9話
「たいへんでございます。神殿が何者かによって爆破され、崩壊したもようです。」
第一報が王宮に届けられたとき、まだ、王太子セオドアが爆破に巻き込まれたことを誰も知らなかった。
国王グレゴリー・アデルバードは、肩まで伸ばした金髪の頭を両手で抱え、青い瞳に不安を浮かべて、そわそわしながら「どうしたら良いのだろう?」と宰相に問いかける。
宰相は「既に騎士団が現場に向かっていますので、ここは落ち着いて次の報告を待つべきだと思います。」と答えた。
まったく・・・、先王が崩御した後、宰相補佐だった私の能力をかって、宰相に抜擢してくれた事には感謝しているが、陛下はなんと気が小さく臆病なことか・・・。
宰相は不敬にならないように、小さくため息をつく。
「大変でございます。王太子殿下の護衛騎士から連絡が入りました。殿下が神殿崩壊に巻き込まれたようでございます。もう一人の護衛騎士は、ただいま殿下の救出をしていると申しております。」
その第二報に、王宮内は騒然となる。
「なんと、セオドアが、セオドアが・・・。ああ、私はどうすれば良いのだ・・・。」
グレゴリーは蒼白な顔でぐるぐると部屋の中を落ち着きなく歩き回り、その姿が周りの者に気の弱い王だとさらに印象付ける。
この報告は、側妃宮にも届けられた。
報告に来た騎士が部屋から出て行くと、側妃カーラはドアを閉めて周りに誰もいないことを確認してから、声高らかに笑い出す。
艶のある赤茶色の髪を美しく結い上げ、少し吊り上がった緑の瞳とバランスの良い目鼻立ちの美しい見た目とはかけ離れた、なんとも下品な笑い方だ。
「オーホホホホホ、アハッ、アハハハッ」
嬉しくてたまらない感情が、笑い声にはっきりと出ている。
「ああ、可笑しい、とうとうセオドアが・・・。やったわ! ふふふ、これも陛下が悪いのよ。全て、あなたのせいだからね。」
カーラは誰もいない部屋で、一人で悦に入っていた。
カーラがグレゴリーの側妃になったのは、今から二十一年前のことである。
グレゴリーには、すでに正妃と生まれたばかりのセオドアがいたが、カーラの父コリンズ侯爵が、当時の国王であり暴君で有名なランドルフ・アデルバードに、多額の賄賂を贈ってカーラを側妃にねじ込んだのだ。
もともとカーラは、王太子であり王宮の宝と呼ばれていた頭脳明晰な長男か、武に優れた才能を発揮していた次男のどちらかに嫁ぐつもりで教育を受けていた。
他にも妃候補はいたが、カーラの自信は相当なもので、自分の美貌とコリンズ侯爵の金の力があれば、王妃に選ばれるのは絶対に自分だろうと思っていた。
ところが長男も次男も事故で死んでしまったので、残り物の、もっとも王太子に相応しくないと噂される三男グレゴリーに嫁ぐことになったのである。
しかも、正妃だったらまだ良かったが、側妃なのだ。
カーラのプライドは、ぐちゃりとつぶされてしまった。
コリンズ侯爵は、暴君ランドルフ王にさらに多額の賄賂を渡し、カーラに子が生まれれば、この倍の金額を渡そうと持ち掛けた。
賄賂欲しさに暴君ランドルフ王は、グレゴリーに子を作ることを強要する。
ランドルフのいいなりだったグレゴリーは、カーラと夜を共にしたが、妊娠したことがわかったとたん、まったく側妃宮に足を運ばなくなった。
カーラがそのことをなじると、もう男の機能が役に立たなくなったなどと、嘘か誠かわからぬ理由をつけてはぐらかされた。
そのくせ、正妃とは夜を一緒に過ごしていると聞こえてくる。
その度に、はらわたが煮えくり返る思いをしていた。
生まれた子どもは髪の色はカーラと同じ赤茶色だったが、目から鼻にかけては グレゴリーに似ている青い瞳の男児だ。
赤ん坊はヴァレリアンと名付けられ、グレゴリーは父として、たまには可愛がってくれるが、彼自身が側妃宮に来ることはない。
カーラにとって、廊下1本で繋がっている側妃宮と王宮の距離が途方もなく遠い気がした。
ところが三年前に正妃が死んだのだ。
これでカーラは側妃から正妃に昇格すると思っていたのだが、グレゴリーはいつまでたってもカーラを正妃にしない。
理由を尋ねると、
「王太子のセオドアのことを考えると・・・」
とグレゴリーから、なんとも煮え切らない返事が返ってくる。
セオドアがカーラのことを嫌っているから、そのような答えになるのだろうと思うのだが、それでは永久に正妃になれないではないか。
カーラにとって、セオドアは邪魔者でしかなかった。
「ああ、ついに目の上のたんこぶだったセオドアは死んだ。邪魔者はいなくなったのだから、私はついに王妃よ。アハハハ。間抜けな王の、情けない顔でも見に行くとしよう。」
ドアを開け、部屋から出ると、カーラの息子ヴァレリアン第二王子に出会った。
「母上、今、母上に会いに来たところです。聞きましたか? セオドアが神殿事故に巻き込まれたそうですね。」
カーラはそばに誰もいないことを確かめる。
「うふふ、そうよ。ようやく運が向いてきたようね。ヴァレリアン、私があなたを必ず王太子にしてあげる。もう少しの辛抱よ。今から陛下に会ってくるわ。あなたはおとなしく部屋で待っていなさい。」
カーラは側妃宮から王宮へと続く廊下を歩き、国王のもとへ向かった。
青ざめた国王グレゴリーが、椅子に座りもせず、ぐるぐると落ち着きなく歩き回り、ブツブツと呟いている。
こんなときにも、相変わらず情けない姿なのね。
「陛下、少しは落ち着いたらどうですか?」
「ああ、カーラ、来たのか。セオドアが心配でじっとしておられぬ。」
「陛下が動き回っても何も変わりませんわ。」
だって、もう死んでるんですもの・・・。
しばらくすると、王宮の外が騒がしくなった。
セオドアの救出のために集まった騎士たちが大声で騒いでいるのだ。
「殿下を乗せた馬車が来るぞ!」
「王太子が!」
「ケガ人が!」
「医者を呼んで来い!」
「担架をもってこい!」
ざわめきの中から大声が聞こえて来る。
ケガ人ですって? セオドアは死ななかったの? でも、きっと死ぬほどの重症よね。
外から聞こえてくる声を聞き、カーラはせっかくの喜びに水を差されたように感じる。
グレゴリーがセオドアを迎えようと外に出ると、カーラもそれに続いた。
しばらくすると馬車が到着した。
皆が注目する中、馬車のドアが開き、中から出てきたのは、かすり傷一つないセオドアだ。
続いて出てきたのは、手や頬に少し傷をつけたオスカー。
オスカーは、頭にケガをしたダニエル神官を支えながら馬車から出てくると、担架に乗せ、医者に神官のケガの状態を話してから医務室に運ばせた。
「父上、ご心配をおかけしました。私は無事ですので、どうぞご安心ください。」
迎え出た父王グレゴリーに、セオドアはしっかりした口調で自分の無事を伝える。
その話し方を聞いていると、まるで神殿の崩壊などなかったようだ。
「おお、セオドアや、無事だったのだね。本当に良かった。」
グレゴリーは、我が子の無事を心から喜んだ。
カーラは驚愕の思いでセオドアを見ていたが、ハッと我に返る。
まだ、無事の喜びを伝えていない。
「殿下が、ご無事で何よりです。」
そう言ったが、顔がひきつっていないか心配になる。
「側妃様にもご心配いただきありがとうございます。」
セオドアのその言葉とは裏腹に、彼のカーラを見る目はゾッとするような冷たさだ。
「私たちはほこりまみれになっていますので、すぐに着替えたいと思います。ひとまず失礼させていただきます。」
セオドアはそう言うと、オスカーと一緒にセオドアの私室に向かった。
神殿でドッカーンと爆発音がしたとき、キャーと悲鳴を上げたオフィーリアであったが、間を空けずに大声で叫んだ。
「オスカー様、殿下を守って!」
その言葉に、オスカーは反射的にセオドアに覆い被さり、オフィーリアの足元で身を伏せた。
ガラガラと轟音と共に崩れ落ちる天井と瓦礫。
ピシッ、ピシッとオスカーの露出している手や頬に、飛んで来た固い欠片が当たる。
だが、当たるのは小さな瓦礫の欠片だけだ。
致命傷となるような大きな瓦礫に当たることはなく、激しい痛みに襲われることもない。
粉塵から守るために強く目を瞑り、セオドアの命を守ることだけを考えて、崩壊が終わるのを待った。
崩壊が終わり、ようやく回りが静けさを取り戻すと、まだ土煙が立ち込めている中、オスカーは目を開けた。
見上げると、なんと、オフィーリアは、まだ立っている。
両腕を上に上げ、落ちてきた天井の一部を支えているのだ。
その天井が、まるで傘のようになり、下にいる四人を守っていた。
「オ、オフィーリア!」
「良かった。オスカー様も殿下も御無事でしたね。」
そう言うと、オフィーリアは支えていた天井を下に下ろし、人が入れる程度の隙間を作る。
「とりあえずは、ちょうどこの隙間に入ったお陰で助かったことにしましょう。」
「あ、ああ・・・、そうだな。」
オスカーとオフィーリアは、冷静に会話をしているが、セオドアは、まだ何が起こったのか受け止め切れていない。
「オフィーリア、君はいったい・・・」
セオドアの問いに、オスカーが答える。
「殿下、詳しいことは、後程ご説明いたしますが、今見たことは、どうかご内密にお願いいたします。まずは、ここから出ましょう。神官殿も大丈夫ですか?」
オスカーがダニエル神官を見ると、倒れたまま動かない。
どうやら瓦礫が頭に当たったようで、頭から出血している。
「神官殿!大丈夫ですか?」と助け起こしたが意識はなく、だらりと腕を下げている。
もしかしてと、胸に耳を当てると鼓動が聞こえ、息をしていることがわかり、ほっとする。
「良かった生きている。だが、早く手当てが必要だ。急ぎましょう。」
出口に向かって歩こうとすると、目の前には大きな瓦礫が落ちていて、ダニエル神官を支えて歩くにはかなり困難だ。
「オスカー様、このままでは歩きにくいですよね。私がなんとかしますから少し待ってくださいね。」
そう言うと、オフィーリアは、邪魔な瓦礫をポイポイと投げ捨てて歩きやすくする。
「ありがとう。これなら歩ける。」
四人で出口まで進んでいると、「王太子殿下ぁ」とセオドアを探す声が聞こえてきた。
セオドアが連れてきた護衛騎士が、戻って来たのだろう。
「殿下、申し訳ございませんが、神官殿をお任せしてもよろしいでしょうか。」
「ああ。」
オフィーリアがここにいることも、ウエディングドレスを見られることも、避けた方が良いと判断したオスカーは、自分の上着を脱ぎ、オフィーリアに着せて、横抱きで抱き上げた。
「顔が見られないように隠して。」
「ありがとうございます」
オフィーリアは、オスカーの胸に押し当てるようにして顔を隠す。
セオドアは、オスカーの上着からはみ出ているウエディングドレスのスカートを隠すように自分の上着をかけた。
護衛騎士がセオドアを見つけ走って来た。
「殿下、御無事でしたか。」
「ああ、私は無事だ。しかし、神官殿と、たまたま祈りを捧げに来ていた令嬢がケガをした。彼女を送ってから王宮に戻る。お前は先に戻って、担架と医者を用意しておいてくれ。私にはオスカーがいるから大丈夫だ。」
四人はオスカーが乗ってきた馬車に乗り、まず、オフィーリアを屋敷に送り届けてから、三人で王宮に戻ったのである。