Interlude-ugomeki
―――ザーザッザー
暗い部屋の中、宙に浮いた掌サイズの黒い水晶が、不快なノイズと共に明滅を繰り返している。それは、物理的な機械ではなく、魔力質で形成された通信機器そのものだ。表面には赤黒い波紋が走っており、見る者に生理的な嫌悪感を抱かせる。
『おい、聞こえているか。』
水晶から響いてきたのは、まるで鉄板を爪でひっかいたような、耳障りで、それでいて腹の底に響くような重低音。人間の声帯から発せられるものとは到底思えない、禍々しい響きを持っていた。
「聞こえています。何か用ですか?」
私は、震える声を必死に押し殺して応答する。喉が渇き、心臓が早鐘を打っているのが自分でもわかる。普段、鳳花に対して見せているような強気な態度は、今の私には微塵もない。ただただ、恐怖に支配されていた。
『そっちの例の二人の動向を教えろ。』
「まだ、依然としてそちらに赴く様子は見られません。」
私は床を見つめたまま、小さく答える。視界の端で自分の手が小刻みに震えているのが見えた。鳳花と、あの日現れたもう一人の彼。二人の顔が脳裏をよぎるたび、罪悪感と恐怖がないまぜになって胃を締め付ける。
『ならいい・・・ところで、今私は猛烈に退屈だ。』
通信越しに、長く、重い溜息交じりの声が聞こえた。それだけで部屋の空気がビリビリと震え、魔力の余波が肌を刺す。この相手にとって、私たちの世界など退屈な遊び場に過ぎないのだという傲慢さが、その息遣い一つから伝わってくる。
『なぜ私がこんな手間を取らなければならないのか。わかるか?』
「えーっと・・・」
急な問いかけに、思考が真っ白になる。答えを間違えればどうなるか分からない。言葉に詰まり、唇をわななかせる。
『先発の雑魚たちがてこずったせいだ!』
間髪入れずに放たれた怒号が、鼓膜を殴りつけた。水晶が激しく赤く発光し、殺気のようなものが部屋中に充満する。
『そして、その手引きをしたのは・・・』
空気が張り詰める。重力が何倍にもなったかのような錯覚。息をするのさえ苦しい。
「―――私、です・・・」
絞り出すように答えた。あの日、彼の下駄箱にあの手紙を入れたのは私だ。それが彼を殺すための罠だと知りながら、私はそれを実行した。
『そうだ!お前だ!お前がへまをしなければ、あの雑魚たちが今頃はこの世界を支配していたというのにっ!』
「す、すみません!」
『これでは、尻ぬぐいではないか!なんとも不愉快だ!』
「すみません・・・」
謝ることしかできない。目頭が熱くなり、視界が滲む。けれど、ここで泣けば殺されるかもしれない。私は爪が食い込むほど掌を握りしめ、必死に涙をこらえた。
『ここを壊滅し終えて、次も!次も!破壊し終えたら・・・最後に残ったお前たちの場所をぶち壊してやるからな?』
「そ、それは冗談・・・ですよね?」
『冗談?・・・あー、あれの話か。そうだったな。お前ら家族は、協力をするのなら命だけは助けるなんていう契約があったな。』
通話機の相手は、人を小ばかにしたような、底冷えする不敵な笑い声をあげた。契約。その言葉だけが、今の私を縛り付けている鎖だ。
『だが、協力して任務を成功させたらだ。もしも、例の二人がこっちにきて私に攻撃を加えてみろ。』
「っ・・・」
私は息をのむ。
『お前の家族も殺すからな。』
「わ、わかっています。」
絶対的な命令。拒否権など最初から存在しない。私のせいで、家族が死ぬなんて耐えられない。
『ところで、魔王様の前では絶対に言えないが、もっと出来の良い転移魔術師を雇って単発ずつではなく全軍投下すればよかったのにと私は思うのだよ。』
急に、相手の声色が軽薄なものへと変わった。さっきまでの殺気が嘘のように、まるで世間話でもするかのような口調だ。
「は、はあ。」
あまりの落差に、恐怖よりも困惑が勝り、間の抜けた返事をしてしまう。
『ふん、何。気にするな。ただの愚痴だ。』
「そ、そうですか。」
気分屋で、脈絡がなく、自分のペースで話を進める。その在り方が、どこか鳳花に似ている気がして、私は心の中で乾いた笑いを漏らしながら呆れた。けれど、鳳花と違って、この相手には致命的なまでの悪意がある。
『では、くれぐれもあの二人から目を離さないように。』
最後通告のように、低く、ドロリとした禍々しい声が響いた。それは私の心臓を直接握りつぶすかのような威圧感を含んでいた。
「わかりました。」
『では、通信を切る。』
―――ツーツー・・・
無機質な切断音が響くと同時に、部屋の重圧が消えた。糸が切れた操り人形のように、私はその場に崩れ落ち、そのままベッドへと倒れこんだ。
「うぅ・・・どうしよぉ・・・」
布団を頭までかぶり、体を丸める。鳳花を裏切った罪悪感。家族を人質に取られている恐怖。そして、どうすることもできない無力感。暗闇の中で、誰にも届かない嗚咽だけが、私の部屋に吸いまれていった。




