ラッキースケ〇は王道だぜ
あくる日の午前十時半。独特の消毒液の匂いが漂う病院のエレベーターの中で、俺と栄花は無機質な表示灯を見上げていた。手には見舞い品の定番すぎるバナナとリンゴが入った袋。
昨日の放課後、俺たちは赤松の家を訪ね、彼女の親から面会の許可を取り付けた。どうやら赤松は昨日の朝、無事に意識を取り戻したらしい。
・・・実を言うと、許可をもらう過程で少しばかり肝を冷やした。なぜ学校に来ていない赤松の容態を知っているのかと、両親から不審がられたのだ。
俺はやむなく、鳳がでっち上げた「教師たちの話し声を偶然耳にした」という嘘をなぞってその場をしのいだ。
最初は怪訝な顔をしていた両親だったが、最終的には栄花のほとばしるようなパッションに押し切られる形で、面会を許してくれたのだ。
「ていうかさ、私、赤松と会うの去年以来なんだよねー。」
「あ、そうなん。E組には行ってなかったのか?」
「まあね。私C組だしフロアが違うじゃん。あんたもA組で私と同じフロアだし、接点がないっていうか。」
「そうだなー。」
そんな他愛のない会話をしているうちに、エレベーターは目的の階に到着した。
病室のプレートを確認する。・・・ここか。
「じゃ、行くか。」
「そうだね。」
意を決してドアを開けると、そこにはベッドの上に上体を起こした赤松がいた。
前よりも、艶がなくなり、鋭い顎のラインに沿ってナイフのように真っ直ぐ切り揃えられている漆黒のボブカットが、ぼさぼさになっていて台無しだ。
小柄な彼女は、白いシーツの中でより一層小さく見えた。が、俺の目は別の場所に釘付けになった。別に興味はないが。男子として。
「おっすー。赤松。」
「久しぶりー。」
そういいながら俺はとりあえずバナナとリンゴの袋を棚に置く。
「え、栄花と風凪・・・?」
「なに驚いた顔してんのよ。」
「僕たちが来ること、親から聞いてない?」
俺は努めて普段通り、目線があそこに向かないように問いかけた。
「いや、聞いてない・・・」
「え、そうなの?」
栄花が、俺が見ている所と同じ所を凝視する。やはり、栄花も気づいていたか。そして、何も言わない点を見ると・・・栄花、マジか。
「・・・これ、お母さんたち伝えてない感じかも。」
俺と栄花の視線に気づいていない赤松が呆然とした声を出す。が、次の瞬間、彼女はハッとしたように自分の胸元に手をやった。
病院服がたわみ、襟元が大きく開いてしまっているのだ。
・俺たちがさっきから見ていたのは、まさにそこだった。
まあ、幸い谷間があるほどではないから、たわんだ服で全貌は見えないようになっていたがな。
赤松が顔を真っ赤にして、あたふたする。
「まって! ちょ、最悪。風凪、向こう向いて!」
赤松は慌てて窓側を向き、背を向けて服を整え始めた。
「いや、別に気にしてないし。」
「あんたね、女子はそういうプライベートなところを気にするのよ。」
栄花が横から口を挟む。
「そんなん知ってるわ。てか、栄花だってめっちゃ見てたじゃん。しかも、鼻血出そうになってね?さては興奮して……ブベッ!」
すべてを言い終わる前に、栄花の右ストレートが俺の顔面に突き刺さった。
「してない。」
栄花は出かかった鼻血をズズッとすすり、冷徹に言い放つ。赤松がようやくこちらを向き直ったが、その瞳には冷ややかな色が宿っていた。
「風凪、さいってい・・・」
「パンチ痛い・・・。っていうか、僕が悪いの?」
「あたりまえだ。」
「当たり前でしょ。」
二人同時に、一点の曇りもない声で否定された。
「うう、なんでえ・・・」
「デリカシーのなさに脱帽するわ。」
栄花の皮肉が飛ぶ。お前には俺は何かしたのか?
「まあ、いいよ。」
赤松は肩をすくめながら、許してくれた。
「ハハハ!栄花、見習えって。当の赤松はもう許してんぞー。」
「はあ?私関係ないでしょ!」
栄花が反駁する。
「・・・ジュース一本で許してあげるっていってんの。」
「え、ええ・・・無条件じゃなかった・・・」
現金な奴め。俺は財布の軽さを思って、心の中で小さくため息をついた。
「それで……」
赤松の声のトーンが落ち、室内の空気がふっと重くなる。
「それで、なんでここに来たの?事情を知ってて来た・・・ってことだよね。」
彼女の顔が曇る。俺は、咄嗟にかけるべき言葉を頭の中で探す。
「ええ、もちろん。」
俺の迷いを両断するように隣で栄花が力強く頷く。
「どうやって知ったのか、だけど。・・・先生たちが、お前のことをひそひそ話してるのを聞いちゃってさ。」
俺は「鳳」が用意した嘘を、再びなぞった。
「なんか・・・心配かけてごめん。」
赤松がうつむきながら頭を下げる。
「いやいや、謝る必要ないって。」
「栄花の言うとおりだ。とりま、バナナ食べなはれ。」
俺は棚からバナナを一本取って、彼女に手渡した。
「ありがと・・・」
赤松はそれを受け取り、ゆっくりと皮を剥いて口に運ぶ。
三人の間に沈黙が流れた。窓の外に目をやると、どんよりとした雲が空を覆い始めている。
「てか、二人とも傘持ってきてる?今日の十一時二十分くらいから雨予報だよ。」
「え? そうなん?」
俺は持ってる?と問いかけるように栄花の方を向く。
「私持ってきてないんだけど。」
まあ、案の定と言えば案の定。
「やっぱりかぁー。」
赤松が困ったように笑う。
家から病院までは片道四十分以上。帰る時間が十一時前だとして、帰り着くまでに雨に降られるのは大確定だ。
「まあ、コンビニで買うか。」
「え、ありがとう。」
栄花が目を輝かせて、胡麻を擂る。なんて、ずうずうしいガキなんだ。
「お前の分は買わんわ。」
「けーち!」
栄花は上目遣いで、普段は言わないようなかわいい声で妹のように、おねだりをする。
「色目使うな。買わずにはいられなくなるだろ。」
俺は努めて鳳らしい返答をする。
「風凪、マジか・・・」
赤松がゴミを見るかのような眼差しを向けてくる。
「赤松。それ、鳳花にとってはご褒美になるんじゃ・・・」
「あ、確かに。」
栄花からの告げ口を受けた赤松は、すっと目を逸らす。
「どんな根拠をもってそんなことを・・・ヤレヤレ。」
俺はわざとらしく肩をすくめて見せた。それで喜ぶのは鳳なんだよな。
「ちなみに、今日トランプ持ってきたんだけど、遊ぶ?」
栄花が鞄からカードを取り出す。
「マジかよ! そういう大切な情報は早く言えよな。」
「そこにある机をこっちに持ってきて、ババ抜きやろう?」
赤松の提案に、俺は「よし」と頷いて机を引き寄せた。
―――それから、一時間が経過した。現在時刻は十一時半。外は予報通りの土砂降りだ。
「いやー、運なさすぎだろ……」
俺は恨めしく雨空を睨む。ババ抜き一回戦で負けたのが悔しくて、ムキになって挑み続けた結果、八戦全敗という驚異的な記録を叩き出していた。
「それな。なんか楽勝しちゃった」
「八戦中、一度も勝てないとか頭おかしいんかぁー・・・」
愚痴をこぼしながら、借りていた机を元の場所へ運ぶ。
「まあ、常日頃の行いでしょ。」
栄花がそう言って馬鹿にする。
「だったら、お前が全負けのはずだろ。簡単に人を殴るだなんて常日頃ポイントゼロだろ。」
「はあー、疲れたわねー。」
無視、か。俺は溜息をつき、身支度を整え始める。
「そろそろ、お開きにするか?」
俺がそう言った瞬間、栄花が何かに気づいたようにハッとして、俺の腕を思いきりつねった。
「待って。」
「いや、いてえよ! なんだよ急に。」
栄花が耳打ちしようと顔を寄せてくる。
「いいよ、耳打ちしなくて。今日来た目的は、お見舞いだけじゃないんでしょ。」
赤松がその動きを遮るように言った。
・・・わかっている。俺だって、本来の目的を忘れたわけじゃない。ただ、この穏やかな空気のまま終われたらいいのにと、どこかで逃げ腰になっていただけだ。
「私が自殺未遂をしたって聞いて、その真相が気にならないわけないもんね。」
赤松が、作り笑いを浮かべる。
「・・・見舞いだけにするつもりだったけど。」
「遠慮しないで。」
俺は喉まで出かかった「どうして自殺なんか」という言葉を飲み込んだ。重苦しい沈黙が、病室の空気を支配する。
「先に言うけど、ほんの出来心だよ。自殺した理由。」
彼女は窓の外を眺めたまま、消え入りそうな声で言った。
「ほんの出来心で・・・人は死のうと、するの?」
栄花が震える声で問い返す。
「ねえ。何があったの・・・?」
「なにも、なにもないよ。本当に、出来心。」
赤松が外を向いたまま、こっちに顔を見せない。
「・・・なんか、ごめん」
栄花は咄嗟に謝る。
「いや、こっちこそ・・・急に変に言っちゃって・・・」
つらい。この微妙な空気が、耐え難いほどに。
もし俺が花ではなく、あの鳳なら、この状況をどうにかできたんだろうか。
ふと、脳裏に、“かつて死なせてしまった親友”の姿が過る。あの時の後悔と、今の光景が重なって、胸の奥が焼けるように痛んだ。
気づけば、俺の口が勝手に動いていた。
「―――赤松。俺たちはお前の友達だ。お前が望んでいなくても、俺たちはその出来心の原因を突き止めて、解決してやりたいと思っている。」
鳳を演じるのではない、俺自身の言葉。
「改まらないでよ・・・」
「いや、僕はいつも冷静沈着な秀逸ボーイだよ。」
照れ隠しに軽口を叩く。
「そう・・・。でも、風凪たちがそう望んでいても、出来心に原因なんてないよ。」
赤松は、俺たちを遠ざけるようにはぐらかす。
「じゃあ、不登校の原因は?」
栄花が寂しげに、核心を突く問いを投げた。
「それは・・・言いたく、ない。」
赤松が苦悶の表情で顔を伏せる。
「どうしても、か?」
俺は優しくそう、問う。赤松が静かに、だが拒絶の意志を込めて頷いた。
「・・・まあ、仕方がないな。」
俺はそれ以上追及するのをやめ、帰る準備を整えた。
「え、帰るの?」
栄花は困惑した顔を浮かばせる。
「そもそも、帰ろうとした時に発生した延長の話だ。」
これ以上、赤松に真相を聞くのは野暮な話だ。せっかく、久しぶりに楽しめた空気をぶち壊したくはない。
「そうだ、そうだ。帰れー!」
赤松が無理に明るい声を出して便乗してくる。
「そうね。帰るとしますか。」
三人の間に再び、いつもの軽妙な空気が戻ってきた。
「じゃあな。」
「また来るね。」
「うん、ありがとう!」
病室を出て、ドアが閉まる。土砂降りの外へと向かうエレベーターの中、俺の心は複雑だった。




