66話
「ねえ、スカーレット、お姉ちゃん、何か悪いことでもしたかな?」
スカーレットの気分が落ち着いてから、オフィーリアはこっそりと彼女の部屋に入り、恐る恐る尋ねた。
「・・・」
「はっきり言ってくれないとお姉ちゃん、わからないの。」
できるだけ優しく話したつもりだったのだが、
「・・・ううっ・・・」
返事の代わりに聞こえてきたのは、スカーレットが泣く前兆の喉が詰まったような声と、唇を噛み締めて歪める今にも泣きそうな顔だった。
これはまずいわ。このまま追及したら、また大泣きに泣かれて親に叱られる・・・。
オフィーリアは、スカーレットが泣く前に、慌てて逃げるように部屋から出た。
結局、何も聞けずじまいで、スカーレットの変化の理由は、わからないままだった。
スカーレットのオフィーリに対する理不尽な態度は、それからも続いた。
オフィーリアがうっかり触れただけで、転んで泣く。
そばにいるだけでも、怖い怖いと泣きだすこともあった。
そして、スカーレットが泣く度に、ミラとケイモスに睨まれ叱られるのだ。
オフィーリアは、スカーレットにどう接して良いかわからず、ほとほと困りはてていた。
だが、これだけなら、世間の噂になることはなかっただろう。
オフィーリアをさらに困らせたのは、ミラの巧みな話術だった。
貴族の婦人たちは、社交の場を設け、たびたび情報交換を行っている。
定期的に開かれるお茶会などは、情報交換にうってつけの場である。
ケイモスの前妻クレアは、病気がちであったこともあり、社交の場に出席することがほとんどなかった。
たまに出席しても、ほとんどしゃべらず、静かに座っているだけなのだが、その姿をよく思わない婦人たちも少なからずいる。
由緒正しい貴婦人は、私たちと話す気がないのだわ。
お高くとまっていらっしゃる。
そんな陰口を、こそこそ口にする婦人もいたのである。
ミラがベイル伯爵夫人として社交の場に出席した際も、前妻が亡くなってすぐに屋敷に入る非常識さに陰口をたたき、非難する婦人は少なからずいた。
だが、店員時代に培った営業スマイルと人の心を掌握する話術に、婦人たちの心はしっかりと掴まれていった。
ある日のお茶会の席でのこと。
ミラはハンカチを目に当て、悲しそうな声で、
「実はお恥ずかしい話なのですが、皆様にご相談したいことがあるのです。お話、聞いていただけますか?」
と言うので、出席した婦人たちは、興味津々で頷いた。
他家のゴシップほど、美味しい話はない。
「まあ、いったいどうしたのですか?」
リーダー格の女性が話を促す。
「実は・・・娘のオフィーリアが、妹を虐めるのです。妹が大切にしているぬいぐるみを盗ったり、嫌がることを無理にしようとしたり・・・」
「まあ、そんなことが・・・」
「私なりにオフィーリアのことを大切に育てているのですけど、やはり、血が繋がらない妹には辛く当たるようで・・・。いくら言っても虐めることを止めないのです。私が母として至らないばかりに・・・もう、どうしたら良いのかわからなくて・・・。」
ハンカチで涙を拭いながら話を続けるミラに、婦人たちは皆同情し、それぞれがアドバイスを口にする。
「皆様、私のために親身に考えていただきまして、本当にありがとうございます。皆様のアドバイスを胸に、子育てを頑張ってみますわ。」
次のお茶会の日になると、婦人たちの意識はミラに集中していた。
自分たちのアドバイスの結果を知りたくて、うずうずしているのだ。
「それで、その後どうなりましたの?」
リーダー格の婦人が口火を切ると、ミラは暗い表情で話し始めた。
「前回は皆様にアドバイスしていただき、本当にありがとうございました。言われたとおりにやってみましたら、妹を虐めることが止まったのです。」
「まあ、それは良かったですね。」
皆一様に、目を輝かせて喜んだ。
だが、ミラは、またハンカチを取り出し、目に当てて、涙ながらに続きを話し出す。
「ううっ、で、ですが、それも一時だけのことでした。つい先日も、私が目を離した隙に・・・、ううっ、妹を突き飛ばしたのです。スカーレットは、それはそれは大声で泣き叫び、姉が怖い、怖いと怯えているのです。ああ、私はどうしたら良いのか、本当にわかりません。ううっ・・・」
涙で詰まりながら話をするミラに、席にいる全員が同情した。
そして、オフィーリアは義妹をひどく虐める恐ろしい義姉だと、その噂は瞬く間に広まってしまったのだ。
日を追うごとにオフィーリアは、屋敷の中では、何を言っても聞き入れてもらえない無力感にさいなまれ、屋敷の外では、出会う貴族たちに、義妹を苛めるひどい姉だと後ろ指を指されて白い目で見られるようになっていく。
オフィーリアにとって、この世間で生きることは、どこにいても、針のむしろに座っているようなものだった。
オフィーリアの噂を他家のメイドから聞いたマリーは、このままでは、ますますオフィーリアの立場が悪くなると思い、スカーレットとオフィーリアをできるだけ離した方が良いと考えた。
そこで思いついたのが、マリーが買い物に出かける際に、オフィーリアも一緒に連れて行くことだった。
ケイモスは、貴族令嬢が使用人と一緒に町に出て買い物なんて・・・と反対したが、ミラはだんだんと疲れてきたこともあり、姉妹のためにもその方が良いとケイモスに助言した。
ミラにしてみれば、スカーレットが、嘘をついていることはわかっていたのだが、実の娘が義姉を嫌っているのなら、母である自分は、実の娘の肩を持つべきだと考えていた。
しかし、再々嘘をつかれると、毎度それに合わせるのも難しくなってくる。
マリーの提案を受け入れることは、ミラの精神衛生上においても有効な手段であった。
ミラの助言はケイモスの心を動かし、ミラが言うのなら・・・と結局、ケイモスは折れた。
こうしてオフィーリアがマリーと町に出かけることは許されることとなり、いつの間にか日常的な習慣になっていったのである。
町に出たオフィーリアは、マリーが幼い頃から祈りを捧げていた神殿にも連れて行ってもらった。
そこは平民のために作られた神殿で、オフィーリアは、その場所で貴族とは関係のない人々と出会い、やっと、自分らしさを取り戻せた。
誰にも後ろ指を指されることなく、自由に話ができる環境の中で、オフィーリアは萎縮せずに、のびのびと過ごすことができたのだ。
お年寄りの婦人から昔話を聞くことも楽しいと思えたし、それだけでなく、文字の読めない子どもたちに文字を教えたり、自分よりも幼い子どもたちの子守をしたりと、必要とされることが、とても嬉しい。
オフィーリアは、やっと安らぎの場所を得たのだが、ケイモスは、そのことが気に入らない。
ケイモスがクレアと政略結婚したのは、由緒正しい貴族と言われることが目的であったのに、肝心の娘が、平民とばかり仲良くなり、貴族らしく暮らさない。
どうしても、それが許せず、オフィーリアに、嫌みを言い、辛くあたった。
大人になれば、少しは貴族の自覚が現れるだろうと思っていたのだが、オフィーリアは、いつまでたっても、平民と関わることを止めようとしない。
それならば、いっそのこと、屋敷から追い出し、絶縁し、平民と一緒に暮らせば良いのだと思うようになっていた。
ケイモスにとって、オフィーリアよりも自分たちに従順で、貴族らしく暮らしているスカーレットが一人いれば、もうそれで十分だったのである。
だが、長い間オフィーリアを追い出すことをしなかったのは、オフィーリアがブランと婚約関係にあったからだった。
ブランの父、ホワイト伯爵が所有する鉱山に毎年出資し、利益を得ていたケイモスは、二人の婚姻によって、ホワイト伯爵家とのつながりをより強固なものにし、利益拡大を図るつもりであった。
しかし、オフィーリアはブランに婚約破棄されてしまった。
用済みとなったオフィーリアを屋敷から追い出すことは、ケイモスにとって、至極当然のことだったのである。
話は、セオドアとオフィーリアの会話に戻る。
「オフィーリア嬢、そなたは元家族のことをどう考えているのかな?」
「家族・・ですか・・・?」
セオドアに家族のことを聞かれて、何と答えて良いのかわからず、オフィーリアはしばらく悩んだ。
うーん・・・と考え込んで、なかなか答えが出てこないオフィーリアに、セオドアの方が慌てた。
「そ、そんなに難しい質問だったか?」
「あっ、申し訳ございません。つい、過去に思いを巡らせ、答える言葉を疎かにしてしまいました。家族と申しましても、絶縁されてしまった身なので、今の私の家族は、オスカー様だけですし・・・」
「オフィーリア嬢は、両親と妹から虐待されていたのではないのか?」
「虐待ですか? 虐待と言えばそうかもしれないし、違うといえば、違うような気もするし・・。あっ、でも、義妹に関して言えば、虐待とは少し違うと思います。してもいないことで濡れ衣を着せられたりして、困ることが多かったのですが、義妹は、本気で私にいじめられていると訴えていたように思います。」
「本気で?」
「はい。そう思い込んでいると言うか・・・。ですから、きちんと調べずに、その言葉を鵜呑みにして叱ってくる父と義母に困っておりました。」
「ふむ。オフィーリア嬢の言いたいことはわかった。だが俺は、真実を確かめようともせず、人を窮地に陥れようとすることも、夜にか弱い女性を屋敷から追い出し絶縁することも、人として、親として、あるまじき行為だと思う。そなたは、復讐したいと思わないのか?」
「復讐・・・ですか・・・?」




