアンは、ミーティーが「爪を隠していた天才」ということに、感動と、それ以上の理不尽な怒りを募らせていた。
「あいつ、一応わしたちと幼馴染やろ!?なんで今まで、この才能の片鱗すら見せんかったんじゃ!わしたちを信用してなかったってことか!?水臭いにも程があるきに!」
「いや、信用云々の話じゃないと思うよ」
シエルが、バキバキにキマった笑顔で書類を叩いた。
「僕たちをずっと騙し通してたんだよ、あの女は。平民の生活を楽にしたい?結構なことだね。じゃあ、今までのあの『暗君ムーブ』は何だったんだって話さ。僕たちがどれだけ彼女の尻拭いをしてきたと思ってるんだい」
「ふふ、つまり僕たちは、彼女の手のひらの上で踊らされていたわけだ。…あはは!最高じゃないか!ますます彼女を、この玉座から逃がしたくなくなっちゃったよ」
ジルの瞳が、濃厚な独占欲でドロリと濁る。
「ああ、逃がすもんか。あんな面白い頭、他に渡してなるものか。…明日から、さらに公務の量を増やして、徹底的に僕たちの隣で働いてもらおう。今までサボっていた分のツケを、たっぷりと払わせないとね?」
シエルが、冷酷で美しい笑みを浮かべる。
「おう!わしも、ミーティーが他の男に拉致されんように、24時間体制で部屋の見張りをしちゃるきに!」
クリスティアンも、絶対に逃がさないという強い意志で刀の柄を握りしめた。
三人の結論は一つだった。
あいつ、幼馴染の僕たちを今まで騙しやがって。もう絶対に、楽隠居なんてさせてやるものか。
「おはよう、ミーティー。今日も可愛いね。はい、これ、本日の【外交貿易・魔道具の関税引き下げ計画書】だよ。今日中に目を通してサインしてね?」
シエルが、見たこともないほどキラキラした、けれど目が一切笑っていない「幼馴染の笑顔」で書類の山をドン、と置いた。
「ひぇっ…」
幼馴染としての【深い絆】がミーティーの覚醒で変な方向に捻じ曲がったことに、ミーティーが気付くのは、もう少し先。
「ねえねえ、世界平和に必要なものってなんだと思う?」
ある日の午後。
魔力結晶の量産体制について話し合っていた執務室で、私はペンを回しながら唐突に問いかけた。
「は?」
またしてもシエルの、地を這うような冷たい声が返ってくる。
彼はマッサージ器(魔道具)を肩に当てながら、心底うんざりしたように私を見た。
「君の口から『世界平和』なんて単語が出るなんて、明日は槍でも降るんじゃないかい?隠居したいから戦争を起こさないでくれ、の間違いだろう?」
「失礼な!でも、そうだよシエル」
私はふんぞり返り、ホワイトボードをコンコンと叩いた。
「寒くなくて、お腹いっぱいで、ひもじくなければ、そもそも『反乱』とかなくなるじゃん?で、そのための魔道具の平民への安価な外付け電池の販売じゃん?」
「…あー、なるほどね」
ジルが、面白そうに顎に手を当てて頷いた。
「生存欲求が満たされていれば、わざわざ命を懸けて国を転覆させようとするリスクを冒す人間はいなくなる。治安維持のコストを、魔力電池の利益で相殺どころかプラスにするわけだ。本当に、どこまでも合理的な思考回路だねぇ」
「そう!さらにそこからが本番!」
私はさらに世界地図の周辺国を指差した。
「私以外の王族の魔力も使えば、周辺国の平和も担保してあげられない?それをもってして周辺国との関係改善いけない?『我が国のエネルギー供給が止まったら、お前たちの国の平民が冬を越せないよ?』ってやんわり脅…ゲホン、交渉カードにするの!」
前世でいうところの「エネルギー資源による覇権握り」である。
戦争をするより、インフラを握って依存させた方が、手っ取り早く平和を維持できる。
「…簡単に言ってくれるね」
シエルが、ついに手に持っていた書類を机に置き、呆れたように、けれど深く感心したようにため息をついた。
「他国のインフラを我が国の魔力で牛耳る、か。…まったく、暗君のフリをして牙を隠していたと思ったら、今度はとんでもない怪物が目を覚ましちゃったな。君のその脳みそ、本当に恐ろしいよ」
「だから、本当にただの思いつきだってば!」
「まあ、君に代わって国を運営するのが僕ら議会だからね」
ジルが私の背後に回り込み、耳元でくすくすと妖しく笑った。
「君のその素晴らしい発想を形にするのが、僕たちの役目だ。他国の王族をどう脅して魔力を搾り取るか、その術式の構築は僕に任せてよ。あはは、楽しくなってきた!」
「ジル、顔が完全に悪企みのそれになってるからね!?」
「ミーティー…!」
すると、ソファの端でずっとカタカタと震えていたクリスティアンさんが、勢いよく立ち上がった。
その瞳には、熱い涙がたまっている。
「なんとしても周辺国との関係改善、もぎ取ってくるきに…!」
「クリスティアン!?」
「おまんは、自分の国だけじゃなく、世界中の貧しい平民を救おうとしちょるんじゃな…!争いをなくすために、そんな大それた策を考えて…!わしは、わしはおまんのその高潔な志に、どこまでも付いていくきに!外交の護衛でも何でも、邪魔する奴らは全員わしがぶった斬ってやる!」
「違うの、クリスティアン!私はただ、世界が平和になれば私の公務が減って、有給休暇が取れるかなって思っただけの、超個人的なモチベーションなの!そのピュアな忠誠心が痛い!」
私の必死の弁明は、熱血モードに入ったクリスティアンの耳には届かなかった。
「よし、じゃあ方針は決まりだね」
シエルが、いつの間にか極上の「営業スマイル(外交モード)」に着替えて立ち上がった。
「周辺国の使節団への根回しと、契約書の作成は僕がやろう。ミーティー、君は大人しく玉座で『慈悲深い女王』の顔をして座ってて。…その代わり、これが成功したら、次は僕の頼みも聞いてもらうからね?」
シエルが私の手を取り、その甲にそっと唇を落とした。
その瞳に宿るのは、独占欲と、この有能すぎる幼馴染を絶対に手放さないという強い意志だ。
「さあ、始めようか。君が望む『平和』のために、僕たちをたっぷり使い倒してよ、女王様?」
前世の社畜知識のせいで、世界平和へのカウントダウンが勝手に始まってしまった。
私の平穏な隠居生活は、どうやらまだまだ遠そうである。
煌びやかなシャンデリアが照らす、周辺国との合同外交パーティーの会場。
豪華なドレスに身を包んだ私は、心の中で「限界社畜時代の、新規大口クライアントへのプレゼン前」と同じテンションで深呼吸をしていた。
(よし。今日の目標は『我が国のエネルギー供給(魔力電池)の有用性をアピールし、優位な貿易条約を結ぶこと』。…社畜根性、見せてやるわ!)
私の左右には、正装に身を包んだ眩しすぎる最推したち。
右側には、胡散臭いほど完璧な「おとぎ話の王子様」の微笑みを貼り付けたシエル。
左側には、妖艶な仕立ての礼服をまとい、退屈な社交界を早くも楽しんでいるジル。
私たちが会場に足を踏み入れた瞬間、ざわ…と周囲の空気が揺れた。
「…おい、あれはこの国の『暗君』じゃなかったか?」
「ああ。贅沢と我が儘ばかりで、政治には一切興味がないと聞いていたが…」
「なんだ、あの雰囲気は。まるで全てを見透かしているような…」
遠巻きにヒソヒソと囁き合う他国の外交官たち。
彼らの目には、背筋をピンと伸ばし、堂々とした佇まいで微笑む私が、恐ろしいほどの覇気をまとった「冷徹な策士」に見えているらしい。
(違うの、みんな。これは前世で理不尽な取引先に鍛え上げられた、ただの『営業スマイル』と『戦闘態勢の姿勢』なだけなの!)
そんな私の内心を知ってか知らずか、エスコートする二人の腕に、きゅっと力がこもる。
(…そうなんだよ)
シエルが、私の耳元に唇を寄せて、会場には聞こえないほどの極小の声で毒を吐いた。
(君が今まで、完全に周りを欺いて『無能』のフリをしてたなんてさ。本当にむかつくよね。僕たち幼馴染まで、ずーっと騙されていたんだから…)
(だから騙してないってば!本当にただの暗君だったんだって!)
(おっと、可愛い女王様。あまり不満げな顔をしないで?今日の君は、世界を手のひらで転がす冷酷な支配者なんだから)
ジルがくすくすと低く笑いながら、私の腰を引き寄せ、空いた手で私の手袋越しに指を絡めてくる。
(僕たちが最高に美しくエスコートしてあげる。さあ、あの愚かな外交官たちを、君のその恐ろしい頭脳で圧倒してごらんよ?)
二人の完璧なリードによって、私たちは他国の高官たちが集まる中心へと進み出た。
「これはこれは、ミーティー女王陛下。本日は一段と輝かしい…」
挨拶をしてきたのは、我が国と地続きで、冬の寒さが厳しい北の強国の全権大使だ。
彼は私を前会った時のような「御しやすい小娘」だと侮った目で見ていた。
私は極上のビジネススマイルを浮かべ、グラスを軽く掲げる。
「ありがとうございます、大使。…そういえば、そちらの国では今年の冬、例年以上の大寒波に見舞われるとか。平民の方々の薪の確保、大変でいらっしゃいますね?」
「なっ…!なぜそれを…」
大使の顔が引きつる。
あの『ミーティー』に国内の懸念事項を突かれたからだ。
「我が国の議会は優秀ですので。…そこでご提案なのですが、我が国が新開発した『魔力電池』および『簡易魔導ヒーター』を、御国へ優先的に輸出するというのはいかがかしら?薪の十割削減、かつ平民の凍死者はゼロになりますわ」
「な、なんだと…!?薪の代わりになる魔道具など、平民に買えるわけが…」
「ええ、普通なら。ですから『安価な定額貸出』です」
私はシエルが事前に完璧に仕上げてくれた契約書を、ジルに目配せして提示させた。
「平民の方々は、毎月ほんの少しの銅貨で、凍えない冬を買うことができる。…ただし、この電池の『魔力補給』は、御国の王族・貴族の方々の魔力を、我が国の術式で結晶化させていただきますが。…まさか、民の命よりも、ご自身の少しの魔力を惜しむような度量の狭い国ではありませんよね?」
「っ…!」
綺麗な笑顔で、逃げ場のない「人道的な脅迫」を突きつける。
もし断れば、「王族が魔力を惜しんだせいで平民が凍死した」という噂が流れ、その国は内側から崩壊する。
全てを受ける一手しか、彼らには残されていない。
「く…っ、素晴らしい、お覚悟だ…。まさか、これほどの策を温めておられたとは…」
他国の外交官たちが、冷や汗を流しながら私に次々と平伏していく。
会場の空気が、完全に私を中心に支配されていくのが分かった。
「…ふふ、見事だね。交渉成立だ、ミーティー」
シエルが私の背中に手を添え、まるで自分の宝物を世界に見せつけるかのような、傲慢で美しい微笑みを浮かべた。
その瞳は、完全に周囲の外交官たちを「獲物」として見下している。
「僕の作った契約書を、ここまで完璧に使いこなすなんて。…本当に、女王を辞めさせなくて良かった。君は僕たちの隣で、一生この国のために働くんだよ?」
「あはは!最高のプレゼンテーションだ!周りの連中の怯えきった顔、見たかい?君のエスコート役が僕たちで、本当に光栄だよ、女王様」
ジルが、私の手首にそっと唇を寄せ、独占欲を隠そうともせずに囁く。
こうして、限界社畜OLの営業スキルを「底知れない帝王学」と勘違いした二人の完璧なエスコートにより、周辺国のインフラを丸ごと掌握する伝説の外交パーティーは、大成功のうちに幕を閉じたのだった。
「ねぇ…議会制を取り入れても、やっぱり現状って【貴族院】じゃん?」
魔力電池の定額制事業が軌道に乗り、国家予算がバブル並みに膨れ上がったある日の執務室。
私はお茶を飲みながら、ふと思いついた改善点を口にした。
「ん?そりゃあ平民に政は無理でしょ?」
シエルが、何を当たり前のことを、という顔で冷たく返してくる。
「彼らは自分の名前の文字すら怪しいんだよ?そんな人たちに国の法律を考えろだなんて、ただのディストピアだよ」
「それをさぁ。何年も、何十年もかけて、平民の席も議会に作ってあげたいんだよね。だから…平民にも、ちゃんと教育を受けさせたくて」
「は?」
またしてもシエルの、地を這うような美しい「は?」が室内に響き渡る。
ジルは持っていた魔導書のページをめくる手を止め、クリスティアンに至っては、驚きのあまり食べていたお団子を喉に詰まらせそうになっていた。
「だって、魔道具が安く使えるようになって、平民たちの仕事や家事も劇的に楽になって、余暇が出来たでしょう?特に、労働から解放された子供たちは」
前世の知識によって、この国の平民、特に子供たちには「時間」という最大の資本が生まれていた。
「暇を持て余して不良になるくらいなら、今のうちに読み書きと計算を仕込みたいの。優秀な人材を底上げして国力にする。これ、組織の基本だよ?」
ガチの国家運営論を語る私を見て、ついに三人が揃って頭を抱えた。
「…何故その案を、【暗君時代】に出さない…っ!」
シエルが片手で顔を覆い、本気で悔しそうに身悶えする。
「君の言う通りだよ!インフラを整えた後に、余った労働力を教育に回して未来の官僚を育成する…。完璧な二の矢じゃないか!なんであの頃は、毎日『あの宝石買ってー!』しか言わなかったんだい君は!?」
「もっと早く言ってくれれば、こっちで事前に平民用の学校の土地や、貴族たちの反発を抑えるための根回しを完璧に手を回してたのに…!悔しいなぁ、僕としたことが君の掌の上で完全に遅れをとったよ!」
ジルも、ミーティーの発想にゾクゾクしながらも、準備不足の自分に本気で地団駄を踏んでいる。
「ミーティー…!おまん、そこまで先のことを考えて、わしらの故郷の子供らのことを見てくれちょったんか…!」
クリスティアンは例によって、大感動で瞳をうるうるさせていた。
「文字が読めんで騙される平民をなくすために、そんな試みを…!おまん、やっぱり本物の聖君じゃき…!」
「ええっと…で、でも、いきなり学校は無理だから、とりあえず『文字ドリル』とか『計算ドリル』とかの教材は、夜な夜な私が作っておいたよ!」
私はデスクの引き出しから、前世の記憶を頼りに手書きで量産した、いくつかの冊子を取り出した。
「「「…待って。ドリルって何?」」」
三人が一斉に冊子を覗き込む。
「これだよ。たとえば文字のページは、同じ文字を何回もなぞって覚えるの。で、計算のページは、簡単な足し算を引き算をひたすら反復横跳びみたいに解かせるシステム!」
「ほほう…?『いぞうはおだんごをみっつもっています。しえるにひとつうばわれました。のこりはいくつでしょう』…って、おいミーティー!なんでわしのお団子が奪われちゅうがな!?」
クリスティアンがドリルの一問目に本気で抗議してくる。
「いや、僕なら三つとも奪うけどね」
シエルが鼻で笑いながら、真剣な目で計算ドリルをめくっていく。
「…恐ろしいね。この、徐々に難易度が上がっていく『ステップアップ方式』。そして、子供が飽きないようにイラスト(ミーティーの拙い手書きの推したちのミニキャラ)を散りばめる工夫…。これなら教師がいなくても、親が子供に買い与えるだけで勝手に学力が上がる」
「うん、最高に狂ってるよ。知識の育成システムだね!」
ジルが、私の手書きのドリルを愛おしそうに撫で、そのまま私の指を絡め取った。
「ねえ、このドリルの印刷と流通、僕のネットワークを使わせてよ。平民の子供たちが、君の作ったこの『ドリル』に支配されていく様子を、特等席で見守らせて?」
「支配とか不穏なこと言わないで!ただのお勉強冊子だから!」
「よし、印刷の手配はジル、各村への配布ルートの護衛と、ドリルをサボるガキどもの監視はクリスティアン、君の役目だ」
シエルが、冷酷かつ極上の笑顔でテキパキと指示を出す。
「おう!わしに任せちょけ!サボる奴はわしが説教しちゃるきに!」
「そしてミーティー」
シエルが私のデスクに両手を突き、じり、と顔を近づけてきた。
その瞳が、逃がさないとばかりに妖しく光る。
「君は、次の『応用編ドリル』の執筆だ。…もちろん、今夜も僕の部屋で、僕の監視のもとで、徹夜で書いてもらうからね?我が国の偉大なる、未来の教育界の女王様?」
「ひぇっ…やっぱり私が一番の社畜ロードに突き落とされるんじゃんかぁ!」
限界社畜OLの作った「ドリル」が、異世界の歴史を大きく塗り替える一歩となるのは、まさにこの瞬間の出来事であった。
周辺国との関係改善によって平和をもぎ取り、魔力電池の普及で平民に余暇を与え、国家予算を爆増させ、ドリルによる義務教育を行き渡らせた。
これだけの偉業をたった数ヶ月で成し遂げた我が国の女王・ミーティーを、議会の面々は畏怖の念を込めて見つめていた。
「…信じられないね。ここまですべて、君の絵描いたロードマップ通りというわけかい」
執務室で、シエルが心底呆れたように、けれど深く心酔したような複雑なため息をつく。
「いやぁ、本当に素晴らしいよ。インフラを握り、次世代の従順な労働力を育て上げた。さすがの僕でも、これ以上の国家改造計画は思いつかないな」
ジルも、面白そうに首を振る。
「…おまんは、本当にこの国の未来をすべて見通しちょったんじゃな。わし、感動しすぎて言葉が出んきに…」
クリスティアンは例によって、キラキラしたピュアな目で私を拝んでいた。
三人は確信していた。
(さすがに、彼女の『天才的な発想』もここまでだろう。これからは整えたこの国を運用していくだけだ)
しかしその時、私は玉座の上で、ここ数年の天候データと食糧事情の資料を何枚も突き合わせながら、凄まじい形相で頭を抱えていた。
「…嘘でしょ?待って、これ最悪のパターンじゃん…」
ぶつぶつと不穏な独り言を呟く私に、三人が眉をひそめる。
「おい、ミーティー。何をそんなに深刻な顔をしてるんだい?また楽隠居するためのサボりの言い訳でも考えてるのか?」
シエルがいつもの調子でからかうように声をかけた。
「サボりじゃないよ!どうしよう…今年、【蝗害】が発生しそうな気候じゃない!?」
「「「は?」」」
三人の声が見事にハモった。
「こうがい…?虫が大量発生して作物を食い荒らす、あの忌々しい天災のことかい?」
ジルが片目を細める。
「そうだよ!このナーロッパ…ゲホン、この世界の過去の記録を見てよ!二年前の大干ばつ、去年の冷夏、そして今年のこの異常な長雨と急激な気温上昇!前世の知識…じゃなくて、私の勘だと、これ近隣の荒野でバッタな爆発的進化を起こして、数日後には雲霞のごとく我が国の主食の畑に襲来するサインだよ!」
前世の社畜時代、食品系の商社にいた私は、世界の農産物先物取引のデータを嫌というほど見せられていた。
この気候パターンは、間違いなく「バッタの大群が国を滅ぼす」デスフラグだ。
「な、何を馬鹿なことを…。天災の予測なんて、高位の占星術師でも外すっていうのに…」
シエルが絶句する。
「予測じゃない、確定事項として動くの!猶予はあと数日!バッタが来てからじゃ遅いんだよ!」
私はバシッとホワイトボードを叩いた。
「だからさぁ!一旦、国内の大麦の畑、全部焼いて今から〝ソバ〟育てられない?だめ?」
「「「…っ!?」」」
三人の脳裏に、凄まじい衝撃が走った。
「な…、君はいつもそうやって突然、国家の根幹を揺るがすような暴論を…っ!」
シエルが椅子から立ち上がり、信じられないものを見る目で私を指差した。
「まだ来てもいない虫のために、今シーズンの主食の畑をすべて焼き払えだって!?正気の沙汰じゃないよ!」
「何故事前に言わない…!畑を焼くなんて大義名分、貴族や農民をどう説得すればいいんだい!?もっと早く言ってくれれば、こっちで『バッタの神の啓示があった』とかの噂を仕込んで、事前に手を回せていたのに…!」
ジルが、ミーティーの予測の正確さを信じ切っているがゆえに、準備期間のなさに本気で地団駄を踏んでいる。
「ミーティー…!その『そば』っちゅうがは、そんなにすごいんか!?」
クリスティアンはオロオロしながら尋ねてくる。
「ソバは生育期間が三ヶ月と圧倒的に短くて、痩せた土地でも育つの!今すぐ大麦を焼いて地中のバッタの卵や幼虫ごと処理して、すぐにソバを植えれば、蝗害の被害を回避した上で、冬が来る前に新しい主食を収穫できる!飢え死にする人間をゼロにできるの!」
合理性の塊のような「代替プラン」を提示され、シエルはこめかみの青筋を激しくピクつかせた。
「…っ、分かったよ!動けばいいんだろう、動けば!」
シエルが髪を乱暴にかきむしり、冷酷な目で笑う。
「ジル!国内の全領主へ通達だ。僕の議長としての特別権限として、本日中に指定区域の畑をすべて焼き払わせろ。反発する奴は、僕の魔力で精神的に追い詰めて黙らせる!」
「いいねぇ、国中の畑が炎に包まれるなんて、最高のスペクタクルだ!急いで『ソバ』とやらの種子の確保と、一斉植え付けのための魔導農具の調整に入るよ!」
「わ、わしは、おまんの言う『ばった』の偵察に行ってくるき!おまんの予言が当たりじゃったらすぐ知らせる!」
クリスティアンが愛刀を握りしめ、凄まじい闘志を燃やして窓から飛び出していった。
「みんな行動が早くて助かるー!あ、ついでにソバの収穫後のために『つゆ』用の醤油と鰹節の関税も下げといてー!」
「これ以上、仕事を増やすなこの社畜女王ー!」
シエルの大声でのツッコミが、今日も玉座の間に響き渡る。
最推したちを極限まで使い倒し、異世界の食料危機すら「スピード解決」してしまうミーティーなのであった。
「んーっ!終わらない!終わるわけがないでしょ、こんなデスマーチ!」
深夜の私室。
私は机の上に「ソバの栽培マニュアル」と「計算ドリル・応用編」の原稿を広げ、頭を抱えて叫んでいた。
いくら前世が限界社畜OLだからって、日中は外交とシエルの蝗害対策の指揮へのアドバイス、夜は教育カリキュラムの執筆なんて、完全に労基が黙っていないスケジュールである。
「はいはい、静かに。そんな大声を出す元気があるなら、ほら、ペンを動かす」
すぐ隣から、呆れたような、けれどひどく心地よい声が降ってくる。
シルクのナイトウェアを気怠げにまとったシエルが、私の手元に新しく淹れたハーブティーを置いた。
湯気と共に、私の大好きな甘い蜂蜜の香りが広がる。
「…うぅ、シエル。私、もう限界。眠い。お布団が私を呼んでる」
「駄目だよ。君が昼間、突然『畑を全部焼け』なんて無茶苦茶な大博打を打ち出すから、僕もジルも明日から地獄の根回しに追われるんだ。言い出しっぺの君が、この程度の作業量でへこたれてもらっちゃ困るね」
シエルは私の背後に回り込むと、椅子の背もたれに両手を突き、じり、と顔を近づけてきた。
おとぎ話の騎士様のような美しい顔が至近距離に迫り、瞳が魔力を帯びて妖しく発光している。
「それに、幼馴染の僕たちをずーっと騙して『無能な暗君』のフリをしてたツケ、まだ全然払ってもらってないし?」
「だから騙してないってば…ひゃんっ!?」
突如、私の首筋に冷たい指先が触れた。
驚いて振り返ると、いつの間にか部屋に入り込んでいたジルが、私の椅子の肘置きに腰掛け、酷く愉しげに目を細めていた。
「いやぁ、本当に悪い女王様だ。こんなに回転の早い素敵な頭脳を、僕たちの前で隠し持っていたなんてさ。…ねえミーティー、今夜はドリルだけじゃなくて、僕たちの『おねだり』にも付き合ってもらうよ?」
「お、おねだり…?何のこと、ジル…」
ジルはくすくすと不穏に笑うと、私の手からペンを優しく奪い取った。
そのまま私の顎を細い指先でくいと持ち上げ、吐息が触れ合うほどの距離で囁く。
「決まっているじゃないか。君が隠していたその『天才の片鱗』を、僕たちだけにたっぷり搾り取らせてもらうのさ。…まずは、僕の魔術の術式に、君の魔力を直接同期させてくれないかな?君の魔力、すごく甘くて僕好みなんだよね」
「えっ、魔力の同期って、感覚がダイレクトに繋がってめちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃ…」
「おや、嫌かい?君のために徹夜で魔導ヒーターの量産ラインを組んであげる僕への、これくらいのご褒美、安いものだろう?」
ジルの妖艶な瞳にドロリとした独占欲が混ざり、私の手首をきゅっと握りしめてくる。
「ちょっとジル、抜け駆けは感心しないな」
後ろからシエルの手が伸びてきて、ジルの手を叩き落とした。
…と思ったら、今度はシエルの長い腕が、私の身体を後ろからすっぽりと包み込むように抱き込んできた。
「ひぇっ、シエル、近い、近い!」
「うるさいな。君が動くから書類が汚れるだろう。…ほら、大人しくしてて」
シエルの低い声が、耳元でダイレクトに響いて鼓膜が震える。
彼は私の手の上から自分の大きな手を重ね、無理やりペンを握らせた。
「君のせいで、僕の完璧なライフプランはめちゃくちゃだ。君をただの飾り物の女王にして、裏で僕がすべてを支配するはずだったのに…。今や、君の突飛な思いつきを僕が必死に形にする羽目になってる。この責任、どう取ってくれるんだい?」
「それは…その、国のため、平民のため…」
「違うね」
シエルが私の耳たぶを、いたずらに小さく、けれど熱く、きゅっと噛んだ。
「僕のため、だよ。君は僕だけの女王様で、僕の隣で一生、僕のためにその頭を働かせるんだ。分かったら、さっさとこのマニュアルの続きを書いて。サボったら…次は噛むだけじゃ済ませないからね?」
「…あはは!シエルも随分と独占欲を隠さなくなったねぇ。いいよミーティー、僕も隣で応援してあげる。朝までたっぷり、僕たちに可愛がられながら、社畜の本領を発揮してごらん?」
右からはジルの妖艶な誘惑、後ろからはシエルの重すぎる執着。
二人の最推しに物理的に退路を塞がれ、甘くじわじわと「お仕置き」されながら、私は涙目でペンの速度を爆上げするしかなかった。
(嬉しすぎて心臓がもたないけど、これやっぱり前世よりハードなオフィスラブになってる気がするー!?)
こうして、元暗君の限界社畜女王の夜は、二人の有能な幼馴染によって、甘く熱く更けていくのだった。
「ええか、おまんら!これが我が国の偉大なるミーティー様が、夜な夜な一文字ずつ魂を込めてお書きになられた『文字ドリル』じゃきに!汚したり破ったりしたら、わしが絶対に許さんきな!」
青空が広がる広場。
蝗害対策で畑を焼き払うため、一時的に避難してきた農村の子供たちを前に、クリスティアンさんの大声が響き渡った。
前世の最推しであり、今世では私の命をずっと護ってくれていた幼馴染の護衛騎士。
そんなクリスティアンは今、ミーティーのミニキャラが描かれた冊子を両手でうやうやしく掲げ、集まった子供たちを鋭い眼光で見下ろしている。
「はーい!先生、これなんて読むのー?」
「先生やない、わしは『クリスティアン』じゃ!…どれ、見せてみぃ」
クリスティアンは、強面の顔を少しだけ和らげると、子供たちの目線に合わせてその場にドサッと不器用にしゃがみ込んだ。
「これは『い』じゃ。…ほれ、こうやって線をなぞるんじゃ。…違う!そこは右から左じゃ!刀を振る時と同じで、文字にも『筋』っちゅうもんがあるがやき!」
「わあ、クリスティアン、教えるの上手!」
「ふん、当たり前じゃ!わしを誰やと思っちゅうが。…ほら、次の計算問題もやってみぃ!」
まさかの熱血教師ムーブ。
木陰からその様子をそっと見守っていた私は、胸がじーんと熱くなるのを抑えきれなかった。
(クリスティアン、子供の頃からお勉強は苦手だったはずなのに…。私の作ったドリルのために、文字の書き順や計算を事前に必死で予習してくれたんだよね)
前世のゲームでの彼もかっこよかったけれど、今世で私の「思いつき」を誰よりも信じ、こうして平民の子供たちのために汗を流してくれるクリスティアンは、言葉にできないほど愛おしい。
「あ、ミーティー様だ!」
一人の子供が私に気付き、声を上げた。
子供たちが一斉に振り返り、クリスティアンも弾かれたように立ち上がってこちらを見る。
「ミーティー…!おまん、いつからそこに…っ」
私の姿を見るなり、クリスティアンの耳たぶが瞬く間に真っ赤に染まった。
子供たちの前で見せていた威厳はどこへやら、大型犬が尻尾をちぎれんばかりに振る前のような、そわそわとした態度に変わる。
「ついさっきだよ、クリスティアン。…子供たちに教えるの、すっごく上手だね。ありがとう、手伝ってくれて」
私が歩み寄り、至近距離から満面の笑みで見上げると、クリスティアンは顔を真っ赤にして、持っていたドリルで自分の顔を半分隠してしまった。
「な、何をおかしなことを言うちょるがや…!わしは、おまんがこの国のすべての民のために、夜も寝ずにこんな素晴らしい本を書いたのを知っちゅうき…!だから、わしにできることは何でもしちゃりたかっただけじゃ!」
ドリル越しに覗く彼の瞳は、一点の曇りもない純粋な忠誠心と、それ以上の深い情愛で潤んでいる。
「おまんは、子供の頃からずっと頼りなくて、わしが護ってやらんといかん女の子やった。…それが、気付けばこんなに大きなことを考えて、国中を救おうとしちゅう。わし、おまんの傍にいられて、本当に誇らしいきに」
直球すぎるピュアな言葉。
しかも、幼馴染としての思い出を大切に抱きしめながらの発言に、今度は私の方が顔から火が出そうになる番だった。
(うわあああ、クリスティアンのピュア甘攻撃の破壊力が凄まじすぎる…胸キュンで心臓が破裂しそう…!)
「あー!クリスティアン、顔が真っ赤だー!」
「ミーティー様も真っ赤だよ!二人でお顔がリンゴになってるー!」
子供たちが手を叩いて囃し立てる。
「う、うるさいきに!おまんら、茶化す暇があったらさっさと次のページを解かんか!サボったらわしが刀の峰で、お尻をぺんぺんしちゃるきな!」
「ひえーっ!逃げろー!」
クスクスと笑いながらドリルに戻っていく子供たち。
その賑やかな声を背景に、クリスティアンは顔の赤みが引かないまま、そっと私のドレスの袖を大きな手で小さく引っ張った。
「…ミーティー」
「ん、何?クリスティアン」
「このバッタの件が片付いたら…。その時は、わしと二人で、美味いお茶漬けを食べてくれるか?」
はにかむような、けれど男らしく私を見つめる彼の表情に、私は完全にノックアウトされた。
「うん…っ!もちろん、喜んで!」
昨夜のシエルとジルによる過酷な「お仕置き(残業)」の疲れなど、彼のその笑顔一つで一瞬で吹き飛んでしまう。
限界社畜OLの知識が生んだ異世界改革は、最推しとの最高にピュアで甘い未来へと、しっかりと繋がっているのだった。
「はい、注目ー!蝗害も無事に回避できたし、収穫した新主食のプロモーションを始めるよ!」
バタバタとバッタの脅威を退け、見事に実ったソバの収穫祭が終わった翌日。
私は執務室のテーブルに、ドサッと分厚い手書きの原稿を叩きつけた。
「ジャジャン!『蕎麦粉レシピ大全』、休み時間に書いておいたの!というわけで、今日は三人のために試食会をしよ!」
「は?」
定位置となったデスクで、シエルがまたしても綺麗な「は?」を室内に響かせた。
彼はマッサージ器を凝った首元に当てながら、引きつった笑みを浮かべている。
「ちょっと待って、ミーティー。君の『休み時間』って、概念が変わったのかな?休みっていうのは、体を休めるためにあるんだよ。なんでそんな凶悪な厚みの本が完成してるんだい?」
「待って、まさかとは思うけど…」
ジルが、私の手書き原稿の表紙を細い指先でめくりながら、冷や汗を流して微笑んだ。
「国内の全世帯に、無料でこの本を刷って配れ、とか言わないよね…?」
「言うけど?」
私は胸を張って断言した。
「だって、知らない食材なんて、みんな調理法が分からなくて買い渋るでしょ?国内で無料配布しないと、ソバの流通を爆発させる意味がないじゃん!」
前世の現代日本でも、新商品を流行らせるためにはクックパッドの手軽さと、無料の販促が絶対条件だった。
「「は?」」
今度はシエルとジルの声が、綺麗に重なってハモった。
「君は…本当にどこまで強欲で、どこまで計算高い悪魔なんだい…っ!」
シエルが片手で顔を覆い、椅子ごと後ろにのけぞった。
「主食の危機を救っただけで聖君扱いなのに、今度は国費でレシピ本を無料配布して、民の胃袋を完全に我が国のソバ市場に依存させる気かい!?恐ろしいよ、君の経済侵略!」
「だから、ただのみんなに美味しく食べてほしいっていう純粋な親切心だってば!」
「いやぁ、最高に狂ってるねぇ女王様!」
ジルがゾクゾクした瞳で私の腰をぐっと抱き寄せ、耳元で甘く囁いた。
「文字ドリルで平民の識字率を上げた直後に、この『レシピ本』の無料配布…!つまり、ドリルを勉強したご褒美が『美味いソバの作り方』になるわけだ。学びのモチベーションまで支配するなんて、やっぱり君、僕より悪魔の素質があるよ」
「褒め言葉として受け取れないから離れて!あとクリスティアン、助けて!」
「ミーティー…!わしは、おまんがそこまで平民の晩飯のことまで考えてくれちょったがに、感動したきに…!」
すでにテーブルの前に正座していたクリスティアンは、涙目で大感動していた。
「おい、ジル!つべこべ言わんと、この『ししょくかい』っちゅうのを早く始めるきに!わしは、ミーティーが作った新しい美味いもんが、早く食いたくてたまらんがじゃ!」
「そうだね。まあ、文句を言うのは食べてからにしようか」
シエルがため息をつきながら立ち上がり、私が用意した簡易コンロ(魔道具)の前に集まった。
今日の試食会メニューは、現代日本が誇るソバの王道三種類。
「まずは基本の『ざる蕎麦』だよ!はい、クリスティアン、これをこの『めんつゆ』につけてズズッとすすって!」
「おう!いただきます…!ズズッ…っ!?」
クリスティアンが勢いよくすすった瞬間、その場にカチンと凍りついた。
あまりの衝撃に、持っていた箸がカタカタと震えている。
「な、なんじゃこれは…っ!喉越しが、ツルッとして、この黒い汁の旨味がガツンと鼻に抜けるきに!麦の飯より、圧倒的に軽くて、なんぼでも食える!美味い、美味すぎるきに…!」
クリスティアンはボロ泣きしながら、ものすごいスピードでソバを吸い込み始めた。
「へえ、どれどれ…。おや、こっちの温かい『天ぷら蕎麦』というのも、出汁の香りが素晴らしいね」
ジルが、揚げたての山菜の天ぷらと共に、温かいお蕎麦を口に運ぶ。
「…っ、あはは!参ったな、これは!衣に染みた出汁と、ソバの素朴な風味が完璧に調和しているよ。これを平民が毎日食べられるようになったら、それこそ他の国の食事なんて泥水をすするようなものだね。素晴らしいよ、ミーティー」
ジルは蕩けるような笑みを浮かべ、空いた手で私の太ももをそっと撫でてくる。
「ちょっとジル、試食中にセクハラしないで。…ほら、シエルも食べてみてよ」
「僕は騙されないからね。こんな、バッタ対策のその場しのぎで植えた草の種が、そんなに美味いわけがない…」
シエルが、不満げに『蕎麦粉のガレット』をフォークで切り、口に運んだ。
チーズと卵、そしてベーコンを包んだお洒落なソバ料理だ。
「…っ」
咀嚼した瞬間、シエルの瞳が、信じられないものを見たかのように見開かれた。
「…香ばしい。外はカリッとしてるのに、中はモチモチで…、何よりこのチーズの塩気と蕎麦粉の風味が、完璧にマッチしてる…。悔しい、悔しいけど…めちゃくちゃに美味いじゃないか、これ…!」
シエルはプライドをズタズタにされながらも、フォークを動かす手を止められない。
三人が夢中でソバを貪り食う様子を見て、私は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「でしょ?これ、平民だけじゃなくて、他国の貴族にも高級品として輸出できるからね。はい、シエル。レシピ本の大量印刷と、国外向けのレシピ本とソバの輸出貿易の関税計算書、明日までにやっといてね?」
「…っ、君ってやつは、僕たちを美味しいもので懐柔して、さらに過酷な労働に叩き落とす気かい!?」
シエルが口元にソースをつけたまま、盛大にキレ散らかした。
「わしは、おまんのためなら、いくらでもソバの畑を護るきに!ミーティー、おかわりじゃ!」
「ふふ、僕もこのレシピ本の印刷、喜んで手伝うよ。その代わり、今夜は僕の部屋で、デザートの『蕎麦粉のパンケーキ』の試作に付き合ってもらうけどね?」
ピュアに胃袋を掴まれたクリスティアンと、ますます有能な幼馴染を手放したくなくなった二人。
異世界の食糧危機を「大人気グルメイベント」へと昇華させた限界社畜女王ミーティーの執務室は、今日も香ばしいソバの香りと、推したちの重すぎる愛で満たされているのだった。
「そういえば議会でさ、あの大森林を開こうって話が出ててさぁ。そろそろ国も豊かになったし、新しい商業区でも作ろうかって…」
ある日の午後。
魔力電池の普及もソバの流通も落ち着き、まったりとお茶を飲んでいた執務室。
シエルが何気なく口にしたその一言に、私は持っていた湯呑みを机に叩きつけた。
「は?」
いつもは私に対して「は?」を連発する側のシエルに私が、地を這うような冷たい声を響かせる。
そのあまりの低音に、シエルがびくりと肩を揺らし、書類を読んでいたジルもペンを止めた。
「ちょっと待って。この雨季直前に大森林の伐採!?バカなの!?地盤どうすんの!?地形を崩したいの!?」
「ミーティー…?」
私のあまりの剣幕に、いつもは不敵に笑うジルが、少しだけ引きつった顔で私の顔を覗き込んできた。
「あの森林の木々がどれだけ根を張って、雨季の豪雨から我が国の土壌を護ってると思ってるわけ!?あそこの木を一本でも無計画に斬ったらねぇ、次の大雨で大量の土砂崩れが発生して、ふもとの平民の村が丸ごと生き埋めになるんだよ!?」
前世の限界社畜OL時代の記憶が警鐘を鳴らす。
無計画な森林伐採が、どれだけ凄まじい「土砂災害」を引き起こすか、嫌というほどシミュレーションデータを見てきたのだ。
「そもそも大森林を開いてなにしたいの!?あそこには固有の希少動物もたくさんいるのに、自然環境の破壊はどうするつもり!?生態系が崩れたら、また別の害虫が街に溢れ返るよ!?自然を舐めるなー!」
ガチの環境保全&災害リスクマネジメント論をまくし立てる私。
あまりの形相と圧倒的なド正論に、執務室は水を打ったように静まり返った。
「き、君が切れるなんて珍しいね…。そんなに恐ろしいことになるなんて、僕たちは思ってもみなかったよ…」
シエルが冷や汗を流しながら、完全に気圧された様子で両手を挙げた。
「わ、わかった。すぐに議会に差し戻して、その計画は完全に止めておくよ。君を怒らせると、バッタの時より恐ろしい国難が来そうだからね…」
ジルも、ミーティーの「怒りの本質」が民を護るための完璧な計算だと察し、大急ぎで中止の書類をまとめ始めた。
「ど、どうしたがじゃ、ミーティー…!?そんなに怒ることか…?」
ソファの端で、クリスティアンが見たこともないほど小さくなってブルブルと震えていた。
いつもは暗殺者を一瞬でぶった斬る最強の剣士が、私の剣幕に完全に怯えた子犬のようになっている。
「怒るよクリスティアン!災害対策は発生前の想定がすべてなの!事故が起きてから『想定外でした』じゃ済まされないんだよ!」
「お、おう…!すまんかったきに!わし、その、大森林の木を斬ろうとする奴がいたら、全員わしが斬り伏せて止めるきに!せやき、そんな怖い顔せんといてや…!」
クリスティアンが涙目で私のドレスの裾をきゅっと掴み、必死に許しを請うてくる。
そのピュアな怯え方に、私はようやくハッと我に返って深呼吸をした。
「…ふぅ。ごめん、ちょっと前世の記憶のパニックが出ちゃった。計画を止めてくれるなら、それでいいの。あの大森林は、そのまま国立公園として保護して、将来の観光資源にしようね」
「こ、こくりつこうえん…?かんこうしげん…?」
三人が再び揃って頭を抱える。
「…ねえ、ジル。あいつ、やっぱり僕たちの知らないところで、世界中のすべての知識を網羅して爪を隠してた怪物だよ」
「ああ、間違いないね、シエル。そんな彼女を、ただの暗君だと思って尻拭いしていた僕たちが、どれだけ浅はかだったか…。ふふ、本当に底が知れない女王様だ」
「ミーティーは…ミーティーはやっぱり、わしらが一生かけても追いつけんほどの傑物じゃ…!一生、おまんの背中を護るきに…!」
(違うの。私はただ、土砂崩れで領地が崩壊して、私の引退後のスローライフの計画が白紙になるのを全力で阻止したかっただけなのー!)
社畜の「安全第一」の精神を、またしても「神がかった統治能力」と勘違いした最推したちによる、リスペクトの視線に晒されながら、ミーティーはそっと胃を押さえるのだった。
「ですから、我が国のミーティー女王陛下は、ただ木を伐採して利益を得るような浅薄な発展は望まれません。大自然の『根』という天然の防壁を残すことで、災害コストをゼロにし、さらにその美しさを他国へ見せる【観光資源化】という持続可能なビジネスを構築されたのです」
世界環境サミットの特設会場。
演台に立つシエルが、極上の「完璧な外交議長」の微笑みを貼り付け、会場を埋め尽くす他国の王族や使節団を堂々と見下ろしていた。
その手には、私がサクッと書いた「国立公園の観光化計画書」が握られている。
(…ねえ、シエル。そんな大層なこと言ってない。私はただ、土砂崩れで休みが潰れるのが嫌だっただけなの!)
会場の最前列の特等席に座らされている私は、あまりにも盛り盛りに盛られた自分の評価に、乾いた営業スマイルを浮かべながら冷や汗を流していた。
周辺国は今、我が国に完全に怯え、そして心酔していた。
「あの国は魔力電池で平民を豊かにし、ドリルで教育を施し、ソバで飢饉を乗り越え、今度は自然の力をも味方につけて災害を完全予測した」と。
「…信じられない。あの『暗君』と呼ばれていたミーティー女王は、そこまで先の未来を見据えて国をデザインしていたのか…」
「大森林をただの薪にせず、観光資源にして外貨を稼ぐだと?なんという底知れない頭脳だ…」
遠巻きに私を見てガタガタと震えている他国の外交官たち。
それを横目で見ていた私の左隣のジルが、私の手袋越しに指を絡め、耳元でくすくすと妖しく笑った。
(あはは、傑作だねミーティー。連中の怯えきった顔を見たかい?君が『自然を舐めるな!』って僕たちをガチギレ論破したあの恐ろしい発想が、今や世界中を震撼させる最新の国家戦略だよ)
(だから、あれはただの現場の安全管理だってば…!ジル、離れて、みんな見てるから!)
(いいじゃないか、見せつけてあげよう。世界が君の才能にひれ伏していく姿を見るのは、僕たちにとっても最高の娯楽なんだからね。…もう、誰にも君をただの暗君だなんて言わせないさ)
ジルの瞳が、濃厚な独占欲と誇らしさでドロリと輝く。
彼らにとって、世界がミーティーの凄さに気付くのは当然であり、同時に「この天才は僕たちの幼馴染で、僕たちの国の女王だ」と誇りたくて堪らないのだ。
サミットが終わり、拍手喝采の中で退場する私。
通路を歩いていると、他国の刺客…我が国の急速な発展を妬んだ者に雇われた者が、突然懐からナイフを抜いて私に飛びかかってきた。
「調子に乗るなよ、小娘!」
「おまん、わしのミーティーに気安く触ろうとするなや」
刹那、ガキィン!と激しい金属音が響く。
いつの間にか私の前に立ちはだかっていたクリスティアンが、相手のナイフを刀の鞘ごと一撃で弾き飛ばし、そのまま凄まじい威圧感で男の首元に刃を突きつけていた。
「ひ、ひぃっ…!」
「この大森林の保護も、すべてはミーティーが世界の平民のために考えた高潔な策じゃき。それを汚そうとする不届き者は、わしが一人残らず地獄へ叩き落としてやる。…二度と、わしたちの最高の女王様にその汚い視線を向けるなや」
クリスティアンの眼光は、完全に『世界を救う聖君の、唯一無二の守護騎士』のそれだった。男は恐怖のあまりその場で失禁し、警備兵に引きずられていく。
「ふぅ…。まったく、クリスティアンは相変わらず手際だけはいいね」
演台から戻ってきたシエルが、私の肩を後ろからそっと抱きすくめるように引き寄せ、会場の全権大使たちへ向けて、傲慢で美しい笑みを浮かべた。
「我が国のミーティー女王陛下は、これからの【世界の基準】となられる御方だ。…何か不満がある国は、いつでも我が議会が相手になるよ?もちろん、我が国の『魔力電池』の供給をすべてストップさせた上での話だけどね?」
笑顔で世界を脅迫するシエル。
会場の全員が、我が国の「女王の頭脳」と「議会の武力・実行力」の完璧なシナジーに、完全にひれ伏した瞬間だった。
(嬉しすぎて最推したちが眩しすぎるけど、これじゃ私、隠居するどころか、世界中の環境大臣から毎日企画書を求められる超重要人物になっちゃってないー!?)
前世の社畜知識のせいで、世界を巻き込む環境革命のトップに君臨してしまったミーティーと、彼女を世界一誇らしげに、かつ絶対に手放さないと抱きしめる三人のオフィスラブは、これからもますます加速していくのだった。
世界環境サミットから帰還した夜。
シエルとジルが「他国へのさらなる根回し」のために夜会へと繰り出す中、私は王城の奥にある、私と私の護衛騎士のクリスティアンしか入れない臨時の小さなプライベートキッチンにいた。
「はい、お待たせ!クリスティアン、特製のご褒美お茶漬けだよ!」
コト、と木製のテーブルに置いたのは、前世の記憶を総動員して作った究極の一杯。
炊き立ての白いご飯の上に、ほぐした焼き鮭と梅干し、細かく刻んだ大葉に海苔、そしてあられの代わりに、ソバの試作で余った蕎麦の実を香ばしく煎って散らしたものだ。
そこに、熱々の特製和風出汁をなみなみと注いである。
「お、おお…っ!これが、ミーティーがわしのために作ってくれたお茶漬けか…!」
テーブルの前に正座したクリスティアンは、刀を傍らに置き、まるで国宝を拝むかのように目を輝かせて丼を見つめていた。
サミットの会場で、他国の外交官たちを震え上がらせていたあの冷酷な「護衛騎士」の気配は微塵もない。今の彼は、ただの恋する幼馴染の男の子だ。
「さ、冷めないうちに食べて。今日、あんなにかっこよく私を護ってくれたご褒美!」
「おう!いただきます…!」
クリスティアンは不器用に箸を動かし、豪快にザザッとご飯を口に掻き込んだ。
咀嚼した瞬間、彼の動きがピタリと止まる。
「…っ!」
「どうかな?」
「美味い…っ、美味すぎるきに、ミーティー…!」
クリスティアンの大きな瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
彼は泣きながら、猛烈な勢いでお茶漬けをさらに掻き込んでいく。
「出汁の旨味が染み渡るようじゃ…。それに、このカリカリした実の香ばしさと、酸っぱい梅が、疲れた身体に最高に効くちや…!わし、こんな美味いもん食ったことないきに…!」
「良かったぁ!頑張って作った甲斐があったよ」
私はホッとして、彼の隣にちょこんと腰掛けた。
夢中で食べるクリスティアンの横顔を眺める。
サミットの時、私の前に音もなく立ちはだかった彼の背中は、誰よりも大きくて頼もしかった。
(前世でも大好きだったけど…今世、こうして私をただ一人の女の子として命懸けで護ってくれるクリスティアンは、本当に、世界で一番かっこいいな…)
そんな私の熱い視線に気付いたのか、クリスティアンは最後の出汁をごくごくと飲み干し、器を置くと、不意に私の方を真っ直ぐに振り返った。
お茶漬けの熱気のせいか、それとも別の理由か、彼の顔は耳の裏まで真っ赤に染まっている。
「ミーティー…わし、今日、本当は怖かったんじゃ」
「え?クリスティアンが?」
「おまんが、世界中の偉い奴らを前に、堂々と難しいことを喋りよるき…。あいつらが、おまんのことを『聖君』だの『天才』だのって崇めるきに。…わし、おまんが遠くへ行ってしもうた気がしたんじゃ」
クリスティアンは大きな手を少しだけ震わせながら、そっと躊躇いがちに、私の小さな手を包み込むように握りしめてきた。
剣を握るための、固くて、少しゴツゴツとした、けれど酷く温かい手。
「おまんは、勉強が嫌いで、わしの背中に隠れて『助けて』って泣く、頼りない女の子やった…。わしは、そんなおまんの隣にいるのが、世界で一番好きやったがじゃ」
直球すぎる、熱くてピュアな告白。
クリスティアンは私の手をぎゅっと握りしめたまま、顔を真っ赤にして、けれど視線だけは絶対に逸らさずに私を見つめてくる。
「じゃき、あんな刺客が飛び出してきた時、わし、心の底から嬉しかったんじゃ。『やっぱり、ミーティーを護れるがは、世界中でわし一人だけじゃ』って。おまんがどれだけ偉くなっても、わしは、おまんだけの騎士でいたいきに…」
「クリスティアン…」
胸の奥が、甘くて、切なくて、愛おしい感情でいっぱいになる。
私が前世の記憶のせいで、どんなに周囲から「冷徹な策士」だの「怪物」だのと言われても、この人だけは私の「中身」を見て、ずっと隣にいてくれる。
「遠くになんて行かないよ、クリスティアン。私が毎日こんなに頑張れるのはね、クリスティアンが私の傍で、ずっと私の背中を護ってくれてるからだよ?」
私は空いた方の手で、クリスティアンの頬にそっと触れた。
びくりと身体を跳ね上がらせたクリスティアンだったが、すぐに心地よさそうに目を細め、私の手のひらに自分の頬をすり寄せてくる。
その姿は、完全に大好きな主人の手に甘える大型犬そのものだ。
「本当に…?わし、これからもずっと、おまんの隣におってもええか?」
「当たり前じゃん。ずっと守ってくれるんでしょ?」
「おう…っ!わし、おまんのためなら、何処へでも付いていくきに…!」
クリスティアンは嬉しそうに破顔すると、私の手を引き寄せ、今度は指を絡めるように強く、優しく握り直した。
二人きりのキッチンに流れる、お茶漬けの優しい香りと、砂糖菓子のように甘くてピュアな空気。
(シエルやジルとの過酷な残業も、クリスティアンのこのピュアな愛があれば、いくらでも乗り越えられちゃうな…!)
世界を裏から牛耳る環境先進国の女王ミーティーと、彼女を世界一純粋に愛する護衛騎士のクリスティアンの、最高に甘いご褒美の夜は、穏やかに更けていくのだった。
「ねえ、なんかこの辺り、すごく香ばしい匂いがしないかい?」
ピキッ、とキッチンの空気が凍りついた。
クリスティアンと繋いだ手の温もりに浸っていたまさにその時、閉じられた扉の向こうから、聞き覚えがありすぎる美しい声が響いてきた。
バタン!と勢いよく扉が開く。
そこに立っていたのは、正装のジャケットを少し崩し、恐ろしいほどの覇気をまとったシエルと、その背後で酷く愉しげに目を細めているジルだった。
「やっぱり。…僕たちが他国の高官相手に笑顔を売って、必死に関税の引き下げ交渉をしてるっていうのにさ」
シエルが笑顔のまま、ゆっくりと私とクリスティアンの元へ歩み寄ってくる。
瞳の奥の光が、暗がりのキッチンで完全に据わっている。
「僕たちを置いて二人きりなんて、良い度胸だね?女王様」
「ひぇっ…!お、お帰りなさいシエル、ジル!」
私は条件反射でクリスティアンの手のひらを離し、一歩後ずさった。
限界社畜時代に、サボり現場を上司に見つかった時と全く同じ脳内アラームが鳴り響いている。
「いやぁ、驚いたな!美味しそうな『お茶漬け』じゃないか!」
ジルが、テーブルの上の空になった丼を覗き込み、わざとらしくため息をついた。
「僕たちには『蕎麦粉レシピの無料配布』なんていう地獄のノルマを押し付けておいて、自分は最愛の騎士に手料理のご褒美、か。…ふふ、僕、ちょっと泣いちゃいそうだよミーティー?」
「ち、違うのジル!これはサミットでクリスティアンが無双して私を護ってくれたから、その、正当な報酬として…!」
「あ?なにが抜け駆けじゃ!」
すると、私の前にクリスティアンがガタッと立ち上がり、シエルたちを鋭い眼光で睨みつけた。
「わしはミーティーを護ったき、この美味いもんを食う権利があるがじゃ!おまんらみたいに、裏でこそこそ書類をいじりゆう奴らとは格が違うきに!」
「…へえ。格が違う、か」
シエルのこめかみに、ピキッと特大の青筋が浮かんだ。
「言うようになったじゃないか、クリスティアン。君がその自慢の刀で刺客を斬り伏せられたのは、僕が事前に会場の情報を調整し、ジルが刺客を送った奴を黙らせておいたからだって、まさか気付いてないわけじゃないよね?」
「なっ…!?」
クリスティアンが驚きに目を見開く。
「つまり、君が美味しいお茶漬けにありつけたのは、僕たちの完璧なバックアップのおかげなんだよ。それなのに、自分だけ女王様の手料理で胃袋を満たすなんて…万死に値すると思わないかい?」
シエルの背後から、どろりとした黒いオーラが広がり始める。
「あはは!面白いねぇ!じゃあさ、こうしようよ」
ジルが私の背後に音もなく回り込み、私の肩をぐっと抱き寄せて耳元で甘く囁いた。
「ミーティー、僕たちにも今すぐ『同じもの』を作ってよ。もちろん、ただのお茶漬けじゃ物足りないから…君の手袋を外して、その可愛い指先で直接、ご飯を一口ずつ僕の口に運んでくれるかい?そうしたら、この抜け駆けは不問にしてあげる」
「えっ、あ、あの…!」
「ちょっとジル、君の独占欲の満たし方は相変わらずゲスだね。僕の分は、お茶漬けの横に、今朝のサミットで君が書き殴った『世界の環境関税・完全掌握プラン』の清書を添えてもらうよ。もちろん、僕の膝の上で、僕に抱きつかれながら書いてもらうけど?」
「それただの残業とセクハラじゃんかー!?」
「なっ…!おまんら、ミーティーに気安く触るな!わしのミーティーじゃきに!」
クリスティアンが顔を真っ赤にして刀の柄に手をかける。
「誰が君のミーティーだって?脳までバッタに食われたのかい?」
「おやおや、修羅場だねぇ。夜会よりよっぽど退屈しないよ」
シエルの冷酷な眼光、ジルの妖艶な悪ノリ、そしてクリスティアンの熱血な嫉妬。
三人の最推したちによる、私の独占権を巡るドタバタの真ん中で、私はただただ胃を押さえて叫ぶしかなかった。
(前世の乙女ゲームキャラとしての三人も大好きだけど、今世の三人は全員愛が重すぎて、私の隠居生活が跡形もなく消し飛んでいくー!?)
こうして、限界社畜OLの作った一杯のお茶漬けのせいで、深夜のキッチンは世界で一番贅沢で、世界で一番騒がしい「オフィスラブの戦場」と化すのだった。
「うん?知恵をつけ始めた臣民(平民)が、議会に感謝の手紙を送ってきたって?いいじゃんいいじゃん!国がうまく回ってる最高の証拠だよ!」
ある日の午後。
ドリルによる教育が実を結び、文字が書けるようになった平民たちから、城の議会宛てに大量の「感謝のファンレター」が届いた。
私は執務室のソファでソバのお菓子を齧りながら、自分の事のように大喜びしていた。
(よし!平民の支持が議会(推したち)に集まれば、私は名実ともに『何もしてないただの象徴』になれる!完璧な楽隠居ロード!)
前世の限界社畜OL時代、手柄を全部横取りする無能な上司は大嫌いだった。
だからこそ、自分の出した企画(魔力電池、ドリル、ソバ、環境保護)の功績は、すべて実行部隊である議会の三人に譲るつもりだったのだ。
しかし、手紙を仕分けしていたシエルの顔は、なぜか般若のように引きつっていた。
「いや、それがさぁ…。手紙の【書かれ方】が、ものすごく納得いかないんだよね」
「え?どういうこと?」
私が首を傾げると、ジルがその中の一通をヒラヒラと振ってみせた。
「平民たちの手紙にはねぇ、こう書かれているんだよ。『あの贅沢ばかりの暗君をただの象徴として玉座に閉じ込め、裏で素晴らしい政策を打ち出して国を救ってくれた優秀なシエル議長、ジル議員、クリスティアン騎士様、本当にありがとうございます!』…ってね」
「わぁ、完璧な理解!素晴らしい観察眼だね、我が国の平民は!」
私はソファから飛び起き、パチパチと拍手をした。
「全部の政策、君のアイデアなのにね…」
シエルが、片手で顔を覆って特大のため息をつく。
「毎日毎日、夜な夜な寝る間も惜しんでドリルやらマニュアルやらを書き殴って、国を近代化させたのは君だ。それなのに、僕たちが君を幽閉して、裏で傀儡として操っている悪の議会みたいな扱いをされてる。…むかつく、最高にむかつくね」
「えー、いいじゃん!それで国がうまく回るなら、私は『何もしてないお飾り女王』として一生おやつ食べて寝てられるし、君たちは『国を救った英雄』になれるんだよ!Win-Winでしょ!」
「よくないきにーっ!」
突如、室内に地鳴りのような大声が響き渡った。
見れば、ソファの横でクリスティアンが、顔を真っ赤にして、大粒の涙をボロボロと流しながら激怒していた。
「クリスティアン!?」
「よくない!全然よくないきに、ミーティー!おまんは、おまんはなぁ!自分の国だけじゃなく、世界中の平民を救うために、誰よりも頭を働かせて、夜も寝ずに頑張ってきた聖君ながやぞ!?」
クリスティアンがダダダッと私に詰め寄り、私の両肩をガシッと掴んで激しく揺さぶった。
「それなのに!なんでそんな『何もしてない悪い暗君』みたいな不名誉を、おまんが一人で背負わんといかんがじゃ!?わしは悔しい!おまんのその凄さが、高潔さが、平民どもに伝わってないのが死ぬほど悔しいきに…っ!」
「ち、違うのクリスティアン!脳が揺れる!私は本当にただの暗君としてサボりたいだけで、不名誉どころかご褒美なの!」
私の必死の叫びは、クリスティアンのあまりの熱血な忠誠心の前に、悲しくもかき消された。
「…ふふ、クリスティアンの言う通りだね」
ジルが、私の背後に回り込んで首筋に冷たい指先を這わせ、妖しく目を細めた。
「僕たちだけが君の異才を知っていて、世界には君を『ただの無能』だと思わせておく…。それはそれで歪んだ独占欲が満たされて最高だけど、やっぱり、君が僕たちの頭の上に君臨する支配者だってことは、分からせてあげなきゃね?」
「よし、今すぐ『女王陛下感謝祭』の法案を通そう」
シエルが笑顔でペンを握りしめた。
「平民たちを集めて、君がどれだけ偉大な功績を残したか、僕が朝から晩まで広場で演説してあげる。君の作ったドリルも『ミーティー開発ドリル』に改名だ。君を楽隠居なんて、絶対にさせてやるものか」
「やめてぇ!感謝祭は羞恥心で死ぬ!本当にやめてシエル!」
手柄を押し付け合って泥沼化する、異世界始まって以来の修羅場。
限界社畜OLの保身ムーブ、手柄の丸投げは…最推したちの重すぎる愛とリスペクトのせいで、またしても「女王陛下のお手柄」へと繋がってしまうのだった。
「さあ、臣民たちよ!刮目して、我が国の真の支配者を讃えるがいい!」
城の巨大なバルコニー。
眼下に広がる王都の広場には、入り切らないほどの平民たちが集まり、割れんばかりの歓声を上げていた。
その中央に立たされている私は、かつてないほどの引きつった営業スマイルを浮かべながら、内心で激しく頭を抱えていた。
(なんで…なんでこうなったのー!?)
私の隣には、豪奢な礼服をまとい、拡声の魔道具を手に極上の「おとぎ話の騎士様」の笑顔を浮かべたシエルが立っている。
彼が朗々とした美しい声で、民衆に向けて語りかける。
「彼女はただの暗君ではなかった!貴族の目を欺き、真に民を救うための【議会制】をその手で導入した大天才!魔力電池の定額制、教育ドリル、そして蝗害を予見したソバの栽培…すべては、この慈悲深き我が国の『国母』、ミーティー女王陛下が、夜な夜な寝る間も惜しんで書き上げた救国の策なのだ!」
「「「ミーティー女王陛下万歳ー!国母様万歳ー!」」」
地響きのような大歓声が、広場から湧き上がる。
平民たちの目には、今や私が「すべてを裏で計算し尽くし、爪を隠して国を導いてきた、神がかった天才にして母なる女王」として映っていた。
(違うの!違うの、みんな!あれは全部、前世の社畜OLの知識と、ただサボりたい一心で丸投げした結果なの!崇高な動機は一ミリもないのー!)
「…ふふ、最高の眺めだね?ミーティー」
私の右側から、そっと腰を抱き寄せるようにしてジルが近づいてきた。
彼は民衆から見えない角度で、私のドレスの腰布をぐっと掴み、蕩けるような妖艶な笑みを浮かべて耳元で囁く。
「もう逃げられないよ?君が『お飾りでいい』なんて言うから、僕たちが本気で君を【世界の頂点】まで押し上げてあげたのさ。これだけ熱狂した民が、君をただの暗君に戻すわけがないだろう?君は一生、この玉座の上で、僕たちだけの女王陛下でいてよ」
ジルの瞳が、狂気にも似た濃厚な独占欲でドロリと濁る。
「ジルさん、近い、近いから…!」
「ミーティー…っ!」
すると今度は左側から、正装の騎士服をパリッと着こなしたクリスティアンが、ボロ泣きしながら私の手首をそっと握りしめてきた。
護衛騎士の覇気はどこへやら、今の彼は感動で胸がいっぱいのご様子だ。
「わし…、わしは誇らしいきに…!おまんがこうして、国中の平民から『国母』って呼ばれて讃えられちゅう…!おまんが裏でどれだけ苦労して、あのドリルやレシピ本を書いてきたか、わしが一番知っちゅうきにな…!わし、一生おまんの後ろで、おまんの騎士として付き従うきに!」
「クリスティアン、目がキラキラすぎて眩しいし、忠誠心が重い!私、そんな大層な人間じゃないから泣かないで!」
私の悲痛なツッコミなど、民衆の歓声にかき消されて届かない。
演説を終えたシエルが、拡声の魔道具を置くと、ゆっくりと私の正面に歩み寄ってきた。
彼は私の手を取り、民衆の前で堂々とその甲に深く、熱い口づけを落とす。
見上げる瞳の奥には、逃亡を絶対に許さないという冷酷で、底なしに甘い独占欲が渦巻いていた。
「さあ、諦めてよ、僕たちの有能すぎる幼馴染。君がどれだけ『サボりたい』『ただの暗君だった』と言い張ろうが、残した実績(事実)が君を聖君にしてしまったんだ。君のその恐ろしい頭脳も、可愛い身体も、すべてこの国と…僕たちのものだ」
シエルがクスクスと意地悪に笑い、私の指先をきゅっと絡め取る。
「明日からは『国母』としての新しい公務が、今までの倍はあるからね?覚悟してよ、僕の偉大な女王様」
「やっぱり私が一番の限界社畜ロードに叩き落とされるんじゃんかぁ!」
平民たちの狂信的な「万歳」の嵐と、心を完全に掴まれてしまった最推し三人の重すぎる執着に包まれながら、ミーティーの楽隠居への夢は、完璧な実績の前に打ち砕かれるのだった。
「あいたたた…」
城の廊下。
王家に属する親戚の小さなお子様の盛大な悪戯に巻き込まれ、私は派手に転んで頭を床に打ちつけてしまった。
ズキズキとする頭を押さえながら、私はゆっくりと上体を起こす。
「…あれ?わたくし、ここで何をしていたのかしら。お腹空いたわ、あのご高名なドレスの新作、全部買い占めてきてもらわなくちゃ…」
その瞬間、たまたま廊下を通りかかったシエル、ジル、クリスティアンの三人が、見たこともないほどの恐怖の表情で硬直した。
「…ミーティー?今、なんて言ったんだい?」
シエルが、関税の計算書をバラバラと床に落としながら、青ざめた顔で私に駆け寄ってきた。
「ミーティー!しっかりするんだ!ドレスの新作なんてどうでもいいだろう!?『エネルギーの定額制の進捗』はどうしたんだい!?『教育ドリルの次号の進捗』は!?」
ジルが私の肩をガシガシと揺さぶる。その瞳は、国家の損失を恐れる有能な議員のそれだった。
「ミーティーっ!おまん、頭を打ってバカになっちゃったんか!?嘘じゃろ、わしたちの、世界を救う最高の国母様が、元のただの暗君に戻ってしもうたというんか!?どうしよう、どうしたらいいんじゃシエル、ジル!」
クリスティアンは廊下で大号泣しながら、私の手元にすがりついてワンワンと泣き叫んでいる。
「落ち着けクリスティアン!ジル、すぐに脳の活性化の術式を編め!このままこの女がただの無能に戻ったら、僕たちが明日から公務を代わりに処理する羽目になるんだぞ!絶対にそれだけは阻止する!」
「わかってるよ!脳細胞を覚醒させる魔導薬を持ってくる!ミーティー、お願いだからあの『恐ろしい天才脳』に戻っておくれよ!」
三人は完全にパニックに陥り、私の周りで大騒ぎを始めていた。
(…あら?三人とも、わたくしのことをそんなに心配してくださるのね)
頭の痛みが引いていく中、私は彼らの必死な姿をぼんやりと見つめていた。
いつもは冷酷なシエルが必死に私の名前を呼び、ジルが本気で焦り、クリスティアンが私のために涙を流している。
(可愛いなぁ…。あんなに必死になって。ふふ、わたくし、やっぱりこの三人のことが…)
不意に、胸の奥がキュンと甘く疼いた。
今世の「幼馴染」としての淡い恋心が、記憶のバグによって一瞬だけ顔を覗かせたのだ。
なぜわたくしは、たかが幼馴染の男たちに、こんな愛おしい感情を抱いているのかしら。
これではまるで…。
…って、いや、推しだからじゃん!!!
脳内で現代日本の記憶がパッと戻って弾けた。
(危ない危ない危ない!一瞬マジでただのナーロッパの暗君に戻るところだった!違う、私が三人を愛おしいと思うのは、前世で天井叩くまでガチャ回した『最推し』だからだよ!恋心じゃなくてただの限界オタクの性だよ!)
完全に我に返った私は、スッと真顔になり、床に落ちていたシエルの書類を拾い上げた。
「…シエル。この『周辺国とのソバ貿易の関税計算書』、第三条の数字が二%ズレてるよ。修正して明日までに再提出ね」
ピタリ、と三人の動きが止まった。
「あ…」
シエルが、涙目のまま呆然と私を見る。
「あはは…!戻った、戻ったよシエル!この冷徹で、一瞬で書類のミスを見抜く、血も涙もない女王様の目が戻ってきた!」
ジルが、狂喜乱舞しながら私の手を握りしめた。
「ミーティー!おまん、やっぱりバカになってなかったんじゃな…!よかった、本当によかったきに…!わし、おまんがただの頼りない女の子に戻ったら、どうしようかと思ったちや…!」
クリスティアンが私のドレスに顔を埋めて、さらに激しく安堵の号泣を始める。
「まったく、人騒がせな頭の打ち方をするなよ…心臓が止まるかと思ったじゃないか」
シエルが腰が抜けたように廊下に座り込み、盛大にため息をついた。
「ごめんごめん。でも、三人が私の脳みそをどれだけ愛してくれてるか、よーく分かったから…さあ、バカになってる暇はないよ。明日からの『カフェ文化導入計画』の書類、今夜中に四人で仕上げるよ!残業だぁ!」
「「結局僕たちが一番働かされるんじゃんかぁ!」」
限界社畜OLのオタク魂が完全復活したミーティーによって、城の廊下には今日も有能な最推したちの悲鳴が響き渡るのだった。
「というわけだから!新プロジェクト【王都カフェ文化計画】のメニュー原稿、一通り書き起こしておいたよ!みんな美味しいもの食べて人生得して行ってね!」
バサァッ!と執務室のテーブルに叩きつけられたのは、前世の限界社畜OLの記憶を完全に覚醒させたミーティーが、寝る間を惜しんで執筆した、狂気的なまでのレシピの山だった。
「こ…こいつ、どれだけレシピアイデアのストックがあるんだ…!?」
デスクでいつものマッサージ器を凝った首元に当てていたシエルが、その書類の厚みを見て、引きつった悲鳴を漏らした。
「魔力電池、ドリル、ソバ、環境保護…あれだけの国家改革を同時進行させながら、頭の中でこんなふざけた量の食文化を温めていただなんて、本当に君という生き物は底が知れないよ!」
「いやぁ、本当にねぇ」
ジルが、私の手書きのメニュー表を細い指先でめくりながら、その美しい妖艶な目を丸くしている。
「なんだこのレシピは…。こっちの『まっちゃ・らて』という緑の粉を泡立てた飲み物も狂っているけれど、この『厚切りハニートースト・バニラアイス添え』とは何だい?食パンの真ん中をくり抜いて、蜂蜜とアイスをこれでもかと乗せるなんて…こんな悪魔的で、背徳的で、魅力的な食文化、一体どこの異国で仕込んできたんだい、我が国の女王様?」
ジルはゾクゾクした瞳で私の背後に回り込み、ドレスの肩口にそっと唇を寄せながら囁いた。
(君の頭の中にある異国の記憶を、僕の幻術で直接覗き見したくなっちゃうよ。ねえミーティー、今夜はその『カフェの夜の裏メニュー』とやらを、僕の部屋でマンツーマンで教えてくれるかい?)
「ジルさん、またどさくさに紛れてセクハラはやめて!これは純粋な平民向けの癒やしのビジネスだから!」
前世の社畜時代、理不尽な上司に詰められた日の帰りに飲むスタバのフラペチーノや、休日に巡った純喫茶のメロンソーダ、そしてコンビニのクオリティが高すぎるタルトが、どれだけ私の荒んだ心を救ってくれたか。
その感動と癒やしを、このナーロッパの世界にも爆誕させたいという、オタクの純粋な情熱なのだ。
すると、テーブルの前にすでにお皿とフォークを両手に持ってスタンバイしていたクリスティアンが、尻尾をちぎれんばかりに振る大型犬のようなキラキラした目で叫んだ。
「ミーティー!文句は後じゃ!わしは、おまんの言う『試食会』っちゅうがが、楽しみで楽しみで仕方ないきに!早く、その甘いもんをわしに食わせてみぃ!」
「さすがクリスティアン、話が早い!よーし、まずは純喫茶の王道『喫茶店のナポリタン』と『クリームソーダ』、それから『とろける濃厚カスタードプリン』だよ!」
魔力電池式の簡易コンロを使い、私が手際よく執務室で調理を開始する。
ケチャップとバターの香ばしい匂いが室内に充満した瞬間、書類を読んでいたシエルとジルの喉が、ゴクリと同時に鳴った。
「はい、まずはクリスティアン、このナポリタンをどうぞ!」
「おう!いただきます!…っ!?な、なんじゃこれは!?」
クリスティアンが一口食べた瞬間、その場にガタガタと震えながら落涙した。
「パスタっちゅうのは、もっとこう、酸っぱくて気取った貴族の飯じゃと思ってたに…!これは、ケチャップの甘みと玉ねぎの旨味が麺にねっとり絡みついて、わしのような荒くれ者でも、本能で『美味い』と叫んでしまう味じゃき…!それにこの、緑色のシュワシュワした飲み物は何じゃ!アイスが溶けて、甘くてパチパチして、頭がとろけそうやき…!」
クリスティアンはお茶漬けの時以上のスピードで、ナポリタンを胃袋に収めていく。
「…ふん、相変わらず大袈裟な男だね、クリスティアンは。そんなジャンクな食べ物が、僕の口に合うわけない」
シエルが、不満げに『とろける濃厚カスタードプリン』をスプーンですくい、口に運んだ。
「…っ」
咀嚼した瞬間、シエルの瞳が、驚愕でカッと見開かれた。
「…な、なんだこの、絹のような滑らかな舌触りは…っ!カラメルソースのほろ苦さと、卵の濃厚な甘みが、口の中で完璧なハーモニーを奏でている…!悔しい、悔しいけれど…こんなの、一度食べたら毎日食べないと頭がおかしくなりそうだ…!」
シエルはスプーンを動かす手を止められない。
「あはは!参ったな、これは本当に『人生を得する』味だよ、ミーティー」
ジルも、ハニートーストを頬張りながら、とろけるような笑みを浮かべて私の腰をぐっと引き寄せた。
「よし、話は決まりだ。この『カフェ』の店舗デザインと、魔道具を使った自動コーヒーメーカーの開発は僕の工房で引き受けるよ。こんな素晴らしい癒やし、僕の手で世界中に流行らせてあげなきゃね?」
「ありがとうジル!じゃあシエル、王都の一等地の出店許可書と、メニューの大量印刷、明日までにやっといてね?」
「…っ、君ってやつは、僕たちを美味しいもので完全に胃袋から懐柔して、最終的にやっぱり過酷な残業に叩き落とすんだね…!?」
シエルが口元にプリンのカラメルをつけたまま、盛大にキレ散らかした。
「わしは、ミーティーが作ったこの素晴らしい『かふぇ』を狙う刺客や、レシピを盗もうとする他国の間者を、全員ぶった斬って護るきに!ミーティー、プリンおかわりじゃ!」
「ふふ、じゃあ今夜は、僕の部屋で『大人の夜カフェ・カクテルメニュー』の試作に付き合ってもらうからね、女王様?」
ピュアに胃袋を掴まれたクリスティアンと、ますますこの有能な幼馴染を手放したくなくなった二人。
異世界の王都に「爆発的なカフェブーム」を巻き起こした限界社畜女王ミーティーの執務室は、今日も甘いバニラの香りと、推したちの重すぎる愛で満たされているのだった。
「あぁ…、お天道様が眩しい。時計を気にしなくていい朝が、この世界に実在したなんて…!」
王都の一等地。
オープンを迎えたばかりの『王立カフェ・ミーティー』のテラス席で、私は淹れたてのホットコーヒーを手に、涙を流して感動していた。
今日は記念すべき、私の人生「初」の本物の有給休暇。
隣を見れば、いつもは書類の山に埋もれている最推したちが、全員完璧な「一般人の変装」をして同じテーブルを囲んでいる。
「視察という名目のお忍びデート、ねえ?君のその『どうしても有給を取る』っていう執念には、悪魔の僕でも恐れ入ったよ、ミーティー」
対面に座るジルが、眼鏡にクラシカルなキャスケット帽という、最高にインテリで妖艶な私服姿でクスクスと笑った。
彼は注文した『厚切りハニートースト』を器用にナイフで切り分け、私の口元へと差し出してくる。
「ほら、あーん。頑張ってお店を立ち上げた僕へのご褒美に、君から食べさせてほしいところだけど…今日は有給の女王様だし、僕から甘やかしてあげるよ?」
「ちょっとジル、公衆の面前で何をしてるんだい。君のセクハラは一般人に化けても隠しきれてないよ」
すかさず横から冷たい声を出したのは、これまたお洒落な仕立てのトレンチコートを着こなしたシエルだ。
いつもは議長として不気味なほどの覇気を放っている彼も、今日は前髪を下ろして「美しい読書青年」のフリをしている。
シエルはジルの手をペンで叩き落とすと、自分でスプーンを奪い取り、私の前に『とろける濃厚カスタードプリン』を突き出してきた。
その瞳が、逃がさないとばかりに妖しく光る。
「僕だって、君の残業に付き合って昨夜まで出店許可書の決済をしてたんだ。僕からの『あーん』を拒否するなんて、悲しい選択はしないよね?」
「ひぇっ、二人とも、変装してる意味がなくなっちゃうから!距離が近い!」
右からも正面からも詰め寄られ、私の心臓が爆発しそうになっていると、テーブルの端で『喫茶店のナポリタン(大盛り)』をものすごい勢いで吸い込んでいたクリスティアンが、ガタッと立ち上がった。
「おまんら、ミーティーを困らせるなや!ミーティー、わしの隣に座ればええきに!わしがこの美味いパスタを、おまんの口まで優しく運んじゃる!」
クリスティアンは、着慣れない現代風のシャツ姿で顔を真っ赤にしながら、私のドレスの袖をきゅっと引っ張ってきた。
刺客を瞬く間にぶった斬る最強の剣士が、今は私の隣をキープしたくて必死な大型犬のようになっている。
(う、嬉しすぎる…!『最推し三人との四人デート』が今、ここに現実のものに…!有給最高!)
ふと、店内や周囲のテラス席を見渡してみる。
オープン初日の店内は、魔力電池の普及で時間に余裕ができた平民たちや、文字ドリルを頑張った子供たちで超満員だ。
みんなが『クリームソーダ』や『ナポリタン』を口に運んでは、見たこともないほどの笑顔で幸せそうに笑い合っている。
「…ねえ、みんな。お店、本当に大繁盛だね。平民たちのあんなに嬉しそうな顔、初めて見たなぁ」
私の言葉に、三人が食べる手を止め、ゆっくりと周囲の光景に視線を巡らせた。
「…本当にね」
シエルが、どこか呆れたように、けれど酷く愛おしそうに目を細めて呟く。
「君が数ヶ月前に『平民の生活を楽にしたい』なんて突飛なビジネスを始めた時は、どうなることかと思ったけれど。…君の言う通り、お腹がいっぱいで、寒くなくて、こうして美味しいものを食べる余暇があれば、世界からは本当に争いが消えるのかもしれないな」
「ふふ、僕たちの有能すぎる『国母様』の言うことは、いつでも絶対だ。…ああ、ますます君を、他の誰の目にも触れさせたくなくなっちゃうな」
ジルが、独占欲を隠そうともせずに私の手首をそっと握りしめてくる。
「ミーティー…おまんは、本当にすごい人間じゃ…。わし、おまんと幼馴染で、こうして同じ美味いもんを食えて、本当に、死んでもええくらい幸せじゃきに…!」
クリスティアンが、ナポリタンのソースを口元につけたまま、大粒の涙を流して大感動していた。
三人のそれぞれの、けれど限界突破した重すぎる愛とリスペクトの視線が、一斉に私に集中する。
「あ、ありがとうみんな…でも、今日だけは国のことも、公務のことも全部忘れて、ただの『幼馴染四人』として、お腹いっぱい甘いもの食べよ!」
「…そうだね。明日からはまた、君を寝かせないほどの【新メニュー開発】が待っているんだから」
シエルが、最高に美しく、けれど絶対に逃がさないという笑みを浮かべた。
「あはは、今夜の『夜カフェ試作会』も、もちろん有休の対象外だからね?」
ジルが耳元で甘く囁く。
「わ、わしは、明日からもおまんを狙う悪い奴らを全員ぶった斬って、何処へでも連れてっちゃるきにな!」
クリスティアンが、私の手をぎゅっと繋ぎ直して力強く笑った。
(うん、知ってた!明日からのデスマーチは確定だけど…今日だけは、この最高で大好きな最推したちとの時間を、全力で満喫しちゃお!)
限界社畜OLの知識で異世界を大改造し、ついに本物のお忍びデートをもぎ取ったミーティー。
彼女と、彼女の才能に完全に狂わされた有能すぎる三人の幼馴染たちのオフィスラブは、甘いシロップの香りと共に、どこまでも幸せに続いていくのだった。
「女王様は結婚しないのー?」
ある日視察に行った先で、文字ドリルを持った平民の小さな女の子が、ピュアな瞳で私を見上げてそう言った。
その瞬間。
私の左右で華麗にエスコートしてくれていたシエルとジル、そして背後で凄まじい眼光を放ちながら護衛していたクリスティアンの三人が、絵に描いたように完全に硬直した。
(わ、わあ…地雷踏み抜いた音がしたよ、今…!)
冷や汗を流す私をよそに、三人の思考は一瞬で暴走を始める。
(…は?結婚?)
シエルの微笑みが凍りつく。
(僕という最高の議長を隣に置きながら、他のどこの馬の骨と結婚するっていうんだい?そんな男が他国から現れた瞬間、速攻で魔力電池の供給を止めて国ごと干上がらせてやるけどね?)
(おや、それはいいねぇ、シエル)
ジルが、眼鏡の奥の瞳をドロリとした独占欲で濁らせ、私の腰をグッと引き寄せる。
(ミーティーを他の男に渡すくらいなら、国ごと僕の幻術に幽閉して、一生僕のためだけにいる可愛いおもちゃにしてあげるよ。ねえ、ミーティー?)
(ミーティーが…けっこん…!?)
クリスティアンに至っては、あまりの衝撃に顔を真っ赤にして、カタカタと震えながら愛刀の柄を握りしめていた。
(嫌じゃ!ミーティーが他の男のところに行くなんて絶対に許さんきに!おまんを連れ去ろうとする奴は、わしが、わしが全員ぶった斬ってやるーっ!)
三人の頭上から、残業の時より何倍も不穏で重苦しい「独占欲オーラ」がドバドバと溢れ出す。
広場の気温が一瞬で5度くらい下がった気がした。
女の子が三人の気配に怯えて泣きそうになったのを見て、私は大急ぎで営業スマイルを貼り付け、その子の頭を優しく撫でた。
「ふふ、結婚しないよー。私はね、この『お国』と結婚してるんだよー!」
「えー?お国と結婚?」
不思議そうに首を傾げる女の子に、「そう、だから毎日みんなのために働いてるの」とニコニコ躱す。
前世の限界社畜OL時代、仕事人間だった先輩が「俺は会社と結婚してるから」と自虐していた定番のフレーズだ。
私にとっては何てことない、独身を貫いて楽隠居するための「完璧な言い訳」だったのだが…。
「「「…」」」
三人は、私のその言葉を全く違う意味で受け止め、さらに深刻な顔で固まってしまった。
シエルは片手で顔を覆い、本気で頭を抱え込む。
(本気か…?冗談であってくれよ…僕たちの気持ちに気付いてないってことは流石にないと思ってたけど、まさか『この国を豊かにするまで自分の幸せは後回し』だなんて、どこまで高潔な聖君なんだ君は…!)
ジルも、私の「国母」としての圧倒的な覚悟にゾクゾクと身震いしていた。
(参ったな、ライバルは他国の男じゃなくて『この国そのもの』だったわけだ。君が国に尽くせば尽くすほど、僕たちの手が届かない綺麗な存在になっていく…。あはは、最高に嫉妬しちゃうねぇ)
(ミーティー…おまんは…おまんはどこまでこの国の民のために生きるつもりながや…!)
クリスティアンは例によって、私のあまりの自己犠牲精神に大感動し、ポロポロと涙を流し始めていた。
(おまんが国と結婚しちゅうなら、わしはおまんを護るために、この国そのものを命懸けで護る騎士になっちゃるきにな…!)
(違うの。みんな、なんでそんな「あいつ、国のために全てを捧げてる…」みたいな尊いものを見る目で私を見てるの?私はただ、早く隠居してスローライフ送りたいだけなのー!)
限界社畜OLの保身のフレーズを、またしても「神がかった統治者の覚悟」と勘違いした最推したち。
勘違いはどんどん加速していく。
「あーあ。そろそろ腹違いの弟に全部譲って楽隠居か、普通の女の子になりたいなぁ…」
ある日の夜。
カフェのメニュー展開も落ち着き、執務室のソファでぐったりと横たわりながら、私はいつもの「隠居したい病」を口にしていた。
今世の親戚一同の中には、私の急激な近代化政策を羨ましいと見ている腹違いの弟がいる。
(いつもなら、ここで『そんな才能の塊を逃がすわけないだろう』って、三人が全力で引き留めて残業を押し付けてくるよねー。はいはい、分かってますよ…)
そう思って、私は諦め顔で次の書類に手を伸ばそうとした。
しかし。
いつもなら即座に飛んでくるシエルのため息も、ジルの悪ノリも聞こえてこない。
静寂。
不思議に思って顔を上げると、デスクにいたシエルとジル、そして壁際で腕を組んでいたクリスティアンの三人が、何故か揃って「恐ろしく綺麗で、本気の笑み」を浮かべて私を見つめていた。
「…うん。それもいいかもね」
「え」
いつもは言われる側の私が、間抜けな声を漏らした。
シエルが手元のペンを置き、信じられないほど優しく、甘いおとぎ話の騎士の微笑みで私に近づいてくる。
「たとえばさ…僕の嫁に来るとかね?」
「え?」
あまりの急展開に私の脳が強制終了した。
「いやぁ、素晴らしい名案だねぇ、ミーティー!」
ジルが音もなく私の背後に回り込み、ソファの背もたれ越しに私の肩をすっぽりと抱きすくめた。衣服から香る、甘い香水が鼻腔をくすぐる。
「君が『国母』として国と結婚し続けている限り、僕たちは君を公務の鎖で縛り付けるしかなかったけれど…。君が玉座を降りて『普通の女の子』になってくれるなら、話は別だ。僕の【妻】として、僕の幻術の城の奥で、一生僕だけに甘やかされる可愛い女の子にしてあげるよ?」
「ちょっとジル、勝手に独り占めしようとしないで。彼女が嫁ぐのは僕のところだよ」
シエルが私の前に膝をつき、私の両手をそっと包み込むように握りしめた。
瞳の奥に揺れるのは、冗談の欠片もない、底なしの執着だ。
「君が普通の女の子に戻りたいなら、僕が君の『普通』をすべて保証してあげる。公務も、残業も、他国の脅威も、僕が全部裏から消し去ってあげるから。君はただ僕の腕の中で、毎日美味しいおやつを食べて、笑っていればいい。…国じゃなくて、僕を選んでよ、ミーティー」
「ひ、ひぇっ…!二人が同時に本気モードで挟み撃ちしてくる…!心臓がもたない!」
「おまんら、ちょっと待たんかー!」
そこへ、顔をこれ以上ないほど真っ赤にしたクリスティアンが、大急ぎで私の前に割り込んできた。
クリスティアンはシエルたちの手を強引に振り払うと、私の前に力強く両膝をつき、私の手首をぎゅっと握りしめて真っ直ぐに私を見つめてきた。
「ミーティー…!わしじゃったら、おまんを世界一幸せにできるきに…!」
「クリスティアン!?」
「おまんが『普通の女の子』に戻りたいなら、わしが、おまんを誰も知らん静かな田舎の村へ連れてってやる!そこで毎日、おまんの大好きな美味いお茶漬けをわしが作って、おまんを狙う悪い奴らは全員ぶった斬って護っちゃる!やき…わしの嫁になって、わしと一緒に暮らしてくれんか…!?」
直球すぎるプロポーズ。
頼りない女の子でしかない私の隣で、ずっと背中を護ってくれていた幼馴染の、人生で一番男らしくてピュアな告白に、私の顔からも一気に火が噴き出した。
(うわあああ!クリスティアンのド直球プロポーズの破壊力が凄まじすぎる…!でも二人の『国を捨てて僕の所有物になりなよ』っていう重すぎるアプローチも最高に刺さる…っ!)
「おや、クリスティアン。君のプロポーズは純朴で泣かせるけれど、ミーティーはカフェスイーツが大好きなんだよ?君の田舎暮らしじゃ、すぐに飽きて僕の元へ逃げてきちゃうんじゃないかい?」
シエルが立ち上がり、クリスティアンを冷ややかに見下ろしながらも、私の腰を引き寄せる。
「そうそう。僕の工房なら、ミーティーの言う現代日本の家電製品とか言う魔道具も全部再現してあげられるしねぇ。ねえミーティー、誰のプロポーズを受けるか、今ここで選んでごらん?」
ジルが、私の耳たぶにそっと前歯を立てて、小さく甘く噛んだ。
「お、おまんら…!力尽くでも、ミーティーはわしが連れていくきにな…っ!」
クリスティアンが刀の柄に手をかけ、嫉妬と独占欲で獣のような目を光らせる。
(嬉しすぎて限界オタクとしての脳内ライフがゼロになりそうだけど、これ、弟に譲って楽隠居しても、今度はこの三人による『囲い込み(結婚生活)』っていう別の意味で逃げ場のない超ハードモードに突入するんじゃんかぁ!)
普通の女の子に戻ろうとした結果、世界で一番甘くて重い「三人からの求婚(包囲網)」に捕まってしまったミーティー。
彼女が本当の意味での『スローライフ』を勝ち取れる日は、どうやら一生来そうにないのだった。
女王を引退し、王都の郊外に建てられた静かな邸宅。
ここが、普通の女の子に戻った私と、私の「旦那様」たち(シエル、ジル、クリスティアン)の新しい愛の巣だ。
国政から解放され、毎日お昼まで寝ていられる完璧なスローライフ…のはずが、別ベクトルの過酷さに毎日頭がパンクしそうになっている。
「…ミーティー、朝じゃき。起きてるか…?」
朝、まどろみの中で耳元に響くのは、驚くほど優しくて低い声。
ゆっくりと目をあけると、すぐ目の前に、着崩した寝巻き姿のクリスティアンの顔があった。
彼は私の髪を大きな手で愛おしそうに撫でながら、顔を真っ赤にしてはにかんでいる。
「おまんの寝顔が可愛うて、ずっと見よった。…ほれ、おまんの好きな『特製お茶漬け』、もう作ってあるきに。早く一緒に食おうや」
起き上がろうとする私を、クリスティアンは「まだ寒いから」と、後ろからすっぽりと抱きしめてベッドから抱え上げた。
そのまま自分の膝の上に私をちょこんと座らせ、スプーンでお茶漬けをすくって口元に運んでくる。
「はい、あーんじゃ。…美味いか?おまんが美味そうに食う顔を見るがが、わしの毎日の生きがいながやき。一生、こうしてわしが飯を作って、おまんを護っちゃるきな」
朝一番から、大型犬のような直球の愛をこれでもかと注がれ、私の心臓は朝からフル稼働だ。
「やあ、可愛い僕の奥さん。午前中はクリスティアンにたっぷり甘やかされたみたいだね?嫉妬しちゃうなぁ」
お昼過ぎ。
私を待っていたのは、気怠げに微笑むジル。
彼は私が席に着くや否や、私の腰をグッと引き寄せて自分の膝の上に座らせた。
「ほら、今日は君の好きな『抹茶ラテ』と、焼き立ての『ハニートースト』を用意したよ。…でも、お菓子の前に、僕に甘い『ご挨拶』をくれないかな?」
ジルはくすくすと妖しく笑いながら、私の顎を指先でくいと持ち上げ、吐息が触れ合うほどの至近距離で目を細める。
「君を普通の女の子にするために、僕がどれだけ王宮に策謀を組んだと思っているんだい?…ご褒美に、君のその甘い唇で、僕をたっぷり満たしておくれよ、ミーティー」
手袋を外した彼の細い指先が、私の首筋を愛おしそうに撫で、濃厚な独占欲で私をじわじわと蕩かしていく。
「はい、そこまで。僕の妻にいつまでベタベタ触っているんだい?醜悪だね。僕の夜の時間が減るじゃないか」
夜。
寝室に戻ると、そこにはシルクのナイトウェアをまとったシエルが、ベッドの上で優雅に本を読みながら待っていた。
ジルから私を強引に奪い取ると、シエルは私をベッドへ押し倒すようにして、上から覆いかぶさってきた。
美しい瞳が暗闇の中で妖しく光り、私の逃げ道を完璧に塞ぐ。
「…やっと二人きりだね、ミーティー。昼間は他の男に現を抜かして、ずいぶん楽しそうだったじゃないか。…お仕置きが必要だね?」
シエルは私の耳たぶを小さく熱く、きゅっと噛むと、意地悪に笑って私の指先を恋人繋ぎでベッドに縫い付けた。
「君が国を捨てて僕たちの嫁に来たんだ。僕を一番に愛してくれないと、暴走して君を二度とこの部屋から出さなくしちゃうよ?…さあ、可愛い僕の女の子。朝までたっぷり、僕に愛される覚悟はできてるかい?」
(女王様引退できたのはいいけど、毎日が余計にハードモードになったー!?)
前世の社畜OLの記憶なんて、三人の重すぎる愛の前に跡形もなく溶かされていく。
普通の女の子に戻ったミーティーと、彼女を一生離さないと誓った最推し三人との日々は深く、熱く続いていくのだった。




