64話
セオドアの私室が、険悪なムードに包まれる一時間前のこと。
オスカーとオフィーリアは、呼ばれた理由を知らされずにセオドアを訪ねた。
「王太子殿下に、ご挨拶申し上げます。」
オフィーリアは初めてセオドアの私室に招かれたこともあり、身を固くして緊張の面持ちで臣下の礼をする。
「ふふっ、そんなにかしこまらなくても良いよ。オスカーのようにリラックスしてくれたまえ。」
「殿下、お言葉ですが、夫婦そろって呼ばれるなんて初めてのことなので、私も緊張しております。ところで、ご用件はいったいどのようなことでしょうか?」
「まあ、二人とも座りたまえ。落ち着いて話そうじゃないか。」
セオドアに促されて、椅子に座ると、侍女が香りの良いお茶を出してくれた。
お茶の香りに、オフィーリアの緊張が少しほぐれる。
だが、お茶がテーブルに置かれるとすぐに、セオドアは人払いして、部屋の中にいた侍女も護衛も外に出した。
王太子が人払いをしてまで話したいこととは、いったい何だろうと思うと、オフィーリアのほぐれた表情が再び固くなる。
そんなオフィーリアを見て、セオドアはふふっと笑みを浮かべ、本題に入った。
「実はね。俺は、オフィーリア嬢に三度も命を救われた。だから、そなたに聖ミネルアの称号を与えようと思っているんだ。」
「ええっ!? せせ、聖ミネルアの称号ですか? そそ、そんな・・・お、お、恐れ多い・・・」
不敬にも、セオドアの突然の提案に、オフィーリアは大きな声で叫んでしまった。
オフィーリアは目を丸くして驚き、最後は声が震えた。
聖ミネルアとは、この国の伝説神話で語り継がれる女神の名前で、建国の際、王に知恵と勇気を与えた女神として崇められている。
その女神ミネルアを冠して作られた称号で、この国では、女性に与えられる最高の称号なのである。
しかも、建国以来、まだ三人にしか授与されていない伝説的な称号で、そのような大それた称号を、セオドアはオフィーリアに与えると言うのだ。
オフィーリアが震えるのも、仕方のないことなのである。
「それで、正式な授与式の前に、王太子主催の舞踏会を開いて、俺の口から皆に発表しようと考えている。」
「殿下が妻のことを、そのように高く評価してくださるとは・・・、なんとお礼を申して良いかわかりません。」
オスカーも、その称号の重さを知っているので、いたく感激している。
セオドアは、さらにニヤリと笑ってもう一つの提案をした。
「お前はオフィーリア嬢を、自分の妻だと豪語したいと言っていただろう? だから、その場で二人が既に夫婦であることも発表しようと思うのだ。」
オスカーにとって、それは願ってもないことだった。
今まで結婚したことを極秘にしていたのは、オフィーリアのたっての望みだった。
初めは、オスカーの愛が信じられず、いつ離縁されても傷つかないようにと思ってのことだった。
だが、オフィーリアのその気持ちは変わり、オスカーの愛を信じられるようになったのだが、それでも秘密にすることを望んだのは、オスカーの役に立ちたい、目立たず隠れて動けるようにしたいと言う思いからであった。
しかし、今は、側妃カーラも捕まり、オスカーの両親を殺害した真犯人を探し出し罰することもできた。
もう、秘密にする理由はどこにもないのだ。
オスカーは、美しく着飾った妖精のようなオフィーリアと、彼女をエスコートして舞踏会会場に入場する自分の姿を、うっとりとした表情で頭に思い浮かべる。
そして、隣に座っているオフィーリアの手をとり、真剣な眼差しを彼女に向けた。
「オフィーリア、俺たちが夫婦であることを、もう公表しても良いだろうか? 俺はそうしたい。」
オスカーにじっと見つめられたオフィーリアは、これ以上隠す必要はないのだと悟る。
「オスカー様、私も、もう隠すことは止めようと思います。オスカー様のお気に召すままに、ことを運んでください。」
「ああ、オフィーリア、俺はその言葉を待っていた・・・。」
今にもオフィーリアを抱きしめんとするオスカーに、セオドアはコホンコホンと二度の咳払いをする。
「オスカー、盛り上がってるところ悪いけど、その続きは屋敷に戻ってからにしてくれないか。」
「あっ、申し訳ございません・・・」
二人は恥ずかしそうにシュンとする。
「それから、俺には、どうしてもやりたいことが、もう一つあるんだ・・・。」
セオドアは、オスカーが結婚したのちに、二人の出会いから結婚するまでの経緯をオスカーから聞いた。
初めは単に興味本位で聞いただけであったのだが、話を聞くうちに、オフィーリアの両親と義妹の所業に怒りを覚えた。
オフィーリアは、幼いときから義妹の嘘に翻弄され、両親から冷たい仕打ちを受けていた。
それだけでなく、理不尽な理由で婚約破棄された夜に、父親であるベイル伯爵から絶縁され、屋敷を追い出されてしまった。
いくら何でもひどすぎる、親としてのこのような非道は、貴族にあるまじき行為なのではないか・・・?
セオドアの心の中に、ベイル伯爵に対する憤りがふつふつと湧き上がってきた。
その後、オフィーリアの人柄を知り、二度三度と命を救われるとなおのこと、ベイル伯爵とその家族に後悔をさせてやりたいと、思うようになっていた。
セオドア一人でも、制裁を加えるのは簡単なことなのだが、肝心のオフィーリアはどう思っているのだろう。
セオドアは、オフィーリアの気持ちを聞いておきたいと思った。
「オフィーリア嬢、そなたは元家族のことをどう考えているのかな?」
「家族・・ですか・・・?」
オフィーリアは、亡き母クレアのことを思い出すと、懐かしい思い出と共に、ふわりと暖かい毛布に包まれたような気持になるのだが、父ケイモスのことを思い出そうとすると、栗色の巻き毛で小太りの父が、真っ赤な顔で自分のことを叱っている姿ばかりが目に浮かぶ。
ケイモスも継母のミラも、義妹のスカーレットに甘く、オフィーリアには冷たい態度で接していたこともあり、家族としての良い思い出は、ほとんどないと言ってよかった。
父ケイモス・ベイル伯爵は、祖父であるベイル男爵の一人息子であったが、このベイル男爵がなかなかのやり手で、賄賂を贈ることで事業拡大を図り、一財産を築いた男だった。
当時、愚王ランドルフの治世においては、賄賂は当たり前で、ベイル男爵はランドルフに多額の賄賂を贈って男爵位から伯爵位へと格上げすることにも成功した。
だが、金で地位を買った成り上がりの伯爵と、後ろ指を指されることを嫌い、息子ケイモスには、由緒正しい伯爵家の令嬢クレアと政略結婚させることを望んだ。
クレアの両親は、古くから続く由緒正しい伯爵家であったが、真っ当な生き方を貫いたために、没落寸前にまで追い込まれていた。
だが、生きるためには金が必要である。
クレアは、家族のために、この結婚を受け入れたのだ。
ケイモスの父が決めた政略結婚であったが、クレアの美しく輝くプラチナブロンドの髪と青い瞳が印象的な、まるで妖精のような美貌に、ケイモスは夢中になった。
この結婚を喜んだことは、言うまでもない。
その後、ランドルフが死に、賄賂が通用しなくなると、ベイル伯爵の羽振りも目に見えて衰え、事業は縮小。
アレックスたちが行った腐敗貴族の粛清にも怯え、その心労から病を患い、伯爵位を息子ケイモスに譲った後に、ベイル伯爵はすぐに死んでしまった。
ただ、死ぬ前に不正の証拠を全て焼却し終わっていたので、ベイル伯爵家が取り潰されることはなかった。
家督を譲られたケイモスとクレアの間に、オフィーリアが生まれたが、クレアが妊娠したあたりから、徐々にケイモスの心は冷めて行った。
ケイモスは、初めこそクレアの美しさと淑やかさに惹かれたものの、真っ当な生き方をしてきたクレアと、私利私欲にまみれた父に育てられたケイモスは、何かにつけて価値観も考え方も違っていた。
父の家督を継ぎ、一家の長となってからは、ますますクレアの真面目さが鼻につき、ケイモスは、次第に息が詰まる思いをするようになる。
徐々に夫婦間の会話は減り、しばらくすると、ケイモスは家に寄りつくことさえしなくなった。
たまに、生活費を渡しに来るだけ・・・、クレアとケイモスの夫婦間は、それだけの関係になってしまった。
クレアとの夫婦関係に溝ができ始めた頃、ケイモスは、偶然寄った紳士服店で、店員をしているミラに出会った。
茶色い髪と、少しつり上がった灰色の目をしたミラは、美貌ではクレアに劣るものの、巧みな話術と商業スマイルが魅力的な女性である。
ケイモスは、そんなミラにころりと騙され心を奪われ、足しげく店に通うようになる。
ミラを平民の娘だと思ったケイモスは、ミラに愛人になるように誘いをかけた。
実はミラは男爵家の令嬢であったが、事業に失敗した父が借金を抱えたので、家計を助けるために紳士服店で店員として働いていたのである。
だが、貴族令嬢が平民と同じ職場で働くことに不満を感じていたミラは、働かなくても良いのならと、ケイモスの愛人の座を選んだ。
どのみち行き遅れの貧乏貴族令嬢など、良い縁談が来るはずもないと思っていた矢先だったので、彼女にとって、ケイモスの申し出は渡りに船だったのだ。
ケイモスはミラのために小さな家を借り、そこで彼女と夫婦同然の生活を送るようになる。
二人の間に、自分によく似たスカーレットが生まれると、ケイモスにとって、ミラと暮らす家庭こそが、本来の家族だと思えるようになっていた。
そんなケイモスだったから、病気がちだったクレアが亡くなると、まだ喪が明ける前だと言うのに、ミラとスカーレットを屋敷に招くような非常識なことができたのだ。
その当時、オフィーリアは五歳、スカーレットは三歳で、母が亡くなったばかりのオフィーリアの前に、突如として継母と義妹が現れたのである。




