6話
いきなりのプロポーズに驚くオフィーリアであったが、オスカーは真剣そのものだ。
「俺はお前のことを愛している。婚約者がいるからと諦めていたが、婚約破棄されたのなら問題はなかろう。親の許しも、絶縁されたのなら必要ない。だから、だから・・・お前さえ良ければ、す、すぐにでも結婚したい。」
オスカーとの婚姻は、オフィーリアにとって申し分ない条件だ。
この国の法律では、絶縁された貴族は準貴族に格下げされる。
だが、たとえ格下げされたとしても、貴族との婚姻は、神殿と王室が認めれば成立する。
その場合、絶縁されたのだから、親の許可は必要ない。
それに、オフィーリアの場合、普通に考えれば、悪女と名高く婚約者にも捨てられた娘など、良い縁談がくるはずがない。
あったとしても、若い娘をおもちゃにしたい変態ジジイの妾ぐらいのものであろう。
しかし、オスカーは、心からオフィーリアを愛してくれている。
断る理由なんて、どこにもない。
「あの・・・、本当に私でよろしいのでしょうか。」
「そうだ。オフィーリアしか考えられない。」
オスカーのオフィーリアを見つめる目は熱い。
オフィーリアは、その燃えるような赤い瞳の中に、オスカーの真実を見たような気がした。
「・・・ありがとうございます。そのお話・・・、お受けしたいと思います。」
オフィーリアは、静かに、だが、はっきりと自分の気持ちを告げた。
「ほっ、本当か? オフィーリア、ありがとう。これでオフィーリアは、俺の妻だ! 結婚式は、盛大に挙げよう。国一番の結婚式にしよう!」
「・・・盛大?・・・国一番・・・?」
オスカーの言葉を聞き、オフィーリアの表情が急に曇った。
急な表情の変化に、オスカーは理由が分からず戸惑う。
「オ、オフィーリア?」
オフィーリアはしばらく悩んでいたようであったが、意を決したようにオスカーの目を見つめて言う。
「オスカー様、誠に申し訳ございませんが、誰にも知られぬように、二人きりの結婚式にしていただけないでしょうか?」
結婚できると喜び勇んでいたオスカーは、その言葉に驚いた。
「何故? 花嫁は、盛大な結婚式の方が嬉しいんじゃないのか? それとも、魔王と噂される俺が原因か?」
「申し訳ございません。決して、オスカー様のせいではございません。ただ・・・、私の気持ちの問題なのです。」
オフィーリアはオスカーに愛されていることは理解したが、その愛が永遠に続くとは思えなかった。
子どもの頃、優しかった婚約者ブランは、他の女を愛してオフィーリアを捨てた。
両親は政略結婚だったが、父から望んだ結婚だったのに、母が存命中に父は他所に女を作り、子までなした。
愛とは、いかにもろいものなのか。
オスカーは、オフィーリアを愛していると言っても、八年前のわずか数分の出来事が作り出した愛なのだ。
この愛が、永遠に続く保証がいったいどこにあるのだろう。
もし、また、捨てられてしまったら?
結婚式が盛大であればあるほど、傷つくのはオフィーリアだ。
オフィーリアは、これ以上傷つくのが怖かった。
「オフィーリア、お前の心の傷は、俺が思っているより深いのだな。わかった。お前の言う通りにしよう。誰も式には呼ばない。二人だけの結婚式だ。それで、いいな。」
オフィーリアは、オスカーの言葉にほっとすると同時に胸が熱くなる。
オスカー様は、私の気持ちをいつも尊重してくれる。
嬉しくて涙が零れそうだ。
「・・・オスカー様・・・あ・・ありがとうございます。」
言い終ると、オフィーリアの目からほろりと涙が零れ落ちた。
オスカーは零れた涙をそっと指で拭いながら、優しく言い聞かせるようにオフィーリアに告げる。
「だが、オフィーリア、いつか、お前の心の傷が癒えて、俺との結婚を公表しても良いと思えるようになったら言ってくれ。そのときは、盛大に披露宴をしよう。お前は俺の世界一の花嫁だと皆に伝えたい。」
そんな日が来るのだろうかと、オフィーリアは思う。
だが、自分を思ってくれるオスカーの言葉がとても嬉しくて、オフィーリアは無言で頷くのだった。
「ところで、オフィーリア、誰も呼ばないのなら明日にでも結婚できる。結婚式は明日にしよう。」
「え?・・・あ、明日ですか?」
いきなりの申し出にオフィーリアは混乱する。
いくら何でも、明日だなんて早すぎる・・・。
だが、オスカーはオフィーリアの気持ちを全く意に介さず、真剣に話を続ける。
「そうだ。俺たちは一緒に暮らすのだから、一日でも早く正式な手続きをとった方が良い。オフィーリアもそう思わないか?」
あまりにも早急過ぎると思うが、一緒に暮らすのなら早い方が良いと言うオスカーの言い分は、もっともだと思う。
夫婦になれば名分が立ち、一緒に暮らしても誰にも文句は言われない。
「・・・そうですね。では、その・・・明日・・・に・・・。」
その言葉に、オスカーの顔が一気にほころんだ。
「ああ、オフィーリアありがとう。これで俺たちは明日夫婦になれるんだ。だからだな。その・・・何だな。一日早いが・・・今夜、初夜、つまり夫婦の営みをしても良いか?」
「ええっ?しょ、しょ、初夜ですか?」
オフィーリアは、真っ赤になって立ち上がった。
全く心の準備ができていなかったオフィーリアにとって、初夜という言葉はあまりにも衝撃的過ぎた。
「・・・・・・・・・・」
余りにも衝撃的過ぎて、言葉に詰まり返事ができない。
しまった! 早すぎたか? ううっ、つい欲望に負けてしまった・・・。
オフィーリア、どうか犬にならないでくれ!
オスカーは、オフィーリアの変化を恐る恐る見ていたが、幸いなことに子犬にはならなかった。
どうやら真っ赤になったが、「初夜」そのものには激しい拒否反応はなかったようで、オスカーはほっとして胸をなでおろす。
だが、オフィーリアは、イエスかノーかの返事をせぬまま、真っ赤な顔でベッドから下りて、すたすたとドアまで歩いて行く・・・。
「オ、オフィーリア、どこへ行く?」
「少し頭を冷やして来ます。ついでに何か飲み物を持ってきます。」
気が付けば、窓の外が白みがかり、もうすぐ夜明けだとわかる。
まだ、使用人たちが寝ている時間だ。
使用人に任せずに、オフィーリア自身で飲み物を取りに行こうするところは、やはり彼女らしい。
「では、俺も一緒に行こう。」
「大丈夫ですよ。場所はわかっていますから。」
オフィーリアは、話しながらドアを開けようとするが、ガチャガチャとドアノブを回しても扉は開かない。
「ああ、誰にも入られないようにと思って、チェーンをかけたんだ。それを外せば簡単に・・・」
オスカーがチェーンに手を伸ばそうとしたその瞬間、
バッターン!
激しい音を立てて、ドアが倒れた。
「えっ?」
「ええっ?」
倒れるはずもないドアが倒れたので、二人とも驚きの声をあげる。
「あ、あの、少し強く押しすぎたみたいです。開かなかったのでつい。」
「いや、少し強く押したくらいでドアが倒れるはずがないだろう。それよりも、ケガはないか?」
「私は大丈夫ですが、どうもドアの金具が壊れたようです。」
言われて見ると、ドアの蝶番が全てポキッと折れている。
「どうしてこんなことに。老朽化が進んでいたのだろうか。」
「それにしてもこのドア、軽いですね。」
「何を言って・・・」
オスカーは、オフィーリアが片手で軽々と持ち上げているドアを見て驚いた。
いや、そんなはずはない。
このドアは敵に破られないように頑丈に作られていて、男二人でも持ち上げるのがやっとの重さなのだ。
オスカーは、確かめようとオフィーリアのように片手で持とうとしたが、無理だった。
もしかして、これが、彼らの言う人間兵器の力なのか?
失敗したと思っていたが、オフィーリアの中には既にその力が宿っていた?
「オフィーリア、このことは絶対に誰にも言うんじゃない。もし知られたら大変なことになる。」
オフィーリアも、ことの重大性に気付き、青ざめながら頷いた。
そこへバタバタと走って来たのは、パジャマ姿のセバスチャンだ。
「ものすごい音がしましたが、どうしたのですか?」
ハアハアと息を切らしながら尋ねたセバスチャンは、よほど慌ててきたのだろう。
いつも綺麗に撫でつけている髪が、寝癖でちょこんと跳ねている。
主人思いのセバスチャンは、オスカーの横にいるオフィーリアを見て驚いた。
ネグリジェにオスカーの上着を羽織る姿は、どう見ても事後。
「お坊っちゃま、女人を連れ込んだ、いえ、一緒に夜をお過ごしになられたのですか。なんたるハレンチ、いえ、とうとう男になられたのですね。爺は嬉しゅうございます。」
セバスチャンは、ハンカチ片手に今にも泣きそうだ。
「いや、セバスチャン、そんなんじゃないから。」
「と、言いますと?」
「ほら、よく見て。」
セバスチャンは、じっとオフィーリアの顔を見る。
「もしかして?」
「そう、そのもしかしてだよ。オフィーリアなんだ。」
「オ、オ、オフィーリア様あ。お会いしとうございました。お坊っちゃま、とうとう見つけられたのですね。おめでとうございます。」
「オフィーリアと、明日結婚することにした。」
「え? あ、明日でございますか?」
「ああ、急なんだが、二人だけの式にする。披露宴もなしだ。理由は聞かないでくれ。」
「わかりました。明日が結婚式とは驚きましたが、お二人ともおめでとうございます。お坊っちゃま、念願かなって本当に良かったですね。オフィーリア様、これからどうかお坊っちゃまのこと、よろしくお願いいたします。ところで、結婚式に着るドレスはどうなさいますか?」
「あっ!」
オスカーとオフィーリアは、顔を見合わせる。
二人とも、すっかりドレスのことは失念していた。
今から注文しても明日に間に合うはずもなく、ショーウインドウに飾られている完成品を買うしかないが、それもサイズが合うかどうかわからない。
「オスカー様、二人だけの結婚式なのですから、私は普段着で十分です。」
「いや、二人にとって記念すべき式なのだ。徹夜してでもドレスは完成してもらおう。金ならいくらでも出す。」
「でも・・・」
二人のやり取りに、セバスチャンが口を挟んだ。
「オフィーリア様さえよろしければ、亡き奥さまのウェディングドレスがございますが。体型もほぼ同じかと思いますので、お直しの必要はないと思います。」
セバスチャンの提案に、オフィーリアはほっとする。
ドレスを作るために、オスカーなら本当に法外な大金でも支払ってしまいそうだ。
「オスカー様、もし、私がお母様のドレスを着てもよろしいのでしたら、そのドレスで式を挙げたいと思います。」
欲のないオフィーリアの言葉に、オスカーは感心する。
オフィーリアは本当に、母のお古のドレスでも構わないのか?
結婚式なのに・・・、なんと欲がない令嬢なのだろう・・・。
オスカーはまた一つ、オフィーリアの魅力を見つけたと思う。
「ああ、オフィーリア、お前がそれで良いのなら、俺は構わない。母上もきっと喜んでくれるだろう。」
二人は、セバスチャンに案内されて保管室に入った。
この部屋は、貴重品の劣化を防ぐために作られた部屋で、普段から分厚い黒色カーテンを閉め、窓から入る光を遮り暗くしている。
セバスチャンがカーテンを開けると、部屋の中に朝陽が差し込み、部屋の中を明るく照らした。
部屋いっぱいに整然と並べられている品々には、全て白布が掛けられており、それがいったい何のかわからない。
興味津々のオフィーリアに、セバスチャンは、この中には、過去に王室から賜った高価な調度品や、外国の使節団から贈られた世界に三つしかない宝石などもあるのですよと、説明する。
次に、セバスチャンは、大きなガラスケースに掛けられている白布を外した。
ケースの中に入っているのは、朝日にキラキラ輝く純白のウェディングドレス。
豪華だが、とても上品なデザインで侯爵家に相応しいドレスだ。
保存状態も良く、これなら問題なく着ることができるだろう。
「オフィーリア、母上が着たものだが、本当にこれで良いのか?」
「もちろんです。こんなに美しいドレスを着れるなんて、私は幸せです。」
オフィーリアは、うっとりとウエディングドレスを眺めている。
「ウッウッ、オフィーリア様がこのドレスを着たお姿を見ることができるなんて、爺は長生きして良かったです。」
セバスチャンは、ハンカチ片手に泣きながら喜びの声を上げる。
オスカーはこのドレスを着て結婚式を挙げる美しいオフィーリアを想像し、この上ない幸せに浸っていた。
しかし、まさかその結婚式に、思いもよらぬ大惨事が待っているとは、さすがのオスカーにも想像できなかったのである。